三蔵×悟能(15)

 そんな、悲惨な出来事で、1日くらい慶雲院は始末に大わらわとなった。
 僧たちは血だらけの部屋を片付けようとしたり、悟能を襲った悪僧どもを外の病院へ担ぎこんだりしていた。当の悟能は半日くらい寝込んでしまった。

 試練の数々を乗り越えて、

――――ようやく灌頂の日を迎え、夕方となった。


 儀式を迎え悟能は人ならぬ美しさだ。廊下ですれ違う、僧たちの間からもため息が漏れる。

「では、こちらでお待ちください」

 悟能は灌頂のための小講堂近くの部屋へ通された。
 8畳ほどの小部屋だ。
「三蔵様もこちらで」
 その言葉に、悟能はふりむいた。
「……! 」
 美々しい僧衣に身を包んだ三蔵がそこに立っていた。
「……どうやら無事みてぇだな。てめぇ」
 いかにも三蔵法師様でございな綾錦を用いた金襴の袈裟、真っ白な僧衣、三蔵法師の象徴のような金の冠をかぶり、その高貴さを隠すかのごとく、頭布が顔の左右から垂れ覆っている。正装だ。
 まぶしいほどの美男ぶり、いや美僧ぶりだった。
 背後で扉の閉まる音がする。供をしてくれた学僧も去ると、三蔵と悟能はふたりきりとなった。
「う……」
 悟能はうつむいた。先ほどまで、本当に人かと見とれるような稚児姿だったが、三蔵様ご寵愛の美童はふたりきりになるとその端麗な顔をくしゃくしゃとゆがめた。
 みるみるうちに、緑の瞳のふちいっぱいに涙があふれてくる。悟能の頬に銀のしずくのような涙が伝った。後から後からそれは流れ続けてとまらない。声も立てずに泣いている。
「おい」
 三蔵はいささかあわてた。
「何泣いてんだてめぇ」
「う……」
 悟能は三蔵の法衣を手でおずおずとつかんだ。
「さんぞ……さま」
 胸につまったように泣いている。ずっと逢いたかった、ずっとひとりで心細かった。ずっと三蔵のことが……。
 何もいわなくとも、通じた。それは三蔵の方も同じだったからだ。
「……チッ」
 舌打ちをして、三蔵はその美々しい僧衣で悟能を包むようにそっと抱き寄せた。
 とたんに、悟能がしがみついてくる。
「さんぞ……さま……さん」
 必死でしがみついてくる稚児の黒い頭をその大きな手で法師様は撫でた。
「僕、ずっと……僕、さんぞ……さまがいなくて」
 その後、言葉にならずにいっそう泣き出した。しゃくりあげている。
 三蔵は困ってはいたが、口元をゆるめた。やはり、いささか可哀想なことをしてしまったのだ。なにしろ2週間もこのいたいけな存在を放っておいてしまったのだ。
「しっかりしてるように見えんのは、見かけだけだな。てめぇ」
 抱く腕の力を強くした。
「大変だったな」
 そっとささやく。
「もう今日から俺とずっと一緒だ。心配するな」
 その、艶のある黒髪をぐしゃぐしゃと大きな手でかきまぜるようにして頭をなでる。
「悟能」
 最高僧は稚児の目元にくちづけた。そのまま、優しく涙を舐めとる。
「さん……」
 ちゅ、と頬にくちづけられる。悟能は三蔵の身体により強くしがみついた。
 三蔵のピンク色の舌が頬を這う。流した涙を丁寧に舐められた。その仕草は、この少年をどんなに大切に思っているのか、言葉にしなくとも伝わるほどの熱がこもっていた。
「泣くな」
 甘い口調でよりいっそうきつく両腕で抱きよせられる。
 そして、きつい抱擁は段々とどこか淫らなものに変わりつつあった。少年の着物の上を法師様の手が這った。
「ここ……勃ってきてんじゃねぇのか」
 押し殺した甘い声で囁かれる。
「さん……」
 そのまま、大人の手で熱い肌をまさぐられ、悟能はあえいだ。
「我慢できんのか、こんなにしてて」
「だって、三蔵様が……触るから」
 美少年は真っ赤になりながら返事をした。
「ひとのせいにすんな」
「ああッ」
 いつの間にか、悟能は三蔵に床に押し倒されそうになっていた。
「分かった、俺がヌイておいてやる」
 情欲の滲んだ声で卑猥なことをささやかれる。少年は抵抗もできず、最高僧様に抱きついたままだ。可憐な腕を三蔵の背へ回して必死にしがみついている。
 そこへ、
「灌頂の準備ができましたので、三蔵様から先にお入り下さい」
 足音も静かに案内の僧が入ってきた。
 金の髪の最高僧様は邪魔だとばかり、入ってきた僧を殺せそうな目つきで睨み、傲然と言い放った。
「30分ですませる。そこで少し待っていろ」
「大僧正がお待ちです! 」
 相手は悲鳴をあげた。
 床に押し倒されたまま、悟能は三蔵を見上げた。困ったように横へ首を振ると、けなげにも微笑もうとした。大丈夫だと身振りで言っている。
 三蔵は舌打ちをひとつすると、衣を整え足音も高く控えの間から出ていった。小講堂で儀式のための読経が待っている。苛々としていた。






 稚児灌頂は極秘の行法のため立ち会うのは、ほんの数名、高位の僧のみだった。

 一抱え以上ある大鉢に蓮の花が生けられ小講堂のそこかしこに飾られている。薄紅色のはかない紙のような花弁がいくつも開き華やかだった。ここが現世とはもはや思えない。涼やかなその匂いまでもが堂内に濃くただよっている。
 まるで、涅槃か浄土のようだ。
 三蔵は先ほどの破戒僧ぶりもどこへやら、白の素絹に袈裟をつけた完璧な法師姿でこの堂内へ現れ、居あわせた大僧正らへ合掌して一礼すると、螺鈿細工の壮麗な礼盤へ腰をかけた。手で印を切り読経を始める。観音経がろうろうと堂内に響き渡る。

爾時無尽意菩薩。則従座起。偏袒右肩。合掌向仏。而作是言にじむじんにぼさつ。そくじゅうざき。へんだんうけん。がっしょうこうぶつ。にさくぜごん……」
 華やかな五色の曼荼羅が三蔵の正面に掲げてあった。その手前には黒檀でできた黒光りする低い机がおかれ、つやのあるうわぐすりのかかった青磁の瓶がうやうやしく上に載っている。周囲の机には鈴や独鈷などの仏具が並び、神秘的な金色の光を放っていた。
 ろうそくの明かりがゆらゆらとあたりを照らし出す。妙なる香の煙がたちこめ、ようやく陽の沈んだ道場内のほの暗い中に、印を結んだ三蔵の姿がひそかに浮かんでいる。その横顔は厳しくも麗しい。
 そのとき、
 悟能が静かに入ってきた。
最高僧はじっと自分の稚児を見つめた。悟能は泣き止んでいたが、目元がほのかに赤い。しばらくぶりに三蔵に会って、ずっと張り詰めていたものが、切れてしまったのだろう。三蔵最愛の稚児は以前よりもたよりなくいたいけになっていた。
 三蔵に見つめられながら、悟能はけなげな様子で7歩半で近づき、手を合わせて三度拝むと、静かにその前に座った。
香をその小さい手に塗りこめてあるのか、ほのかに伽羅の匂いが香った。

衆生無辺誓願度   福智無辺誓願集
法門無辺誓願学   如来無辺誓願事
無上菩提誓願証   護持佛子成大願

 三蔵は黙って手で印を結び悟能に合掌を返すと、そのまま再び観音経を唱え出した。
清々しい声で経を読む。
そのまま、どのくらい時間が過ぎただろうか。
 経を全て唱え終わると、三蔵は立ちあがった。三蔵法師の天冠が灯明を受けて光り、白い衣のすそに仏具の影が映る。白い袖をからげて、かたわらの机の上から青い瓶を手にとった。青磁の瓶の表面には、優雅な唐草模様が浮き出ている。中に入っている誓水を小さな盃にとると悟能へと近づいた。かがむようにして美童のそばへ腰を下ろす。

 三蔵と悟能はみつめあった。緑と紫の視線が正面からぶつかる。ご主人様にすがるような目つきを稚児はした。儀式の最中でなければ、たぶん三蔵に抱きついてしまったことだろう。そんな心細げな表情を浮かべている。三蔵の方といえばさすがというべきか、こちらは無表情だった。心のうちを一切、表面に出さないようにしている。おそらく、ひそかに口中で経でも唱えつづけているのだろう。そんなところは腐っても三蔵法師様だった。

 手にした盃を悟能の小さく可憐な唇へ寄せ、じかに自分の手で悟能に誓水を飲ませた。まるで、親鳥からえさをもらうひな鳥のように、悟能は三蔵の手から水を飲んだ。悟能の喉が小さくこくりと鳴った。
 次に三蔵は瓶の載っていた黒檀の机から櫛をとりあげ、悟能の黒い髪を櫛でとかした。立ち会う僧らに分からぬくらいのさりげなさで、そっと頭を撫でた。緑の綺麗な瞳は三蔵をじっと見つめている。目は潤みを帯びていた。三蔵はもう一度、稚児の頭をやさしく撫でた。
――――心配ない。もう、これからはずっといっしょだ。
 こっそり悟能だけに聞こえる声でささやく。
 悟能に稚児の装束を着せ、天冠をかぶせる。
 すると、最高僧ご寵愛の稚児は人とは思えぬほど美しくなった。天部の中で、もっとも華麗な迦陵頻伽、美形中の美形、それが稚児灌頂の衣装を着た悟能の印象だった。


 瓶の水を手にとると、三蔵は悟能の額に垂らした。

 三蔵は改めて悟能に向き直り合掌し、儀式用の硬い言葉を唱えだした。
「この灌頂は、観音の大慈大悲の灌頂なり、ただ慈悲ありて、今この灌頂を授かるとき、まさに汝は観世音菩薩となるなり、願うらくは汝慈悲ありて一切衆生を救え」
悟能はこの儀式によって観音と等しい存在になり、三蔵と交わっても姦淫したことにはならないのだ。
 三蔵は悟能を見つめながら言葉を継いだ。
「この願いは煩悩無辺誓願断の願なり。かようの誓願にあわせて佛菩薩の内証、あいかない来世に得脱すべし」
 自分の願いは仏に通じ、かなうだろうと告げる。
――――そこで、三蔵は一度、言葉を切った。
「汝と今夜、今世、来世、2世に渡って契る」
 華麗な金の髪の最高僧は誓うようにきっぱりと告げた。
――――生まれかわってもお前と一緒になる。
 三蔵はそう言った。確かに悟能に向かってそう言った。
 稚児灌頂とは、僧と稚児の結婚式だと言われる。三蔵と悟能の儀式は確かにそうだった。これは結婚式そのものだった。

「 三世諸佛大慈悲 皆集一体観世音  八寒八熱那落迦 大悲一人代受苦」
 三蔵が繰り返す。悟能もこれに唱和した。
「 三世諸佛大慈悲 皆集一體觀世音  八寒八熱那落迦 大悲一人代受苦」
 かくて、ようやく長い稚児灌頂の儀式が終わったのだった。






 儀式の後、悟能はまた三蔵と別室に通された。
薄い透き通るくらい薄い雲が、月をようやく隠している。雲を透かして月光が沁みるように窓から差込み、部屋の中を照らし出す。
 悟能は出された軽食をとっているところだった。塗りの丁寧な盆の上に、祝いなのか魚を模した揚げ物の皿が置かれている。本物の魚ではない。湯葉を工夫して魚の形にしてあげたものだ。しかし、おいしそうな出汁を含んだあんがかけられていて食欲をそそる。しかも野菜も飾り切りされており、いつものニンジンも薄く切られて花のような形になっている。
 それを箸で崩していると、案内の僧が現れた。
「食事も済んでおられぬのに申し訳ありません。早めに伝えねばなりませんので」
 僧は淡々と言った。悟能の近くへ座る。
「『したく』 の品を持参いたしました」
 螺鈿の箱を手でかかげ、悟能へ差し出した。
 それは、美しい箱だった。
 黒い漆ぬりの木のふたには、牡丹が描かれており、それをかたどって真珠色に輝く貝がはめ込まれている。牡丹の花弁が虹色に光っていた。全体に薄く塗られた金粉も華麗さを引き立てるようにきらめいた。
 悟能が麗しい箱を受け取って蒼白になる。
「これ……」
 話だけは聞いていた。しかし、嘘だと思っていた。
「かつて、高僧づきの稚児というものは」
 僧は、悟能のとまどいもよそに言った。
「お仕えするお上人様のために、あらゆることをしたと伝えられております。肛の孔を拡げるために、こうした道具をつかったり、風呂に入った後に、丁子油で念入りに自分の孔を自分でほぐしたり。火鉢で自分の尻をあぶったり……」
 稚児を持つような高僧は高齢のことが多い。そのためせっかく美童と床入りしても、うまく首尾できないことも多い。中折れになってしまったり、柔らかくて挿入できなかったりする。昼、とりすましている徳高き大僧正様が稚児と夜の生活を愉しむのはなかなか厳しいのだ。
「しかし、こうした道具で準備をしておけば」
 箱を持ってきた僧は説明した。
「どのような男根でも挿るのです」
 盛りを過ぎたお身体では、性行為を思うままにはできないのが普通だ。お上人様のお心ははやるが、若い美童相手では、頑丈な壁に柔らかく折れやすい矢を射るようなものでなかなか当たらない。
「なにしろ、稚児灌頂の初夜では、三蔵様の脚に手で触れることは儀礼上かないません」
 ならばどうするか。
 手や口で慰めなくても、「そのまま」で挿るようにしておくしかないのだ。
「代々稚児というものは、お上人様のために、周到に準備をし上手く首尾を遂げられるよう心を砕いてきたと伝えられております」
 高僧が恥をかくことは許されない。これは古くから綿々と伝わるしきたりなのだ。
「悟能どのもなさいませ」
 どんなに柔らかいモノでも受け入れられるくらいにほぐしておけと暗に言われる。
「しかし、ご準備の最中、前をこぼすのは許されておりません」
 後ろをとにかくほぐして柔らかくしておけ、でも、自慰とは違うから射精はするなというのだ。残酷なことを要求されている。
 悟能はふるえる手で、華麗な美しい装飾のされている箱をあけた。
 果たして、
 中には、予想どおり張り型が入っていた。しかも3つも。
 小さいの、中くらいの、大きいのが並んでいる。卑猥なかたちで生々しい。他にも絹で編まれた細いひもや丁子油の入ったビンが光っている。
「励みなされませ」
 僧は合掌すると出ていった。
 僧が出ていったあと悟能は卑猥な淫具の入った華麗な箱を腕に抱いたまま、ずるずると床に座りこんだ。









 三蔵は食事が済むと、別間に通された。
「こちらで」
 その部屋は中華風の花格子が窓にはめ込まれ、月の光を受けて影絵に似た華麗な模様が木の床に落ちていた。
 三蔵が今までいた方丈によく似ているが、全く違う部屋だ。
「今後はこちらをお使いいただきますよう」
 三蔵のいままでの居室は、悟能を襲ったやつらの血で汚れてしまったのだ。案内した僧は言葉少なく頭を下げると出ていった。
「…………フン」
 三蔵はあらためて部屋を見渡した。今までいた部屋と似ている。違うのは中華風の寝台が大きめのものになったことと部屋が広くなったぐらいだ。全体的なつくりはそっくりだった。月明かりが届かぬところでは、ろうそくの火がゆらめいている。
 三蔵は寝台へぞんざいに腰をかけた。
 しかし、仕立てがいいのか座ったくらいでは頑丈で音も鳴らない。側面の四隅には拡げた扇を思わせる意匠の金具が嵌めこまれ、より強化されている。きちんとしたつくりだ。
三蔵は懐からマルボロを取り出した。
「ライターもねぇのか」
 と呟く。しかたなしに煙草をくわえると、そばにあったろうそくの灯りからもらい火をした。紙と乾いた煙草が燃える音がかすかに立ち、薄い紫色の暗闇に、ぽっと火が点る。三蔵はふかぶかと息を吐いた。 儀式後、ようやくひとりになれたのだ。
 紫煙がたなびき、部屋はいかにも破壊僧の三蔵の居室らしくなった。
「ったく」
 三蔵は舌打ちした。稚児灌頂を行ったのに、いまだに悟能に逢えないのだ。特別なしたくがあるとは聞いていたが、時間がかかり過ぎる。煙草の灰を、近くにあった白い皿へ落とした。
 ずいぶんと待たされていた。
 そうやって、
 何本目かのマルボロが灰になった頃、
「失礼いたします」
 ようやく部屋の外から声がかかった。
 悟能が連れられてきたのだ。白い着物をはおらされている。まるで花嫁のようだ。
 しかし、奇妙だった。
 少年はその肩を僧にかかえられるようにしていた。僧から離れて自分で歩こうとすると腰が崩れ、支えられないと歩けない。そのまま、三蔵のそばの寝台にそっと横たえられた。ハーブというか、香草の匂いがぷん、と全身から香った。
「それでは失礼いたします」
 連れてきた僧がうやうやしく一礼をして引き下がる。
「ふ…………」
 悟能の荒い息が部屋の薄闇に響く。
「ご……準備が……できました……さんぞ……さま」
 悟能は無理に上体をおこそうとした。回らぬ舌で言葉をつづるが上手くいかない。月明かりに照らされた、黒髪がうっすらと濡れたように光る。それは凄艶な表情だった。何かを我慢しているような。
 ふるえる小さな手を三蔵へ伸ばす。最高僧はその手をすかさずつかんだ。





「三蔵×悟能(16)」に続く