廃墟薬局(4)

 悟空と悟浄は向かい合うように立っていた。今夜、宿泊する宿の前だ。
「いないよ。探しまわったけど、さんぞー以外の三蔵法師なんて」
 悟空が首を横にふる。宿の扉が開いて、宿泊客たちが何人も吸い込まれていくのを、その金色の瞳で見つめている。
「デマなんじゃねーの」
 悟浄も苛々した調子でタバコを吸っている。
「チッ」
 三蔵は舌打ちした。下僕どもの会話には交わらず、ひたすらタバコをさっきから吸っている。
「八戒、どーしたんだろ」
 悟空はずっと宿の方を見ている。悪くない雰囲気の宿だ。美味しい夕食も出してくれることだろう。
「そーいやアイツ遅いな」
 親友のことを心配する口調で悟浄が呟いた。
「もう日が暮れちゃうよ」
 悟空が口をとがらす。その背で黄色いマントが揺れる。地面に落ちている3つの影もどんどん長くなった。
「悟空、そーいや」
 悟浄が言った。
「お前、なんか昼メシんとき、言いかけてたよな」
 ハイライトの紫煙がたなびき、夕方の空気に散ってゆく。
「んー? 」
 額にはまっている金鈷が夕日を受けて光った。
「あれ何だっけ? 」
 くわえタバコで悟浄が眉をひそめる。艶のある紅い髪が風を受けてなびく。
「え? もー思い出せないよ」
 悟空が首を傾げた。その首を覆う、カーキ色のマフラーがかすかに音を立てる。
「ホラ、餃子が来るまえだよ。なんだっけ、影? とか言ってなかったっけ 」
 悟浄は思い出そうとしていた。
 そう、この目の前の斉天大聖は不思議なことを昼間言いかけたのだ。
「あっそうそう。そーなんだよ。この街さぁ。時々、影のないひとがいるじゃん。いや目ぇ細めたりしないと分かんないんだけど」
 悟空は無邪気に言った。単に不思議なことだと思っているようだ。
「影のないひと?」
 悟浄は目を丸くした。なんだかイヤな予感がした。
 影のないひと。
 その言葉には実に不気味な不協和音の響きがあった。平和な日常にひそむ怪異の音だ。
「ええッ、悟浄ッお前、気がついてなかったのかよ」
 悟空は目の前のケンカ友達を非難した。
「太陽の光、浴びてても影がちっとも床に落ちないひといるじゃん。この街、不思議だなってオレずっと思ってたんだけど」
 それを聞いた三蔵が悟空の方へぎょっとした表情で振り向いた。
「本当か。それは」
 金色に輝く髪に包まれた顔に緊張が走る。その顔は夕日が沈む前の一筋の金色の光を受けている。金色の髪とあいまって神々しい。
「ウソなんか言わねぇよ」
 悟空は頬をふくらませた。悟空の目は火眼金錆だ。妖力の高い特別な、神にも等しい特別な目だった。
「バカザル! そんな大事なことはもっと早く言え! 」
 三蔵が怒鳴った。
「しょーがねーだろ。言おうとしたけど、ちょうど餃子がきたんだから」
 悟空が怒鳴り返した。夕日は最後の鮮やかな光を山あいへと投げかけ、天空にかかる雲の間に鮮やかな紅い色を映している。
 そのとき、
 頭上から微かに音が降ってきた。
 皮膜のある羽の音、羽ばたきの音だ。
「ジープ? 」
 哀れな小さい龍の鳴く声がする。命からがらという風体だった。飛ぶというよりも落ちると評した方が適当な様子でジープは仲間たちの前に姿を現した。
「ジープ! 」
 悟空が金の目を見開く。
「どーしたそのケガ」
 ジープはガラスで身体中を切っていた。白い小龍は血まみれだった。ニィの結界は強くて、八戒が開けられた穴は小さかったのだ。無理に割れたガラスの穴を通って、身体中ずたずたに切っていた。
「ジープしっかりして! 」
「は、八戒は?! お前一緒だったろ?」
 ジープは何かを伝えたそうに、必死で鳴いている。
 三蔵は顔を強張らせてこの状況をじっと見ていた。背筋から不吉な予感がじわじわと這い登ってくる。
「て、敵?! 妖怪が出たの?」
 ジープは力なく首を横に振った。
「じゃあなんだよ! 何にヤられたんだよ! 」
 悟空が叫ぶ。自分の黄色いマントでジープを包んだ。
「……妖怪でも紅孩児でもなくて、相手は人間なんだな。違うか」
 三蔵が静かにジープに向かって言った。彼の頭の中では、行方不明だったパズルのピースが見つかったに違いない。
「きゅ……」
 ジープは三蔵の言葉に、声もなく肯いた。
「天地開元経文を持った三蔵法師か。笑わせやがる」
 三蔵が声も立てずに、口はしをつりあげるようにして笑った。それは不敵な笑みだった。
「なんなんだよ。いったい何が起きてんだよ! 」
 悟空が叫ぶ。必死の形相だ。
「……敵は最初から、俺たちをバラバラにすることが目的だったんだ」
 三蔵の手にしていたタバコの火は、既に消えていた。
「へ? 」
 悟空は目を丸くした。
「まぁ、ヤツの誤算はジープだな」
 ジープ。小さい心優しい白竜。
 そう、少なくとも八戒だけはひとりではなかった。そこは敵にとって想定外だったろう。
 敵は、三蔵一行をバラバラにするために、地図を 『4枚』 わざわざ配った。もし、あれが1枚だけだったら、三蔵たちはどうしていただろう。

 絶対に単独行動などしなかっただろう。
 
 そして、あの地図を渡したのは。

「あの飯店に戻るぞ。あのデブを締め上げる。早くしろ」
 三蔵は愛用の銃、S&Wを取り出すと、その撃鉄を起こした。攻撃的な金属音が夕暮れ時に響いた。戦闘開始だ。アドレナリンが身体中を駆け巡る。
「ジープは……」
「あ、悟空。お前、ジープといろよ」
「ま、ケガしてるしな、しばらく様子見てろ。無理すんじゃねぇ」
「分かった。俺、ジープといる」
 悟空は真剣な表情で肯いた。しかし、ジープは隣で首を横に必死で振っている。ケガなんかたいしたことない大丈夫だと言いたいのだろう。確かに見た目よりは傷は浅かった。
「失敗すんじゃねーぞ。ちゃんと八戒見つけろよ。俺やジープがいないからって負けんじゃねーぞ! 」
 悟空は大声で言った。まるで、ふたりへ喝を入れるようだ。
「オメーの出る幕なんざねーよ。サル。この悟浄サマがいれば楽勝よ」
「うっせぇエロ河童! 悟浄だから心配なんだよ! 」
「なんだとこのサル! 」
「ジープが大丈夫そうだったら、すぐに行くかんな! オレ! 」
 賑やかな周囲を他所に、三蔵の表情は険しかった。
 三蔵は奥歯を噛み締めた。ギリギリと歯噛みした。悔しかった。
普通の状態なら、三蔵も八戒も危険な単独行動をお互いにしようとは思っていなかっただろう。
しかし、三蔵と八戒は最近、ぎくしゃくしていた。しっくりしていなかった。そこにもつけこまれたのだ。そんなわずかな心の隙に。
 どうしても、あの黒髪の男の本心を密かに聞きたかった。そんな柔らかい心の隙を狙われたのだった。

 いつの間にか、日はすっかりと落ちていた。冷たい夜風へと変わった外の風が三蔵の身体を冷やそうとしたが、その身体は冷めるどころか、だんだんと芯から熱を帯びてきた。

 天地開元経文を持つ三蔵法師、影のない式神、わざわざ4名分配られた謎めいた地図。

 最初から仕組まれていたのだ。
 誰かに、
 なにもかも。

 全てが暗闇へと反転した。







 中華風の椅子が音を立てて空を飛んだ。
 立派な木の椅子だ。それが店内を飛び、店先を転がって表通りへぶつかった。背板が外れていやな音を立て、地面へ無残に倒れた。
「誰に頼まれてやった。早く言え」
「ひいいいいい」
「オレ脚長くってさぁ、ごめんね。黙ってるとテーブルとかも外へ蹴り出しちゃうけど、いい? 」
 派手な三蔵と悟浄の大立ち回りに、店を遠巻きにして、外には人だかりができている。あまりにも危険なふたり組に恨まれたら大変とばかり、警察を呼ぼうというものもいない。
 三蔵は銀色の小銃を掲げて腕を伸ばし、店主にねらいをつけた。
「早く言え、誰に頼まれた。30秒だけ待ってや」 
 言葉を言い終える前にすかさず、
 もの凄い至近距離から撃ち込んだ。鉛の玉は、店主の右の耳たぶをかすめて飛んだ。耳が千切れる。
「ぐあああああああああ! 」
「チッ」
 外して、不満そうな顔を最高僧はしている。鬼畜の所業だ。本当はどさくさ紛れに殺したいのが透けてみえる。
「三ちゃん、ぜんぜん30秒経ってねーぜ」
「うるせぇ」
 悪魔のような二人組だった。話している会話も非情で人間とも思えない。
「ま、待ってくれ」
 店主が震える手を上げた。片手で血の吹き出ている耳を押さえている。店のテーブルとテーブルの間に小太りの身体をかがませ、息も絶え絶えになりながら、震える声で必死で目の前の拷問吏へ叫んだ。恐慌状態だった。
「せ、先生に頼まれたんだ」
「先生? 」
「あ、あんたたちに、『天地開元経文を持った三蔵法師』 が来たって言えと」
 三蔵は店主の傍にかがみこんだ。剣呑な金色の肉食獣のような表情で問う。
「先生ってのは誰だ」
 店主の髪をわしづかみにした。引きずりまわしかねない勢いだ。じっとりと店主は額に汗をかいた。
「早く言え。言わねぇと反対側の耳も吹き飛ばしてやる」
 微かにアンモニアの臭いがした。座り込んだ店主のズボンは黒く濡れて、床に血のまじった水溜りができていた。




「先生は……薬屋だ。最近、この街に来たんだ。ものすごく良く効く薬を処方してくれるんだ。神様みたいなひとなんだ」
「そいつはどこにいる」
 つきつけた銃口のふちが無慈悲な光を放つ。
「街の北側、廃ビルの6階にいる」
「……俺たちに地図を渡したが、それもその 『先生』 とやらの指示か」
「そ、そうだ。特に 『モノクルを嵌めた男には特別な地図を渡せ』 と言われてて」
 話しているうちに、余計なことを言い過ぎたと気がついたらしい。店主ははっと目を見開いた。
 たちまち、金の髪をした危険な坊主の表情がより険しくなった。店主は慌てた。
「し、しかたなかったんだ。ウチの息子が難しい病気なんだ。先生が治る薬をくれると約束してくれて」
 三蔵は無言で銃を振りあげると、銃底で店主の頭を殴りつけた。骨が打たれる鈍い音がした。相手は前のめりになって床へのびた。気を失った。
「『モノクルを嵌めた男には特別な地図を渡せ』 ……八戒の地図は俺たちのとは違っていたらしいな」
「それって要するに」
 悟浄が眉をひそめた。
「最初から、八戒だけが狙われてたってこと? 」
 嫌な予感がした。
「追うぞ! 北の廃ビルだ? それはどこにある言え! 」
 三蔵が怒鳴った。それに被せるように呆れ声で悟浄が言う。
「もう気ィ失ってるぜ、殴るから。三ちゃんがやったんだろ」
 夜はひたすらに暗かった。そして次第に残酷で悪意たっぷりな、その正体を明らかにしようとしていた。







 「廃墟薬局(5)」に続く