砂上の蜃気楼(19)

 泉のある中庭に沿いに階段で繋がる邸が見えた。幾何学模様に彩られた美しい宮殿みたいな建物だ。涼をとるためだろうか。中庭を遮断しないように薄い絹の帳だけで部屋は隔てられている。部屋々は回廊のような造りになっていた。
「どっちだ」
「ええっと」
 ままよとばかり、とりあえず目の前にあった絹の天幕をくぐり、部屋の中へ入った。青いタイル張りの部屋だったが、ビロウド張りの家具が置いてあるばかりで誰もいない。
「ここじゃねぇな」
 内部も、扉がついているわけではない。潜り戸のようなアーチ型の入り口で部屋と部屋は繋がっている。
「こっちかな」
 悟空が如意棒をひと振りして隣を覗く。
「勝手に行動すんじゃねぇ」
 三蔵が次の部屋へ行こうとする悟空をたしなめる。
 悟浄が錫月杖を肩に担ぎにやりと笑って言った。
「なぁに。何が出てきたって、そんときゃそんときジャン。それより八戒のヤツどこよ」
「まぁな」
 三蔵はいつでも撃てるように小銃を懐から取り出し撃鉄を起こした。
 途端。
「うわッ!? 」
 隣の部屋から悟空の派手な悲鳴が聞こえた。ただごとではない声だ。
「何だ?! 」
 血相を変えて三蔵と悟浄が続いて部屋に入ると、そこには。
――――そこには、よく見慣れた顔があった。まるで鏡に映したようだ。
「こ、これって」
 悟空は混乱している。あまりにも驚いて如意棒で攻撃することも忘れている。
 瞬間、悟空の背後で銃声が二発鳴った。
「おいッ三蔵ッ」
 止める間もあらばこそ。部屋に硝煙の匂いが漂う。
「気色の悪ィ」
 鬼畜坊主は口元を歪めた。入った部屋には紅色のソファがふたつあった。壁の青いタイルとよく対比した華やかな品だ。そこに腰掛けていたのは、
―――――ひとりは鬼畜最高僧にそっくりで、もうひとりは緋色の髪の男前そっくりだった。
「うわ……」
「瞬殺すんなよ」
 下僕ふたりが青くなって口元を抑えているのに、生臭坊主は平然としたものだった。
「軟弱なヤツラだ。撃ち返せねぇとはな。情けねぇ」
 片眉をつりあげてマルボロを一本とり出すと火を点けた。自分と同じ顔の男を撃つのはさすがに後味が悪いらしい。気を紛らわせようとしている。
「……これ、そっくりとかいうレベルじゃねぇな」
 悟浄が気味悪げに呟いた。撃ち抜かれて倒れているのは、確かに三蔵と悟浄そのものだった。似てるとかいう生やさしいものではない。そっくりそのままの生き写しだ。違うのは三蔵と同じ顔の男は僧衣ではなく金糸で縫い取りのある白い服を着ていて、悟浄に似ている方は艶っぽいハレムで寛ぐときのような服装だった。それに、ふたりとも武器も持っていないらしかった。
「式神か使い魔かな」
「……にしては消えねぇな」
 二体とも、気短な三蔵に額の真中を正確に撃ち抜かれていた。即死だったろう。
「趣味の悪ィ。誰だこんなモン作ったのは」
「ホント。どーやって作ったの。こんなの」
 さすがに声をひそめ自分達そっくりの死体を囲んで囁きあった。
「でもよ。やっぱ本物のかっこよさにはかなわねぇよな。ホラなんとなく俺のが渋いっしょ。やっぱ今までの俺サマの生き方が滲み出てるっつーか。男の顔は履歴書ってゆーしさ」
「そーいえば。悟浄と頬の傷とか一緒なんだけど、なんとなーく違うよね。ホントなんとなくなんだけど」
「三ちゃんなんて、こっちの方が美男で優男ってカンジじゃね? 手とか綺麗だしさぁ」
「うるせぇ」
 眉間に皺を寄せ不機嫌に吐き捨てると最高僧はタバコの吸殻を足元で消した。
「行くぞ。この城を作ったヤツは最高に趣味が悪いらしいからな」





 香が焚かれている。
 麝香と麻薬入りの香が。





 華麗なイスラム式の城の内部は回廊のような部屋で繋がっていた。足元に広がるのは絹糸で織られたペルシャ絨毯で、どれもが細密な模様が織り込まれた美術品だ。部屋から部屋へ八戒の姿を求めて探索していた三蔵達だったが、アラベスクの迷路のような内部に眩暈がしそうだった。
「なんか……俺、さっきから……くらくらするんだけど」
「あ、そーいえば。なんかヤなカンジだよな」
 悟空と悟浄が言う。各部屋に漂っていた香の匂いはますます強くなっていた。ひとの本能へ訴える妖しくもいかがわしい匂いだ。
「…………クラクラする? 」
「へ? 三蔵はなんともねぇの? 」
「なんで? 」
 香りは最初のときよりもいっそう強くなってはいたが、三蔵には気色の悪い匂いが強くなった程度で、特に躰に変調は出ていない。
 しかし、悟空や悟浄はその神経に影響があるようだった。
 足元に敷かれた絨毯はいよいよその織りが精緻極まるものになっていた。豪奢としか呼べない緋色の深い色合いにいつの間にか変わっている。地獄の業火に似た色だ。
「なんか……やべぇ」
「ダメだ。俺、ちょっと寝るわ」
 下僕ふたりは揃ってずるずると、その場で崩れるように座り込んだ。
「おい! 」
 三蔵が慌てて悟空を抱き起こそうとする。
「ちょっと……寝る……なんか、でっかいドーナッツが」
「力が入んない、ちょい寝させてよ。おネェさん少しだけ……」
 如意棒と錫月杖を抱え、それを支えにするようにして、悟空と悟浄は壁を背に倒れ込んだ。
「おい! 寝るなバカ! こんなところで! 」
 揺すってもふたりが起きる気配はない。三蔵は血相を変えた。甘かったと思った。結界は札だけだと思っていたのだが、いつの間にか妖怪から気力を奪う類のなにかが香に混じられて焚かれていたらしい。悟浄と悟空はひとたまりもなかった。大した力だった。三蔵は人間なので、無事なのだろう。
「こいつは」
 三蔵は立ち上がって周囲を見渡した。いつの間にか、天蓋つきの寝台のある美しい部屋に来ていた。緋色の絨毯が敷かれ、ところどころ宝石のはめ込まれた燭台が置かれ、部屋の四隅では香炉が紫色の煙を燻らせていた。
 いかにもアジアらしく豊かな、宝石の原石をそのまま無造作に削って、金細工にはめ込んだ家具や調度品が部屋を埋める。あまりにも石が大きいので、宝石ではなく飴玉か何かのようにさえ思えるほどだ。
 点々と部屋のそこかしこには大きな絹織りのソファが転がり、豪華な芥子の花が飾られている。後宮の貴人の部屋を思わせる様子だ。
――――罠だ。
 本能的な危機感が三蔵の脳裏に閃き走った。
 そこへ。
「……三蔵? 」
 天蓋つきの寝台の中から、最高僧の名を切なげに呼ぶ声がした。
 聞き覚えのある声だった。

「八戒! 」
 三蔵は思わず下りている絹布を払って寝台の中を覗いた。

 自分の内側で何かが 「ダメだ」 と告げていたが、それでも中に入らずにはいられなかった。

「さん……ぞ」
 果たして。
 そこにいたのは、妖しくも変わり果てた八戒の姿だった。



「砂上の蜃気楼(20)」に続く