三蔵×悟能(18)

 次の日の朝になった。
 寺の台所、庫裡は湯気が立ち、ご飯の炊ける匂いがただよっている。誰かが青菜でも切っているのだろう、リズミカルな包丁の音が軽快に響く。
 そんな、いつもどおり朝の支度に追われている台所に
「メシはこれか」
 場違いな低い声がした。
 その瞬間、庫裡は異様な人物の出現にざわついた。いや、庫裡とは寺の台所だから、常に騒がしい。
 しかし、今朝はただ騒がしいのとは違った。悲鳴に近い静かなざわめきがひろがった。

 突然、現れた人物は神々しいまでの美貌だった。ここ唐亜第一の大寺院、慶雲院の最高僧様だ。神か仏かと見まごうような、いと高きお上人様が下々の立ち働く場所に顔を出している。
「メシはこれでいいのかと聞いている」
つけつけとした権高なもの言いで、紫色の瞳が問う。庫裡で立ち働く坊主を見下ろすようにして睨んだ。
「は、は、はい」
 作務衣をつけた僧は蛇に睨まれたように動けなくなった。思わず目の前にいる金色の髪の人物を見つめかえした。豪奢な金の糸に似た髪が目にまぶしい。
「どれだ」
 問われた僧は下を向いた 。冷たい紫暗の瞳はとても怖くて直視できない。何しろ、普通なら直接言葉を交わすことなどできない高貴なお方だ。額に汗をかき、あせりながらもなんとか言われたとおり盆に朝食を載せていく。手が震えた。朝粥に、漬物、軽く炒めた野菜、油じょう、吸い物、そんな惣菜を載せた小鉢を次々と朱塗りの盆の上へと並べる。
「アイツのは」
 じっとその様子を眺めていた金糸の髪の男は、声をとがらせた。
「は、はい?」
 何を言われているか、さっぱり分からない。
「アイツの分がねぇ」
 ぼそっと呟いている。言われた意味が分からず、下働きの僧は目を見開いた。目をぱちくりさせている相手に、短気な最高僧は不機嫌になった。
「いいから、早くふたり分よこせ、早くしろ」
 ようやく、下働きの僧は盆の上へ白粥の入った椀をもうひとつ震える手で置いた。




 最高僧様が庫裡へ直々にお出ましになり、わざわざ自分の朝食を自分で取りにきただけでなく、稚児の悟能の分も持って方丈に帰ったというので、僧たちは唸った。
 とはいえ、もう稚児灌頂もすましてしまったので、面と向かって何か言えるものなどいない。どんなにご寵愛が深かろうと悟能はすでに観音の化身である。いくら抱いても問題などなく、むしろ大切にすればするほど、より功徳を積むと昔から言われているのだ。
 しかし、それにしても。
 このようなことは由緒正しき名刹、慶雲院の最高僧様のなさることではない。
口がさないひとびとはあれやこれやと言うだろう。
 しかし三蔵は気にもしていなかった。




「メシだ」
 三蔵に声をかけられて、悟能はがばっと身体を起こそうとした。
「…………う」
 次の瞬間、腰に鋭い痛みが走って、悟能は悶絶して再びシーツの上へ突っ伏した。どこかの筋を痛めてしまったらしい。
「無理するな」
 目の前の小机に三蔵が朱塗りの盆を置いた。その上にはぎっちりと椀や小鉢が並んでいる。どうもふたり分はある分量だ。瀬戸物と木の椀が少しぶつかりあい、盆の上でにぎやかな軽い音が立った。
「さ……んぞ、さま」
 悟能は声も枯れてしまい、痛々しくも満身創痍といった風情で顔をしかめていた。まだ幼いのに長時間抱かれ続けてしまったので、腰に繋がる筋が痛いのだ。最後の最後に犯すように激しく抱かれたのが、またよくなかった。
 ベッドの傍に小机を引き寄せ、三蔵はお粥の入った椀を取った。ほのかに湯気を立てている、白く崩れるくらいとろりとした粥を小さじですくう。
「ほら」
 悟能の口元へさじを近づける。
「口あけろ」
「さん……」
 悟能が目を丸くする。目の前の最高僧様は悟能のとまどいを見て、いちど悟能へ差し出した匙へそっと自分の息を吹きかけた。
 冷ましている。
「これでいいか」
 もう一度、匙を悟能へ差し出した。稚児はおそるおそる口を開けた。滋味深い白粥の塩気と甘みが舌の上にゆっくりと広がる。
「さん……ぞさまに……こんな」
 かすれた声で悟能はぼそぼそと言った。主人にこんなことをさせて面目がなかった。
「ん? 」
 あまり、三蔵はおしゃべりな方ではない。
 しかし、こんな態度やふるまいの三蔵など滅多にみられるものではあるまい。神妙な顔をしている。 きっと本当に悪かったと思っているのだろう。次々と差し出される匙から、まるでひな鳥のように口をあけて悟能は食べた。
「すいません……あまり食欲がなくて」
 小さな幼い身体で、昨夜は大人の男の欲望を必死になって受け止めていた。緊張もしていただろうし、疲れすぎてしまったのだろう。椀に盛られた半分くらいの量を食べたところで、悟能は申し訳なさそうにうつむいた。
「そうか」
 三蔵はそのまま、悟能の頭を大きな手で撫でた。くしゃくしゃと艶のある黒髪を乱暴にかき回す。
「少し休め。今日は寝ていろ」
 優しい声だった。
「……はい」
 稚児は素直に返事をした。金の髪をした最高僧様が心配そうな表情を浮かべて顔を近づける。
紫水晶のような美しい瞳が大写しになったかと思うと、優しく額に口づけられた。
「いい子だ」
 そっと微笑みを法師様が口の端に浮かべた気がして、稚児は見とれた。三蔵法師様は傍に座りなおすと、自分の椀を手にとり粥をすくって食べだした。
 なんだか、ぼんやりとした気持ちにおそわれ、悟能はそっと頬を手で押さえた。熱でもあるかのようにピンク色に肌は上気していた。手元のシーツをぎゅっと握り締める。
「ん? なんだお前、熱でもあるのか。本当に今日は寝てろ」
 粥を食べ終わると、三蔵は悟能の白い額へ手をかざし、そっと心配そうに触れた。
「熱はそんなに高くねぇな」
「…………」
 三蔵に触れられるだけでどきどきと胸の鼓動が高くなった。綺麗な紫の瞳に見つめられ、金縛りにあったように動けなくなる。
「俺は大講堂でやる法会に行ってくる。ひとりで大丈夫だからゆっくり休め」
 大切な壊れものに、ささやくように三蔵は告げた。細いあごを指で捕らえられ、顔を上へと向けられそのまま優しくくちづけられた。
 日の光が花格子越しに射しこみ、床に影絵のような華麗な模様を描いている。上品な紫檀でできたベッド、鶏翅木の小机、花梨材のスツール、陶製の燭台、そんな趣味のよい調度に囲まれて、悟能自身が美麗な部屋の装飾品のようだ。
「行ってくる」
 三蔵法師様はひとりで白衣を着、袈裟をまとって身づくろいをしようとしている。ベッドから動けず、何もお手伝いできないのが歯がゆい。
 悟能は綺麗なご主人様をうっとりと見つめた。目の前で、三蔵は正式な三蔵法師の装束姿に着替えた。まるで絵のようで、端麗すぎる。果たしてこの極めて美しい人物に、性欲のような醜い欲望などあるのか、いやないだろうとまで思わせる、天人のごとき姿だった。
 しかし、そんな三蔵様が、どんな淫らな顔で自分を抱くのか悟能だけは知っている。
「行ってらっしゃいませ。三蔵様」
 粥やお茶を飲んで、ようやく滑らかになった喉でお見送りの言葉をかける。悟能は忠実な下僕の見本といった態で頭を下げお上人様を送り出した。
 声をかけられた瞬間、三蔵が振り向いた。金冠から垂らした聖なる頭巾が揺れる。その顔は今までにないほど、どこか優しげだった。
 


――――主人が去った部屋の中で、悟能はまだ顔を真っ赤にしていた。昨夜、あんな状態で気を失ってしまったのに、身体は綺麗に清められていた。一体、どうしたことだろう。おそらく、三蔵が後始末をしてくれたのだ。身体の下に敷かれたシーツまでもが新しい。
「う…………」
 悟能の白い身体は、三蔵につけたれた鬱血の跡だらけだった。艶かしい口吸いの跡がいくつも白い肌に散っている。そんな身体をご主人様は拭くかどうかして綺麗にしてくれたのだ。
 悟能は頭から湯気がでそうだった。昨夜の行為のことも思い出してしまった。自分は我を忘れて尻を振り、ひたすらしがみついて三蔵を求めたのだ。
「あ……もう」
 三蔵のことを考えただけで体が疼く。こんなに精も根も尽き果てているのに、あの綺麗な金色の美しいひとのことを飽きもせず身体は欲しがっていた。
「さんぞ……さま」
 美麗な稚児はご主人様の名前を密かにその小さい唇で呟いた。



 法要が終わると、三蔵は再び自分の方丈へ飛ぶように戻ってきた。
「気分はどうだ」
 しかも、手に陶製の青い皿を2つ抱えている。つやつやとした大ぶりの桃がいくつも載っていた。果物なら悟能が食べられるかもしれぬと思ったようだ。
「さ、さんぞ……さま」
 声がふるえた。
 ここまで、主人に気を使わせるなんて、稚児失格だ。悟能は恐縮した。とはいえ、ベッドから動けなかった。本当に午前中はうつらうつらしながら寝てしまっていた。何しろ、夜を通して不眠不休で抱かれてしまっていた。まだまだ情事に不慣れな少年には酷なことだったのだ。
「良くなりました。腰も痛くありません。もう立てるかも」
 人を魅了する花のような貌でけなげに微笑む。
 しかし、
「……つぅッ!」
 上体を起こすところまでは上手くいったが、ベッドから降りようとして、悟能はうずくまった。
「無理すんな」
 それでも悟能は桃の皿を受け取った。小さい白い指で桃のつるつるした皮を剥きだす。
 三蔵はベッドの傍にある小机の上を見て、頭を掻いた。まだ朝食を食べた後の鉢や皿の載った盆が置きっぱなしだった。三蔵はしかたなしに朝の残骸の載った盆を両手にすると、自分の部屋から出て行った。
 そして、廊下の香机の上に邪魔そうに置いた。そのうち、とおりかかった学僧あたりが溜め息をつきながら片付けることだろう。
 さっさと自分の方丈に戻ると可愛い稚児が自分へ微笑みかけてきた。天から降る白い花のような笑顔だ。
「もの凄く立派な桃ですね」
 悟能がうれしそうに言う。
「庫裡からもらってきた」
 ぶっきらぼうに三蔵が答える。
 実際、庫裡の僧たちは困っていた。何しろこの金の髪をした最高僧様が顔を出すと心臓に悪い。その桃も、本当は大切な儀式のお供えに使うつもりだった。三蔵は知らずに周囲をひっかきまわしていた。
「皮が剥けました。ナイフか包丁は」
 汁のしたたるおいしそうな桃を切り分けようと悟能が聞いた。
「これでもいいか」
 机の上にあったペーパーナイフに近いものを三蔵は手渡した。かまわず悟能がそれで切り分ける。上等の桃の果肉は柔らかく、ナイフを飲み込むようにして切られてゆく。
 悟能が桃を切っている間に三蔵は着替えを済ませた。正式な装束は肩が凝る。普段着の簡単な僧衣姿になるとべッドの傍へ腰をかけた。
「どうぞ」
 悟能が微笑んで青い皿を差し出した。ピンクがかった白い果肉がひとくちくらいの大きさに切り分けられ、甘い果汁をまとって濡れている。青い皿に良く映えておいしそうだ。
したたる甘い汁でベッドを汚さないよう気を使いながら、ふたりは桃を食べた。
「うまい」
 口にして三蔵は思わず呟いた。
 桃は見た目にたがわず、ひどく甘かった。とろけるような果肉が口の中を、喉を、つるつるとすべってゆく。
「すごくおいしいです」
 悟能は年相応の無邪気さで夢中で桃を食べている。その清潔な白い歯で噛むたび、じゅわ、と桃の果肉から芳醇な果汁があふれた。
「よかったな」
 三蔵は食べ終わると懐紙を取り出して口を拭いた。眼の前でにっこりと微笑む悟能は可愛かった。
自然に、腕が伸びた。
 そして、そのまま
 悟能を抱きしめた。
「さん……! 」
 ベッドへ引き戻すように押し倒す。
「何もしねぇ」
 三蔵は抱きしめたまま言った。
「しばらくこうしていたい」
 悟能のつやつやとした頬にそっとくちづける。きめ細かな肌は陶器のようでつるつるとした感触だった。三蔵は腕の力をそっと強くした。離したくない。まるで、大切な宝物を抱いているような仕草だ。
「さん……」
 そのうち。
 静かな寝息が漏れ出した。
「え……」

 最高僧様は稚児を抱きしめたまま、いつの間にか寝ていた。

 考えてみれば、三蔵こそずっと寝ていないのだ。しかも、悟能と部屋を別にしてからは不眠がぶり返していた。それなのに、2週間も精進潔斎して行を行い、不眠不休に近いところへ、昨夜は悟能をずっと抱いていた。無茶だった。寝不足もいいところだったのだ。
 そう、まるで最初の頃のように三蔵は悟能を腕に抱えていた。不眠を治す良薬のように、その腕の中に最愛の稚児を抱いて、三蔵様はようやくこころやすらかにお休みになった。
 悟能は顔と顔がくっつくほどの近くで、三蔵の金色のまつげや閉じられたまぶたをじっと眺めた。そして、その白い花のような美貌を見つめているうちに、まぶたがあがらなくなってきた。まるで三蔵の眠気に感染したようだ。
 三蔵に抱きしめられたまま、悟能も静かに目を閉じた。ゆっくりとしかし、じわじわと確実に睡魔が襲ってくる。目の前がにじみだし、世界の全てが暗転した。





「三蔵×悟能(19)」に続く