今夜、俺の部屋に来い(8)

「昨日さぁ。八戒、部屋に帰ってこなかったんだよ。どーしたんだろ」
 悟空が心配そうな声をあげる。
「これが、悟浄だったら、心配しないんだけどさ」
 朝食の皿を手にしたまま、悟空が悟浄の方を箸で指した。
「なんだと、このサル! 」
 悟浄が舌打ちして、切れ長の赤い瞳で睨む。クリーム色の絨毯の上であぐらを掻いて、バター茶を手にしている。
「うるせぇ。てめぇらメシくらい静かに食え」
 朝食の席で、仕方なく下僕どもと同席してやる的な姿勢を崩さず、三蔵様が吐き捨てるように言い放った。金色の髪が朝日に煌いて美しい。
「……案外、アンタの部屋にいたりして」
 ぼそっと悟浄が呟く。
「黙れ殺すぞ」
 殺伐とした会話が交わされる。
 そのとき、
「すいません。寝坊しました」
 ドアが開いた。短い艶のある黒髪、額につけたオリーブ色のバンダナ。均整のとれた、すらりとした長身を滑り込ませるようにして、そっと部屋へ入ってきた。
「遅いじゃん八戒。心配したぜ。どーしたんだよ」
 悟空が箸を唇に当ててふくれ面で言う。
「ははは。すいません」
 いつものように、きっちりと首元まで着込んだ緑の禁欲的な服。中華風にスリットの入った腰のあたりが、今日はどこかなまめかしい。そっとさりげなく三蔵から遠い位置に、悟空と悟浄に挟まれるような場所に八戒は座った。
「大丈夫なのか」
 三蔵がちらり、と八戒の方へ視線を送る。愛想のなさを装った声だ。
「ええ。なんでしょう。ちょっと起き上がれなくて。情けないですねぇ」
 小首を傾げて、笑顔を作っている。
 しかし、悟浄には分かった。この黒髪の親友が目を不自然に三蔵から逸らしていることを。そして、三蔵が内心、それに苛立っていることも。
「やべ! 八戒の分忘れてた! 朝メシまだあったっけ」
 悟空が頬に米粒をつけたまま言う。あわてた声だ。
「てめぇ。八戒の分まで喰ったのかよ。早く吐け」
 悟浄が食後の一服とばかり、タバコの煙を吐き出しながら、口を歪めて悟空を責める。
「うっせーエロ河童。思わず喰っちまったモンはしかたねーだろ」
 かなり、後ろめたくて分が悪い悟空だが、ケンカ上等とばかりに悟浄へわめいた。
 そんな、下僕ふたりにかまわず、三蔵が自分の横に置いておいた皿をそっと差し出した。白い僧衣の袖が揺れる。
「ほら」
 それは、切られた哈密瓜が載った大皿だった。はみうり。チベット近くで採れるメロンそっくりの果物だ。青い陶器の皿の上で、皮が蜂蜜のように輝いている。果肉はオレンジ色で滴るように柔らかい。みずみずしく食欲をそそった。
「喰え。足りなかったら誰かに言って、新しく何かつくってもらうか」
 ぶっきらぼうな癖に、言葉の端はしに心配と労わりがにじんでいる。三蔵がやや決まり悪そうに目を伏せると、金色のまつげがきらきらと光った。
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」
 八戒もぎこちなく礼を言った。妙によそよそしい。
「なんだよ三蔵! そんなの隠してたのかよ、ずりー!! 」
 悟空が思わずデザートを隠されていたのを知って叫ぶ。黄色のマントがその背中でひるがえり、オレンジ色の服の裾がわめく度に揺れた。
「馬鹿ザルが、胃拡張で死ぬぞ」
 三蔵は澄ました表情で食後のお茶を手に取った。金冠こそつけていないが、客僧としての立場を考えて、その白い僧衣を着崩しもせずに、きちんと着込んでいる。
「……ふーん」
 悟浄はその細く整った眉を片方跳ね上げた。ピンときたのだ。敏い悟浄には言われずとも分かった。
 八戒は三蔵と目が合うと、顔を赤くして下を向いてしまうし、三蔵といえば、そんな八戒へ食い入るような視線を送っている。そのしなやかな痩躯が、昨夜どんな反応をしたのか、反芻している。そんな男の、雄の目つきだ。そして、もっと傍に寄ってきて欲しいのに、あくまでも他人行儀な態度を崩そうとしない八戒にイラついている。自分のことは棚にあげて。
「ったく。暑っちい暑っちい」
 悟浄は自分の服の首もとを広げると手であおいだ。初心な癖に何かが濃密な、このふたりにあてられてしまいそうだった。
「え、悟浄、暑いの? 」
「朝晩は気温が下がる地域のはずだがな」
 三蔵がとぼけた口調で言い捨てる。気づかれたか、という目つきを一瞬したが、表情や口調になど出さない。澄ました顔で長い袖をからげ、余裕綽々、茶の入った湯のみを口元へ運んでいる。
「バッカでー、悟浄。だったらその革ジャン脱げばいいだろ」
 悟空が無邪気にも馬鹿にした口調で言った。その額で光る金鈷までもが、今は憎々しい。
「…………てめぇら」
 赤く長い、触覚に似たふた筋の前髪を震わせて、悟浄はうなった。埒もない会話が延々と交わされ、恒例の大ゲンカがはじまった。八戒はひとり、三蔵から与えられた哈密瓜(はみうり)を黙ってかじっていた。
「……甘いです」
 甘い。糖蜜のように甘かった。
「八戒」
 いつの間にか、傍に三蔵が来ていた。勝手に隣に座り込まれる。悟浄と悟空の大ゲンカに、すっかり気をとられていた八戒は、びっくりしたように目を丸くする。
「今夜も俺の部屋へ……来い」
 誰にも聞かれないように、耳元でそっと囁かれる。その声は、いつもの鬼畜な最高僧様の声とも思えない。別人のように甘く蕩けるような声色だった。
「三蔵」
 八戒は今度こそ目元を羞恥で赤くした。恥ずかしかった。
「……足りねぇ」
 昨夜、自分の全身を愛撫した唇を舌を寄せられ、また欲しがられる。まだ、朝になったばかりだというのに。昨日、あれほどしたというのに。いけないと思いながらも、三蔵の情欲に容易く感染してしまう。その紫色の瞳に見つめられると、身体の奥が蕩けて熱くなった。
「ったく」
 そのとき、誰かが舌打ちした。悟浄だった。そう、悟浄はぎゃあぎゃあ怒鳴る悟空に根負けして、そっぽを向いて2本目のハイライトに火をつけたところだったのだ。
「本当にあっちい」
 気づかれていないとでも、思ってんの。アンタら。
 必要以上に親密そうな、親友と三蔵サマの様子を横目で眺め、また同じ言葉をこの苦労人は繰りかえした。

 





 「今夜、俺の部屋に来い(9)」に続く