闇夜の月(10)

 市場までの道を悟浄や悟空を連れて歩く。

 相変わらず白い瓦が美しい街だ。屋根は連なる波のごとく陽の光を浴びて白く光っている。
「さてと。行きますか」
 八戒はいつものように目を細めた。
 朝日を浴びた四人分の影が路面の石や砂利でかすかに歪む。今度こそ三蔵一行全員でお買い物だ。
「僕、昨日、いつの間にか寝ちゃってました」
 八戒が困ったように頭を片手でかいた。長めの前髪がゆれ、額につけた渋い緑色のバンダナがのぞく。
「……そうみたいだな」
 三蔵がむっつりと不機嫌そうに返事する。白い法衣のすそをやや乱暴に払って歩いていた。
「あはは」
 八戒は気がついていない。あの後、三蔵はずいぶんと苦労して、寝ている八戒を空いているベッドまで運んだのだ。
「お前、最近べたべたしすぎだ。男同士なのに気色の悪い」
 三蔵がやはり口だけの冷たい言葉を投げつける。けん制しているつもりらしい。
「いいじゃありませんか」
 八戒といえば目じりを下げて、いつものひとのよさそうな笑顔を崩さない。
「ここまでいっしょだと家族みたいなものじゃないですか。三蔵」
「……まぁな」
 返事をしたら何か苦いものが胸中に広がった。理由はわからなかった。
「あーそこの世界つくってるおふたりサン」
 背後から面白くなさそうな声があがった。悟浄だ。
「俺ぇ、今日はこんなことしてるヒマないのよ」
 傷のある男前な顔立ち。困ったように片手で頭をかくと指の間から真紅の長い髪がさらさらと流れ落ちた。
「ずりーよ悟浄そんなこと言っていっつも買い物、手伝わないじゃんか」
 悟空が口をとがらせると、黄色いマントがその背でゆれた。その歩き方は本当に軽快で体重を感じさせない。やろうと思えば雲にすら乗れるのではないか、ひとにそう思わせる足どりで歩いている。
「だってよ。俺さぁ、今日は女のコと約束があるんだもーん。早く行かないと」
 昨日はナンパがうまくいったらしい。黒いズボン、革靴をはいた足は軽やかだ。やにさがる悟浄へ三蔵と八戒の集中砲火がそそいだ。
「黙れ河童」
 三蔵が冷たく吐きすてる。
「そうですよ」
 八戒がにらむ。モノクルが反射して白く光った。
「この先、街や店は少ないみたいなんですよ。ここで食料や生活必需品を買っておかないとこの先、野宿しても食べるものもありません」
 切実だった。ジープには悪いが、かなりな量を積まないとみんなで飢えることだろう。
「それに三蔵と八戒だけだと妖怪に襲われてキケンだしな」
 うんうん、と悟空が頭の後ろで両手を組んだままうなずいている。それを聞いた八戒がひきつった表情になった。
「……悟空」
 八戒の声が低くなる。はめているモノクルが白く光った。自分の強さを軽んじられた、いやそこまでではないが三蔵の護衛としての、お役目を疑われたようなものだ。
「そーかそーか。おふたりサン。アンタらデートだからって浮かれてるからねー」
「何を気色の悪いことを言ってやがる。殺すぞ河童」
 三蔵が殺気をこめた紫暗の視線を送る。金色の袈裟が光を反射してきらめく。
「えーアンタら自覚ないの? 俺がこんなに気をつかってふたりっきりにしてやって……」
 三蔵が目をつりあげた。ひたいに青筋が浮きだしている。
「この野郎。覚悟はできてんだろうな」
 ものすごい低音のドスの効いた声で三蔵が吐きすてたとき、
「あ、つきました! 市場に着きましたよ。さっさと必要なもの買っちゃいましょう」
 八戒がなんとか話題をそらそうと、派手な市場入り口の門を指さした。



 市場の中の食料品街。
 雑多な食料品の匂いと油や調味料のいりまじった香りが空気にただよっている。
 八戒が油問屋の前で店員に頼みこみ、大きな業務用サイズの油をいくつもだしてもらっていた。
「悟浄、油の缶です」
 20リットルはありそうだ。大きなひとかかえはある丸い缶で運ばれてきた。
「お、おう」
「固形燃料です。缶詰です」
 大袋の、20kg単位の袋が次々と悟浄へ渡される。
「うええええ」
 大方はビニール袋入りだがものによっては布袋だ。
「次々といきますよ」
 八戒が片手で手帳を持ち、目の高さ近くまでかざしながら言う。
「ちょっと待て」
 悟浄がその切れ長の瞳を見ひらいた。
「なんで俺ばっかり!」
 悲鳴をあげる。
「悟空はケガ人ですから」
 八戒が真顔で言った。なんだかんだいって、悟空には三蔵も八戒も甘いのだ。
「だいじょーぶだって。俺、全部もてるぜ」
 悟空がひょいひょいとその肩へいくつも大きな袋をかつぎあげた。ずっしりとした重量のあるそれらの荷物も悟空が扱うと軽そうにみえる。七つも八つもかつぐと悟浄へ勝ち誇ったように笑った。その腹や胸にはまだ包帯が巻かれているはずだがとにかくタフだ。
「買い物これで全部ですかね? 明日、出発できますかね? 」
 システム手帳に目を落とし、買い忘れがないかどうか確認している。
「おー。これ以上荷物積むとたぶんジープがつぶれるぜ」
 悟浄のカーキ色のバンダナに汗がにじむ。悟空ほどとはいわないが左右の手に幾つもビニール袋を持っている。かなりの重さなものばかりだ。
「固形燃料? 野宿すんならその辺の落ち葉とか木切れでよくねぇ? 」
 悟浄は両手のビニール袋を持ち直すようにつかみなおした。重い。歩くと左右でゆれてまた歩きにくい。
「雨続きだったりすると火なんかつきませんよ。悟浄、学習してませんね」
 大通りをとおって小さな路地にでた。小さな路地はすれ違うひともまばらだ。裏町にあたるのだろう。店といっても、質屋やら賭博の景品交換所やらどこか薄汚れた店が軒を並べている。
「遅い。早く行くぞ」
 三蔵は下僕3人に荷物をもたせて悠々としたものだ。タバコこそ吸っていないが、何もその腕に持っていない。白い法衣が風を受けて優雅にひるがえる。その白い背中を悟浄は恨めしそうな目つきでにらんだ。
「どーしてジープを連れてこなかったんだよ! 」
 八戒へ愚痴る。肩で息をしていた。暑いらしい。革のジャケットを着て息を荒げている。
「うーん。すごいひとごみですしねぇ。ジープに変身はできないでしょうし、竜のままだと食べ物をあつかうお店に入れるか心配でしたし」 
 悟空は大の男4、5人がかりでないともてない荷物を、ひょいひょいと軽い身のこなしで歩いていく。
「へへーん。お先っ」
 悟浄をおきざりにして、先頭を歩く三蔵へ近づいていった。
「あっ、てめ」
 切れ長の赤い目が、怒りにつりあがる。

 そんなたわいのない会話をしているところだった。

「お兄ちゃん! 」
 小さな狭い道の向こうから見覚えのある男の子が駆けてきた。
「あれ、またこんなとこで。偶然ですねぇ」
 八戒は目を細めて笑いかけた。しかし、相手の様子はおかしい。真っ青だった。
「どうしたんですか? 」
 思わず目を丸くして屈みこむ。男の子の血相が変わっていた。その小さな手をみると小刻みにふるえている。
「ぼ、僕のお姉ちゃんが」
 声の抑揚が暗い。着ている粗末な洗いざらしの生成りの服が細かくゆれた。
「貴方のお姉さんが? 」
「お姉ちゃんの具合が変なの」
(「あの子は孤児でしてね」)
 薬商人にささやかれた言葉が八戒の耳の奥でよみがえる。
(「家族はふたごの姉だけでして。子供ふたりで苦労しているんです」)
 この男の子には何もないのだ。お姉さんしかいないのだ。
「貴方の家はどちらですか」
 八戒は決然とした声音で男の子にきいた。
「そこの路地を曲がったとこなの」
「悟浄! 悪いんですけど三蔵と悟空に伝えてください。僕、ちょっと寄るところがあるんで先に帰ってて欲しいって」
 八戒は自分の右手をじっと見つめた。昔、悟空が心配したとおり生命線の短い手だ。ひとの命を奪うことも与えることもできる罪深い手だ。
「お、おう。気ぃつけろよ八戒」
 悟浄は親友のひどく真剣な表情を見つめながら言った。








 「闇夜の月(11)」に続く