ハルシネィション(18)

 何日か経ったとある日の午後、院長室でのことだった。

 燃えるような色をした絨毯が床に敷かれている。鳥や花や植物を模したアラベスク模様が、極彩色の絹糸で編みこまれ華麗極まりない。
「なんだこれは」
 三蔵の低い声が院長室に響くが、それもこの絨毯が柔らかく吸いこんだ。午後の陽光はアルミサッシが嵌った大きな窓から降り注ぎ、白衣を着たこの人物を背後から明るく照らし出す。金の髪が光り輝き怖いほどに美しい。革張りの椅子が鈍い音を立てて鳴った。 
「院長の許可を取っていると黄師長が言われるものですから」
 事務員は緊張したように机の前で突っ立っていた。彼にとっては拷問の時間だ。地獄の業火に似た緋色の絨毯の上で裁きを待つ罪人のようだ。紫檀づくりの大きな机は三蔵の手にしているタバコの火を、薄っすらと映して黒く光っている。
 院長はいまいましそうな仕草で、雪花石膏アラバスター製の灰皿へタバコの灰を落とした。紫煙の香りが濃く部屋に漂う。
「なんなんだこれは。フラワーガーデンでも経営する気か、バカが」
 椅子がきしみ、声がいっそう不機嫌に低くなった。吸っているタバコが不味くなったとでもいうような、苦虫を噛み潰した表情で、物品調達伺い、見積書、など経理から決裁の回ってきた書類を指先で弾いた。乾いた音が爪と紙の間で立つ。
 思わず、事務員は院長の指先を覗き込んだ。

つる薔薇苗:ピエール・ド・ロンサール 5株
薔薇大苗:ダブルディライト 10株
薔薇大苗:ノックアウト(赤) 10株
薔薇大苗:ノヴァーリス 10株


…………。

 全て、そんな調子で見積書に薔薇の品種名が連なっている。金額がたいしたことがないとはいえ、1苗3,000円はする。
 積み重なるとバカにならなかった。実際、結構な金額が計上されていた。
「クソッ」
 院長先生が添えられていた薔薇の品種カタログを乱雑に、その長い優美な指でめくる。カラー写真で紹介される黄色やピンク、赤や紫のとりどりの薔薇。その芳しい匂いまでもが伝わってくるような美しい写真が表紙を彩っている。
「本当になんだこれは」
 埒があかないと思ったのか、院長はカタログをぞんざいな手つきで机の上へ置いた。いや、投げ捨てたといっていい置き方だった。思いのほか大きな音が立ち、事務員はびくっとその肩をふるわせた。
「……この土壌改良費とか造園費とかはなんだ」
 白皙の病院長は他の見積書を目を細めて見つめ、苛立った声をあげた。可哀想な事務員の顔色はますます白くなっていった。
 苦土石灰、苦土重焼リン、バーク堆肥、作業代。
 造園業者からの見積もりだった。外構工事費並みの額が計上されている。百万単位だ。
「おい」
 さらに声が一段低くなった。三蔵は紫檀の机をはさんで、目の前の若い事務員をその紫色の瞳でいよいよ鋭く睨む。顔立ちが整っている彼が、そんな表情をするとさらに凄みが増した。
「わ、黄師長が院長先生の許可を受けているというので」
 事務員は恐慌して同じ言葉を繰り返した。院長の凄みのある低音の声で詰問され続け頭が全く回っていないようだ。
「チッ」
 三蔵は舌打ちをひとつすると、咥えていたタバコを灰皿でもみ消した。紙の焦げる匂いがかすかに立ち上った。

 黄師長。

 三蔵はあの誠実で夢見がちな師長のことを思い出した。看護師長の腕章とメガネがよく似合う。
『院長、病院にお花畑をつくってもいいでしょうか? 』
『開放病棟の患者さんに園芸療法をしたいんです』
 確かに以前、あのふさふさした髪の女がお花畑な世迷い事を言っていた記憶があった。
「ったく」
 しぶしぶ、
 院長は黙って机の引き出しを開けた。一番上の引き出しが軽やかな音を立てる。自分の名が刻まれた印を取り出し、書類の上に判を押した。
 一番左側の院長の欄に判が押されると、凡庸だった書類はとたんに厳かな気配を孕んだ。院長先生の決裁済み、まごうこと無きお墨付きだ。
「ありがとうございます」
 事務員は一礼すると書類を腕に抱え、そそくさと院長室から出て行った。裁きの時間は終わったのだ。
「チッ」
 三蔵はもう一度舌打ちした。紫煙は消え、マルボロの香りだけが部屋にただよっている。
 こんな愚かな書類に決裁印を押してしまうなど、本当に最近の三蔵はおかしかった。自嘲して笑いそうになっていた。
 机の上にはもうひとつ三蔵の決裁を待つ書類があった。血液モニタリング機器の要求書だ。新薬の副作用を監視するための器機だ。最新のものに更新したいと予算要求されている。
 半端な額ではない恐ろしいようなゼロの数が金額の欄に並んでいた。リースにするといったって、リース代もバカにならないだろう。
 しかし、これを導入しないと、副作用が発生したときに察知できず手遅れになる。

 三蔵は口の端に持ち前の皮肉な微笑みを浮かべた。

 これに比べれば、師長の要求など確かに可愛いものではあった。

 院長室の紫檀の大机は、鏡のごとく光るその表面に、金の髪をした院長先生の苦笑を静かに写していた。



…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
……ブウウウ…………ンン…………ンンン…………。



 その同じ日の同じ頃、

 大病院では午後のゆっくりした時間が流れていた。

 患者は悪化もしなければ良くもならない。多かれ少なかれどのみち薬漬けだ。うめき声や意味のない笑い声が、どこからか漏れ聞こえてくる。
 消毒薬のつんとした香りが、リノリウム貼りの白い床の上で漂い、味気ない青白い蛍光灯が地下病棟を照らし出す。
「ニィ」
 そんな脳までもが漂白されたような真っ白な廊下で、ニィは名前を呼ばれた。赤い髪の王子様、いや紅い髪の医師が近づいてくる。
「けっこう、外来からECTの予約が入っている。お前の予定はどうだ」
 駅前の体裁のよい 「メンタルクリニック」 からも、ECTを受けに外来から患者がやってくるのだ。
そんなときは系列病院から麻酔医も来てくれる。いたれり尽くせりだ。
 ニィは眉をしかめた。
「えええ? 閉鎖にいる医者、ボクだけじゃないでショ。他のヤツは?」
 昼どきなのに蛍光灯が頭上で輝き、白い壁にニィと紅孩児、ふたり分の影をつくる。
「手が足りていない」
 紅孩児の低い声が、廊下に控えめに反響した。
「ははぁ、そんなに人気なのアレがねェ」
 アレ、アレならこの間、「太陽に殺される」 狂患にやったばかりだ。電気を脳に通してけいれん発作をわざと起こさせる治療方法だった。かなり鬼畜な療法である。
「電パチかぁ。家畜なみに扱われたいなんて、けっこう患者さんタチってSMマニアだよね」
 暴れる家畜に電流を流すと大人しくなる。そんなことから応用された療法だった。その昔、イタリアの屠殺場で豚や牛相手に行われてきたことが現在、人間にも行われているのだ。
 軽口を叩くニィを深紅の瞳でにらみながら、紅孩児は言った。
「しかたないだろう。開放病棟には、学会に行くヤツが何人もいて頼めん」
「はぁぁ。僕らヒマなしだよねェ。いっそさァ、昔みたく脳外があればいいのにさァ」
 昭和の半ばくらいまで、この病院は精神外科――――ロボトミー手術を毎日のように行っていたのだ。ひとから脳を切り取っておとなしくさせる手術だ。重篤な患者の多い八王子医療刑務所と、このU病院は最後までこの精神外科を温存しようとした。
 それは、医学史に刻まれる陰惨な黒い歴史だ。
「ニィ」
 紅孩児が白衣の裾を翻し真面目な顔をこわばらせて向き直る。
「だぁってそうでショ。電パチだとおとなしくなるまで何回もかけなきゃいけないモンね。しかもいまどきのだとさ」
 
 電パチ、電気ショック、電気けいれん療法、修正型ECT――――。
 様々な呼ばれ方をしている70年来の伝統ある 「治療法」 だ。

 患者からは 「電パチ」 といわれて悪名高い療法だ。U病院でも昭和の頃などは懲罰的に使われてきた。そう、以前は麻酔など使わなかった。舌を噛まないように口にさじをつっこむだけで電気をかけていた。非道である。
 それもそのはず、この病院は昭和の頃まで 「北関東医療刑務所」 と冗談で呼ばれていたのだ。
「ブウゥーゥンだ! 怖いよ!」 麻酔を使わないときは患者たちから生電パチと呼ばれていた。それは統合失調症の患者も泣いて逃げまどうおそろしい罰だったのだ。

 盲腸の手術を麻酔なしでやるようなものである。
 当然、それは拷問に近い。
 前頭葉に電流を通すものだから、けいれん発作が起きる。この発作は激しく、筋弛緩剤をつかわないと暴れて骨折するほどだ。言うことをきかない患者へ見せしめで行われていたときは、当然、筋弛緩剤も麻酔も使わなかった。拷問だ。悪魔の所業だった。

 現在はそんなことはない。
 盲腸の手術を麻酔して行うように、現在は電気けいれん療法 (ECT) も麻酔して行うのだ。
 なんの、なんの問題もない――――。

 はずだ。

 
 そんな、一日にも終わりが近づいてきた。
 殺伐とした非人間的な病棟にも、夕闇が訪れ――――いや、正確には訪れることはないのかもしれない。地下にあるこの重症病棟は常に夜、いやいつでも常闇に近い時間が流れている。

 それでも世間的な時間としては夜になり、そう、白皙の病院長様が密かに訪れる時間になった。


「頼まれてた延長コード、これでいいのか」
 三蔵は電源の延長コードを八戒の前に置いた。白いビニールで覆われた長めのものだ。
「ありがとうございます」
「やっぱり今のじゃ短いのか」
 三蔵は八戒のそばへ座り込んだ。簡易なクッションに身体をあずける。
「行儀が悪いかもしれませんけど、寝る前にベッドで読みたいなと思うと、届かないんですよね。今のコードだと」
 八戒はうれしそうにほほえんだ。へらっと力の抜けた笑い方をする。眼鏡の奥の目が細くなった。
「そうか、長いのを持ってきたぞ」
「うれしいです」
 監視カメラ用に天井近くにあったコンセントから、本を読むために延長コードで電源をひいていた。
 しかし、長さは十分とはいえなかったのだ。
「すいません。忙しいのに」
 八戒は清楚な微笑みを浮かべて頭を軽く下げた。本当に控えめだ。この間、三蔵が欲しいと言って悩ましく身体ごとすがってねだっていたのが、嘘のような清純な気配を身にまとっている。
「てめぇの欲しがるものなんざ、たいしたこたねぇな」
 三蔵は思わず呟いた。本当だった。この黒髪の男にはあまり物欲というものはなかった。
「今日もアレが欲しい、コレが欲しいなんていう書類ばっかり見せられたんだがな」
 だからこそ、三蔵は八戒のところに来ると癒されるのかもしれない。院長は今日、決裁印を押した書類のことを思い出していた。
「特に今日なんざ、あの頭ふわふわ女が」
「え?」
「花畑をつくりたいんだそうだ」
「三蔵、話が見えないんですけど」
 院長は、黄師長が提出した園芸関係の購入伺いを思い出して口元をゆがめた。
「頭お花畑な看護師長がな、病院の裏にお花畑をつくりたいんだそうだ」
 面白くもなさそうにぼそりと呟く。
「お花畑を?」
「心の調子が悪いヤツも花とか育てたりすると癒されて調子が良くなるとかいう、ふざけた療法があって、それを真に受けたあのバカ女がやるらしい」
 三蔵は白衣の内ポケットを探った。硬質な硬い紙の感触があった。マルボロの箱を取り出す。
「へぇ、そんな治療法があるんですねぇ」
「バカが。そんなモンで治るような生っちょろいヤツがウチの病院なんざ来るか」
 院長がタバコに火をつけた。紫煙がたなびき、タバコの匂いがただよう。
「はははは」
 三蔵の口調に、思わず八戒が苦笑する。
「すげぇ量の花の種だの、薔薇の苗だの買い込みやがった。あの髪の毛ふわふわ女め。信じられねぇ。ふわふわ女が」
 仕事に誠実な黄師長のことを院長は 『ふわふわ女』 呼ばわりした。
「あははははは」
 三蔵の苦い顔を見て、いよいよ八戒は笑った。
「でも、お花畑ですか。いいなぁ」
「ん? 」
「見てみたいですねぇ。そのお花畑、綺麗なんでしょうね」
 八戒はせつないような目つきをした。首には首輪が嵌り、鉄筋コンクリートに囲まれ、鉄格子に阻まれ、電磁錠が嵌っている。この男は絶対にこのヒト用の檻からは出られないのだ。
「…………できたら、見にいくか」
「え」
「花畑、できたら連れていってやってもいいぞ」
 三蔵はマルボロを咥えたまま、照れ隠しのように横を向いた。最近の三蔵は八戒が望むなら、なんでも叶えてやりたい。そんな風に思うようになってきていた。
 院長は心の中でひそかに呟いた。なんでも欲しいものは与えてやりたい。
――――自由以外は。



 獄舎の生活が長いものは、週刊誌のグラビアの色彩を見ただけで酩酊し、女の歌声を聞いただけで射精するようになるという。
 しかし、八戒には暇さえあれば自分を抱きにくる金の髪の病院長がいて、禁欲というより淫らな調教を受ける毎日だ。
 麗しい虜囚。美しい性交奴隷。
 それが八戒の身の上だ。
 三蔵は吸っていたタバコをアルミ製の灰皿で勢いよく、もみ消した。反動で床のタイルに当たって灰皿が軽い音を立てる。手首の時計へ視線を走らせて舌打ちした。
「…………チッ。時間がもったいない。早く脚開け」
「さん……」
 八戒が少し、残念そうな顔をする。ずっとひとりで病室にいる彼にとっては、こうした他愛もない『外』 の話を聞くのがとても楽しいのだろう。
「…………」
 三蔵はちらり、と八戒の表情を観察した。以前より表情が豊かになっているし、三蔵の話にも反応が早い。
 要するに、薬を減らしたので、意識がはっきりしているのだ。
「なんだ。今日は俺が欲しくないのか」
 三蔵が嗜虐的な調子でささやいた。
「さんぞ……」
 三蔵の欲望は容易く八戒に感染した。
 地下の病棟では分からないが、外では青白い大きな月が煌々とあたりを照らしている。怖ろしいような美しい月夜だ。
 しかし、そんな凍れる麗しい月も、地下の病室では見ることもかなわない。闇夜の化粧にも似た、不毛さだ。
 八戒が青い病衣の裾を自分から解く。しなやかな白い裸身が鮮やかにさらけだされる。室内の蛍光灯の明かりの下でぬめるような肌があらわになった。しなやかな腹部が目の毒だ。傷痕がまた倒錯的だ。最近、騎乗位で自分から動けといわれているので、なおさら綺麗に筋肉がついてきている。
「きて……さんぞ」
 甘くせつない誘惑の言葉を整った唇が紡ぐ。
 三蔵の洗脳は完璧だった。
 少しクロルプロマジンを減らした程度で解けるような生ぬるいものではなかった。
「下も自分で脱げ」
「……ん」
 三蔵がくちづけてくる。柔らかい唇の感触が官能的でとろけるようだ。八戒は薄く唇を開いた。
「お前が自分で自分を慰めているのが見たい」
熱い吐息を八戒の耳元へかけながら、淫らな言葉をささやく。
「え」
 黒髪の麗人は目元を染めた。息が上がってくる。
「はじめて会ったときみたいに」
 院長が甘い声音でささやく。
「お前、あの時、自分で自分を慰めていた……綺麗だった」
 桜色をした舌先で八戒の唇をなぞり上げる。甘い舌の感触に八戒は喘いだ。たちまち腰奥が熱くなった。
「あのお前がまた見たい」
 地下の病棟は空気もよどんでいるはずだ。上を見れば金網に覆われた換気扇と蛍光灯が光っている。
「ダメです。三蔵」
 院長の淫らな求めに、八戒は目元どころか頬まで染めた。首を横に振る。
「なんでダメだ」
 殺風景なはずの病室の空気は甘く凝縮して煮こごっている。院長の着ている白衣に残っている洗剤の匂いがかすかに香る。
「あ……」
 角度を変えてまた、キスをされる。三蔵の好きなマルボロの、しみついた煙草の香りがくちづけの合間にどこからともなく漂う。
「八戒」
ほの青い病衣の前を更にくつろげられ、無理やり下穿きに手をいれられた。柔らかい綿布の感触が三蔵の手に伝わる。
「ダメ……いやで……」
いやいやと首を横に振る八戒の左手をつかみ、それを握らせる。大きな三蔵の手も重ねて添えられた。
「あの月食の晩」
三蔵はささやき続けている。
「俺は月の化身か何かに会ったかと思った。すごく綺麗で……」
「あっ……」
 三蔵の手で上下にしごかれる。八戒の眉がせつなく寄せられる。くちゅ、と節の立った指が肉隗を這い回る。指の腹で、つるつるした肉冠を優しく撫でまわされた。
「ああっ……あっ」
 腰が震えてしまう。きゅ、きゅ、と後ろも締まった。
「……もう、べたべたじゃねぇか」
 院長が顔を寄せ、耳元でささやく。肉冠にかわいらしく口をあけている鈴口のような小さな穴から、とろとろと粘性のある体液が次から次へとあふれてくる。
「さんぞ……」
 性的な匂いが、立ち昇ってくる。甘いような、獣のような、麻薬に似た匂いだ。八戒の手を無理やり使って、三蔵が硬くなってしまった屹立を撫で回す。
「俺に触られるのと、自分でヤルのとどっちがいい」
 その、紫の瞳の奥に閃く欲望の光を見つめながら、八戒は唾を飲み込んだ。脚を大きく開くことを強要されている。太ももが、思わず震えてしまう。
「答えろ。俺と自分と、どっちが」
 ぺろり、と八戒の耳たぶに、熱い舌の感触が這った。蕩けるような感触と、三蔵の唾液が甘い感触を伝えてくる。
「さん……」
 もう、答えられない。
「ああっ……あああっ」
 黒髪の男は必死で相手の背へ右手を回し、その着ている白衣をつかんだ。そのまま、自分へ引き寄せるようにする。
「言わねえと、ずっとこのままだぞ」
 ささやきながら、耳を舐めまわされる。熱い舌が離れると、冷やりとする。そのまま、首筋あたりへ這い下りた舌の感触に翻弄される。
「さんぞ……さんぞ」
 腰奥の性的な神経を穿つような、容赦のない愛撫だった。ぞくぞくしてくる感覚に、八戒が狂う。
「だめ……ああっ……だめで」
 自分の左手をつかまれたまま、やはり淫らに、性器を扱かれる。やめてもらえない。とろとろと小さな口から吐き出す体液はとめどがない。
「すげぇ、ガマン汁の量だな」
 院長が淫らに呟く。
「いやらしいヤツだ」
「ふぅッ……」
 いやいやをするように、首を振った。黒髪が、長めの前髪がばさばさと空を舞う。
「はじめて会ったとき」
 院長が告白する。
「俺は思った。お前は現実の人間じゃないんじゃないかってな」
「さん……」
 八戒は言葉を続けられなかった。院長の舌が、胸まで這ってきて、ついばむようにゆっくりとピンク色の乳首を舐めまわしはじめた。
「…………! 」
 びりびりと、電撃のような快感に焼かれる。脳まで白く白く快楽で漂白されていく。
「もう、次の日から仕事も手につかなくなって」
 八戒の白い胸を愛撫しながら、三蔵が呟く。舐めまわされて、硬くとがってしまった乳首をそっと吸った。三蔵の肉色の舌がこりこりと硬くなったそれをはじくように這い回る。
「探した。お前のことを、病院中、探して探して探して」
 甘い告白は、ずっと続いている。拷問のような性技もずっと続いている。八戒は喘いだ。もう、唇も閉じられない。口の端を飲み込みきれない唾液が伝う。
「ああ……」
 肩が、背中が、腰が、尻が、脚が震える。もう、限界を超えていた。
「ようやく回診して見つけた。俺の……」
 胸を這っていた、三蔵の舌が、一瞬離れた。
「八戒」
 院長が頭を上げた、紫暗の瞳がまっすぐに八戒を見つめている。
「俺のものだ。ずっとずっと」
 そのまま、口づけられる。閉じていた唇を割って、舌がきれいな白い八戒の歯列を割った。
「さ……」
 喰われるように、接吻される。いや、接吻などという可愛らしいものではない。それ自体が性交のようなキスだ。
「ふっ……」
 もう、逃げられない。この天井の蛍光灯まで覆う金網が、宗教的な格天井に感じられるほど厳粛で、淫らな空間と化したこの病室で、白皙の院長先生に犯される日々からはもう逃げられないのだ。
「さんぞ……さん……」
 背に回した手で、白衣を引っ張る。あまりの愛技の激しさに、引き剥がそうとするような動きを自然と身体はしてしまう。
 それが気にいらないのだろう。
 院長先生は、白衣を脱ぎ捨てた。その首を縛めている、ネクタイを自分で緩めて解いた。
「お前が欲しい」
 八戒の唇を舌先で舐めると、白いシャツを邪魔だというように脱ぎ捨てる。既に八戒は下を脱がされていたが、まだ、肩あたりに病衣がひっかかっていた。それを剥がされる。
「ああ……さんぞ」
 そのまま、両脚の間を割られて……舌が入り込んでくる。
「だめ……本当にだめ……さんぞ」
 哀願は聞いてもらえない。何度目になるのか、どんなに願っても最後には思うままに犯されてしまう。それでも、八戒は目元に朱を刷いて懇願する。無駄だと知りながら。何かの呪文のように。
「ああ……ッ」
 八戒が仰け反った。三蔵の舌が、後ろの孔にまで這ってきた。
「くうッ」
 黒髪を揺らして、八戒が喘ぐ。震えるというより、快感で身体全体が痙攣している。焦らされすぎていた。狂ってしまうかと思うほど、ねっとりとした愛撫を受けている。
「あっあっあっ」
 尻を震わせて、よがった。三蔵の甘い舌が、粘膜を突く。もう耐えられなかった。とうとう、八戒は残っていた理性や誇りを手放した。とろとろに蕩けた唇が淫らごとを男にねだる。
「抱いて……さんぞ。僕を……犯して」
 甘い、甘い冒涜の言葉を整った唇がつむぐ。
「めちゃめちゃに……して」
 本心だろう。白衣を脱ぎ捨てて、裸になった院長先生の肩へ震える手を伸ばして引き寄せておねだりした。
「あ……もう……我慢……できな……」
 甘い懇願は、冷酷な天使に似た男に受け入れられたらしい。
「八戒」
 院長が、うやうやしい仕草でその額にキスをした。この淫らな行為の中で、まるで聖なる儀式のようなキスだった。
「俺はお前が」
「あ……」
 三蔵の怒張が、八戒を穿つ。ぴくんぴくんと八戒の性器は、三蔵を奥へ奥へと受け入れるたびに震えた。とろとろとした透明なカウパー液に、白濁したものが混じり始める。
「ああ、さんぞ」
 仰け反って、背を三蔵の腕に抱えられながら、両脚を大きく開いてオスを受け入れる。まともだったら、羞恥で死にたくなるようなかっこうをしているが、もう三蔵に蕩かされて理性も何も残っていない。八戒を慰めているのは、ただただ肉の快楽だけだ。
「んッ……ん」
「……全部、入った」
 下生えまで、当たるほど奥まで犯される。
「ああッ」
「八戒……」
 そのまま、揺するようにされた。黒髪を揺らして、きつく歯を噛み締める。叫んでしまいそうだった。
ぐぷ、ぐぷと抜き差しされる。熱くて、きつくて、ぬるぬるした八戒の粘膜の感覚が、三蔵から理性を奪ってゆく。甘い八戒の先走りの体液の匂い。何もかもが淫らで、いやらしい。
「すげぇ……」
 院長先生は奥歯を噛み締めた。油断すると放ってしまいそうだった。蕩けるような肉の感覚が敏感なところを締め付けてくる。柔らかいのに弾力があって硬くて、蕩ける。なんともいえないような粘膜の感触だった。
「イイ。本当にイイ」
 金の髪をした白皙の院長先生は、その美麗な外見からは想像できないような淫らごとを八戒にささやき続ける。その綺麗な耳ごと蕩かすようにして舐めた。
「さんッ……ぞッ」
 八戒はとうとう、全身を硬く突っ張らせた。その足の指先まで内側へ曲げ、痙攣させている。内股がはしたないほどに震えている。
 そして
「あああああッ」
 男の硬いものを咥えさせられたまま、八戒は腰を震わせて自分を放ってしまった。白濁液を何度も放つ。淫らな体液は、三蔵の腹部にかかった。
「さんぞ……さんぞ」
 はぁはぁと息を荒げ、緑の瞳を涙に曇らせて、喘いでいる。精液の青く生々しい匂いが病室に漂った。
「すげぇ量が出たな」
 三蔵が優しく、額に口づける。
「気持ち良かったか」
「さんぞ……」
 尻がきゅ、きゅとつぼみ、だめだと思っても三蔵をきつく締め付けてしまう。
「すげぇイイ。お前が感じると俺も」
「さん……」
 そのまま、激しく穿たれた。
「あああっ」
「いいのか。またいいんだな。すげぇ締め付けてくる」
「言わない……でぇッ」
 ぶるぶると震え、痙攣しながら三蔵に挿入されている。もう、犯されているところは蕩けるようで、感覚がおかしかった。
「さんぞ……さんぞ」
「なんだ、またイクのか」
「ああッ」
 一度、達した身体は聞き分けがなかった。何度も精液を吐き出して、三蔵を汚してしまう。
「だめぇだめ」
 とろとろに蕩けた八戒を犯しながら、三蔵は許そうとしない。
「綺麗だ。お前」
 八戒のむき出しになった裸の肩へ、三蔵の唇が落ちる。
「イクお前、本当に綺麗だ」
「ああ……」
 白い、淫らな肉が許せないとでもいうように、三蔵は軽くその肩先を噛んだ。
「んッ」
 わずかな痛みが、現実へ引き戻すのか、八戒が生理的な涙で蕩けた瞳で、三蔵を見つめた。それでも肉棒は抜いてもらえない。
「抜くときがイイんだな」
「あっ……ああっ」
 八戒の身体の反応で、分かってしまう。身体を引くと、せつなげに八戒の淫らな粘膜が三蔵にねっとりと絡みつく。
「いやらしい……」
「あ……」
 尻で捏ねるようにまわされる。怒張が粘膜をえぐるように当たり、擦られ、八戒は狂った。
「ああああああッ」
「いやらしい身体だ。いやらしい」
 三蔵によって、男を覚えた身体は、貪欲だった。三蔵を飲み込んだまま、うれしそうにくねって喘いでいる。何度目になるか分からない体液をまた滴らせて達してしまった。
「いやらしいくせに……綺麗だ」
「さん……」
 もう、まともな言葉など、快楽が強すぎて紡げなくなった唇がわなないている。
「さんぞも……さんぞも」
 白い腕がきつく三蔵の身体へと回される。自分だけ達するのを、その冷静な紫の瞳で見つめ続けれらている。恥ずかしいのだろう。
「分かった……」
 両腕で、白い脚を肩へとかつぎあげた。そのまま深く身体をすすめる。獣のような必死な声が黒髪の男の唇から漏れ、きつく締めつけられて三蔵が呻く。
「八戒……」
「あ……! 」
 そのまま、中に熱い体液が迸る感触に、八戒がのたうつ。沸騰するように熱く感じた。三蔵の精液が、粘膜を濡らす感覚だけで、また、前を弾けさせてしまった。ひどく淫らな感触だった。
「ああっ……ああっ」
 首を振って身体を仰け反らして、快楽を逃がそうとしたが失敗した。ひどい快感に獣のように咆哮した。爪をゴム製のベッドでなく、床へ立てた。それでも収まらないほどの甘い性的な感覚に貫かれて痺れた。
「死んじゃう……」
 陶酔した甘い呟きが八戒の唇から漏れる。達しきって過敏になった粘膜に、まだこれでも足りぬとばかりに三蔵の熱い奔流が滴った。
「ああ……」
 八戒はびくびくと白魚のような裸身を震わせ続けた。肉筒いっぱいに注がれる三蔵の精液の感触が粘膜を疼かせ蕩けさせて熱くてたまらない。腰奥の性感を司る神経にまで伝わって脳まで白く痺れてしまう。半開きになった口の中で、綺麗な桜色の舌先が震えている。透明な唾液が口の端からあふれ、あごへ伝わり滴る。
「八戒……」
 院長が、そんな淫らな身体を愛おしそうに抱きしめた。大切な宝物を抱きしめる仕草だ。抜くのが名残惜しいのだろう。いつまでもふたりでつながり続けている。
「春になったら、花を見につれてやってやる。約束だ」
 甘い睦言がきりもなく交わされ、飽きずにくちづけあう。とても明るい太陽の下には大手を振ってでることのできぬふたりの関係だ。しかし、閉鎖地下病棟の周囲の暗い闇はそんなふたりを祝福するかのごとく優しくそっと包み込んだ。







 夜半、怖いほど美しい月も、ようやく傾く頃。

 烏に似た夜勤の病棟医が、さりげなく呟く。
「あ、そうそう。これ渡しとかなくちゃ」
「なんだ」
 生真面目な声が応じた。
「今日昼間、業者さんが来てね。やっぱり電磁鍵おかしかったみたいで、基盤変えて、プログラムとかも書き換えていったみたい」
 ニィは白衣の懐から1枚のカードキーを出した。
「これ、院長先生に渡しておいてくれるセンセ?」
「それは……」
 例の 「一番奥の部屋」 の鍵だった。――――八戒の部屋の鍵。
「新しくしたんだってさ」
 ニィは薄い唇の端で微笑んだ。
「しばらくすると、今のは使えなくなっちゃうみたいよ? 」





「ハルシネィション19へ続く」