煉獄の孔雀(3)

 八戒がどんな目にあったのか。
 三蔵には薄々分かっていた。おそらく始末を手伝った悟浄にも分かったに違いない。

 浴室に運び込んで、八戒の躰を横たえ、シャワーの湯をかけた。明るいところでつぶさに眺めるとひどいありさまだった。
 全身に殴られた跡があった。八戒の全身に青い内出血が散っていた。
「三ちゃん……これ……」
「黙ってやれ」
 こびりついていた白いものは、水分を含むとぬめって湯に溶けていった。男たちの放った大量の精液だった。
 脚を開かせると、その狭間の翳りにも、乾いてこびりついていた残査と血がひどく、何度も湯をかけて、石けんを泡立てて洗わねばならなかった。
 今は怯えたように竦んでいる八戒の性器は、先端が赤く粘膜が傷んでいるようだった。ひどい弄ばれ方をしたのに違いない。歯でも立てられて扱きあげられたのかもしれなかった。
 三蔵は段々と血の気が引いているのだか、逆に血が頭に上っているのだか分からなくなっていた。逆上しつつあった。八戒を清める手が思わず震えた。
 三蔵が愛した白い肌にはひどい陵辱の跡がまざまざとついていた。
 とりわけ衝撃的だったのは、嘲笑うような鬼畜どもの歯形をみつけたときだった。わざわざそれは、三蔵のくちづけの隣に点々とつけられていた。
 涙の跡の残る八戒の頬を三蔵は震える指でそっとなぞった。許せなかった。
「……オレがやろうか」
「うるせぇ、お前なんかに任しておけるか」
 脚を広げさせて、その後ろから汚れを掻き出す段になって、三蔵を労るように申し出た悟浄の言葉を言下に退けた。
 八戒をうつむけにさせる。上体を悟浄に支えさせた。尻を突き出させるような形にさせて、その後孔へと指を挿れた。
 第二関節まで埋め込んで、中で指を曲げるようにする。途端に、緩んだ下の口から、とろとろと白濁液が流れ落ちてきた。
「クソッ……」
 それは大量だった。八戒の粘膜は、赤く血のように充血していた。擦られすぎて、粘膜の細胞が大量に剥がれ落ちているに違いない。腫れているようだった。
 八戒はされるがままで、起きなかった。精も根も尽き果てているのだろう。

 殺してやる。

 こんなことしやがった連中全員。

 殺してやる。

「三ちゃん、三ちゃんってば」
 悟浄の声で三蔵は我に返った。
 最後に浴そうの湯に八戒を漬けて洗う作業が待っていた。汚れは、シャワーごときで綺麗になるような、生ぬるい汚れではなかった。



(以下旧約聖書、創世記19.4より抜粋)
――――彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。
「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへつれて来い。嬲りものにしてやるから。」
 ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、言った。
「どうか、皆さん。乱暴なことはしないでください。実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから」
 男たちは口々に言った。
「そこをどけ。」



 そして。
 何日かが過ぎても、八戒の精神は元にもどったとはいえなかった。
 三蔵一行は、同じ町、同じ宿で足止めをくっていた。運転手である八戒が弱っている今、どうしようもないことであった。
 幸いにして宿の主人は仏教の信仰が厚かった。三蔵のような高僧が長逗留ながとうりゅうするのは、光栄の至りだとばかりに、心よく受け入れてくれた。
 八戒の調子はなかなかよくはならなかった。
 躰の傷はともかく、精神は不安定で調子が悪かった。三蔵が西への旅を続けられないことを詫びるように八戒は何度も頭を下げた。
「すいません。三蔵」
 八戒は自責の念とともに絞り出すような声で言った。その端正な顔立ちが苦しげに歪む。
「僕が――――僕が」
「うるせぇ、悪いと思ってんなら早くメシでも食えるようになれ」
 八戒は、いまだにスープのような流動食しか受けつけなかった。固形物は全部吐いてしまった。
 いまだに何かの折りに、悪夢のような輪姦の情景が甦るらしく、その度に洗面所へ駆け込んでは吐いた。その細面の頬はそげ、やつれてきた。
 しかし整った顔立ちの八戒がそんなふうに弱ってくると、それはそれで凄艶な風情が漂った。
 凄惨な記憶に苦しむ八戒に三蔵は言った。
「ともかく今回のことは忘れろ。俺が駆けつけたとき、既にお前を襲った連中は死んでいた」
「死んで……?」
「ああ、畜生どもめが、仲間割れして殺し合いでもしたんだろ」
 これ以上、詳しいことは言いたくないとばかりに、三蔵は横を向いた。
 八戒をめぐって、男たちの間でどんなおぞましい争いが繰り広げられたのだか。三蔵は知りたくもなかった。
 しかし、想像はたやすかった。輪姦の順番争いでも起こしたのだろう。
「忘れろ。いいな。これは俺の命令だ。お前を犯した連中なんざ、死んで当然だ」
「でも……」
「命令だって言ったろうが。下僕の癖に口ごたえすんじゃねぇ」
 三蔵はそう言って、震える八戒の痩躯そうくをその腕の中できつく抱きしめた。そのまま、そっとくちづける。
 そんな毎日だった。



 しかし。
 日々が過ぎてゆくうちに、
 八戒はますます自分を責めるようになっていった。

 自分がいけなかったのではないか。
 自分に落ち度があったのではないか。
 あんなときに、街にひとりでいなければ。
 あのとき、ジープとはぐれなければ。
 いやもっと早くジープに助けを呼びに行かせれば。
 あのとき単独行動をとらなければ。
 どうして、もっと早くカフスを外さなかったのか。
 あのとき。

 繰り言のようにああすればよかった、こうすればよかったと自分を責めはじめた。
 それは、ひどい事故や事件にあった人が後日おこしがちな典型的な自罰的思考だった。
 八戒は宿の部屋でひとりふさぎ込むことが多くなった。



 そんなある日のことだった。
 長逗留となった三蔵の元へ宿の主人が挨拶に訪れた。
「すまんな」
 珍しく控えめな口振りで、三蔵は礼を言った。
「なんの、法師さまのような徳高き方のお世話ができるなど、このうえない幸せでございます」
 主人が床へひざまずき、這うように拝もうとするのを止めて三蔵は言った。
「いや、こちらこそ色々と感謝している」
 実際、夜悲鳴を上げて飛び起きたり、急に吐き気に見舞われて人事不省になったりしている八戒のために、宿の主人は宿泊する客の数を減らしたりして、人払いをかけてくれた。
 八戒の着替えにしても食事にしてもあらゆる便宜や無理を聞いてくれたのだ。
「もし、あつかましいお願いを聞き届けて下さるなら」
 おずおずと主人が口を開いた。
「なんだ」
「わたくしの亡くなった父に経を読んで頂けないでしょうか。もし三蔵様に回向して頂けたら、うちの父も果報者でございます」
「経を読むくらい、容易いこと。承知した」
 三蔵は裾を払い、主人に向かって肯いた。
 宿の主人は大喜びだ。恐縮しながら、自分の私室へと丁寧な物腰で三蔵を案内する。
「サル、ついてこい」
 肉まんをぱくついていた、悟空が目を白黒させる。
「うぐぅ? 」
「早くしろ」
 高僧である三蔵が経を読むには、少なくともひとりくらいは従者の体裁が必要だった。



 信仰厚い主人の仏間は、そのひとかたならぬ熱心さが佇まいからもうかがえた。
 入るなり、香の匂いが強く鼻についた。三蔵にとっては馴染み深い香りだ。部屋に仏具はひとそろいあり、朝夕の勤行のための香やろうそくが用意されている。
 驚くべきことには仏像までが、あれやこれやと数多く安置されていた。主人の厚い信仰のなせる技だろう。
「まるで、寺のようだな」
 三蔵が部屋を見渡しながら呟いた。壁際に並べられた仏たちは、手入れも掃除も行き届いていた。
「お恥ずかしい。自然に集まってしまいまして」
 主人が恐縮する。傍へ小女を手招いて呼ぶと、茶を持ってくるよういいつけた。
 仏像は、かねづくりのものもあれば、木に彫られたものもあり様々だった。さすがにそんなに大きなものはないが、裕福な商家でもないと手に入れられない品ばかりだ。

 普賢ふげん、千手、月光、弥勒みろく、釈迦、虚空蔵こくぞう、……。
 立ち並んだ仏像は訪れた三蔵と悟空を静かに見つめているようだ。
「あっ、さんぞ! さんぞ! 」
「やかましい。ちったぁ静かにできねぇのか」
 叱りつけながら、悟空の指さした方を見ると、そこには孔雀に乗った美しい仏の像があった。
 光り輝く光背は、全て孔雀の羽だ。羽根の一枚一枚が繊細な象嵌細工ぞうがんざいくでできている見事なものだった。仏像というよりも美術品に近い。
 穏やかな表情の優しい面は、優雅に微笑んでいるかのようだ。全体に繊細でうっとりするほど美麗な姿だった。仏なのに艶めかしくさえあった。
 その端麗な顔立ちは、確かに誰かを連想させた。
 三蔵の脳裏に黒髪の端正な男の顔が浮かんだ。相変わらず、彼は半病人のように部屋で寝たり起きたりしている。
「ね! 八戒そっくり! 」
 悟空の声に、三蔵は自分の胸中を見透かされたような気がして、胸をそっと押さえた。
 しかし、その反面ほっとしていた。何を見ても八戒のことを考えるように自分はなってしまったのではないかと、最近心ひそかに思いはじめていたのである。
 自分ばかりではなく、悟空までもが八戒に似ていると指摘したのは三蔵にとっては小さな救いだった。
「孔雀明王だ」
 三蔵が答えると、宿の主人が傍に寄ってきた。
「ああ、これは……私の父が好きで苦労して手にいれた仏さまですが」
「なんで孔雀に乗ってるの?」
 悟空が無邪気に聞いた。
「孔雀は三毒を喰らうと申します……ああ、申し訳ありません。三蔵様がいらっしゃるのに、私の説明などそれこそ釈迦に説法ですな」
「かまわん。続けてくれ」
「孔雀というのは、あのように美しい鳥ですが、気性も荒く、毒蛇を食べるのだそうです」
「ええ? 毒蛇? 毒蛇なんか喰って死なねぇの? 」
 悟空がびっくりしたような声を上げる。
「そうです。あのように美しく、しかも毒蛇を食べても決してその毒に汚されることのない。全てを浄化されるありがたい孔雀……これは孔雀明王さまなのです」
「明王ってのは普通は憤怒形だ。すげぇ怒った顔をしてるんだが、これは」
 三蔵が宿の主人の言葉に付け加えるように言った。
「さようでございます。孔雀明王さまだけは優しく美しいお姿でおられるのです」
「ふぅん。でもこんなに綺麗なのに、気性が荒くて、毒蛇なんか喰うのかー」
 悟空は不思議そうに目を丸くしている。三蔵もその隣で、やはり孔雀明王像をそっと眺めた。
 仏像にありがちな謎めいた中間表情だった。笑ってるようであり、そうでないようでもある。どちらつかずの蟲惑的な表情で、切れ長の整った目を伏せ、艶めかしく唇を半開きにしている。
 見れば見るほど、あの緑の瞳の男によく似ていた。
「つまんねぇこといつまでも言ってんじゃねぇ。サル。さっさと経を上げるぞ」
 三蔵は浮かんだ想念を振り払うかのようにわざと乱暴に言った。美しい孔雀。緑の華麗な羽、緑の服に緑の瞳。甘い唇。謎めいた優しい微笑み。
 何もかもが、あの男とよく似ていた。



 その日の午後。三蔵は経を唱え終わるとすぐに部屋へと戻った。忌まわしい事件のあと、三蔵は八戒を部屋から出そうとはしなかった。
 いまや習い性となった、八戒を見えない何者かから守るかのような仕草で、後ろ手に部屋のドアの鍵をかける。
そんな三蔵に向かって、八戒は出し抜けに言った。
「僕のことは置いていって下さい」
「あ? 」
 片眉をつりあげるようにして、三蔵は言葉を返した。
 何、寝ぼけたこといってやがる。その声はそう告げていた。
「僕は――――もう」
「バカなこと考えてんじゃねぇぞ」
 自分を置いて西への旅を続けろと言う八戒の言葉を三蔵は退けた。
「でも――――」
「うるせぇ。悪いと思ってんなら、もっとメシを食え。バカが」
 死ぬほど心配している癖に、三蔵の言葉は素直ではない。
「もう、僕なんてあなたの傍にいない方がいいんですよ」
 八戒は三蔵の視線から逃れるように横を向いて自嘲した。
「こんな――――」
 果てのない問答に、焦れた三蔵が逆上した。
「っせぇ……」
「え? 」
「うるせぇってんだよ。てめぇは。黙れ」
 三蔵はそのまま八戒の腕に手をかけた。そのまま、自分の躰へと引き寄せ抱きしめる。
 びくんと痩躯が、腕のなかで震えた。
「さん―――――」
 小刻みに震える、その細腰を抱く腕に力を込める。
 先ほど、仏間で見た華麗な孔雀明王が瞼に浮かんだ。あの端麗な仏に魂が入れば、この男のようだろうか。
「やらせろ」
 ほの白い耳に低く囁いた。
「! 」
「もう二週間はやってねぇ。限界なんだよ」
 鬼畜坊主は、八戒がどんな目にあったか百も承知している癖にむごい言葉を吐いた。



 「煉獄の孔雀(4)」に続く