ハルシネィション(22)

 宿直室の中で、ニィは机に向かっていた。
「この度一身上の都合により退職いたします……かァ」
ニィは椅子に座っていたが、肩でも凝ったのか、手を肩へ伸ばした。首が鳴った。
「どっかのキチガイ院長に、殺されちゃう前に逃げます、探さないで下さい……この方が真実なんだけどなァ」
とぼけた顔でぼやいている。憎しみや恨みに身を焼いていても、この男のこうした人を喰ったような性質は変わらないらしい。

「まぁ、でもその前に」
 ニィの眼鏡が蛍光灯の明かりを反射して鈍く光った。
地下の病棟の闇に微かに蠢く妖しい翳りのようなものが、その不吉な表情をひとなめし、そして消えた。
 
 リノリウムの廊下にひそかな足音が響いて反射する。それは四方へ散らばり、そして逃れようもなく白いコンクリートの壁へ跳ね返り、内へ内へとこもってゆく。自閉してゆく意識のごとく何もかもがこの病棟へ吸い込まれては消える。
 疑うべくもなく、ここは何かの墓場だ。何かとは何だろう人生かそれとも自意識か。十年一日のたとえの通り時間すらもが透明に凍結し、ひたすら虚しく通りすぎる。
 白衣のすそが白い壁にひるがえり、白いリノリウムの床へ静かな影を落とす。白痴にも似た、代わりばえのしないべっとりとした毎日。金の髪が揺れ、その華麗さまでもが不吉な死神が現れる。恐らく、この男は 「帰り」 なのだろう。そう、あの病室からの「帰り」だ。足どりは気だるげなくせに、ときめきがにじんでいる。闇路を通う鬼のごとく密かに逢引をすませて院長室へと帰るところだ。
 希望のないこの病棟で、この金の髪をした告死天使は、ひとりほっとしたような顔をしている。
 院長は、困った感情の沼にひそかに嵌っていたのだ。
 離れていると、気が気でないこのやっかいな感情になんと名前をつけたらよいだろう。相手のことが見たくて、確かめたくてしかたがなくなる。あの黒髪へ口づけ、あの白い手を手にとり、柔らかな唇を唇でふさぐ。もう一秒だって離れていたくない。燃えるような思いの丈を伝えようと腕の力を強くして抱きしめ、甘いつややかな唇から、降参する声と自分への服従を誓う言葉をなんとか引き出して、ようやく安心する。
  檻の中の囚われ人から誓いの言質をとって、院長先生は部屋へ引き上げる。しかし、それも1日くらいしか精神の安寧を保障しない。24時間経てば、もう心が騒ぎ落ち着かない。苦しい思いにのたうちまわるのだ。あの病室へ向かうときの院長先生の表情にはどこか焦りがある。端麗に整った美貌を苦しげに歪め、急ぎ足で虜囚のいる病室へと向かう。帰りはむしろ、帰ってしまうのがもったいないというような様子で顔つきも明るい。
 たった1日で天国と地獄を行き来しているのだ。
 そして、そんな思いをしているのが自分だけだと八戒を責め続けている。
 
 これではどちらが囚われているのかわからない。

 それは秘密の日課だ。院長先生のひそかな儀式だ。信仰のごとく祭壇へ生贄を捧げて祈る。どうか、あの黒髪の男がずっとそばにいてくれるようにと。どうかあの男の気持ちがずっと変わりませんようにとひそかに天へ地へ祈るのだ。

 しかし、そんなある日、

「学会へ行ってくる」
 どうした風の吹き回しか、院長先生はそんなことを言い出した。背後では窓越しに午後の陽光がきらめき、その肩先に伸びた金の髪を輝かせている。
「は……」
 赤毛の医者が三蔵の前でうなだれている。その革靴を履いた足元では緋色の絨毯が燃えるような色を放つ。飛び切り上等の絹で織られた最高級の品だ。花や鳥の意匠が華やかで極楽のようなのに、その不吉な色が地獄の業火を連想させる。
「なんだ」
 院長は鼻白んだ声を出した。確かに紅孩児の目は三蔵を見ていなかった。この真面目な男は珍しくも、あらぬ方へ視線を泳がしている。
「おい」
 三蔵に言われて、紅孩児はびくっと肩を反射的に震わせた。
「は……」
 声が心なしかかすれている。
「どうした。ぼんやりしやがって。てめぇ、ちゃんと聞いてんのか」
 院長先生の舌打ちの音が響く。その紫暗の瞳に真正面から見つめられ、紅孩児はよりいっそう肩を落とした。
「い、いえ」
 紅孩児は右手でそっと口元を覆った。あれから、院長のことを直視できないのだ。あの秘め事を立ち聞きしてからというもの、三蔵のことをまともに見ることができないでいた。
「そのうち、学会へ行ってくる。留守は頼んだぞ」
 院長先生は不吉なほどに美しい。華麗な死神のようだ。秀麗な面は整いすぎて憂いを帯びているように一瞬見えるが、注意深く観察するひとなら、それは間違いだと気がつくだろう。その雷鳴にも似た激しさでその美麗な造作の顔を横切るのは、癇症なまでの苛立ちの表情だ。神秘的なまでに整った顔立ちの下から激しさが透けて見える。
 しかし、それは鬼神が、気性が激しいからと言って、その神性や高貴さが損なわれることなどけしてないように、三蔵の激しさは整った容姿といわば神秘的な化学変化を起こし、むしろその美しさをいっそう際立たせているようだ。
 そう。
 この男はこの上なく華麗だ。地上に降り立った白衣を着た死を告げる天の御使い。手にした、煙草を持つ仕草までもが絵のように美しい。白い、長い指で煙草を挟み、もの憂げに、いや癇癪を我慢しながら、配下の病棟主任をじっと正面から睨んでいる。
 紅孩児はすっかり圧倒されていた。院長を見るたびに、そう、その低い声を聞くたびにあの地下病棟でドア越しに聞いた甘い性的な声を思い出してしまう。
「承知いたしました」
 紅孩児の返答は極めて生真面目だ。院長のことを直視できないので、視線を下へと落としたままだ。紫檀づくりの黒光りする机の上で、雪花石膏の灰皿が置かれているのが目に入る。
「ったく」
 三蔵は、忌々しげに灰皿の上で煙草の火を揉み消した。白く濁った水晶に似た、半透明な灰皿の上へ、吸われて短くなった煙草と灰が不規則に散らばる。
「どちらの学会へ」
 紅孩児は控えめな口調で質問した。何か話をしないと気まずい、そんな心境から出た言葉だった。
「東京だ」
 さほど、遠くない。日帰りが可能だ。だからこそ、三蔵は出席することにしたのだろう。
「1日ほど、留守にする。分かったら、他の連中にも伝えてこい。決裁を急ぐ書類があれば早く持ってくるようにとな」
 三蔵は、椅子に深く座りなおした。あごでしゃくって、ドアの方を促す。肉食の高貴な獣が、獲物を逃がすときにする仕草を連想させた。
「話はそれだけだ」
 紅孩児は軽く頭を下げた。
「分かりました。皆に伝えます」
 殊勝な様子で王子様は返事をした。鬼畜な病院長へ背を向ける。真鍮製のドアノブが、午後の陽光を浴びて無機質に光っている。
「失礼いたします」
「フン」
 心、ここにあらずな病棟医の様子に首を傾げながら、三蔵は文書の束を両手にとって揃えなおした。軽い紙の音が立ち、机の上で山になっている書類を揺らした。細かく字が印刷された用紙が幾つも並んでいる。院長先生は決裁印を手にとった。学会へ行くなら、この山をかたづけなくてはいけなかった。
 窓越しに射しこむ午後の光が豪奢な絨毯の上へ落ち、傍の応接用のソファの影を深くした。



 閉鎖病棟地下重症棟。

 空調は整っているし、照明だって十分なものを使っている。なのにどうしてだろう。ひたすら薄ら寒く、暗く感じられる。地下の病棟へ続く鉄格子の扉を開け、続く鋼鉄製のドアを開けて奥へ奥へと通り抜けた。紅孩児は閉塞感に満ちた地下の重症病棟の廊下に出ると手前に見えるドアへ手をかけた。
「ニィ」
 ドアを引いて開け、紅孩児はカラスに似た男の名前を呼んだ。
「あれェ。どうしたの」
 果たして中にいたのは、確かにおどけたフリをしたカラスによく似たこの男だった。幾つもの監視用のモニターが壁にかかっている。その光のせいでその顔は青白くみえた。白衣が薄青く見える。
「最近、なんかボクのこと、避けてるみたいだったからさァ」
 紅孩児が避けていたのは、院長のことだけではなかった。ニィのことも意図したことではなかったが、避けるようになっていた。口を開けば、一番奥の病室のことを質問してしまいそうだったからだ。聞いてはいけない、この病院のタブー中のタブーだ。それなのに好奇心に駆られ、一番奥にいる男のことをどんなことでも知りたいと頼んでしまいそうだったのだ。
 紅孩児は内心の思いを押し殺して言った。
「院長が学会へ出かけるそうだ」
 紳士らしい口調を崩さず、紅孩児は告げた。
「へぇ」
 ニィの眼鏡が白く光った。表情は変わらない。緩んだ淫猥な口元、邪悪な目つき。剃刀で無造作にそったあごへ手を添え、何か考えているようだ。
「珍しい。最近、学会の出席、ぜんぶ断ってなかった? 」
「ああ」
 紅孩児が短く返事をする。そう、あの院長先生はいくら周囲が学会へ出て欲しいといっても、すげなく全て断っていた。
「どういう風の吹き回し? 」
 ニィがポットのお湯をマグカップに注いだ。自分のウサギ柄のものではない。紅孩児のマグカップだ。インスタントコーヒーの香りが狭い部屋に漂った。
「断りきれなくなったんだろう。ああ、すまん。ありがとう」
 マグカップを受け取りながら紅孩児が礼を言った。コーヒーの香り。芳ばしい甘くて苦くて酸味のある香りであたりが満ちた。
「決裁を急ぐものがあれば早くしろと言っていた」
 紅孩児がコーヒーに口をつけた。飲むために軽く首を反らすと肩先で結わえた長く赤い髪がさらさらと音を立てた。
「ふうん」
 ニィは暗い輝きをたたえた目を壁へと向けた。並んだモニター。青い光を放ち、ひとりひとりの患者のいる暗い空間を映し出している。頭を抱えて何時間もうずくまっている男、手を上下にふってずっと調子をとるかのように震わせているもの、並んだ画面は様々な病態を繰り広げる不吉なパッチワークだ。その片隅に何も写さないモニターが真っ黒な画面のまま壁にかかっている。それが、誰のモニターなのか、ニィは覚えていた。
 そうニィは忘れていなかった。
 宿直室のドアの向こうから、狂患のうめき声が微かに漏れ聞こえた。かすかに、このカラス色の髪をした男はそっと微笑みを浮かべ、白衣のポケットの中に入っている硬いカードキーに手で触れた。口はしの笑みが深くなる。それは邪悪な笑いだった。秘められた洞窟の奥の奥、妖しい悪魔崇拝の神像を連想させる笑いだ。
「で……その学会、いつだって? 」
 黒い不吉なカラスの羽が、宿直室中に舞いあがり、そして散るような幻覚を、一瞬、紅孩児は覚えた。



「あっ……」
 甘い吐息。殺風景な病室が、たちまち、薔薇色の気配に満ちる。やや、青い匂いが空気に混じるのが、破調といえば、破調だ。
「だめです……さんぞ、今日は……早いですね」
 何故か八戒は狼狽していた。後ろめたそうにうろたえている。
「部屋も汚いし。僕、ちゃんと掃除してなくて……」
 ぶつぶつと顔を赤くして言い訳をしている。ちら、とクズかごへ視線を走らせた。幾つかのティシュが丸めて捨てられているだけだ。
「僕、これビニール袋にいれて捨ててきま……」
 そんなことを言うのに、かまわず、三蔵は八戒をベッドへ押し倒した。
「何、あせってんだ。俺が夕方、来たらだめなのか」
 何故か、真っ赤になっている八戒の額にくちづける。
「1日だけ、留守にする。大丈夫だな」
 額に唇をつけたまま、ささやかれる。白衣の白さが眩しい。ベッドがふたり分の重さできしんでかすかに音を立てている。
「え」 
 珍しい三蔵の言葉に、八戒が目を大きく見開いた。
「どうしても、この学会の出席を断れねぇ」
 精神神経学会。この学会は当初、札幌で行われる予定だった。それが、どうしたことか。急に、東京で行われるというのだ。
 これでは断りきれない。
「しかも、理事から2日目は出席しなくていいといわれた。1日目だけでも、ってな」
 チッ。三蔵が舌打ちする。
「俺のいない間おとなしくしてろ。許さねぇぞ、前みたいに俺から逃げるつもりじゃねぇだろうな」
 疑わしげな目つきで、八戒をにらむ。
「日帰りする。すぐ帰るからな。午後のパネル説明とか聞いたらすぐ帰る」
 八戒の身体を、優しく抱き寄せた。
「それで、その日のうちに。……夜遅くになっちまうかもしれねぇが、またお前の顔を見に、ここへ来る」
 それでは、留守といえるのかどうか。
「さんぞ……」
 八戒はあえぐように、院長の名を呼んだ。首につけた皮製の首輪、ダイヤモンドカッターでも切れない鎖が、重い音を立てて鳴った。
「行きたくねぇ。そんなのに、行く暇があったら……」
 三蔵は、八戒のメガネをそっと外すと、ベッドの隅に置いた。
「あ……」
 白衣姿のまま、三蔵は八戒に覆いかぶさった。時間が惜しいのだろう。青い病衣が、解かれ、白い肩がむき出しになる。
「あ……もう」
 八戒の肌に、口吸いの跡が幾つもついた。三蔵の執着が、あらわになるような激しさだ。
「だめ……さんぞ、だめ」
 何故か、こんな関係になっているのに、八戒は抗った。
「何が、だめだ。俺のことがいやか」
「う……」
 八戒は黙って首を横にふった。
「僕、最近、身体が変なんです……だから」
 抱かれすぎだった。抱かれることが常態になって、身体がいつでも甘い蜜のような気配を垂れ流している。男が来るのを常に待っている、妖しくも悩ましい存在に、八戒の身体は変化していた。
「変になっちまえばいいだろうが」
 三蔵に抱かれることをいつも待っている身体。しどけない肌を暴かれて、八戒が思わず病衣の前を手で覆って隠そうとする。
「だめだ。逃がさねぇ」
 三蔵の苛立った手が、隠そうとする手を押さえつけた。そのまま、肩を吸っていた唇を、下へと落とした。
「あ……」
 胸の乳首を舌先で突かれて、八戒が眉を寄せる。
「もっと変にしてやる」
 三蔵が、白衣から自分の肩を抜いた。白い長い衣が、タイル敷きの床に落ちる。
「さん……」
 八戒の声が震えた。三蔵の舌が這う場所が、熱い。ぐずぐずに蕩けてしまいそうだった。
「なんで、俺とヤるのが嫌だ。言え」
 三蔵の言葉は不明瞭にときおりくぐもった。八戒の尖った可憐な乳首を舌先ではじくようにしているせいだ。腕の中で、痩躯が震えて涙声になっているが、許すつもりなどない。
「言え、言わないと」
 三蔵の手が、八戒の股間に伸ばされた。そっと、握りこまれる。
「あうっ」
 八戒が首をふる。抵抗しようとしても、できなかった。甘い束縛のように三蔵に身体を押さえつけられ、シーツに縫いとめるように羽交い絞めにされている。
「俺のことが嫌いか」
 その声には、冷たい響きと失望がかすかににじんでいた。恋するものの、盲目さと不安さで、こんなに傲岸不遜な院長さまともあろう方が、八戒相手には気弱になっているのだ。
「それじゃ、なんだ」
 胸も、股間も硬くなっていた。こりこりしている。三蔵の身体の下で、八戒は身悶えした。
「どっちもシコらせやがって。やらしいヤツだ。こんな身体してんのに、なんで俺とヤるのが嫌だ。それとも誰か他の野郎とシタいのか」
 三蔵の声は嗜虐性を帯びてきた。そんなことは許さない。言外に告げる強烈な支配欲を感じる。凄まじいまでの独占欲で自意識が濡れて滴っているようだ。
「あ……」
 亀頭に、にじんだ先走りの透明な液体を、まるでこぼした尿道口へ押し返すように、三蔵の指で
塗りこめられる。
「あうっ」
 八戒が身体をくねらせた。そんな様子を眼下に見据えながら、院長先生は自分のネクタイを片手で緩めた。
「どうして、俺とスルのが嫌だ」
 三蔵が施した調教は、生易しいものではなかった。男が欲しくてしょうがないように薬物も調整されている。しかし、三蔵には気がかりがあった。
「俺のことが嫌になったのか」 
 副作用を気にして、薬の量を減らしていた。まさかとは思うが、洗脳が解けたのかもしれない。そんなに生ぬるいことで解けるようなものではないとは思うが、万が一と思うと不安になった。思わず、八戒を問い詰めてしまう。
「さん……ぞ」
 三蔵の手で、激しく扱かれて、八戒が仰け反った。太ももが震えている。もっと別のところの孔に、もっと欲しそうに、物欲しげに震えている。
「貴方……がいない……だ」
 八戒が、苦しげに何かを告白しようとしていた。
「しちゃっ……て」
 三蔵が優しく、その唇へくちづけた。言葉の先をうながすように、角度を変えて、なだめるように、顔中にキスの雨を降らせる。
「僕……」
 甘い吐息まじりの声が、切れ切れに紡ぐ言葉は、全く要領を得なかった。
「あ……」
 首筋を三蔵が舐め上げる。手はやんわりと八戒のを握り締めたままだ。
「何を、『しちゃって』 だ」
 八戒の要領を得ない言葉を、三蔵は引き取るように言うと、そのまま優しく緑の瞳を覗き込んだ。
「う……」
 恥ずかしそうに、八戒は、三蔵の裸の肩先に、顔を埋めた。たどたどしい言葉で説明する。
「貴方がいない……間……貴方のことを思い出す……と」
 三蔵がいない日中、密かに自慰をしていることを、白状させられてしまった。調教を受けて、催淫剤まがいの薬物を投与されている。男の玩弄物のようになってしまっている八戒は、夕方になると自然に身体が三蔵を求めて開いてゆくのだ。みだらな身体だった。欲しくてしょうがない。それをなだめようと、自分で自分の肌へ、性器へ手を伸ばして慰めていたのだ。
 最近、その欲望が激しくなった。
 もう、一晩も、三蔵なしで過ごせない。
 病室は換気が悪い。吐精する度に、広がる精液の鼻につく匂い。いずれ、自分の恥ずかしい行為が分かってしまうに違いない。それで、珍しく早めに訪れた三蔵に、不審な立ち居ふるまいをしてしまったのだ。
「自分でも、慰めてたのか」
「あ……」
 顔を赤らめて、片手で顔を覆おうとして失敗した。
「身体が疼いて、しょうがねぇのか」
 八戒のまなじりを、三蔵は唇を寄せて舐めた。涙の味がした。
「俺が欲しくて、自分でも慰めてたのか」
 ささやかれる言葉は、淫らだった。
「くそ、仕事さえなきゃもっと早く来れるんだがな」
「さんぞ」
 甘い言葉が、くちづけの狭間に漏れる。
「こっちもか。こっちもお前、自分で……してるのか」
「あ……! 」
 三蔵の指が、後ろを這った。慎ましげに窪んだ、孔が三蔵の指を飲み込んでゆく。
「あうっ……ひっ」
 八戒が眉根を寄せて、喘いだ。たいした抵抗もなく、そこは三蔵の指をおいしそうに頬張っている。
「ぐちゅぐちゅに……蕩けてやがる」
 情欲に濡れた声で、三蔵が呟いた。
「あ……ああっ……はっ」
 快楽が混じった吐息が漏れる。
「さんぞ……さんぞ」
「……我慢、できねぇか。そうか」
 さら、と三蔵は八戒の前髪を押しのけるようにして、額に唇を押し付けた。片手は八戒の屹立を、もう一方は八戒の後ろを解して刺激している。
「あ……! 」
 腕の中で、八戒が何度も身をふるわせた。ナカだけで達してしまっている。ひどく敏感な身体だった。
 快感をやり過ごそうと、三蔵の背へ腕をまわしてすがりついているが、耐え切れないようだ。
「さんぞ……もう」
 腰が、勝手に揺れるのを止められない。すぐに、三蔵の手の中に欲望を吐き出した。後ろに指を入れられているだけなのに。
「や……」
 自分でも、信じられないというように、顔を真っ赤にしている。
「かわいいな、お前」
 三蔵が優しく抱きしめた。
「イッた……ばかりなのに……僕……」
 目元を染めて、三蔵にしがみついた。また、欲望が硬く熱を持ちはじめているのが、三蔵にも分かった。もう、見せつけられて抑えがきかない。
「さんぞ……もっと」
 後ろの孔が、三蔵の指をくわえたまま、ひくひくと震えている。指で届かない、奥の方が熟れて疼いていた。
「もっと……大きいの、欲し……」
 情欲に濡れた唇が、蕩けた口調でささやく。
「八戒」
 既に今までの八戒の痴態を見せつけられ、ガチガチに硬くたぎったものを、押し当てた。
「あ……っ! 」
 八戒が仰け反った。腕で三蔵の背を抱いてしがみつくようにする。
「イイ……熱い……とろけそ……」
 しなやかな両足で三蔵の腰を抱え込み、悦楽の声を放つ。
「く……」
 柔らかいのに、弾力がある、ずぶずぶと沼のように受け止めるのに、きゅ、と硬く引き絞られる。媚肉の虜になりそうだった。
「……すげぇ」
 院長先生は奥歯を噛み締めた。油断すると放ってしまいそうだった。
「あ、あああっ」
 常にない、激しい乱れ方だった。喘ぎ声が止められないらしい。閉じることを忘れた口の端から、唾液がこぼれて、喉を伝う。
「さん……ぞ」
 三蔵に抽送され、突きまくられて、がくがくと身体が揺れる。
「お前の声、聞いてるだけで……イッちまいそうだ」
 必死に堪えながら、三蔵が腰を振り続ける。
「俺のに……合わせて、動いてる……ぞ」
 淫らごとをささやきながら、腰を八戒の動きに合わせるようにして、打ちつけた。
「あ……」
 三蔵が、動きを止めた。
「動いて……動いてさんぞ」
 腰の動きを止めて、情欲に煮られるような視線を八戒に向ける。この淫らな男が、自分を欲しがって狂う姿を、眺めていたかった。
「ああ、あ」
 八戒は思わず、両手で三蔵の身体にすがりつき、腰をくい、くいと自分から、すりつけ、抜き差ししだした。イイところに、当たってしまって悶絶している。なまめかしい粘膜が、三蔵のに絡みついたまま痙攣しだした。
「く……! 」
 三蔵が耐えようと、眉を寄せる。
「ああっああっああっ」
 三蔵のを抜く動きで、八戒の孔が、きゅ、きゅ、と収縮し、挿入する動きで、蕩けるように開くのが分かった。ぐぷ、ぐぷ。おいしそうにくわえて離さない。
「すげぇ……イイ」
 快感の渦に、ふたりで巻きとられ、大きくうねるその底へと堕ちていく感覚にとらわれる。
「さん……」
 腰が甘くしびれ、脳髄まで、快楽の粒子で、白く焼きつくされる。
「もっと……早く来るから、俺に……自分でシテるとこ……見せろ」
 甘い口説が、蕩ける毒のように、八戒の耳へ注がれる。
「……さんぞ」
 快楽のあまり、泣き声が混じった声で、八戒が返す。
「早く……来て……早く……来てくれないと……僕」
 性交奴隷じみた、淫らな身体を絡みつかせて、八戒がすがる。妖艶だった。
「分かった……もっと早く来るように……する」
 求められている。恋するものに、欲しがられている。眩暈のするような幸福感にひたされる。
「あ……も」
 八戒の肌に、おののきが走り抜けた。
「イク……」
 三蔵が腰を立て続けに前後に振った。しばらくして、呻くような声を振り絞ると、そのまま尻を震わせて、動きを止めた。
 白濁液が、八戒の体内で広がる。熱い感覚。とろみのある体液で粘膜がいっぱいになる淫らな感触に、八戒も逐情の声をあげて、仰け反った。
「ああ、ああっ、さん……ぞ」
 より奥へ奥へと、身体を進め、何度も吐き出す律動のまま、三蔵は八戒の粘膜をこすりあげた。
「あぐ……ぅっ」
 きつく、両脚が閉じて、三蔵の腰へ交差するようにまわされる。その足の指先まで、内側に丸まって、快楽に震えている。
「あっ……さん」
 仰け反ったその首筋へ、三蔵はふたたび舌を走らせた。しなやかな身体に、ひたすらに情欲がつのった。
「お前と、ずっと一緒にいる……八戒」
 院長先生の、きれいな金の髪が、病室の蛍光灯に照らされて、麗しく光る。八戒は陶然とした微笑みを浮かべて、自分の身体の上にいる、三蔵の身体を抱きしめかえした。

 



「ハルシネィション23へ続く」