三蔵×悟能(3)

 隣の寺での用事をすませ、三蔵が慶雲院へ戻ったのは夕方になってからだった。
「が……がで……が……」
「全然、何言ってるかわからねぇぞ」
 一仕事終わったというのに、三蔵はむっつりとしていた。すごぶる機嫌が悪かった。
「ん〜んんッ」
 悟能は哀れにも全く声がでなくなっていた。
「もう、喋るな。うるせぇ」
 面倒くさそうに三蔵は言った。なんだかいらいらとしていた。
 今日、行った寺でも、――――そこの坊主どもは三蔵と悟能を美しい一対だと思ったらしく――――口を極めて褒めそやされた。
 悟能の美童ぶりに、みんな見とれていた。沙門(坊主)とは色道の餓鬼だといわれるが、隣の寺の連中のそれは、あまりにも露骨な視線だった。
 悟能の羽織っていた着物など坊主どもの想像力で、最後の一枚までも剥ぎ取られているに違いなかった。悟能の色香に揃いも揃ってみな涎を流していたのだ。
 見苦しかった。
 しかも、そこの年老いた住職は、相当の美童狂いらしく、悟能のことを舌なめずりしそうな目つきで見ていた。本当に気に食わない爺だった。
 帰り際、その老いぼれが、また余計なことを悟能に囁いた。
――――三蔵様のような盛んで若い方が相手だと、お前さんも朝までずっと大変じゃろう。
 そんな意味の卑猥な言葉をかけたのだった。
――――ワシみたいな老いぼれなら、朝早く目は覚めるだろうが、せいぜいお前さんの肌で遊ばせてもらうだけじゃからのう。
 幼いとはいえ賢いので、半分くらいは何を言っているのか、意味が分かったに違いない。悟能はびっくりしたように目を丸くしていた。最近、以前にも増してこうした性的なことを言われるようになってきた。お年頃なのだろう。
 運悪く、老住職の言葉は傍にいた三蔵にも聞こえてしまった。
 三蔵は聞くなり手にしていた火のついたタバコを老師に向って投げ捨て、こともあろうに『この色ボケジジイが、くたばりやがれ』と暴言を吐いたのである。
 周囲の慌てまいことか。大変な騒ぎになった。とはいえ、三蔵様ときたら、これぞ本当の釈迦に説法、馬耳東風であった。
 『死ねクソジジイ』 のひと言までご丁寧にも付け加え、誠に堂々とした様子でその寺をご退去あそばしたのだ。

「てめぇが、ボケてるせいでヌケヌケとあんなことを言われるんだろうが。なんとかしやがれ」
「ん、んーんん」
 悟能は困ったように唸っている。幼いなりに、皮肉には長けていたが、声が出ないのではイヤミのひとつも返しようがなかったのだ。どうしようもない。
「ったく」
 まるで、自分が侮辱されたように三蔵は怒っていた。どうしてこんなに腹が立つのか分からなかった。
 いらいらしながら歩く三蔵を追うように悟能は付き従っていた。
 内心、悟能としてはそれどころではなかったのだ。
 隣町の老師から受けたセクハラも、イヤではあったが、それよりも大きな心配事が心を占めていた。
 今朝、汚してしまった下着を部屋のタンスの裏へ隠して慌しく出てきてしまっていたのだ。誰かに見つかりでもしたら、どうしようかとずっと気が気でなかった。
「おい。聞いてんのか」
「……う」
 出ない声を振り絞るようにしながら、悟能は一生懸命、首を縦に振った。
 しかし、頭の中を占めているのは、汚してしまった下着を早く洗いたいということだけだ。
「チッ」
 大きな舌打ちをひとつすると、三蔵は悟能から顔をそむけ、慶雲院の中へと入った。最高僧のお帰りを受けた諸僧が、次々とお出迎えに駆けつける。
「何、ボケっとしてんだ、てめぇは。早く来い! 」
 短気な三蔵は、とうとう忠実な小さい悟能に向って怒鳴った。



 お茶よ、着替えよと集まってくる周囲にも、三蔵は不機嫌そうにむっつりとしていた。普段なら、率先してお世話をする悟能が、何故か上の空なのも気にいらなかった。
「茶がぬるい。こんなのが飲めるか。淹れなおせ」
 いつもなら、恨めしそうに睨み返す、三蔵のこんな仕打ちにも悟能は反応しない。
「おい! 」
 三蔵は机の上に叩きつけるように茶碗を置いた。激しい音が立つ。
「は、はい」
 悟能は目を白黒させている。どう見ても様子がおかしい。三蔵の自室に戻っても、それは変わらなかった。タンスの裏などをごそごそまさぐっている。三蔵はその後ろ姿へ何気なく声をかけた。
「おい」
「はっ、はい! 」
 可哀相なくらい悟能は飛び上がった。あわてている。
「……本当に、どっか具合でも悪いんじゃねぇのか」
「だ、大丈夫で……ッ……ゲホ」
「フン。早く寝ろ」
 びくびくしながら、悟能は白い布をつかんで、洗面の方へと消えた。どうにも、三蔵にとっては解せぬことだらけだった。



 そして また、次の朝。
「……ッ」
 三蔵は、自分の叫び声で目を覚ました。
 ひどい夢を見ていた。人を殺す夢だ。いや、正確には夢ではない。
 実際、三蔵は人を殺したことがある。幼かった頃、自分を守るために生きてゆくために殺すしかなかったのだ。べっとりとした血の感触が、まだ手に残っている。三蔵は背にびっしょりと汗をかいていた。気持ちが悪かった。
「クソ」
 様子のおかしい悟能を気遣ったのが間違いだった。三蔵は前夜、早々にひとりで休んだ。
 しかし。いつまでも寝付けなかった。おまけにこんなにひどい夢を見たのだ。悟能のせいだとしか思えない。
「畜生」
 物憂げな表情を浮かべ、ぶつぶつと悪態をついている。いつまでも寝床から出ようとしなかった。
 悟能を腕に抱えて休んだ夜は、あっけないくらいすぐ眠れるのに、ひとりでは何故か満足な睡眠を得られなかった。どうしようもなかった。
「……」
 恨めしそうな目つきで、三蔵は部屋の四方を見た。悟能の姿はない。隣にある控えの間に、寝床をこしらえて休んでいるのだろう。
 朝はまだ早い。三蔵はいらいらとした様子で悟能の寝ている部屋の戸を開けた。木でできた簡素な引き戸がガラガラと音を立てる。
「いつまで寝てんだ。起きろ」
 なんで、自分でもこんなに苛立つのか説明できなかった。眠れなかったのは悟能のせいだとすら思った。すっかり勝手に逆恨みしていた。あのガキが一緒に寝ないから、俺様ともあろうものが眠れないのだ。てめぇが悪い俺と寝ろ。
 そんな亭主関白全開なスタンスだった。
「おい」
 三蔵が声をかけたとき、悟能はまだ布団をかぶって寝ていた。無地の生成り色の寝具だ。召し使いにしては結構、上等のものを使っている。
「……? 」
 悟能は顔まで布団をかけて寝ていた。ときおり、布カバーの表面が小刻みに震えている。息でも苦しいのだろうか。
「ったく」
 本当に具合でも悪いのかもしれなかった。起きてこないなんて、滅多にあることではない。
 三蔵は舌打ちして出て行った。鬼畜な最高僧様でも、さすがに病気の下僕をこき使う気にはなれなかった。



 三蔵が出て行った後、悟能はそっと布団から顔を出した。
「どうしよう……」
 蒼白な顔で呟いた。目の周りはすっかり赤くなっている。涙ぐんでいた。
 昨日、ヘンな白いウミが出てしまったことを気にしていた。だから、昨夜は寝る前に、あそこを綺麗に洗ったり、消毒したりしていたのに、今朝も同じだった。いや、事態はもっと悪くなっていた。
 なにしろ、今日は寝ている間に、ウミを垂れ流してしまったらしいのだ。
 下着がべたべたしている。
「本当に……僕の躰、どうしちゃったんだろう」
 悟能は不安で泣きそうになっていた。父親も、兄弟もいない悟能には、こうしたことを相談する相手もいない。かといって一番身近にいる三蔵にも報告するのはイヤだった。
 同性とはいえ、性器の先端から白いウミが出るなんて、こんな下品な病気になったことが知れたら軽蔑されてしまうと思ったのだ。
 あの綺麗な人には、こんなことを知られたくなかった。

 そんな状況だったので、悟能はまるきり元気を失っていた。
 
 事態は悟能にとって深刻だった。心なしか、最初よりも白いウミは水っぽくなっていた。その癖、量は多くなってゆく。きっとよほど病気は悪くなっているに違いない。
 こっそりと日々は過ぎていった。



 そんな、とある夜のこと。
 どんよりした気分でうつむいている悟能に、三蔵は宣言した。
「寝るぞ」
「……」
 悟能は呆然とした表情で三蔵の口元を見つめた。
「なんだ。その顔は」
 悟能の反応に、三蔵は眉間に皺を寄せた。
「この俺の命令が聞けねぇとでもいうんじゃないだろうな」
 ほとんど脅迫に近かった。悟能は相変わらず三蔵の顔を見つめている。
「おい」
 三蔵がいらいらとしながら呼びかけたとき、悟能の瞳が潤み、目の縁から透明な雫がこぼれた。
――――悟能は泣いていた。
「……クソ」
 訳がわからない、そういう様子で三蔵は悟能の腕を取った。
 悟能の涙を見ると、何故か逆上した。どうしたらいいかわからない。何か事情があるのかもしれないが、三蔵も安眠できないのはもうイヤだった。
「寝るぞ」
 悟能は無言で首を横に振った。また、喉の調子でも悪いのかもしれない。
「何だそれは。首を振るのやめろ」
 三蔵は怒鳴った。本当に短気だ。
 言い争いながら、寝室の前まで来た。三蔵の手は悟能の腕にしっかりと食い込んでいて、逃すつもりなど爪の先ほどもない。三蔵は悟能を抱き寄せた。
「う! 」
 悟能は三蔵の腕の中で震えた。つかまれた腕が痛かった。
 畳敷きの寝間には、すっかり寝床が拵えてあった。ふたつの布団がくっつくように並べて敷いてある。
「ッ……! 」
 三蔵は布団の上に悟能を突き飛ばすようにした。メガネが外れて転がる。
「往生際の悪いガキだ」
 いつものように、腕の中に悟能を抱えようとする。
「ダメ……で……さ……ぞ」
 悟能が苦しげに喉から声を振り絞った。素顔なので艶めかしくすら見える。
「? 」
 頑なすぎる抵抗に、三蔵が怪訝な表情を顔に浮かべた。
「僕、病気なんです」
 悟能はようやく声を出した。本調子ではないらしく、喉仏のあたりを右手で押さえつつ言葉を継いだ。メガネをかけていないので、男にしては長い睫毛が頬に影を落としているのが良く見える。
「何? 」
 三蔵が眉を顰めた。
「一緒の布団で寝たりなんかしたら、貴方にきっと病気をうつしてしまいます。僕と一緒にいてはいけないです」
 可憐な少年の唇が、泣きそうになりながら、言葉を紡ぐ様子を、紫色の瞳はしばらく黙って見つめていた。
「何の病気だ。言え。風邪か」
「……」
「風邪か? 大丈夫だ。かまわねぇ」
 風邪などよりも、三蔵にとっては悪夢の方が我慢できなかった。
「……! ダメです。ダメ……! 」
 抱きしめる腕をふりほどこうとする。
「それじゃ、一体、何の病気なんだ」
 三蔵は焦れていた。悟能の言葉は訳が分からなかった。
「ぼ、僕も自分でも……分からないんですけど」
 歯切れが悪かった。
「実は……ウミが……出るんです……いっぱい」
 顔を真っ赤にして、たどたどしく言った。
「ウミぃ? 」
 口を歪め、不思議そうに聞き返す三蔵へ向って、悟能は一生懸命に肯いた。真剣な顔だった。
「ええ、白いべたべたしたウミが出るんです」
「どこから」
 ますます三蔵の顔はけげんに曇った。悟能は怪我をしているという様子ではない。なのに何故、躰からウミなど出るのだろうか。
「ええと」
 悟能は言葉に窮した。本当のことを言うのがはばかられた。
「てめぇが言ってることはひとつも、分からねぇ」
 三蔵は舌打ちをひとつした。真摯そのものな悟能の訴えだったが、くだらない子供の戯言に聞こえるのかもしれない。
 ごく、と悟能は唾を呑んだ。恥ずかしかった。でも、こうなったら言わないわけにはいかなかった。
「……先から」
「何? 」
 三蔵が聞き返すと、悟能はますます真っ赤になった。
「…………」
 少年はためらいながらも小さい声で性器の呼称を口にした。
「そ、そんなトコから白いべたべたするのが出るんです」
 三蔵の夜着をつかんだ悟能の指の関節は、緊張のあまり力を入れすぎ白くなっている。
「こ、こんな病気が三蔵様にうつってしまったら大変です。だから僕……」
悟能は羞恥にかられながらも、真剣に言った。
 三蔵の表情が心なしか、変わった。
 身にまとう気配も、何か微妙に妖しく変化していたが、まだ幼い悟能は気がつかなかった。
「……分かった」
 やがて、
 最高僧は低い声で言った。すっかり疑問が解けたという顔だった。表情も普段のいらいらとした調子ではなく、どこか硬質で読めない雰囲気だった。
「……その『ウミ』ってのは、乾くとバリバリした糊(ノリ)みたいになるんじゃねぇのか」
 三蔵は悟能の耳元で低く囁いた。
「どうして……どうして、そんなこと知っているんですか、どうして……」
 悟能は驚き目をみはり、三蔵を見つめ返そうとした。
 自分しかしらぬ秘密である筈の、この汚らわしくもおぞましい『ウミ』の正体を、何故、高僧である三蔵が知っているのか、不思議でたまらなかった。
……そんなことを考えているうちに、悟能は両腕をひとつにして布団の上に押さえつけられた。あっという間だった。
「教えてやる」
 三蔵は妖しく囁いた。普段と違う立ち居振る舞いだった。明らかに様子がおかしい。
「さんぞ……ッ」
 押さえつけているのと違う腕で、三蔵は悟能の寝間着の前をくつろげた。艶めかしい肌が露わになった。



「三蔵×悟能(4)」に続く