廃墟薬局(5)

――――そのまま、八戒は気を失っていたらしい。

 そこは、見覚えのあるような場所だった。すえた臭い、鉄の棒の嵌った檻。
「どうかな。このシチュエーション気に入った? 」

 目を覚ますと、鉄の格子の向こうに、白衣の男が淫猥な笑みを浮かべていた。
「な……」
 頭が痛かった。ここは本当に廃ビルの中なのだろうか。薄汚い牢屋のようだ。
「なんだっけ。キミのお姉さん、ムカデの妖怪にヤられちゃったんだって? 」
 ニィは手元の数枚の紙を覗き込みながら言った。報告書だろうか、びっしりと字で埋め尽くされている。
「どう? この檻とか似てる? 苦労して再現してみたんだけど」
 八戒は、はっと目を見開いた。百眼魔王の城。花喃の閉じ込められていた場所。確かに似ている。
「お前は……」
 八戒は目の前の鉄格子をつかんだ。金属の感触が冷たい。
――――あの日、花喃を助けに来たときと同じ感触だ。自分は駆け寄って、こんな檻越しに花喃へ手を伸ばしたのだ。そして
「お姉さんを助けるために千人妖怪を殺したんだってね」
 ニィは興味深そうに読んでいたレポートから顔を上げた。
「それで、『生まれ変わった』 んでしょ? 人間から妖怪に」
 傍らのスチール製の机の上に、レポートを無造作に放り投げた。バサバサと白い紙が散らばる。
「もう1回、見たいなァそれ」
 無邪気さを装った口調でニィは言い、舌で唇を舐めた。
「な……」
 相手が何を言っているのか分からない。分かりたくもない。
 そのとき、背後の薄闇から何かの気配を感じた。生臭い吐息が背にかかる。べっとりと濡れた柔らかい、でも弾力のある生き物の気配がする。
「…………! 」
 振り向いて、八戒は絶句した。醜悪な生物がそこにはいた。
「ボクがキミに、お近づきのしるしにつくったオモチャなんだけど」
 生物工学の第一人者で、天才的な化学者であるニィは楽しそうに説明しだした。
「気にいってくれるかな。バイブレーターなんかよりずっとイイと思うよ」
 白い環形のいきもの。触手のあるウニのような形をしている。粘々した体液を表面にまとわせ、おぞましい何本もの触手を震わせて床を這っている。 とても大きい。おとなの男ひとり、その体内にとりこめてしまうような大きさだ。その体内でもおぞましい繊毛がざわめき揺れている。気色の悪いその身体は半透明で内臓もなにもかも透けている。この世のいきものとも思えない。
「とにかく、キミのデータ、とらせてもらうよ」
 この、ぞっとするいきものをつくったとうそぶく、目の前のマッドサイエンティストはうれしそうに笑った。
「だからボクの実験材料になってよ」
 ニィは微笑んだ。




 じょうだんじゃない。
何をされるかも分からなかったが、八戒は目の前の檻へ、鉄格子をつかんで揺すった。固い。急ごしらえとは思えぬつくりの牢だった。びくともしない。
「どうして僕を」
 八戒はニィを睨んだ。わけがわからなかった。
「だから、言ったじゃない。キミは貴重な実験の 「カタリスト」 だって」
 楽しげにニィは言った。
「僕に何をするつもりですか! 」
 背後から、おぞましい生物はずるずると生理的に嫌悪を催す音を立てて近づいてきた。檻が狭くて逃げ場がない。
「!」
 八戒の左脚に触手が絡み付いた。その黒くぴったりとした下衣、細い脚を覆う布をねばねばした液体で舐めるように濡らしていく。
「やめろ! やめ! 」
 本能的な恐怖があった。喰われる。いや、喰われるよりもおぞましいことをされる。そんな予感があった。八戒は手を振り上げた。気功を放とうと意識を集中しようとする。
「…………あ」
 無力感があった。
 まったく、気がたまってくる感覚がなかった。身体の芯が崩れて抜けているような感じで全く力がでない。
「いったじゃない。ココはもう、ボクの結界の中だって」
 ニィは楽しそうにうそぶくと、机の上からうさぎのぬいぐるみをとりあげて、抱きしめ頬を寄せた。
「気功なんか使えないよ。無駄だよ。さっきは油断したけどネ」
 死んだ蛇に似た目つきで八戒をじっと見つめる。実験用のモルモットを検分する目つきだ。
「くっ……」
 八戒はニィをよりいっそう凄まじい目つきで睨み返した。
「すっごい、いい顔するねェ、キミって」
 ニィはうっとりとした口調で言った。うさぎのぬいぐるみを抱えたまま、鉄の格子ごしに手を伸ばす。
「でも、いつまでもつかな、その顔」
 八戒の整ったあごへ、おとがいへ指を添えて、上へ向かせようとする。八戒がその指を噛み付こうとした、
 そのとき、
 後ろから名状しがたいおぞましい環形の細長い腕が2本、八戒をとらえて羽交い絞めにした。
「なにッ」
 八戒は思わず振り向こうとした。長めの前髪が揺れる。叫んだ。叫ばずにいられなかった。
 気がつけば、粘凋な体液で濡らされたズボンはふやけたようになって、脚からはがれ落ちている。
「な……」
 服が、布が溶けてゆく。白い肌がむき出しになってきた。ところどころ、服が溶けきれず、肌に絡み付いているのが倒錯的だ。
「やめろ! やめ」
 おぞましい生物は、八戒の白い肩布を溶かし、そして、緑色の中華風の服をその淫らな触手でからめとり、濡らしてゆく。
「お前の目的はなんだ! お前はどうして僕を!」
 目の前のアングラケミストは八戒の問いに沈黙したまま答えない。ただ、愉しそうに暗い微笑みを浮かべた。


 触手は何本も身体を這い回りはじめた。極上の獲物を撫で愛すかのごとく、その白い肌を味わっている。
「……ッ! 」
 八戒はおぞましさに眉をひそめた。吐き気がしそうだった。もう既に下半身の服は溶かされている。触手の、半透明の丸い筒のような中身の奥に収縮するオレンジや青い血管らしきものが透けて見える。グロテスクだ。
「やめろ! よせ!」
 大人の腕ほどの太さのある触手が、上半身を這い出した。もう白い肩布は溶かされて、残骸が牢の床に落ちているだけだ。いつもおなじみの緑色の首まである襟の立った禁欲的な服を触手は溶かし始めた。
「いやぁ、いい見世物だよねぇ。ここってば特等席じゃない? 」
 美しい揚羽蝶がカマキリに喰われてゆくのを観察するようなショーだ。ニィは椅子に腰かけ、机の上に置いてあったウィスキーを取り上げた。琥珀色の飲み物をグラスに注ぐ。
「じっくり見物させていただくよ。八戒ちゃん」
 ニィが顔の前までグラスを掲げる。祝杯の仕草だ。氷がグラスに当たる、澄んだ音が立った。
「う……」
 八戒は唇を噛み締めた。
「あ……」
 いやらしい蠢きで、触手は八戒の胸のあたりを這い回っている。じとじとした粘液が触手から滴り落ちる。もう、緑色の服は半ばまで溶かされ、ボロ布同然になっていた。
「ひ……」
 幅の広い黒いふちどりのされた、肌の露出を控えた禁欲的な上着。首上まできっちりと着こんでいたが、それがじわじわと溶かされている。かろうじて、左肩あたりに緑色の布が巻きつき、溶かしきれない裂かれた布がひじに絡み付いていた。
「やめ……」
 八戒は屈辱に震えた。おぞましかった。拷問に近かった。抵抗しようとすると、腕と脚にからみついた触手が、きつくしがみついて離れなかった。
「くッ」
 顔を赤らめた。触手の先端が、むき出しになった胸に這ってきた。つつましく外気に触れてとがったピンク色の乳首を、それは蕩かすようにちろちろと舐めた。
「う……」
 もう、服はほとんど身にまとっていない。左肩あたりに緑色の布が絡み、足首に茶色のズボンの残骸が張り付いているだけだ。扇情的な姿だった。
「あれぇ」
 この卑猥なショーを眺めつつ、ウィスキーに口をつけていたニィが目を細める。
「なに、それェ」
 咎める声を出す。脚を組みなおした。白衣の裾が乱れた。
「それ、誰がつけたの」
 八戒の右肩、むきだしになった白い肩のあたり、首筋近くに歯の跡があった。噛み跡だ。禁欲的な緑色のチャイナを脱がしてみれば、とんでもない淫蕩なしるしが身体に刻まれていた。
「隅に置けないねェ。誰がつけたの」
 ニィはねっとりとした口調で言った。もう、既に八戒はこの狂った男の愛玩動物、淫らなオモチャだった。
「……誰が……お前なん……かに」
 八戒の意識ははっきりしていた。苛烈な緑色の瞳で、狂った化学者を睨みつけ続けている。屈服などしない、毅然とした表情だ。
「男とヤってたんだ。そんな澄ました顔して男とヤりまくってたんだ。誰と? 」
 八戒の脳裏に金の髪をした最高僧が浮かんだ。先日の月の美しい夜、三蔵は自分を抱き寄せたのだ。
 自分の名前をあの肉厚で整った唇が聖なる呪文のように呟くのを、身体の下に敷きこまれながら、黙って聞いていた。あの権高な男が拝むようにして八戒のことをねだった。根負けして脚の力を抜くと、すごい力で押さえつけられ白い身体を開かされた。でも、いやじゃなかった。あの夜、三蔵はひどく優しかった。あの鬼畜坊主が宝物みたいに自分を抱きしめてきたのだ。
 しかし、それから、なんだか八戒は三蔵のことをまともに見れなくなった。意識しすぎて返事もできなくなってしまった。
「貴方みたいな変態に言う必要などないでしょう」
 八戒は気力で返事をした。下肢にぬめぬめした触手が這い回っている。太ももに絡み付く感触が卑猥だった。声が震えそうになるのを必死で我慢した。こんな、下卑た男などに三蔵のことを知られたくなかった。
「クッ……クックックッ」
 ニィは声を立てて笑った。その手にしたウィスキーのグラスが音を立てた。氷が涼しい音を立てて鳴った。
「わかったよ」
 ニィは口を歪めて言った。冷酷な声だった。
「お姉さんみたいに、孕むくらい犯してもらいなよ。コイツに」
 八戒の後ろから絡み付いてくる化け物が、ニィの言葉に応えるように、きつく締め付けてきた。
「…………! 」
 小づくりで肉の薄い尻を気色の悪い繊毛がはえた触手で撫で回される。尻肉の翳り、狭間をするりと環状の腕でこすりあげられた。
「ぐ……! 」
 身体を押さえつけられる。ぴちぴちと透明な触手が幾つも幾つも絡み、脚を腰を腕を首を固定された。そして、
「うッ」
 おぞましいことだった。じゅるじゅると先端から粘液を滴らせる触手が唇へ擦り寄ってくる。ぐいぐいと唇の間に男根に似たそれを押し付けてくるのだ。
「んッ」
 八戒は顔を背けようとして失敗した。首が固定されている。口を犯せないと知ると、触手は八戒の眼前で爆ぜた。白い粘液が顔にべっとりとつく。整った八戒の清廉な顔が白濁液で汚される光景はひどく卑猥だった。
「ああ……」
 屈辱に八戒はうなった。触手の体液は大量だった。両目にかかるほど長めの前髪も、濡れて白いねっとりとした雫を滴らせている。絡み付いたまま許そうとしないもう一本が胸のあたりを淫らに這った。ペニスに似た先端から小さい舌のようなものを出し、八戒の乳首を突いている。
「く……」
 どぷ、どぷ。おぞましい感覚が、下肢に走った。2、3本の触手は、まるでぶっかけるかのように、八戒の淡い翳りへその精液のような液体を先端から吐き出した。
「やめろ!」
 八戒の尻を汚し、それを卑猥な蠢きで塗りこめている。尻たぼの奥でひっそりと息づく、八戒の肉の環へ入念に塗りこめている。ときおり、いれてくれとでもいうかのように肉の環をつつく仕草がいやらしい。八戒は追い詰められていた。ばけものに犯されそうになっていた。







 「廃墟薬局(6)」に続く