月の刻印(2)

 翌日になれば、まるでそんな行為はなかったかのような顔で八戒はジープを運転した。三蔵ももちろん、夜のことは忘れ去ったかのような様子で振る舞い続けた。
 相変わらず騒ぐ後部座席のエロ河童と子猿に銃を乱射し、それを受けて八戒はハンドルを握りしめたまま、苦笑いし……少なくとも昼は何ごとも以前と変わらないかのようだった。
「次の町、早くつかねぇかな。ハラ減った!」
「そればっかかよ! サル! ホントにお前ってサルな!」
「うっせーよ。エロ河童!」
「サルサルサルサル!」
「エロエロエロエロ!」
「……うるせぇ! 少しは静かにできねぇのか。テメェら!」
 額に青筋を走らせた、三蔵が騒がしい下僕に銃を向ける。助手席から後ろに向かって身を乗り出し、照準を合わせる。
「う、うわわわッ! 勘弁して!」
「当たる! この距離は当たる!」
下僕ふたりが口々に喚く賑やかな車中の運転席で八戒は苦笑する。
「ははははは……できたら、お静かに願いますよ」
 ジープのハンドルを握り締めて、八戒は西へ西へと走らせる。
 疾駆するジープのエンジン音を聞いている間は、八戒も、三蔵も……以前と少しも変わりはない。昼の明るい日の光の下では。まるでふたりの間の官能は眠ってでもいるかのようだった。

 だけど
 夜になるとそれは――――

 その日は、割と遅く宿についた。早くしないと食事がなくなると宿の主人にいわれて焦りながら一行は部屋の予約をした。
「部屋をお願いしたいんですが」
 中華風とも西洋風ともつかぬ折衷様式のフロントで、八戒は柔和な口調で頼んでいた。
「はい、幾つご用意しましょ」
 八戒は一瞬口篭もった。
「……ふたつ。お願いします」
「ツインでよろしいんですよね」
「ええ」
 何気ないことを頼んでいるはずなのに、どこかに性的な香りが漏れてしまわぬかと、八戒は返答に気を使った。
 しかし、普通は想像もしないだろう。穏やかな好青年の八戒と美貌の最高僧がいつもツインルームの片方のベッドしか使わずに同衾している……なんてことは。
 意識しているのは自分だけだと知りつつ、八戒は宿の予約をすると、仲間へと振り返った。
「部屋がとれましたよ。おまけに急がないと食事が無くなるそうです。早く食堂に行きましょうか」
「マジ? 食べれねぇの? ひぇー急ごうよ! 死んじゃうよ!」
 悟空が哀れっぽい声を上げる。
「あーあーこの世の終わりみてぇな声だしてんじゃねぇよ。恥ずかしい」
 悟浄が茶々を入れる。
「じゃあ悟浄は食うなよ!」
 悟空が頬を膨らませて悪態をついた。
「……やかましい。ちったぁ静かにできねぇのか」
 ドスの効いた声で金髪の鬼畜坊主が叱りつけた。八戒はその賑やかさに思わず微笑む。
 しかし、途中で三蔵と目が合い、思わず微笑みを強張らせた。
(別に食事なんざ、どうでもいいんだがな)
 三蔵の目はそう言っているようであった。整った紫暗の瞳が八戒を一瞥する。
(俺が食いたいのは――――)
 いつも昼は抑えている、濃密な気配が三蔵から漂った気がして八戒は思わずその目元を染めた。
 三蔵の情欲は容易く八戒に感染した。躰に染み込まされてきた精液がまるで媚薬の作用でもするかのように、三蔵にそんな視線を送られると八戒の躰は自分の意志に反して疼いた。
「っ……」
 疼きだした甘い躰を抑えるのに、八戒は結構苦労した。八戒は自分の淫らな躰がひどく恥ずかしかった。ただ、それだけだった。



 夜。
 フロントでのぎこちなさを、なじられるようにして、八戒は三蔵に抱かれていた。
「俺と同じ部屋はいやか」
「そ……なこと」
「……フン」
 独占欲を滲ませた不満げな声音で最高僧は鼻を鳴らした。
「あ……」
 敏感な首筋から鎖骨にかけて、三蔵の舌が走る。薄い肌を桜色に色づかせてゆきながら、八戒はその身を震わせた。
「部屋なんか最初からふたつでいいに決まってんのに、口篭もりやがって。なんだ。ひとり部屋の方がいいってのか」
 三蔵が詰問する。部屋を頼んだときの、八戒の躊躇がひっかかっているらしい。
 この鬼畜最高僧にかかっては、八戒が「恥ずかしくて」ふたり部屋を頼むのを躊躇したなんて、通じないに違いない。自分と過ごす夜がいやになったのではないかとひたすら疑っている。
 同じ夜を一緒に過ごすようになって、秘め事を重ねることが常態になっても、いやそうなったからこそ。八戒の胸中にはときおりふいに繊細な羞恥の感情が去来した。
 しかし、そんなことを美麗な外見とは裏腹に、合理的で男性性の権化のようなこの男に説明したって無駄に決まっている。分かるはずがなかった。
「許さねぇ」
 三蔵は喉で唸った。
「ふぅ……ッ」
 その夜、いつもよりも三蔵の求めは性急だった。
「あ……」
 いつもは蕩けるように抱く三蔵だったが、今日は八戒の躰を無理やり引き寄せた。
「さんぞ……僕」
 腕の中で八戒が抗う。
「お風呂……お風呂に……」
「駄目だ」
 三蔵は無情にも言下に八戒の求めを退けた。八戒が食事をしながら宿の人間に確認したところによると、ここの宿の風呂は何故か大浴場がひとつだけなのだという。後は部屋に備え付けのシャワーだけだった。
 三蔵には風呂に入りたいなどと言うのは、逃げ口上に聞こえた。
「それとも、お前……こんな姿、他の男に見せてぇのか」
 三蔵が口元を歪める。八戒が三蔵の言わんとしていることに思い至り、恥ずかしさに目を逸らした。
 確かに、今の八戒には人目のある大浴場など入るのは難しいだろう。何故なら、八戒の躰は連日の行為によって情交の跡だらけだったのだ。
 首まできっちりとした詰襟の服なのをいいことに三蔵は八戒の首から脚の爪先まで、その躰に鬱血の跡を好き放題につけていた。
 八戒自身からは見えないが、肩先などには鬼畜坊主が愛咬した歯列の跡が濃く残り、どうにも艶めかしかった。背にも、小さな肉の薄い尻にもそれらの跡はくまなく残り、三蔵の情欲のままに所有の印がついている。
 誰だってそんな八戒の躰をみれば、どのような行為が行われたのか想像して赤面するに決まっている。一見ひどく禁欲的に見える八戒なのに、服を脱げばそんな情交の跡を無数につけていた。その落差はどうにも淫靡だった。
「や……です! 僕……今日一日運転して……あんな……砂埃の中……汚れて」
「うるせぇ」
 三蔵は八戒の言葉に取り合わなかった。ともかく八戒が欲しかった。実際に躰を繋げることはまだしてないが、忘我の淵で自分を呼ぶ甘い声を聞かないことには落ち着かなかった。
 抗おうとする八戒の腕を押さえながら三蔵は囁いた。
「……お前のイッた顔でも拝まないと落ち着かねぇ……俺の好きにさせろ」
「……ん!」
 情欲の濃く滲んだ三蔵の囁きに、八戒は身悶える。
「風呂に入りてぇなら、後で一緒に入ってやる……な」
「くぅ……ッ」
 三蔵はカフスの嵌まった耳元で囁きながら八戒の震える屹立に手を伸ばした。やや強く握り込む。八戒の背がしなって反った。
「さ、……ぞ!」
 敏感な八戒が内股を震わせる。甘い甘い声で三蔵を呼んだ。鈴口に似た、可憐に口を開けている先端を弄ぶように親指で扱いていると、先走りの透明な体液が滲み出してきた。
 とろとろとしたそれを指にとって先端に擦り付けるように円を描いて撫でまわすと、八戒の躰が跳ねる。
「あ! あっ!」
 その感じやすい躰に三蔵がたまらずくちづける。喘ぎも何もかも奪うように強引にその唇を奪った。啼くような声は、三蔵の口内へと吸い込まれてくぐもった。逃げるような舌を絡めとられて深く深く合わせさせられる。
「んぐ……」
 ぐちゅぐちゅと。
 下からも上からも淫らな音が立った。いつも隠している躰の奥底の官能を、呼び覚まされて八戒がその身を震わせる。
 とろりと舌と舌を絡めあわせて、お互いを弄っていると、頭のどこかが痺れて白く白くなってゆく気がする。三蔵の舌はいつまでも名残惜しげに八戒の唇の上を舐め、握り込んだ手は卑猥な蠢きで八戒を追い詰めた。
 指がいやらしく這うのに合わせて腰を揺らめかしてしまうのを止められなくて、八戒は身悶えた。行為を重ねれば重ねるほどに淫らになってゆくような自分の躰が疎ましかった。
 三蔵の唇は暫く啄ばむように八戒の口元に触れていたが、そのうち下へ下へと下がり、その胸元に屹立している尖りを溶かすように舐めだした。
「く……!」
 舌でつつくようにされたかとおもうと、舌先で舐め上げられる。淫蕩すぎるその愛撫に八戒は耐え切れずに躰を捻ろうとした。
 それを許さないとばかりに三蔵がその躰を押さえつけた。上半身には三蔵の舌が這い、下半身には三蔵の手によって手淫を受けている。
 八戒は喘いだ。悦がり狂いそうになった。雁首を丁寧に扱き上げられて、たまらず尻を揺らしてしまう。どこかもの欲しげなその所作に三蔵は口端に笑みを浮かべた。
「あ……!」
 ぶるぶると躰を震わせると八戒は快楽の最後の段階をのぼりはじめた。小刻みに躰を震わせる。ひくんひくんとわななく肢体に三蔵が宥めるようにくちづける。
「あ、出る……僕、でちゃ……あ! ああっ……!」
 甘い逐情の声を上げて、八戒は達した。三蔵の擦り上げる指の間から、白濁した粘性のある液体があふれてくる。勢いよく飛んだものは三蔵の躰にかかったが、あまり三蔵は気にしたようでもなかった。
 そんなことよりも鬼畜坊主の視線は、逐情して全身を突っ張らせて戦慄かせている八戒の表情に注がれていた。
 快楽が深いあまり焦点の合わないその緑の瞳。だらしなく蕩けた表情に半開きの唇。上気した頬にしっとりと汗ばんだ肌。額に張り付いた黒い前髪がしどけない。三蔵はその前髪をかきあげるようにするとその耳元で囁いた。
「イッたか」
「や……みな……で」
 見られてしまったと八戒が耳まで羞恥で染めた。逐情する様子を観察する悪い癖が三蔵にはあって、それはどんなに懇願しても止めてはもらえなかった。
 暫くその手を濡らす白い液体を眺めていた三蔵だったが、何を思ったか八戒の下肢にその顔を埋めた。
「や……だ! さんぞ!」
八戒は慌てた。
「……!」
 言葉にならぬ声を上げて暴れそうになった。三蔵の舌が、達したばかりで敏感になっているソレを舐め上げたのだ。三蔵の金糸の髪をつかんで引き剥がそうとするが上手くいかない。
「ひ!」
 逐情したばかりで過敏になってしまってるそこは、愛撫を加えられると快感というよりもくすぐったいような感覚を伝えてくる。とにかく飛び上がりたいような悶絶する感覚だ。
 同じ男だから、達したばかりの性器の感覚くらい、分からないでもないだろうに三蔵は悪戯にもイッたばかりのそこを執拗に弄んだ。ひどい感覚を味あわされて、八戒の全身から力が抜ける。
「ひど……い」
 瞳に涙を浮かべながら、八戒は恨み言を呟いた。
 艶めかしい八戒の姿を見ていて、つい苛めてみたくなった三蔵は、上手くその心の動きを伝えられずに口篭もった。
 性感に酔ったような八戒は綺麗だったが、眺めているうちに、自分がひとり置き去りにされたような不安感を三蔵は抱いたのだ。生理的な涙を頬に伝わせている八戒の耳元に優しく囁く。
「風呂に行くか、行きたがってたろ」
 八戒は三蔵に手をとられて、ベッドから身を起こした。



 「月の刻印(3)」に続く