一方、その頃、
『八戒のいない三蔵一行』 は白亜の城へようやくたどりつき、ジープを止めた。
「どっか日陰に行っててね」
悟空が言い聞かせるようにしてジープを放つ。幸い、城の中は緑が豊富だった。
門を潜ったとき、一行は明らかな違和感に襲われた。
「なんか……この中って、やなカンジ」
「俺も。なんかダルイわ」
三蔵は下僕ふたりが呟くのを聞き、周囲を見渡した。石づくりの門の傍へ行って目を凝らす。
「……やはりな」
そこには、梵語の白い札が貼られていた。
「へ。ナニそれ」
悟空がこわごわ覗き込む。
「うわ。ナンか近寄りたくねぇ。ソレなによ」
悟浄が気味悪げに手を横に振って口を歪める。
「結界だ」
三蔵は簡単に説明した。手を伸ばし、門の壁から札を引き剥がす。
「てめぇらみたいな妖怪を無力化するために貼られてるとしか思えねぇな」
三蔵は書かれている梵語を読んだ。強力な呪文だった。
「しかもコイツは相当修行でもしねぇかぎり書けない類の真言ときた」
「修行? 」
「三蔵なら書けんの? 」
「ああ、俺と同じくらいの高僧なら書ける」
傲岸不遜に三蔵は言ってのけた。
「それって……」
不吉な思いが三蔵達の胸中に去来した。自分達の敵、八戒をさらった相手は普通の妖怪などではなく、ひどく厄介な相手らしいのが分かったのである。
「は、早く八戒探そうよ! 」
「そうだ。無力化ってナニよ。八戒が危ねぇ! 」
途端にいきり立つふたりを制し、三蔵は言った。
「まずは中へ入る。油断すんじゃねぇぞ、足手まといになったら殺す」
――――自分の張った結界を破られたのを感じない術者はいない。
「ははあ、やっときたね」
そのとき、彼は地下の実験室にいた。急ごしらえのため、ろくろく設備も整ってないが、お得意の生体工学と妖術の研究は如何なる場所だろうと手は抜けなかった。
今は手遊びがてら庭に咲いていた芥子を摘み、蒸留して阿片からモルヒネを抽出しようとしているところだった。八戒の部屋に燻る妖しい香りの主成分のひとつだ。蒸留器具はメスフラスコを連結しバーナーで炙る原始的なもので、彼にとっては本当にお遊びというか息抜きといったところだった。男は自分の城に三蔵達が入り込んでいることを感じていた。空気に不協和音が混じっている。
三蔵のやったことは、ある意味、術者に対する宣戦布告だった。
「いい度胸じゃない。江流」
愉しげに笑うと、手元のコーヒーカップを引き寄せた。
「さぁて、どう出るかな」
薄笑いの張り付いた唇へカップを運んだ。
「細工は流々、後は仕上げをご覧じろ……か。ボクからのプレゼント、せいぜいありがたく受け取ってよね」
地下に、低い忍び笑いが響いた。
「さんぞー。この水って飲めるのかな」
悟空は首を傾げた。中庭に清冽な泉が湧いている。いかにも涼しげだった。
「オマエってこんなトコの水、よく飲む気になるよな。気味悪ィだろが。フツー」
悟浄の言葉にかまわず、泉を覗いて悟空が目を丸くした。
「うわ! わわわわわ! 」
「どうした」
ただならぬ声に三蔵が振り向いた。
「き、気持ち悪い魚がいっぱい……」
「何? 」
悟空の言葉につられ、三蔵も中を覗き込んだ。
中にいたのは、筆舌に尽くし難い生き物ばかりだった。
尾びれが二つもある鯉。双頭の―――頭がふたつある――――魚。
ヒレがカエルの手のような形に変化しているものまでいる。そんな異形の魚たちが鱗を光らせ、悠然と泳いでいたのだ。
「な、なにコレ! 」
「おい」
傍らの悟浄の声が変わった。
「……気味悪ィのは魚だけじゃねぇみたいだぜ」
悟浄の視線の行方を見ると、そこには孔雀がいた。虹色に光る華麗な羽を持つ高貴な生き物は、宝石のような姿で優雅に歩き回っている。
しかし。
「あ、足が三本ある」
「……うげ」
悟空や悟浄の言う通りだった。美しい孔雀は奇形だった。三本の脚を器用に使って芥子の花が咲き乱れる庭を歩いている。
「一体……」
悟空が絶句する。意図が分からなかった。この美しい城の美しい庭は、やはり一見ひどく美しかったがその実体はグロテスクだった。健全でない。どこかが狂ってる。この城を作った人間は、ひどく趣味が悪いらしかった。病んでいる。
「こんな事ができそうなヤツは……」
三蔵は呟いた。嫌な予感がした。侵入されたのに何も盗まれていない部屋。城の門に張られた梵語の札。自然に作られたとは思えない異形の生き物。
当たって欲しくはない心当たりが三蔵にはあった。
この日、いつもどおりに湯浴みをされて部屋へ戻され昼食を与えられると、八戒の傍には誰もいなくなった。
珍しいことだった。
黒衣の男も、昼に一度来て八戒にどろりとした緑色の飲み物を飲ませると姿を消した。 いつものように躰をもてあそびもしなかった。午後、いつも揃って訪れる三蔵も悟浄も姿を見せない。
「う……」
男が飲ませたものは、なんらかの媚薬なのだろう。ひどく苦かったその味を思い出しながらも、躰が火照ってしょうがなかった。
「は……」
抱かれることが習慣になった躰は、意識することもなく男が来るのを待っていた。八戒の午後と夜は調教の時間なのだ。ひどく覚えのいい生徒と化した彼は、いつの間にか三蔵や悟浄が来るのを……ひそかに待つようになってしまっていた。
それなのに、今日に限って誰もこなかった。媚薬まで飲ませて一指も触れずに放置され続けている。かつてないことだった。
「ん……」
熱い躰をくねらせながら、八戒はため息をついた。これも新手の責め苦なのだろうと思ったのだ。部屋全体に敷き詰められた紅い豪奢な絨毯がまるで情欲を焦がす業火のごとく目に映る。そんな絨毯の上で、八戒は薄物をはおった身を捩りながら、悶々として三蔵達の訪れをひたすら待った。
部屋に焚かれた妖しい香の匂いは、一段と濃くなったようだった。
「砂上の蜃気楼(19)」に続く