三蔵×悟能(2)

 そんなわけで。
 慶雲院の最高僧である三蔵様は、自分が街で拾ってきた悟能にだけ、何故か心を許しているようだった。孤児の彼に、同じ境遇である自分を重ねているのかもしれない。
 最高僧を恐れ、煙たがっている人々はこれ幸いと三蔵の世話をほとんど全部、悟能に押し付けた。そんな訳で悟能の日常はけっこう忙しかった。



 そんな日々の続く、ある日のこと。
 朝の勤行が終わった後、三蔵は僧達に「折り入ってお話がございます」と引きとめられ、しぶしぶ板張りの床の上へと座るはめになった。
 集まってきたのは、寺でも学究肌の連中だった。
 学僧の方は生真面目に背筋を伸ばしてメガネを光らせ、三蔵といえば相手を横目で睨みながら、如何にも破戒僧といった風情でだらしなく肘をつき脚立にもたれかかっている。
 三蔵は相手へぞんざいな態度で顎をしゃくった。さっさと話せと命じているのだ。
 学僧は苦言めいたものを、ぼそぼそと言いはじめた。
「先の待覚様も」
 紫暗の鋭い視線におののきつつ言葉を継いだ。
「中童子の類を禁じられていたわけではありません」
 中童子。要するに坊主相手に色を売る美童のことである。
 稚児にもいろいろ種類があり、上、中、下と分かれている。上童子は行儀見習に預かった良家の子弟のことで、下童子は力仕事やら雑色をやらせる下働きのことだ。
 そして、中童子とは――――美貌で寺へ買われてくる美少年のことだ。要するに坊主どもの性処理人形のことなのだ。
 女犯の罪を犯さぬため、僧侶たちは穢れのない美しい少年を犯すのである。
 そう。
 いまや慶雲院の連中は、悟能のことを『三蔵様の中童子』だと、すっかり思い込んでいたのだった。
「僧侶の煩悩を払う稚児というものは必要でございます。ましてや千経万典通じぬところのない三蔵様のような高僧ならなおさらのこと」
 メガネをかけた学僧の平面的でのっぺりした顔が歪むのを、三蔵は黙って眺めていた。
「しかし、稚児の中童子というものは、きちんとした手順を踏まねばお傍には置けません。たとえ、三蔵様といえど――――」
 男は懲りずに、ぶつぶつと話を続けていた。
「なんのことを言ってんだ、てめぇは」
 ぐだぐだした会話に、短気な三蔵は我慢しきれずにキレた。本当に瞬間湯沸かし器みたいな男だ。
「ですからあの―――」
 うろたえる相手を三蔵は一喝した。
「悟能のことか。あのガキか。あんなのは、まだハナタレのガキじゃねぇか。気色の悪ィ。何が稚児だふざけんな」
 男色用の稚児――――それは、仏門の悪習である。
 三蔵自身も師匠の稚児だと思われたことが幼い時にあった。師匠の光明はそんな周囲のくだらない噂を笑って受け流していたが、小さかった三蔵は閉口していたものだ。
 気色が悪ィ。ずっとずっと、そう思っていた。稚児という言葉には嫌悪感しかない。
「いえいえ。そういう問題ではございません」
「そういう問題だろうが。俺がお稚児さん遊びする変態にでも見えるのか、死ね」
 三蔵は、もごもごと苦言を吐く学僧を前に、タバコを一本とりだして憎々しい台詞を吐いた。
 本当にバカバカしくって聞いてられなかったのだ。
「アイツがいると、悪い夢を見ねぇで済む。あんなガキでも少しは役に立つ。アイツを置いているのは、それだけの理由だ」
 持ち前の冷たい口調で呟くとマルボロに火を点けた。紫煙が由緒正しい寺院の講堂に漂う。木造の古い寺院で喫煙など、良識ある人々が目を丸くしそうだが、破戒僧である三蔵は構いもしない。
「だいたいあんなガキが」
「いいえ」
 学僧はメガネを指でおさえながら三蔵の言葉を遮った。
「子供はすぐに大人になります。あの少年は幾つですか。……十三歳くらいですか? ご寵愛するにはいい年頃も年頃です」
「人をどこまでも変態にしてぇんだな、てめぇ」
 三蔵はひきつって口を歪めた。懐を探る。銃は部屋に置いてきてしまっていた。持っていたら、この学僧など即座に撃っていたことだろう。
 しかし、実際のところ三蔵がこんなに執着する童というのも、初めてだった。
 殺戮に明け暮れた昔の記憶や悪夢に、夜毎悩まされていた三蔵だったが、悟能がいると不思議に悪い夢を見ずにすむらしかった。
 そう。悟能とのことは、色事などとは遠かった。この上なく清い関係だった。三蔵にとって、あの少年は眠り薬のようなものだったのだ。
――――そういうことだったのだが、周囲は全くそう思っていなかった。
 何しろ、毎日のようにお傍に控えさせて添い寝させているのである。それだけで済んでいるとは、とても思えなかった。添い臥しだけなど信じられなかった。
 加えて、悟能のいかにも美童という麗しい外見も、想像が悪い方へと向うのに拍車をかけていた。金の髪をした美貌の三蔵に、可憐な稚児である悟能は、この上もなく似合いの一対に見える。
 悟能は賢かった。そう、怜悧な賢さを持っていた。悟能はまだ性を知らない。性愛に振り回されていないからこそ、あのように清い輝くような笑みを浮かべていられるのだ。黒髪の少年は、まだ大人に成りきらぬ未熟で中性的な魅力でいっぱいだった。健全な男をも吸い寄せてしまう魔性めいた吸引力を持っていた。
 そう、あの美童はそんな年頃なのだ。
――――三蔵様も所詮は男。そのうち、あの美しい少年を昼も夜もお抱えになるに決まってる。あの黒髪の少年を文字通り舐めるように可愛がり、共に明けの烏の声を聞かずには済みますまい。
 慶雲院の人々はそう頭から決め付けていた。
「是非、ご一考下さいませ。美童のため『灌頂』の儀式を行うのは、高僧たるお方のけじめでございます」
 学僧はしつこく進言した。三蔵はたまらず起ち上がった。ついでに足元の、草で編まれた丸い敷物も蹴り飛ばした。
「……そこをどけ」
 もうこれ以上、くだらない言い争いをするつもりはなかった。三蔵は肩をそびやかした。
「アイツはただのガキじゃねぇか。気色の悪ィ」
「三蔵様! 」
 とりすがる相手に、もう三蔵は振り向きもしなかった。板張りの床を荒々しく音を立てて踏みしめ、最高僧様は腹ただしげに出て行った。




 さて、
 そんなひと悶着をおこした後、
 三蔵が本堂を出て、長い回廊を右に曲がると
「三蔵様」
 すべての元凶である悟能に偶然、出くわした。薄い緑色の清楚な水干姿だった。袴をはき腰帯びを巻いた様子が可愛らしい。
「なんだ」
 この小僧のために、わけのわからない小言をいままで聞かされていたと思うと、三蔵の声は低くなった。なんだか苛々とした。
「午後の法要に使う袈裟をお持ちしました」
「いらねぇ。もうあんなバカどもと経なんか読むのは、止めだ」
「さん――――」
「うるせぇ黙れ」
 三蔵は不機嫌だった。不機嫌でしょうがなかった。
 しかし、もっとも不機嫌だったのは、どうしてこれほどまでに自分が腹を立てるのか、自分でも分からないためだった。
「でも……ッ……コホッ」
 三蔵の目の前で、悟能は軽く咳き込んだ。
「なんだ」
「……スイマセン。風邪ですかね。最近、声がときどき出なくって」
 悟能は咳で苦しいのか、目もとを潤ませた。
「たるんでるな。気が緩んでるから、風邪なんざ罹るんだ」
「ホントにスイマセン」
 悟能は軽く頭を下げた。
「別に……熱も……ゴホッ……ただ声が……ゴホ……あ……なんとか大丈夫そうです」
 金襴の袈裟をかかえたまま、喉に手をあてて悟能は微笑んだ。そんな姿を三蔵は複雑な表情で見つめていた。なにかが釈然としなかった。もやもやとしていた。
 悟能の笑顔はあどけなかったし、その仕草は無邪気そのものだった。声もまだまだ少年らしく高い。どこからみても、三蔵にとっては子供そのものに見えた。
「くっだらねぇ」
 最高僧様はひとりごちると舌打ちをした。
 三蔵には、先ほどの学僧の心配がつくづく的外れなものに思えた。
(子供はすぐに大人になります)
 それでも、耳に白々とした忠告の言葉が甦った。不意に胸に不安で苦しいものが走った。
「? どうかしたんですか? 」
 悟能は清潔な笑みを唇に浮かべていた。世の汚らしいことなど露ほども知らぬ、天使のような微笑だった。
「なんでもねぇ。行くぞ」
 三蔵は、悟能の頭を大きな手でひと撫でした。手の下で、細い黒い髪の束がくしゃりと音を立てる。そのまま、三蔵と悟能は連れ立って部屋へと戻った。

 そんな調子で日々は過ぎていった。

 それから、数日後。方丈の一角にある三蔵の部屋。
 ようやく空が白みはじめたばかりの頃、悟能は早々と目を覚ました。
(あ……)
 身じろぎしようとして、熱い腕に阻まれた。三蔵だった。昨夜も眠れないなどと言って、悟能を寝床へひきずり込んだのだ。確かに、これでは人々に誤解するなという方が無理だった。
 艶めいた仲だと思われて当然だった。
 しかし、実際のところ三蔵と悟能にはいまだそんな関係はない。
(この人は僕のことをぬいぐるみのクマか何かとでも思ってるんでしょうね)
 悟能は抱きかかえられたまま、ため息をついた。三蔵の金色の髪が、まだ暗い夜明けの室内でも明るく輝いている。
(昨夜もなかなか寝つけなかったようですからね)
 傍らで眠る高僧の姿を悟能はまぶしそうに見あげた。胸に抱え込まれているので、顔までは見えない。綺麗な線をもつ首筋と鎖骨が目についた。
 昨夜の三蔵の様子を、悟能は思い返した。眠れないと告白する三蔵は、平時よりは弱って見えた。いつもの傲慢で不遜な三蔵様とは思えない心細げな目つきで、悟能のことをじっと見つめてきたのだ。悟能だけが知ってる三蔵だった。
(……なんだか)
 あの熱っぽい目つきを思い出すと胸のどこかが激しく疼いた。苦しくも甘美な思いが喉元まで上ってくる。
 そのときだった。
 悟能に大変なことが起こった。
(あ……)
 熱い何かが、躰のうちで嵐のように駆け巡り、噴き上がったのだ。初めての感覚だった。
(……! )
 股間に何かが滴った。いや、正確にいうとそれは滴ったのではなく、自分の体内から放出されたのだったが、初めての悟能には熱いお湯でもかけられたような感覚だった。
(え……! )
 慌てて、三蔵の腕から逃れ、寝間着の裾から手で探った。じっとりと熱いもので濡れている。
 こんな年になって粗相などしてしまった。そうとしか考えられなかった。
 脚の付け根の屹立は硬く張り詰めていた。以前も何かの際に性器が硬くなることはあったが、粗相なんて初めてだった。
 股間を探っていた手を出し、おそるおそる目の前に広げた。薄目を開く。
「わ! 」
 思わず声に出してしまった。指には、白いねばねばした粘性のある液体がついていた。
(こ、これは……ウミか何かでしょうか?! )
 傍で寝ている三蔵の存在など、脳裏から飛んでいた。こんな白いウミが出るなんて、自分のココは何か悪い病気に罹ったに違いない。どうしよう。
 悟能の頭いっぱいに広がったのはそういう絶望的な思いだけだった。
「どうしよう。どうし……」
 悟能は蒼白になって呟いた。こんな恥ずかしい病気に罹ってどうしたらいいのか、全く分からなかった。
「……どうした」
 悟能が傍でぶつぶつ呟いているので、三蔵がすっかり目を覚ましてしまった。
「わっ」
悟能は顔を真っ赤にした。もうどうしたらいいか本当にわからなかった。
「なんでもありません。なんでも! 」
「何かブツブツ言ってなかったか? 」
 悟能は黙って首を横へ振った。恐慌状態を起こしていた。パニックだ。
 三蔵にこんな事態を相談するなんて考えも及ばなかった。自分は何かひどい病気にかかってしまったのだと思い、目の前が真っ暗になっていた。
「ヘンなヤツだな」
 三蔵は起きぬけのくぐもった声でそう呟いた。悟能が下着を粗相して濡らしているなんて、思いもしていないようだった。確かに小水の類とは違って、量が少なかったし、下着だけを汚していたのだが。
 三蔵は悟能の胸中もしらず、上体を起こすと軽く伸びをした。
「? なんだオマエ」
 いつもなら、三蔵が起きるのと同時に、洗面だ、着替えだ、お茶だ、朝ご飯だと忙しく周囲を飛び回る悟能が、呆然とした様子で布団から出もせずに突っ伏してるので、三蔵は訝しげに声をかけた。
「どこか悪いのか」
「い、いいえ! 」
 悟能は話しかけられて、びくっと身を竦めた。
「昨日、声が上手く出ないとか言ってたな。やっぱり風邪ひいたのか」
「い、いえ……」
 三蔵の言葉に返事をしながら、悟能は内心、これは風邪の一種なのだろうかと真剣に考えていた。
 しかし、性器の先端から白いウミの出る風邪など、聞いたこともない。
「今日は、隣町の寺に用事がある。早く準備しろ」
 三蔵は欠伸をひとつすると、まだ眠そうな様子で言った。
「は、はいっ」
 悟能は飛び上がりかねない勢いで返事をすると、薄がけの布団で下半身を覆うようにしながら、起ち上がった。
 こんなことを、三蔵に気がつかれるわけにはいかなかった。



「三蔵×悟能(3)」に続く