闇夜の月(3)

「三蔵、三蔵。本買えましたよ」
 八戒は薄暗い本屋の店内から、明るい路上へ出ると、三蔵の名を呼んだ。ひとごみがすごかった。大勢のひとびとが、右に左に歩いている。目がまわりそうだ。
「三蔵、どこですか? 」
 とはいえ、三蔵のような、目立つ人間を見つけるのは、苦労しなかった。
 隣の店先に、金色にきらめく法衣姿があった。
「おまたせしました。三蔵」
「八戒」
 紙や鉛筆、筆や硯が並んでいる。そこへ墨(すみ)の清々しい匂いがただよう。
「お前のシステム手帳、もう紙がないだろ」
 文房具屋の棚のひとつに、三蔵が視線を向けている。手帳を売っている一区画だった。
「……気づいてたんですか」
 八戒は驚いたように、目を丸くした。いつも他人に感心がないような、冷たい印象の三蔵が、八戒の手帳など気にしている。珍しいこともあるものだった。
「これか」
 棚のはじにある、白い紙の束を、三蔵が取りだした。棚は上の方だった。その手首あたりで、長い法衣の袖が揺れた。
「あ、ほんとだ。この手帳用ですねそのリフィル」
 八戒が驚いた声をだした。思わず、口元を片手で押さえた。
「買ってやる。ないと困るんだろうが」
 三蔵が、手帳の替えの紙――――リフィルを、ちょうど、通りかかった店員へ渡した。
「このカードで頼む」
「はい」
 そんな、やりとりを傍で眺めながら、八戒は驚いていた。
「ありがとうございます。三蔵」
 自分でも、手帳の白紙がなくなってきていることに、気がついてなどいなかった。
「フン」
 しかも、どうして、八戒が愛用している手帳の種類や、リフィルまで、三蔵は知っているのだろう。
「……いったい、その手帳。いつも何を書いてるんだ」
 さりげない口調だった。さりげないくせに……ものすごく、気になっているときの声だ。
「み、見ちゃだめですよ。三蔵には関係ありませんから! 」
 あわてたように八戒が三蔵の言葉をさえぎるように叫んだ。嘘だった。自分の正直な気持ちを吐露した告白じみた記録など、三蔵に見せられなかったのだ。この美しいひとに対する好意を、うっかりと長々と書きつらねていた。
 八戒の返事を聞いて、一瞬、三蔵は切ないような表情を浮かべたが、あわてたように、唇をひきしめ、口端をいつものように、皮肉そうにつりあげた。
「俺には、関係ねぇんだな。そうか」
「う……」
 紫色の瞳に見つめられると、嘘がつけなくなった。
「それなら、今度、見せろ」
 最高僧に居丈高に命令されて、八戒はうろたえた。大好きな三蔵にいくら命令されようと、こんなものは見せるわけにいかなかった。毎日、毎日、三蔵のことを書いていた。
「だめです」
 そう、黒い手帳は、三蔵のことだらけだった。大切な秘密だ。三蔵が好きなもの、何に喜んでいたか。読んでいた新聞の記事、好きな日本茶の種類、好きな甘いものやお菓子、自分にかけてくれた言葉とかを、八戒は手帳にこっそり書きこんでいたのだ。
「なんでだめだ」
 けげんそうな、三蔵の瞳に見つめられて、八戒は少し赤くなった。









 「闇夜の月(4)」に続く