気持ちのいい天気だった。石畳でできた商店街の道を三蔵と八戒は連れだって歩いた。日差しがまぶしく暖かい。
夜と違って瓦屋根が白く輝き明るい印象だった。壁は白木や漆喰仕立てが多く、やはりどこか優美な街だ。相当、暮らしむきが豊かなのだろう。
「きれいな街ですよねぇ」
八戒は額へ片手をかかげ街を眺めている。
「フン。住んでる連中はどうだかな」
三蔵の口調は辛らつだ。
そんな白い街に、神々しいまでに白い法衣を着て金の髪をした三蔵が、八戒を連れて歩く。
絶世と言ってもいいような美貌の持ち主だ。道ゆくひとが思わず振りむいて噂している。年頃の娘たちなど最高僧さまに見とれるあまり長身の従者に思わず、ぶつかりそうになって幾人もあわてていた。
「だいじょうぶでしたか」
八戒はそのたびに優しげな顔へ思わず苦笑いを浮かべた。
しかし、いつものことなので三蔵はそんなことは気にしていない。娘たちのことなど全く関心がないらしい。いっさい見もしない。頭から無視しているようだ。
「あんなに食いやがって。サルが」
世にもまれな、こんなに麗しい男がこんなに口が悪いと知ったら、すれ違うお嬢さんたちはさぞかし驚くことだろう。しかも、やたら男っぽいしぐさでタバコを懐から出すと口にくわえた。
「また、三仏神がうるせぇな」
ぼそっと三蔵が呟く。悟空の食事代は、三蔵のカードで支払う。あまりにも高額だと後々でいろいろ言われることだろう。
「そうですよね。悟空があんなになるくらい食べたんですから、すごい量だったんでしょうね」
八戒は想像すると一瞬、真顔になった。脳裏に、すさまじい勢いで肉まんやら餃子やらチャーハンやらが、テーブルに山を築く光景が浮かんだ。恐ろしい。気をとりなおすように深呼吸すると三蔵に向かって困ったように笑った。
「あはははは」
「ったく」
三蔵は呆れたように言うと口からタバコの煙を吐き出した。白くたなびき外気に散ってゆく。マルボロの匂いが切れ切れに香る。
「それにしてもアイツの薬だの包帯だのよくあったな」
三蔵はジープの荷物を思い浮かべていた。もう、生活必需品や医薬品の類は底をついていたはずだった。
「言ったじゃないですか。親切な方が昨日、街でくれたんですって」
「着いたばかりのこの街でか」
「そうです」
八戒が思いだしたように口元をゆるませた。
「『 仲間がケガをしたんです』 って、僕が困ってたら包帯をくれたんです」
本当に親切な少年だった。
「…………フン」
三蔵の紫色の瞳がうろんげに細くなった。何かを警戒しているときの目だ。
「それにしても、三蔵とふたりだけで市場で買い物なんて、あはは」
珍しいこともあるものだった。基本、三蔵は出不精だ。買い物なんていう細かいことをしに行くよりも、宿の一室で茶をすすり、新聞でも読むのを好んでいる。
それなのに今日に限って、八戒と買い物に行くという。
「何、笑ってやがる」
「いやぁ。なんだか」
横目で神々しいまでに麗しい三蔵法師さまを眺めながら八戒は口元を緩ませた。
「俺とじゃ、いやなのかてめぇ」
「いやぁ珍しいと思って」
三蔵は八戒へ憎まれ口を叩きながら黒髪の好青年を、じっと見つめた、街の人々から隠すように八戒の隣にさりげなく立つ。なるべく、人々の視線からさえぎるようにして歩こうとしている。
「てめぇをひとりにすんのは気が気じゃねぇ」
思わずという口調で三蔵が呟いた。
「え、何か言いましたか三蔵」
「いや、なんでもない」
三蔵は口をつぐんだ。基本的に三蔵は悟浄のように多弁ではない。無口だ。
いつのまにか市場の入り口についた。いかにも中華風の極彩色の門だ。柱へ龍が螺旋をつくってからみつき、アーチ型の門に 「南大門」 と金色に浮き彫りにされている。
「うわ、すごいですね」
「フン」
三蔵はやや下がり気味の目でその門をにらんだ。大きな街だ。その分、危険も多いだろう。昨日、襲ってきた妖怪たちはジープでまいたつもりだったが油断はできなかった。懐に忍ばせた小銃にそっと法衣の上から触れている。
しかし、三蔵の心配をよそに実に華やかな街だった。
門をくぐると、とたんにひとの群れでいっぱいだ。物売りのにぎやかな声に行く手をはばまれる。大きな構えの茶商や塩商人の問屋が軒を並べその前にこまごまとした行商やら露天やらがところ狭しと店を出していた。
「すごいですね。毎日こうなんでしょうか」
「さあな」
いろとりどりの品物が並ぶ。乾物を売るもの、髪飾りの店、あめ売りなどの行商が、むしろを広げていた。
「安いよ」
「おひとついかが」
端切れでつくった袋や小間物が笹の枝に結ばれ、ひとごみの中でゆれている。
「御用の方はおらぬかな。御用は」
油売りの朗々とした声が響きわたる。雑多で猥雑な勢いに市場はあふれていた。
「今日は干し肉が安いよ! 羊肉は温まるし、馬肉は干しても柔らか。うまいよなんでもあるよ! 」
あめ色になった干肉が肉屋の店先からぶら下がり、食欲をそそる匂いをただよわせている。
それらに混じって、八戒にもよく覚えのある匂いが路地から路地をくぐるようにしてただよってきた。ふかしたての肉まんのにおいだ。
「ひとつどうだい。そこのお兄さん。ウチのを食ったらほっぺたが落ちるよ! 」
蒸すためのセイロをいくつも積みあげた、屋台が街角に幾つもある。八戒は眉根を下げた。悟空がいたらさぞ喜ぶことだろう。
「なんでもありますね」
三蔵と会話しながら手元の手帳を取りだした。この大きな街を過ぎると、しばらくはなにもないようだった。野宿も続くだろうしたくさん買いこんでおかないといけないだろう。
手帳を開いて、ふと横へ視線を向けると幾つも紙の束や本が並べられていた。
さわがしい市場だがその店だけどこか静謐な雰囲気だ。うっそうとした店内には本棚が幾つも立ち並び、本の柱がしこかしこに積みあがっている。
「うわ珍しい。本屋まであるんですか。この街」
八戒は驚いた。
本屋独特の紙の乾いた匂いが、ぷん、と香った。虫よけのラベンダーの香りや樟脳の匂いが混ざりあって店内にただよう。
薄暗い店内にふらふらと入りそうになった。ここしばらく本屋なんて入ったことがない。
しかし、手帳の買い物リストには当然、本などとは書かれていない。絶対に生活必需品を買わなくてはならないのだ。
八戒を誘惑するかのごとく、店先のカゴにも面白そうなペーパーブックがいっぱいに並べられている。装丁もいろどりどりできれいだ。思わずのぞきこんでしまう。
「なんだ、それ欲しいのか」
ふいに、三蔵に話しかけられて八戒は身をすくませた。
「いえ、ちょっと」
不自然な口調で八戒は決まり悪げに、はにかんだ。そんなのを見ている場合じゃないだろうと怒鳴られるに違いない。
しかし、
「ほら」
意外なこともあるものだった。八戒が読みたそうに見ていた本のひとつを三蔵が差しだしたのだ。縦長の本できれいな色の西域らしい唐草や鳥の模様が表紙を飾っている。
「ほ、本とかは、荷物になっちゃいますし」
八戒は思わず、手帳を持ったまま、両手をあげた。降参、のポーズだ。黒いふちどりのある袖が、ひじでゆれている。
「俺も読む」
三蔵が横を向いて言った。表情はよく見えない。
「ほんとにいいんですか? 」
ぱぁっ、と八戒の顔が明るくなる。このところ通る街はどれも小さくて、食料やせいぜいタバコや酒などを売る店があるだけだった。こんなきちんとした本を売る店には、最近お目にかかっていなかったのだ。
「そうですねぇ」
あごへ左手を添え少し考えると、言った。
「じゃあ、この本とかどうですか」
八戒はうれしそうに1冊の本を棚から抜くと三蔵へ微笑みかけた。
「西域の風物誌だ……? 装丁が観光案内っぽいな」
最高僧さまは差しだされた本のページをパラパラとめくった。奥付や出版社を確認している。
「じゃあ、こちらは」
もうひとつ、やはり西域の風俗についてまとめたらしい本を八戒は取りだした。牛に似た動物ヤクの紹介や高山病について詳しく書かれている。
「いいんじゃねぇか。俺も読んでみたいしな」
「あはは、これなんか三蔵、好きそうですよね。こういう時事系とか」
「まぁな。いっしょに読むか」
八戒は取りだした本の帯がはずれそうなのを見てそっとかけなおした。
「こっちも買うんだろ」
三蔵が八戒が選んだもう1冊を渡そうと差しだした。
その瞬間、
三蔵の指と八戒の指が一瞬、触れた。
「あっ三蔵すいません」
思わず、ふたりで本をとりおとした。お互いに手を出すのを遠慮したような状況だった。平積みの棚の上に裏表紙を見せて本が落ちる。
「いや」
三蔵はなぜかバツの悪そうな顔だ。いつもの傲岸不遜な最高僧さまとも思えぬような表情だった。八戒に触れた、指をそっと白い法衣の袖のすそで隠している。
「それじゃ、僕、この本、買ってきますね」
八戒もなぜか目元を赤くしながら頭をかいてその長身を屈めた。胸の鼓動が早くなった気がしたが、どうしてなのかはさっぱりわからなかった。
「ほら」
三蔵がいつものカードを懐から出した。
「すいません」
黒いカードを受けとると八戒は背を向けた。白い肩布のかかったぴんと伸びた男性的な、すらりとした姿勢のいい背中。肩甲骨のつくる影すらもが色気があった。そのままレジのある店の奥へと歩いていく。
三蔵はそんな背中を見送ると気づかれないように法衣から手をだした。黒い布地に包まれた手の甲から続く、しなやかな長い指。八戒と触れた場所へ唇を、そっと寄せた。
「闇夜の月(3)」に続く