今夜、俺の部屋に来い(12)

「なんで部屋に昨日は来なかった」
 朝食のための部屋に入ろうとして突然、三蔵に腕をつかまれた。すれ違いざまだ。
勢いで緑色の服の袖がめくれそうになる。
「三蔵」
 思わぬことに、八戒は言葉が詰まった。八戒の方を見もせずにいる三蔵の顔はひどく真剣で美しい。どこかに悩みや苦悩を抱えているようにさえ見える。そんな表情をすると、より秀麗な顔立ちが際立った。
「僕、食事をとりにいくところなんです」
 逃げ口上を、黒髪の従者は口にしていた。しかし、金の髪をした最高僧さまは納得しない。
「おい」
 つかんだ腕の力を強くした。離すつもりなど爪の先ほどもないようだ。金の髪が艶を放ってきらめいた。
「紗烙さんの好意でここに置いてもらっているのに、配膳くらい自分たちでやらないと礼儀知らずですよ」
 珍しいこともあるものだった。深い仲になってからというもの、照れてあまり三蔵の方を見ようともしない八戒が、正面から三蔵を見据えたのだ。深い湖水にも似た、緑の瞳には強い光があり、目にかかるくらいの長さの前髪は颯爽として凛々しい。
 こんな八戒を見るのは、三蔵は久しぶりだった。閨での八戒は腕の中で甘く糖蜜のように蕩けてばかりだったのだ。最近の八戒は、三蔵のを口で愛すのも覚えた。まだまだ不慣れだが、その暖かい舌を這わされるだけで三蔵はひどく幸福だった。それなのに。
「おい」
 三蔵は舌打ちした。八戒の目の色には、どこか思いつめたものがあったのだ。
「もう、僕とのことは忘れてください」
 決然とした意思のにじんだ口調だった。最高僧だろうと誰だろうと、有無を言わさぬ調子だった。
 しかも、そう告げると八戒は三蔵の手を振り払った。
「なんだ、てめぇ」
 とうとう、三蔵の堪忍袋の緒が切れた。ドスのきいた怒号が廊下に響く。低く低く残響が天井へ、床へと反射した。
「さん……! 」
 八戒は慌てた、いきなり、三蔵が八戒の手首をまたつかんだかと思うと、身体ごと壁へと押さえつけてきたのだ。
「全っ然、話が見えねぇ」
 低い声には獰猛な怒りがにじんでいる。まさか、この俺に飽きたんじゃねぇだろうな。そう言いそうな勢いだ。そのままの勢いで八戒の身体を壁へと縫いつけた。自分と壁の間に八戒の身体を挟むようにして押さえつけ、逃がさないようにする。
「やめてください三蔵。ひとが来ます! 」
 そのまま、三蔵が端麗な唇を近づけてきた。もとより、三蔵は饒舌な方ではない。八戒が本当に心変わりしたのか、身体で知ろうとでもいうかのようだ。
「あ……」
 抵抗できなかった。意に反して、三蔵が施したのは、甘くついばむような優しいくちづけだった。どれほど愛しているのか、にじみでてくるような。とろけるようなキスだ。
「ふ……」
 上あごの内側の粘膜を、舌先で舐られる。歯列をなぞられ、そのまま震える舌を探し出され、吸われてしまう。
「ぐ……」
 角度を変えて、唇が重ね合わせられる。どちらのものとも知れぬ唾液が口端から伝い落ちる。舌を吸いあうことを求められて、八戒は目元を赤くした。性的な欲望を直撃されるような淫らなキスだ。
「ふ……ぅっ」
 ずいぶん、長い時間が立って、ようやく唇を解放された。がくがくと膝が震えて、立っていられない。ひどく官能的なくちづけだった。
「八戒」
 三蔵は腕で八戒を抱き寄せた。上背ばかりある華奢な痩躯が、されるがままに引き寄せられる。
「今夜、俺の部屋に来い。そのとき聞く」
 交わしたくちづけの感触で、嫌われたわけではなさそうだと判断した三蔵が、険しい表情をやや緩めた。
「さん……」
 八戒が何か言おうとする前に、三蔵は白い僧衣の裾をひるがえした。そのまま、朝食をとる部屋のドアを開ける。閉める直前、この美貌の僧は一瞬、振り返った。
「必ず、来い」
 暗紫の瞳に振り向きざま、そう告げられる。ドアが閉まった。


 





 「今夜、俺の部屋に来い(13)」に続く