砂上の蜃気楼 58番外続編 (3)

「っはぁ……はぁはぁ……まぁったく」
 相手が追ってこれないところまで来ると、肩で息をしながら悟浄は首を振った。
「どーしたっての! いや! オマエが来てくれんのはいいんだけどさ。何やってんだよ」
 八戒の手を引いて逃げてきた場所は酒場から遠く、どちらかというと街の外れに近かった。あたりは暗い。夜中までやってるような不謹慎な店はなりを潜めている。
 民家が周囲を占め、ひっそりとしている。外灯らしい外灯すらない。月のあかりが道案内だ。
「いつもだったら、あんなヤツら一瞬でギタギタにしてるだろーが。何ホントにやってんだよ」
 一気に言って、悟浄は少し顔を顰めた。
「あ、悪ィ……言いすぎたわ」
 いつもだったら。そう、いつもだったら八戒はあんなことになってはいない。むしろ一行の誰よりも強いような彼がチンピラどもの無礼を許しておくはずはなかった。
 しかし、今の八戒は 『いつもの』 八戒ではなかった。烏哭に陵辱され、クスリを使われ、体力的にも精神的にもおかしかったのだ。そのことに思いを到らせ、悟浄は歯切れ悪く呟いた。
「でも、ホントにどうしちまったんだよ。八戒あんな―――あんなヤツらにあんなコト言われて―――」
 言わずにいれなかった。相手の整った顔を思わず覗き込んだ。
 その瞬間。八戒の顔になんともいえない複雑な笑みが浮かんだ。
「彼らが言ってたことが本当だったら、どうします」
 美貌の親友から返ってきたのは、思いもかけない言葉だった。翡翠色の瞳に、なんともいえないような色を浮かべて八戒は震える声で言った。
「な……」
 悟浄は一瞬、何も言えなくなった。
「本当に――――本当に僕が彼らの言う通り、男を漁りに来てたとしたら、貴方どうするんですか」
 整った唇に自嘲が拡がる。
「八戒! 」
「ええ。邪魔してくれなくても、よかったんですよ。どうせ僕は――――」
 語尾は夜風にかすれて消えた。
 男達と揉みあったり走ったりしたため、いつの間にかシャツの胸元のボタンは外れていた。綺麗な鎖骨が誘うように覗いている。
「気持ち悪いでしょう。ええ、気持ち悪いですよね。健全な貴方から見たら。こんな――――こんな僕は――――」
 八戒は泣き笑いのような表情をした。それは悟浄には見覚えのある顔だった。悟浄と暮らした最初の頃、この男はこんな不安定な表情をすることが度々あったのだ。
 あの情緒不安定はすっかり収まったのだと思っていた。
「僕、あの 『城』 でのこと。うっすらとですけど覚えてます。三蔵は覚えていないと思ってるみたいですけど。ええ、ひどかったんです。虚ろではっきりとはしませんが。クスリとかいろいろ使われて。いや、クスリだけのせいにしちゃいけませんよね。きっと元々、僕はそういう素質だったのかもしれないですよね。もう――――」
 震えるような声は止まらなかった。泣いているようだ。
 月明かりの下、凍るかと思われるほどに整った顔が次の瞬間苦しげに歪む。八戒は自分の腕で自分の細い躰を抱くような仕草をしていた。
「僕は汚れていて――――」
 語尾はかすれ、はっきりとしなかった。
「……バカ! 」
 思わず悟浄は叫んだ。
 もう、見ていられなかった。聞いてもいられなかった。悟浄はそんな八戒を支えようとした。力強い腕で抱えるようにした。
「悟浄……」
 腕の中で、頼りなくも心細い八戒の声がした。
「何が汚れてんだよ。オマエは何も悪くねぇだろが」
 熱い声で囁く。
「他の野郎に俺がオマエを――――ヤラれていいと思うとでも――――ってんのかよ。何年つきあってんだ。本当にオマエってバカだよな」
 悟浄は、傍の外壁に八戒の躰を押し付けた。
「他のヤツに渡すくらいなら、俺が抱いてやる」
 それは苦しげで真剣な声だった。





 ずっとずっと悟浄はそう思っていた。ずっと。
『野郎をベッドに運ぶのは最初で最後だからな』

 そう、冗談めかしながら言ったときも。穏やかな日々の暮らしの中でも思ってはいた。
(ずっと、オマエを)
 オマエのことだけを

(でも、そんなこと、オマエは望んじゃいないと思っていた)

 今まで押し殺し、秘められていた何かが、弾けて飛んだ。





 月の光も容易に差し込まない街の路地裏で、
「ん……あッ」
「八戒……熱い」
 くちゅくちゅと音を立てて舌を絡ませあっていた。
「悟浄ッ……ご……」
 シャツの前ははだけさせられ、性急な腕で後ろのブロック塀へと押さえつけられた。
「うっ……」
 金属音を立てて、ズボンのジッパーが落ちる。塀に貼り付けにする形で、悟浄は八戒を追い詰めていた。
「……もう、コンナ? 」
 生い育った八戒の屹立を悟浄の指がたどる。八戒は背を仰け反らせた。
「んッ……んッ」
 こんなにもすぐに熱くなる肌で、夜に紛れて八戒が酒場なんかに来たことに、悟浄はあらためてぞっとした。確かに、この蜜のような香りを嗅ぎつけて何人も男が寄ってきてしまうだろう。
「ったく……あぶねぇったら」
 軽く舌打ちをすると悟浄は再び八戒の唇を貪りだした。
「独りで出歩くなよ。こんな……」
「あ……ふ」
 ぎゅ、と脚の間で震える屹立を下着の上から握りしめた。
「こんななっちまってる癖に」
「あ……」
「八戒」
 片足を抱えられ、脚からズボンが抜かれる。
「ごじょ……ッ」
 そのまま穿たれ、がくがくと震える躰を貪られた。
「悪ィ。こんなオマエ見てたら……我慢できねぇわ」
「は……」
 卑猥に蠢く腰の律動と合わせて、抱えられた八戒の脚が揺れる。
「あ、ああっ……ご……じょ」
 熱い怒張を咥え込んだまま、八戒は喉を仰け反らせた。
「ずっと……欲しかっ……」
 語尾はかすれて、甘い泣声になった。理性を手放した聞くに耐えないなまめかしい声が夜気に散ってゆく。
「八戒……」
 紅い瞳に情欲を宿し、悟浄は食い入るようにして親友のあられもない姿を見つめた。快楽を素直に貪る八戒は美しい。
「あ、ああ……あっ」
 悟浄が貫く度に壁を背にして仰け反った。閉じられずに口は開かれ、助けを求めるように喘いでいる。その喉元を唾液が伝わった。艶めかしく月明かりの下、八戒の鎖骨で留まった。
「止まらねぇ。もう……」
「ふぅッ……! 」
 尻を抱えなおされ、繰り返し熱くて太い切っ先に穿たれる。捏ねるような動きに、八戒は狂った。
 骨が蕩けるような快美で腰奥が崩れ、立っていられない。悟浄の腕で支えてもらっていなかったら、既に崩れ落ちていることだろう。片足は抱えられ、地面についているもう片方の足も、穿たれる勢いで爪先程度しか地についていない。貪られて、脚はがくがくと震えていた。
「ああ! ごじょ……ごじょッ」
 切羽詰った声に煽られるようにして、貫く腰の動きが早くなった。奥まで擦り付けるような動作に、躰と躰を重ね合わせた間で八戒の屹立ももみくちゃにされた。悟浄の逞しい腹筋で擦りあげられ、先走りの体液がふたりの肉の間で糸を引く。
 そのうち、
 悟浄がくぐもった声を上げて達した。
「っあ……あ」
 獣のように全身で息をしながら、八戒の奥へと自身を挿入し、白濁した体液をより奥まで注ぎ込む。
「う……」
 八戒の腰が震え、そのまま前へと崩れる躰を悟浄が支える。既に八戒も放ってしまっていた。強烈な快楽のあまり、いつ達したのか自分でも分からないほどだった。
 含まされている肉の環の合わせ目から、じっとりと白い液体が滲んで滴っている。
「八戒……」
 ぐったりと力の抜けた躰を優しく支えながら、悟浄は囁いた。
「すげぇ……」
「あ……」
 下肢から服は剥ぎ取られ、肌蹴たシャツ一枚で抱き合った。そっと片足を降ろされたが、感覚が無くて震えるのを止められない。
「は……」
「足りた? 八戒」
 ぺろり、と悟浄は八戒の唇を舌先で舐めた。
「足りねぇよな」
 真紅の瞳が獣の色を帯びている。艶めいた絹の糸のような緋色の髪が一筋、顔に散りかかる。
「俺もだ」
「……! 」
 しっかりと力強い腕に抱き締められた。息が止まるような抱擁に、八戒は我を忘れた。





 それから、後は。
 もう、ふたりはどこをどう歩いたのかも覚えてはいない。


 悟浄の手でズボンを履くのを手伝われ、手を引かれて街を歩いた。よろよろと男に貫かれたおぼつかない足取りでついてゆく。再び繁華街の外灯が照らす界隈にくると、とある建物に連れ込まれた。
 悟浄に肩を抱かれて、建物の扉をくぐった。
 悟浄は入り口に向かい手馴れた様子で鍵を受け取ると、正面の階段を上りだした。八戒はもう、歩くのも辛かった。眉根を寄せ発情しきっていた。行為の途中で止められた熱い躰を震わせながら、悟浄に抱えられるようにして階段を上った。
 上階の細い廊下には白々しく明かりがついている。すれ違う他の客の姿はない。もう、相当の深夜だった。街中によくある連れ込み宿のつくりだったが、不潔ではない。
 悟浄なりに気を遣ったのだろう。年数はさほど新しくないものの、こざっぱりとしていた。慌しく余裕のない仕草で鍵を開けてドアを開け、ふたりでもつれ合うようにして部屋に入った。
「あっ……」
 入り口でパイル織りの使い捨てスリッパに代えるとき、八戒は思わずといった調子の声を上げた。
「どうした」
 肩を支えていた悟浄が囁く。
「今……貴方が……」
 喘ぐように八戒は言った。
「貴方が……出てきて……」
 そう告げると、びくんと艶やかな前髪を震わせ身を竦ませた。
「……っ」
 色事に慣れた悟浄には、八戒の言わんとすることが分かった。
 ズボンが濡れて、八戒の片足から白いモノが滴っている。悟浄が散々放った精液が、今になって八戒の肉筒から出てきて垂れ落ち、太腿を伝い足首を濡らしていたのだ。
 もう耐えられないとでもいうように、悟浄は八戒を引き寄せた。激しい仕草だった。
「……本当にもう、我慢できねぇ」
 唸るように悟浄は言った。
 どんな美女相手にだって、余裕綽々(しゃくしゃく)といった様子を崩したこともなかった彼だったが、今夜は違った。
 ふたりきりの部屋にようやくついたというのに、八戒を、バスルームで洗ってやるような余裕も、もうなかった。一刻も早く再び彼の躰を奪うことしか考えられなかった。
「あ……! 」
 そのまま、八戒を部屋の奥へと引きずっていった。白くて大きなベッドの上へ、黒髪の美人を投げるようにして横たえた。
「八戒……」
「はッ……」
 性急な手で、服を剥ぎ取った。先ほどの行為でよれたシャツ、ふたり分の体液でシミになって汚れたズボン、それらを下着ごと荒々しく奪うように脱がせて再び覆い被さった。
「ご……ごじょ……ご……! 」
 いやいやするように首を横に振るのを構わず抱き締めた。もう、相手を一刻も早く貪るのに夢中で、掛け布団を退ける事すら忘れている。
「あ……! 」
 奪うように押し倒し再び繋がった。艶めかしい肉を貪り喰うような行為だった。
「八戒……」
 八戒のソコはすぐに悟浄をしゃぶるように締め付けてきた。おあずけを喰って苦しかったと甘い躰が全身で告げている。早く早くこんな風に抱いて欲しかった。ずっとずっと待っていたと素直に語りかけ、悟浄に切なく絡みついてくる。
 路地裏で抱いたときは、情欲にとりつかれながらも、八戒がケガをしたり痛くないように気遣ったが、柔らかいベッドの上ではそうした斟酌をする必要がなかった。思い切り行為に没頭し、気の向くまま八戒に溺れた。
「ああッ……あ、ああッ……んッ」
 そのうち、泣くような声が漏れ始める。その甘い声を心地よく聞きながら、悟浄は何度も穿った。
 当然、部屋の照明を落とすこともしていない。そんな余裕はなかった。明るい光りの下で、喘ぐ八戒の綺麗で淫らな表情が丸分かりだった。
「綺麗だ。オマエ」
「や……」
 尖りきっている胸の突起を舐め啜り、狂ったようにくねる躰を抱き締めてひたすら追い詰めた。骨も身も蕩けそうになっている八戒は、悟浄の与える容赦のない快楽の前にのたうち狂った。
「ひッ……」
 腰を震わせて、何度も悟浄は達したが、そのぐらいで八戒を許すつもりは無さそうだった。眩暈がしそうなくらいひたすら八戒が欲しかった。
 彼の肉体を抱いてしまった今、ようやく自分がどんなに、長年の間この存在を欲していたのか思い知らされた。自分の欲望に目をそらし、背け続けていた報いを受けるかのように、悟浄は媚肉の虜になった。
 達しても達しても硬く生え育ってくる悟浄のモノに貫かれまくって八戒は身も世もなく乱れ喘いでいた。肉筒の内側でも外側でも達し、小刻みに躰を震わせる。
 もう、何をされても感じて狂ってしまう陶酔の時間が八戒の全身をしっかりと捕らえ、支配して放さない。
「ああッ……」
 何度も欲望を放ちあい、股間を濡らしてお互いを貪った。気がつけば、掛け布団はじっとりと湿り、ふたり分の快楽の汗と体液をたっぷりと吸って重くなっていた。
「ん……」
 ようやく、悟浄がそれに気づき、やっと布団を剥いで敷布の上に八戒を横たえた。
「はぁ……」
 八戒は、がくがくと痙攣する淫らな躰を震わせている。白い躰を紅潮させ弛緩と痙攣を繰り返しながら、何度も絶頂に達してしまっていた。
「八戒」
 カフスの嵌まった耳元に囁いた。
「ずっと……こうしたかった」
 潤んだ翡翠色の瞳がうっすらと開いて悟浄を捉えた。しなやかな腕が伸ばされ、その首へと巻きつく。甘い腕に引き寄せられて悟浄の長い緋色の髪が揺れた。
「ごじょ……う」
 艶めかしい唇が囁く。
 どちらともなく、唇を重ねあった。
 夜は深く、果ても見えなかった。親友の一線を超えてしまったふたりは、今までの飢えを取りかえそうとでもするように、きりもなく躰を重ね合わせてお互いを貪りあった。







 「砂上の蜃気楼58番外編(4)」に続く