三蔵×悟能(9)

 気がついたのは、もう日も高くなってからだった。
「!」
(いろいろな御用があるというのに、寝過ごしてしまった。)
 慌てて、飛び起きた悟能だったが、絡みつく腕の存在と、身のうちを引き裂く痛みとに即座に躰を折った。
「――――! 」
 昨夜は気を失った後も貪られたらしい。
 上手く誘えなかったら、死ぬほどヤってぐちゃぐちゃにしてやる。やや嗜虐趣味のケがあるご主人様に言われた悟能だったが、本当に実行されるとは思わなかった。
 達して、お互いに放出しあって、薄れゆく意識の片隅で、三蔵が自分の手をとり、優しく口づけた気がしたのを思い出した。
「さん……」
 慶雲院の最高責任者は、悟能を抱き締めたまま、まだ寝ていた。起こさぬように、抜け出そうとして悟能はその手をそっとほどこうとした。
「ん……? 」
 寝起きがいいとはいえない三蔵は、薄く目をあけた。間近でみると、夕闇に似た紫色の瞳は迫力がある。
 どきまぎしながら、悟能が身を硬くすると三蔵は欠伸をひとつした。
「今、何時だ」
「え、えーと」
 要領を得ない会話をしつつ、壁にかかっている時計に目を凝らした。
「……朝の十時……みたいです」
「そうか」
 短く会話を打ち切ると、三蔵は躰を起こした。綺麗だが、鍛えた筋肉や浮き出た筋は、どこまでも男性的だ。
「それじゃ、続きだ」
「……! 」
 悟能は絶句した。なんの続きだろうかと慌てて問い直す間もなかった。三蔵の手はまた、悟能の下肢へと這ってきた。
「もうお昼です! 」
 悲鳴をあげたが、意に介すような三蔵ではない。
「昨日、言ったろうが」
「な、なにを」
「死ぬほどヤってやるってな」
「う……」
 あがいて敷布の上で暴れ回る痩躯を、三蔵が押さえ込む。
「まだまだ、死にそうじゃねぇな。てめぇは。もう少しつきあえ」
「三蔵様ッ」
 躰の下に引きずり込まれ、抵抗したが、大人の男の力にかなわない。
「あ……ああ……」
 そのうち、昨夜と同じ甘い泣き声が部屋に響きだした。







 その日の午後。
「……ッ」
 乱れた裾もかまわず、水干をひっかけ、悟能は這うように三蔵の部屋から抜け出した。
「おい」
 その背に鋭い声が飛ぶが、もう振り返る余裕はない。
「水……お水を」
 声変わりとだけはいえぬ、枯れた喉をさすりながら、悟能は泣き言を言った。
「フン」
 三蔵は寝床で立てひじをついて頭を支え、倣岸そうに鼻を鳴らした。
「わかった。飲みにいけ」
 ほっとした悟能は水干の紐を申し訳程度に結んだ。
 本人は気がついていないが、そのひじの裏も、首の後ろも、ところ狭しと三蔵の口吸いの跡がついている。
「そうだ。それから」
 三蔵様は下僕を鋭い目で見つめながら言った。
「俺も喉が渇いた。水差しごと、この部屋に持ってこい」
「は、はい」
「早くな」
 本当に三蔵が水を飲みたかったのかどうかは分からない。
 しかし、この命令であまり長い間、悟能が三蔵のもとから離れていられないのは確かだった。



「はぁ……」
 それでも、悟能はなんとか三蔵の傍から、外へと逃れでた。
 渡り廊下を通る風が気持ちいい。快楽に閉ざされた今までの部屋の空間は濃密な性の匂いで溢れていた。
 悟能は久しぶりに主人の腕から自由になり、深く息を吸い込んだ。舐められ、愛撫されて冷える間もなかった肌に、庭の空気が心地よかった。
「ん……」
 三蔵の傍にいるのがイヤなわけではない。
 むしろ、逆だった。
 初めて快楽をたたきこまれてからというもの、悟能は三蔵の与えてくれる快感の虜だった。三蔵が抱いてくれなかったら狂ってしまう。そう思うことすらあった。
 しかし、こう連夜では身がもたない。ただでさえ、悟能は三蔵よりも十歳以上幼いのだ。
 そんな年齢差を、あの三蔵様が考慮してくれているとは思えなかった。悟能を抱き壊すような犯し方だった。
 普通、稚児を持つような大僧正は、当たり前だが、だいぶ高齢だ。欲望にまかせて、稚児を穿ち眠らせぬというよりは、少年らしい艶やかな肌を舐めさするというのが普通だ。
 そう、膝の上に乗せた毛足の長い小型の愛玩犬のように、稚児の少年を愛でるのだ。
 しかし、生憎、悟能の仕える最高僧様はそうではない。襟足の長い髪は若さを誇って艶々とし、紫の神秘的な瞳は力強く鋭い、引き締まった肉体は無駄がなかったし、ひとつひとつの動きは俊敏な獣のそれだった。
 そう、三蔵様は若すぎるほどに若かった。
 要するに、ふたりは不幸なほどに若かったのだ。
 もし、三蔵が老僧であったなら、もっと性愛に対して老獪だったに違いない。少なくとも、こんな容易く周囲にふたりの関係が知れるようにはしないだろう。
 溺れていたのは、三蔵も同じだった。いや、三蔵の方がより酷かったかもしれない。悟能は清純そのもので、その癖ひどく甘美だった。
 清楚な外見は、一度剥ぎ取ると驚くほど淫らになった。あっという間に深みに嵌まってしまったのは、無理もなかった。
 悟能は、いささか乱れた着衣を直す余裕もなく、廊下から寺の台所である庫裡(くり)を覗いた。
 時間外のためか、人の姿はない。ほっとひと息をつき、磨き抜かれた石の流しや、木の香りがすがすがしい調理台の上をざっと眺めた。
 水差しは、壁側のタンスの中にそっと置いてあった。高価そうな青磁のそれは、とろりとした釉薬で輝いている。上等な品だ。
 悟能は、てきぱきとした仕草でそれに水を汲み入れ、コップを添えると盆にうやうやしく掲げて持った。
 ガラスのコップが盆の上で、かちりと硬質な音を立てる。
 割らぬように気をつけながら、乱れた服のすそをさばき、台所の扉をくぐり、もときた渡り廊下を急いだ。ご主人様である三蔵は気が短い。
 渡り廊下の左右に庭が見える。奥の院と違い、常緑樹が植わり簡素だ。掃き清められた赤い地面、楓や松の木々が枝で風を受けている。ところどころ趣のある石が配置され、見事な景色をつくっていた。
 そのとき、
 ひときわみごとな楓の木の陰に、誰かがいるのが見えた。
「? 」
 慶雲院のものではない。見かけぬ風体だった。
 背は三蔵よりも高く、メガネをかけている。やや長いふぞろいな黒い髪に黒い瞳。白衣に袈裟。服装は三蔵そっくりだ。
 僧形なのに不真面目な感じがするのは、淫猥に歪んだ口元のせいだろう。容貌が端正なために、余計ひとを馬鹿にした表情に見える。
 カラスみたいに、全てが禍々しくって不吉な男だ。
「やぁ。そこの黒髪の可愛いコちゃん」
 悟能に気がつくと、その男は慣れ慣れしい口を利いた。



「三蔵×悟能(10)」に続く