闇夜の月(12)

 確かにそれは三蔵だった。
「うわああ」
「ぐわああ」
 血の匂いが路地に満ちた。
「あ、ああ」
 少年がその場にへたり込んだ。背後で妖怪の男が倒れる。額の真ん中を打ち抜かれていた。正確無比な腕だ。石畳へナイフが落ち、跳ねかえる。乾いた音が路地裏に反響した。
「う、うわああ」
 ひび割れた石畳の上へみるみるうちに血だまりが幾つもできていた。生臭い鉄の匂い。血の匂いで空気がいっぱいになる。5、6人の妖怪が無残なむくろをさらして路上に倒れる。額や心臓を撃たれていた。即死だ。
「ズボンを脱げだ? 犯してやるだ? ああ!? 」
 三蔵の顔から血の気が引いている。怒ると青くなるタイプだ。
「本当にふざけてんじゃねぇぞ。変態ムシケラが。ブッ殺す」
「ひいい」
 まだ何人か生きていた。三蔵の小銃はリボルバーだ。充填が間に合わなかったのだ。空になった薬莢が銃身から外れて落ち、澄んだ金属音を立てて石畳の上へと次々に転がる。
 死者にたむける小さな鐘の音のようだ。
 白い法衣の下で革製のブーツが石畳を踏む。死神のブーツ。死者どもの血を革クリームがわりにして光を放っている。靴裏で砂を踏む鈍い不吉な摩擦音が立った。
 金の髪をした華麗な死神はゆっくりと近づいてきた。新たに装弾しようと法衣の懐から弾を幾つも取りだしている。その美貌には一切の慈悲もない。寒気のするほど整った面はただひたすらに冷たかった。
「来るなァ」
 生き残りたちはほとんど腰が抜けている。そのくせ、いつの間にか座りこんでいる少年の方へにじり寄るようにして近づいてきた。
「あぶない! 」
 八戒が妖怪たちの意図に気がついた。人質にとる気なのだ。身をひるがえして少年へ駆け寄る。両腕で守ろうと腕を伸ばした。
「ガ、ガキとこの男を殺すぞ、これ以上近寄っ」
 最後まで言えなかった。
 リボルバーへの充填が間に合った。弾は再びリロードされ、手にした小銃が不吉な金属音を立てる。死者の聴く音だ。
 妖怪が少年の首へナイフをあてた瞬間。
 S&Wから火花が散った。速射だ。構えるのと撃つのが同時だった。
「ひいい!!」
 ナイフを持つ指に当たった。白刃がひらめき、そのまま石畳に落ちた。硬いものが石と当たる音。妖怪の指がはじけ飛んだ。
「ぐがっ! 」
 銃声が路地のよどんだ空気を切り裂く。立て続けに撃ちこまれて、妖怪どもは悶絶して絶命した。
「あ……」
 八戒は目を丸くしていた。あまりにも緊迫した状況だった。気功を撃つのではなくて、つい素手が出てしまっていた。気がつけば守るように少年の体を抱きかかえていた。
「ごめんね……ごめんねお兄ちゃんごめんね」
 少年は生きていた。メガネの外れた顔は血でぬれている。無残だった。
「お兄ちゃんを連れてきたらお姉ちゃんを治してあげるっていわれて」
 腕の中で少年が涙を流している。
「しゃべらないで。骨が折れてます」
 八戒は白く発光する手の平をその小さな身体にあてた。
「かわいそうに」
 非道なやつらだった。こんな小さな子にも容赦がなかった。本当に殺す気だったのだ。八戒は厳しい表情で唇を噛み締めた。白く輝く気を少年の肌を通し、肉を通し、骨を通し、内蔵を通して治療する。
「ごめんね、お兄ちゃん」
 涙ぐんでいる。目が真っ赤だった。しゃくりあげながら切れ切れにしゃべった。
「いいんですよ」
 八戒は微笑みを思わず浮かべた。折れている肋骨をつなげば後はそんなにひどくなかった。
「さ、もういいですよ」
 抱えたまま少年の頭をやさしく撫でた。助かったというのに男の子は今頃になって、がくがくと震えている。相当、恐ろしかったのだろう。
「もう大丈夫です」
 八戒が優しくささやいたその時、
 ふいに背後から人の影が差した。三蔵だ。
「どうして三蔵。先に帰ったんじゃ」
 路地へ射しこむ光をまるで後光のごとく背負い、その華麗な姿を強調するかのように目の前に立っている。殺戮の天使のように。
「お前が小さなガキについて行ったと悟浄が言ったんでな」
 震えるくらい冷たい美貌からはその表情は読めない。
「そのガキに会うと妖怪どもが現れる。単なる偶然にしちゃできすぎだ」
 美しい死神にふさわしい冷酷な声だった。
「最初からおかしいだろうが」
 三蔵は小銃をしまうかわりに懐からタバコの箱を取りだした。
「夜中、ガキが街角に立ってるとかな。しかもご丁寧に包帯まで持っててそれをただでお前に渡すなんざ」
 ライターでタバコに火をつけそのまま口元へくわえている。
「しかもそのガキは 『お兄ちゃん』 と悟空のことをいった」
(「仲間のお兄ちゃん良くなった? 」)
 路地裏で再開したときの少年の心配そうな声を思いだした。言われたときにあまり違和感はなかった。なかったが。
「どうして悟空が 『お兄ちゃん』 だと知ってんだ。ソイツ」
「あ……」
 八戒が目をむいた。確かに八戒は 「仲間がケガをして」 と言ったのだ。「仲間」 と。
「『仲間』 ってのは、男だか女だかわからねぇよな普通。それなのにこのガキはためらいもなく 『お兄ちゃん』 といいやがった」
 三蔵は少年をにらんだ。その鋭い視線に、びくっと八戒の腕の中でふるえている。
「……手回しがよすぎる。俺たちを襲った連中とグルだと思えば全てのつじつまがあう」
 そこまで言って三蔵はタバコの煙を吸いこんだ。
「しかも、お前の言う 『親切な薬商人』 とやらは、最高僧であるこの俺の前で帽子を脱がない」
「あ……」
 八戒は思い出した。そう、あの男は三蔵を目にするとかえって帽子を目深く被りなおしたのだ。礼儀として高僧や目上の前では帽子は脱ぐのが普通だろう。
「おかしいだろうが」
 マルボロの香りが路地裏の血の匂いと混じりあう。硝煙と血とタバコが交じりあった殺伐とした香り。この物騒な香りは八戒の目の前にいる華麗な男によく似合った。金の前髪が額の聖なる印に散りかかって美しい。
「それにそのガキがすれっからしの孤児だったら、八戒、てめぇから包帯の金くらいとるのが普通だろうが」
 これには八戒は苦しそうに首を横に振った。こんな小さな子に罪などない。そう言いたげなそぶりだ。
「三蔵、かんべんしてください」
 口元に苦しげな微笑を浮かべた。三蔵には、この男には最初から分かっていたのだ。
――――なにもかも。
 八戒はしばらく男の子の頭を黙ってなでていた。指の長いきれいな手。白蝶貝にも似た美しい爪が指先で光る。
「立てそうですか」
 やさしく声をかけた。
「うん」
 もうどこも痛くないらしく目を白黒させている。
「お兄ちゃん魔法使いみたい」
「ははは」
 その無邪気な声に八戒は笑った。頬には男の子を守ろうとしたときのものだろう、小さなすり傷がついている。
「じゃ、貴方の家へ今度こそ連れていってください」
「え」
 男の子が顔をあげる。びっくりしているようだ。
「じゃーん」
 ひとさし指を立てて、秘密を告白するかのように声をひそめた。
「僕は本当に魔法使いなんですよ。貴方のお姉さんも治るかどうか、やってみましょう」
 ひとの良さそうないつもの表情を浮かべて目を細める。緑の袖口がそのひじで揺れた。








 「闇夜の月(13)」に続く