砂上の蜃気楼(9)

 そんな、ある日。
「咥えなよ。ナニ、その目つき」
 八戒は頭を横に振った。途端に頬を張られる。いつもは余裕綽々といった相手だったが、今日はどうしたことか、すっかり苛立っていた。
 抱かれることに慣れた八戒だったが、今でもガンとして受け入れない行為があった。

 口で男を慰めることだ。

 いきり立った怒張が唇へ押し付けられる。しかし、八戒は唇を開けようとはしなかった。乱暴に髪をわしづかみにし、鼻をつままんで口を開けさせようと相手は苦心したが、無駄だった。八戒は頑固だった。
「強情だなァ。フェラするの、そんなにイヤ? 」
 嫌かと言われれば、男に抱かれることだってもちろん嫌だった。でも、縛り上げられ、脚を無理やり開かされ、性具で慣らされて犯されてしまい、躰は精神を裏切って淫らに蕩けた。蕩けるしかないほど執拗に追い詰められた。
 しかし、口淫は自主的なものだ。男のモノを口で咥えることに喜びはない。同性のを咥えて慰めるなど、むしろ嫌悪すべき行為だった。卑怯な手管で、躰を蕩かされ、肉体は言いなりにされたが、口淫の行為は精神の一存だけで拒否することができた。
 亀頭を口へ押し付けられ続け、オスの先走りの体液で唇が濡れて光る。それでも八戒は頑なに口を開こうとはしなかった。
「ったく」
 強情な八戒に焦れたのだろう。八戒は殴られた。腹を打たれ、むせて前のめりに倒れ込む。
「しょうがないなァ。じゃ、こういう趣向じゃどう? 」
 何を思ったのか、相手はにやりと笑った。
「そんなにボクにフェラチオするの、嫌ならいいよ。でも……」
 芝居がかった調子で後ろを振り向く。絹布で覆われた天蓋のベッドの外に人の気配がした。
「彼ならどう? ……ヤル気になるんじゃない? 」
 思わせぶりな表情を浮かべると、寝台と外部を別つ、絹でできた覆いを払いのけ中へ人を招じ入れた。
 その人物を認めて、八戒は凍りついた。
 薄い絹の幕を通して外の灯明は、寝台の中を柔らかく照らし出していた。その薄明かりの中、正体を現した美貌は八戒にとって見忘れることなどできない種類のものだった。
「……三蔵! 」
 信じられなかった。





 それは、確かに三蔵だった。しかし、いつもとは様子が違った。
 アラビア風の服を着ている。金糸と銀糸で縫い取られた刺繍のある白い長衣にズボン。アラブの高官が好んで着る服装だ。そんな服も三蔵にはぴったりと似合った。
 白い襟の立った服にやや長めの後ろ髪がかかっている。金色の髪が白い服に映え、三蔵の麗質をこの上なく引き立てていた。紫色の瞳は冷たいほどに美しく、その視線を受けると痛みすら感じるほどだった。
「……三蔵!? 」
 八戒は震える声で呻いた。悪い夢のようだった。
 連日、男に犯されていた躰は情事の気配が濃厚だった。首といわず、肩といわず、背といわず、腹といわず、……脚といわず、吸い跡が所狭しとついている。手足には縛られた縄目の跡も残っており、凄惨な陵辱を受け続けていたことは明々白々だった。
 しかも、現に今も、その身につけているのは、美しき虜囚のための特別な拘束具――――四肢に嵌められた白金の鎖だけだった。奴隷同然の格好から、彼がここ何日、どのような扱いを受けていたのかなど、ひとめで分かってしまうだろう。
 知られたくない。八戒は硬直した。突然の三蔵の登場に頭を殴られたような気がした。
 何故か、三蔵が自分を探しているだとか、仲間のことはここ数日, 思いが到らなかった。ひたすら身を苛まされ、精神的に余裕がなかったのと阿片の毒のせいだ。八戒は自分の愚かさを呪った。
 こんな姿を見られるくらいなら、死んだ方がマシだった。そんな八戒の胸中を知ってかどうか、果たして三蔵が口を開いた。
「……いい格好だな。てめぇ」
 その声は、確かに鬼畜坊主そのものだった。





「三蔵! 」
 信じられない事態だった。
「江流、悪いケドそっち押さえててくれる? 」
 いかにも知り合いという口調で、のんびりと言った。陵辱を連日受け続けていた八戒には、相手の意図が分かった。
三蔵と一緒に犯そうとしている。
 その声や振る舞いからは、とてもこんな非道な行為を行うとは思えないのが、いっそう不気味だった。驚愕に目を瞠っている八戒の腕を三蔵はつかんだ。動けないように仰向けに押さえつける。
「八戒ちゃんってば、フェラするの嫌なんだって。どう思う? 」
 そんな恥知らずな話題を、まるで 「明日は雨だと嫌だねぇ」 とでもいった、ごく普通の会話の調子で持ち出した。
「アソコはもうとろとろになっちゃって……ひくひくしてる癖に、格好つけて自分のお口を使うのは嫌なんだって。どう思う? 下の口はすっごく素直でヨダレ垂らしてる癖に、上のお口がウソツキで困っちゃうよ」
「…………! 」
 八戒は憎しみのこもった目つきで軽口を叩く相手を睨んだ。三蔵に押さえつけられている腕が、指が、上半身が怒りで震えた。こんな屈辱を自分が受けなくてはいけない理由が見つからなかった。自分はこの異常者のために、とんでもない陵辱を受け続けているのだ。
「三蔵ッ……嘘です。僕は……」
 八戒は狂ったように、首を横に振った。三蔵にだけは誤解されたくなかった。自分が喜んでこんな目にあっているなどと思われたくなかった。
「往生際悪いねェ」
 カラスに似た男は、眼鏡の奥の目を淫猥に細めた。
「それなら、三蔵にも試してもらう? ……下のお口の方を。キミがどんなにやらしいコか分かってもらったら? 」
「…………! 」
 八戒は翡翠色の瞳を大きく見開き青ざめた。彼がその淫らな提案をしたとき、三蔵がまるで承諾したように、肯いたからだった。



 「砂上の蜃気楼(10)」に続く