三蔵×悟能(12)

次の日の朝、悟能が起こしに行ったら三蔵は既に床にはいなかった。
「三蔵様? 」
 腑に落ちぬまま、ふらふらと講堂へ金の髪の最高僧の姿を探しに行った。朝なので、僧達が次々集まり経をあげているが、その中にも姿がない。
 年若い連中などは、綺麗な悟能をじろじろ見つめてくる。最近、三蔵の居室へ連れ込まれ、抱かれる日々を過ごしていたので、悟能はろくろく人々に姿を見せていない。
 特に若い僧などには、その整った容姿は目の毒に違いない。濡れたような黒い髪に黒い瞳。きらきらしい、というのがぴったりな外見だ。
 悟能は注視されているのにも構わず、講堂の中をぐるりと見渡した。それどころじゃなかった。何しろ三蔵がいないのだ。
「三蔵様は」
 周囲の僧達に厳しい声で問いただす。
「へぇ? お前が知らないのに、俺らが知るもんかい」
 問われた僧たちはにやにやと笑うばかりだった。悟能は唇を噛み、厳しい表情をつくって首を振った。
 そのとき、
 鏡のごとく磨かれた講堂の床を横切り、ひとりの僧が近づいてきた。
「三蔵様を探しているのだな」
 眼鏡をかけた学僧だった。最初に三蔵へ悟能との稚児灌頂をすすめた人物だ。彼は書庫へでも行くところなのか、両腕に大量の本を抱えて立っていた。
「三蔵様は、しばらく、お前の傍へは来ないと思うぞ」
 学僧はむっつりと感情を殺した声で告げた。
「え……」
 悟能は綺麗な弧をもつアーモンド形の瞳を見開いて相手を見つめ返した。さすが、毎日の勤行の成果というべきか、学僧はこの美少年の注視になんとか耐えた。学僧のかけている眼鏡がキラリと光る。
「……三蔵様は『行』へ入られたのだ」
 数秒後、淡々とした口調で学僧は言った。
「『行』……」
 悟能はうつむいた。
「そうだ。そなたとの稚児灌頂の儀式が迫っているからな。斎戒沐浴し、儀式に万全を期すお考えであろう」
 学僧は細い目を伏せ、うんうんと独りでかってにうなずいている。
「ここまで三蔵様が本気になられるとは、なかなかのこと」
 眼鏡の学僧はあらためて、密かに悟能を盗み見た。三蔵の寵童は、白い小さな顔を伏せ、考え深げに首を傾け、じっと話を聞いている。
 賢げな少年だ。翡翠色をした神秘的な瞳の奥には、深い知性がひそんでいて、目を見つめて話をすると、吸い込まれてしまいそうだ。
 その癖、そのしなやかな肢体には、なまめかしさが濃く漂っている。細い柳腰にも美少年特有の色香が滲みでていて、見る者の情欲を刺激する。知性と艶っぽさが奇妙に同居していて、この美麗な少年のアンバランスな魅力となっている。
 こんなに綺麗な子とふたりきりで話をするなど、もうないだろうと学僧はひそかに思った。実際、稚児灌頂がすめば、秘中の玉として、この少年を三蔵は自分の居室に閉じ込めて出さないに違いなかった。
「それでは三蔵様は」
 悟能の声に、学僧は自分の考えを中断した。しぶしぶと答える。
「奥の、通常、僧も立ち入らぬところで蟄居なさっておいでだ。身を清め、精進ものを召し上がり、行いも清くお過ごしになるおつもりだろう」
 学僧は、自分のかけていた眼鏡のブリッジを指で押さえ、悟能へ背を向けた。
「だから、そなたも邪魔をするな」
「しかし……」
 今まで、悟能は三蔵のお世話係だったのだ。急に身の回りの世話をするものがいなくって、三蔵は困らないのだろうか。
 悟能の不安げな声を、学僧が遮った。
「悟能どのこそ、『稚児灌頂』は仏門の秘法中の秘法とされる行。覚える作法は稚児の悟能どのも数多いとか。時間がありませんぞ」
 どこから持ってきたものか、両手に抱えていたたくさんの本をそのまま、悟能に手渡す。重さに、おもわず悟能はよろめいた。
「それを全て暗記なさいませ」
 丁寧な言い方だったが、厳しい口調だった。これは命令だ。
 表紙が白の和紙で閉じられたもの、赤いもの、厚い本、薄い本、数多い本を両手に載せられた。必死で抱えていた悟能だったが、持ちきれずにバランスを崩す。抱えていた本が一瞬、空を浮いた。
「あ! 」
 幾つもの本が、ざっとみて十冊以上の本が、講堂の床の上に散らばった。悟能は諦めに似たため息をつき、腰を屈めて落とした本を一冊一冊拾いはじめた。
「不自由も『行』のうち。……悟能どの」
 学僧がきっぱりと宣言した。
「三蔵様の邪魔をしてはなりませぬぞ」
 そう言い捨てると相手は去った。



―――――悟能は茫然とした。



(これから、どうしよう)
 黒髪の少年は口中で密かに呟いた。
(三蔵さまがいないのに、どうしよう)
 毎日、それこそ、本当に毎日、昼といわず夜といわず、悟能は三蔵の相手をさせられていたのだった。食事の用意も、そのお相伴も、書き物の始末も、何もかも。
 片付けものをしながら、三蔵の読経の声を聞いているのは、好きだった。魂が、澄み切って洗われるようだった。
 夜になると、気まぐれに手を伸ばされ、性的な相手をさせられる。常に繋がることを求められ、悟能の毎日は、おおっぴらに人に説明できたものではなかった。
 どんな寵愛を受けている愛人だって、ここまで同衾を強要されはすまいというほど、連日抱かれ続けていたのだ。股間からは、叩き込まれた精液が常に滴り落ち腿を濡らしていた。
 周囲のひとは、それは三蔵の悟能に対する執着の深さ、若さだというだろう。いつもいつも一緒にいるのが当然だったので、突然の三蔵の不在に、悟能は軽いパニックを起こしているのかもしれない。
 三蔵が埋めてくれていた、膨大な時間。これから、最低二週間は真面目に仏法のことを考えたり、灌頂の作法について覚えなくてはいけない。三蔵様第一だった時間が、がらっと変わったのだ。
 悟能はためいきをついた。
 そして、ゆっくりと本を拾い集めた。講堂の床は磨かれぬかれて鏡のようだ。本堂に鎮座まします大日如来が半目をあけ、思慮深けにこちらを見ている。
 虚脱して魂が抜けたという様子で悟能は自分に与えられた部屋へ――――いつもの三蔵の隣の控えの間へ、ふらふらとした現実感のない足どりで帰っていった。



 夜。三蔵のいない夜。



(ここに書いてあるの、どういう意味ですか)
(『この儀式を行えば、二世をも契る』……文のとおりじゃねぇか。この世でも、来世でも、契る……要するに、生まれ変わっても、てめぇと一緒になるってこった)
 悟能はぼんやりとしていた。何かが、何か大切なものが魂から飛び去ってしまったようだ。
 三蔵がささやいた言葉が耳によみがえる。自分の立場を正当なものにしようと、三蔵が苦労してくれているに違いないのに、悟能ときたら、先ほどからため息ばかりついている。
――――いけない。
 稚児潅頂のしきたりの本が膝元からゆっくりとずり落ちる。集中できてない。
――――いつも今頃は。
 もう、夜の九時を回る時刻だった。いつもなら、食事も風呂も済ませたこの時間は、稚児の悟能はとっくに寝所にひきずりこまれている頃だ。
――――う。
 目を逸らして、隣の間を見る。そこは漆黒の闇に包まれている。いつもならこの寝所で三蔵に抱かれているはずだ。
 記憶の中で、三蔵の金の髪が闇の中、煌めいた。
 しなやかな腕が悟能へと伸びる。それは、意外なほどの強靭さで少年の身体を押さえつけ離さない。またたく間に、夜着の前をはだけられてしまう。
――――三蔵。
 薄い、酷薄に見えるほどに整った薄い唇に舌がちろりと這う。綺麗な、しかし男性的な線を持つ三蔵の鎖骨に金色の髪がひとすじ落ち、敷布へと消える。
 獲物を追うしぐさで自らの唇を湿していた舌は、悟能のへと近づき、そのまま
――――あ。
 ちろり、と首筋に生温かい感触が走る。三蔵の舌がちろちろと這いまわった。ずくん、とした快感が背筋へ、腰へと伝わり悟能は首を振った。神経が焼き切れそうな快感の波にさらわれる。
「んッ……」
 我知らず、悟能は身体を震わせた。想像の中で、完全に三蔵の腕に絡めとられてしまっている。
(ここがいいのか)
 低い、甘い声が――――残酷で優しい闇の中から聞こえてくる。男性的で低くて、嗜虐的なものをはらんだ、権高な男の声。確かに聞こえてくる。
「三……蔵……」
 悟能はうわごとのように呟いた。
(ここがいいんだろう。まったく。ませたガキだ)
「ちが……」
(違わねぇな。てめぇ。嘘つきが。この俺に嘘をついていいと思ってんのか。下僕の分際で――――)
「あ……」
 つ、と三蔵の手が悟能の腿を這う。
(こんなに――――やがって)
 卑猥な言葉が、その美しい唇からもれる。
(こんなにして。どうすんだ)
「やッ……やめ……さん……ぞ」
 すでに悟能のそれは、滴るもので濡れていた。快楽の予兆を告げる先走りの体液は、悟能の若い幹をべたべたにしている。
「ああっ」
 悟能の制止の声にも構わず三蔵の手は容赦なく伸ばされた。握りこまれる。
(こうされたいんだろうが)
 瞬間。
 すさまじい快楽の火花が悟能の背を駆けのぼる。
「あああッ!」
 三蔵の指が、悟能のそれに絡められ、勢いよくしごきあげたのだ。
「止め……止めて……」
 三蔵の節立った、しかし長い指が、先端の膨れた首のあたりをこすりだす。もう、悟能は息もつけなくなった。快楽のあまり目の前が白くなってゆく。
「ひ……ッ」
 雁首を集中して愛撫される。先端の鈴口から絶え間なく漏れる透明な体液を潤滑油がわりに、三蔵は悟能を嬲った。
「あ……はぁッ」
 我慢しようとしても、三蔵の動きに合わせて腰が揺れてしまう。それを三蔵がまた、嗜虐的な口調で嘲笑う。
(動いてんぞ。腰が。いやらしいガキだ)
「う……」
 涙をにじませて、悔しくて首を振る。腰から下が三蔵に支配されてしまって、自分の身体だというのに、もういうことを聞いてくれない。
「はぁ……はぁ」
(自分でも触ってみろ)
 つっと三蔵の白くて長い指が悟能の先端をつついた。割れ目からこぼれた透明で粘ばり気のある体液が逆に尿道へ戻されるような勢いで塗りこめられる。
「あぅッあッ」
(俺の前でヤってみろ)
 三蔵の嗜虐的な声が耳元で響く。悟能は紅潮した頬を伏せ、首を振った。
(ヤってみろっつてんだろうが)
 大きな手で握りこまれたまま、ゆっくりと上下される。
「―――――ッ! 」
 快楽が脳を白く焼きスパークする。酷薄な調子で三蔵の口元が歪められた。笑っている。面白がっているのだ。淫蕩な笑みだった。
(――――ほら)
「ッ……」
 悟能はおずおずと自分のものに手をのばし、握った。ぞくっとするような感覚がした。
「あ……」
 感じやすい裏筋へ自分の指を這わせると、だらしなく唇が開き、閉じられなくなった。その口端を唾液が垂れ落ちる。
「ああ……ああ」
 三蔵がしていたのを真似て、手を動かした。自分を慰める卑猥な行為を、三蔵の前でやらされる。こんなものを見て、何が面白いのか、紫暗の視線はまっすぐに悟能へ向けられ、逸らそうとしない。
「あ……」
 ゆるやかな快楽の糸が、自分の指と性器の間から立ち上る。自慰をこの綺麗な美僧に注視されているという、異常な状況も快楽に拍車をかける。べたべたとした大量の先走りが指を濡らす。
(気持ちいいみたいじゃねぇか。でも――――)
 嘲笑う口調で囁かれた。三蔵が悟能へとより身体を密着させてきた。
 そして。
「!」
 三蔵は再び、悟能の性器をその手で握りこんだ。少年はひくりと腰を硬直させた。びりびりとした快楽に殴られたようだった。
「やめ……」
 哀願する口調で腰を引いて逃げようとする。それを最高僧は許さなかった。
「ああ……」
 暴力的な快感に焼かれる。根元まで上り詰めた快楽は、電撃のごとく腰を焼き、背筋を駆けあがり、そのままの勢いで脳を白く染め上げた。
「許して……さんぞ……ゆるし」
 気がつけば悟能は哀願を口にしていた。自分でするよりも、三蔵に嬲られる方が、快楽が深かった。自分でやると表面的な快感が、三蔵にされると、皮膚の深いところで神経を犯し、焼き尽くすように変化した。
 闇の中で、三蔵は一層、その口元の笑みを濃くした。愉しくてならないようだった。
(なんだお前――――)
 はだけられた着物の間から、見え隠れする悟能の乳首へ、三蔵は唇を寄せた。
(俺に――――)
「あああッ」
くっくっくっ、と三蔵が笑った。心地よさそうな響きで、それは闇夜に消えてゆく。
「ひぃッ」
悟能は悶絶した。三蔵のいじわるな唇が、繊細な桜色の突起を噛んだのだ。
(俺にヤられるのと、自分ですんのと、どっちがイイ?)
嗜虐的な質問が、嬲るようにぶつけられる。悟能は許しを求めて三蔵へすがった。
「さん……」
三蔵は、夜着を崩していない。ひたすら悟能だけを嬲って愉しんでいる。
「ああ……」
 三蔵の胸元に、悟能の黒髪が揺れる。快楽の汗を含んでやや重くなった髪は、束となってばさばさと音を立てた。腰が痙攣したように震える。絶頂が近い。
(言わなきゃイカしてやらねぇ)
 意地悪な言葉だった。悟能は相手の顔を見上げた。白皙の整った、しかし酷薄そうな顔立ち。表情に癇性さが潜んでいる。
「さんぞ……」
 もう、ぴくぴくと悟能のそれは震えて痛いほどに張りつめきっている。解放を求めて、腿の内側がぴん、と張った。
(どっちだ? )
 三蔵の言うとおりだった。自分で触るよりも、三蔵に触れられる方がおかしくなるほどの快楽があった。
 肌の深い深いところで熱せられた情欲が、噴出する先を求めて内攻する。脳が壊死するのではないかと思うくらい、三蔵の指に、思いのままに狂わされてしまう。
「さん……」
(俺だろうが、俺だって言え、言わねぇと――――)
 悟能は何度も三蔵の言葉にうなずいた。首を激しく上下に振り、気難しいご主人様へ慈悲をすがった。
 しかし、三蔵はそんな態度だけでは許す気がないようだった。いたいけな下僕の言質をとるまで、言葉のムチを緩める気配はなかった。
 舌打ちする音が闇から聞こえ、すぐに衣擦れの音が続いた。悟能にとっては耳慣れた音だった。
「さ……」
 三蔵が、自分の着物の前をくつろげて、悟能の背にのしかかった。
「ひ……」
 ぬる。
「いやです! いやだいや……」
 少年の懇願を相手は聞かなかった。そのまま自分の怒張を小さな尻に埋め込んだ。
「ひぅッ」
 悟能は息を詰めた。身体が硬直した。犯されてしまった。
「あっ……あ」
 ゆっくりと三蔵が腰を蠢かして揺すった。少年は体内を貫く肉棒の感覚に眉をひそめて耐えた。三蔵のが粘膜をこすりあげる度に、悟能は狂いそうになった。
 そして、そのままずいぶん長い時間、悟能は嬲られ続けた。尻を抱えて責め立てられながら、最後には理性を手放してしまった。
 悟能は自分で自慰をするよりも、三蔵のが気持ちいいとその口で言わされてしまっていた。貫かれているうちに、前を弾かせて精液を滴らせたまま、素直によがり声をあげる。
「ああ……ああッ……」
 敷布に悟能の黒髪が舞う。
 べたべたになった下肢を、悟能はすっかり、想像の中で三蔵に任せていた。いつもいつも夜になると、あのサディスティックな男がするように。
 悲鳴に似た遂情の声を上げて、悟能は何度目か分からない極みに達した。
「う……」
 可憐な口元を苦しげに歪め、息を吐く。薄目を開くと、いつの間にか、三蔵の幻覚は消えていた。

――――やがて。どのくらいの時間が経っただろうか。
「は……」
 悟能の口元に皮肉な、自嘲とも思える笑みが浮かんだ。
 もう、どうしようもなかった身体が火照って三蔵なしでは一夜も過ごせないということが、離れていると思い知らされただけだった。
――――身体がうずく。身体の奥の底の底が『三蔵が欲しい』と叫んでいる。
 悟能は目を閉じた。もう駄目だった。自分をごまかせない。 あの男によって淫らに躾されてしまった。
 結局、悟能はどこまでも三蔵に支配されていて、身体が抱かれることをひたすら待ち望むようになってしまっていたのだ。



 少年は、金の髪の最高僧の名を呟きながら、闇の中で意識を失った。
 もう、これ以上、深く考えたくなかった。



「三蔵×悟能(13)」に続く