この地獄のような病棟でも時間だけは過ぎてゆく。無情にも過ぎてゆく。病院から出るあてのない病人達のもとにも時だけは平等に訪れる。
閉鎖病棟地下重症棟。
ここは監獄と何が違うのか? いや違う。支配している法律が違う。精神病院の方が曖昧で医者有利にできている。医者が駄目だといえば、二度と出られない。何でも隠蔽できる。刑務所より悪い。ここは最悪なところだ。――――そう。人権なんていうものは、一部の人間の間だけのおとぎばなしだ。平和な時だけのおとぎばなしだ。贅沢品に過ぎない。贅沢品に過ぎないことを我々は普段忘れているのだ。錯覚。それだけに過ぎないのだ。
闇路から金の髪を揺らし、院長室から地下へと通いつめる白皙の病院長、そしてそれを夜な夜な待つ美しい青年。この背徳的で淫らな関係は、綿々と続けられ、関係は日ごと夜ごとに強くなり、とうとう別ちがたいものに成り果てた。
洗脳され、犯され続けて、精神的にも変質をきたした八戒は、もう昔の八戒とは違う。その面は白く、ぞっとするほど美しい。何か、名状しがたい気品のようなものがその姿に漂い、見るものを陶然とさせる。
青年に特有の闊達な明るさは、もう無残にも薬にしたいほどもないが、その代わり闇の眷属のような凄艶さがその身に巣食っている。
もう、人ならぬ魔性じみた存在に八戒は変化しているようだ。
そう変えた当の院長すらも、狂わせる濃厚な色香が病室の空気を染め上げている。黒髪が異様なほどの艶を放って光る。
この夜も、三蔵が八戒の病室の電子錠を開けて入ると、いつものように端麗な美貌の悪魔が音も立てずに振り向いた。
「おかえりなさい。三蔵」
確かに、彼はそう言った。おかえりなさい。魅惑的な優しい声だった。
その声を聞いて、三蔵は誘われるように近寄った。黒髪の青年もそれに応えるように手を伸ばす。首に嵌められた首輪から繋がる鎖がしゃらしゃらと音を立てる。
「三蔵、今日は遅かったんですね」
「すまない」
ふたりは黙って抱き合った。
白いタイルの張られた病室内で、寝るところだけはゴム製のベッドが埋め込まれている。そこがふたりの逢瀬の場所だ。官能で煮凝ったような空気の中で、夜とも昼とも知れぬ地下でお互いを確かめ合う。
「手の震えはどうだ」
三蔵が抱きしめたまま訊く。
「え、あまり気になりませんよ」
腕の中で八戒は柔らかく微笑んだ。
「ほら、ね。そんなに震えていないでしょう?」
先週から、抗精神薬を少し減らしていた。
三蔵はそっと気遣わしげな視線を相手の端麗な面へと走らせた。潤んだ緑色の瞳にこちらを見つめ返される。
三蔵は不安だった。
以前、一瞬浮かんだ考えが未だに頭から去らないのだ。
――――もし、薬を減らして八戒が正気に戻ったら?
考えただけで、ぞっとした。
三蔵の不安は、天女を妻にした男の不安に近い。
隠していた羽衣を見つけると、それを羽織って天女は天に帰ってしまう。天女に惚れた男を置いて、男のことを見捨てて去ってしまう。あんなに閨で甘い喜悦を共にしたのに、まるで、無かったことのように男は無情にも捨てられてしまうのだ。
そんな、苦しい心のうちなど知らぬげに黒髪の麗人が金糸の髪に隠れた耳元へ囁く。
「あなたがそんなに心配してくれるなんて……」
甘い、聞くものを陶然とさせるような声色だった。
「僕、とてもうれしいです」
悪魔のように凄艶なくせに、その唇から出たのは可憐な言葉だった。
きつい性的な調教を受け尽くし、身体は男が欲しくてしょうがないように淫らに狂わされているくせに、いまだにどこか清廉で清潔な気配がこの男にあった。それがよけいに、抱く男を夢中にさせると当の本人は気がついていない。
「八戒」
三蔵は悩ましい感情に襲われ眉根を寄せた。相手を抱きしめる腕の力を強くする。
(いいや)
三蔵は八戒を抱きしめながら、心の中で密かに思った。
(天女に捨てられるのが怖いなら、羽衣など焼き捨ててやればいい)
そう、お伽話の男は馬鹿な男だ。何かを手に入れたいなら、何かを諦めなければならないのだ。それが分からない馬鹿だったのだ。
「さんぞ?」
八戒は気の浮かぬ表情を浮かべた院長を気遣った。
「どうしたんですか? 何か心配ごとでも? 」
甘く涼しい八戒の声を聞きながら、三蔵は誓った。
(俺は失敗などしない。絶対にしない)
最初から、心まで欲しいなんて思ってはいない。
院長は浮かんだ想念を振り払うように首を横へ振った。
メジャートランキライザー、抗精神病薬。本質的には統合失調症(分裂病)のための薬だ。
三蔵は洗脳のために、この薬を使用した。飲めば立っていられない。脳がブレーカーを落とすような感覚で気絶する強い薬である。飲む拘束服、飲む保護室といわれるのも当然だ。副作用も当然激しい。
「あ……」
八戒へくちづけた。朱鷺色の唇へ、白い首筋へ、それからもっと下の方へ舌を走らせる。
この存在を失いたくない。たとえ、彼が正気でなくとも欲しかったのだ。いいや、彼が彼自身でいて誇りを持っていたり、健全な自尊感情があると邪魔だからと彼から正気を消した。非道にも薬で消し去ったのだ。
――――自分のものにするために。
「さんぞ……」
甘い声が闇から漏れた。ふたりの夜ははじまったばかりだった。
「ふ……」
抱かれてから、ずいぶん時間が経っていた。くちゅ、くちゅと淫らな音が立つ。怒張をえんえんと抜いてもらえない。今夜の交合はやたらとねっとりとして、執拗だった。
「ああっ……」
八戒が目もとを赤く染める。ゆるゆると繋がることだけを求められているようなセックスだった。
脚を抱えられ、突きいれられているのに、あまり動いてもらえない。三蔵は身体の上で、八戒の肌で遊んでいるようだ。
「さん……」
焦れて、長い両脚で三蔵を引き寄せようと腰へ絡みつかせる。
しかし、三蔵は意に介したふうでない。手を八戒の顔へと伸ばす。白く長い指が八戒の顎へと這ってきた。つ、と唇へ遊びにきたようなその指へ八戒は誘われるように舌を伸ばした。男が欲しい欲望のままに、舌を三蔵の指に這わせる。
ピンク色の舌先で、ちろちろと三蔵の指の股の間を舐めた。小指から薬指の間、中指の間、ひとつひとつ舌先を尖らせて這わせる。
その表情は官能的というよりいやらしい。串挿しにされているのに、動いてもらえなくて変になりそうだった。
三蔵の白く節の立った、しかし優美な指の一本一本にオスが欲しい三蔵が欲しいと舌を這わせる。舐めすする整った顔立ちには淫らな陰が差して凄艶だ。
確かに、八戒の愛撫は、三蔵に伝わってはいた。舌で指をねっとりと舐めるたびに、ぴくりと三蔵のモノがうごめく。身体の内側の粘膜でぴくぴくしたうごめきを感じて、八戒の内股がひきつった。
つい、きゅうきゅうに締めてひくついてしまう。
「ああッ」
でも、抜き挿しはしてもらえない。
「そんなに俺が欲しいのか」
三蔵がささやく。
「さん……ぞ」
ぴちゃぴちゃと指を舐めていた八戒がすがるようにうなずいた。
「おねがい……おねが……」
しかし、こんな眩暈のするように淫らなお願いも、今夜の三蔵は聞くつもりがないらしい。
「イッて……さんぞ」
甘い汗を肌に浮かべて八戒が喘ぐ。ひくひく、と肉筒が粘膜がわななく。
「おねがいッ……」
突きいれられたまま、動いてもらえない。生殺しだ。緑の眼がうっすらと潤んだ。限界が近い。
「……ヒッ」
ずぷ、と三蔵が一度、腰を引いた。八戒ががくがくと腰を、脚を震わせる。粘膜をこすって抜かれる感覚がよくてたまらない。
「あああッ」
次の瞬間、強く打ちこまれた。下生えが肉の輪に触れるほど深くつながった。ぶるぶると八戒が痙攣する。きゅ、きゅッとあそこも締まった。粘膜全体で三蔵にしゃぶりつく。両腕でその背へきつくしがみついた。
「く……」
さすがに、三蔵が眉を寄せる。淫らな身体だった。甘い、甘い糖蜜のように甘い。
「あ……」
蕩けきった淫らな顔。口も半開きになって、閉じられなくなっている。口端から唾液が伝い、敷布へ滴る。
「明日は休みにした」
院長が甘い声でささやく。
「だから、今夜はずっとお前とつながってられる」
「…………! 」
八戒がひくり、ひくりと肌をふるわせる。いつも忙しい三蔵は、仕方なく床を急いで去っていくことも多い。忙しい院長先生は欲望を吐き出すと、そそくさと出ていくしかない。
しかし、当然それは先生の本意ではないらしい。
今夜のように、明日なんの予定もないときは、八戒とただつながっていたい。性行為を急ぎたくないと言うのだ。
「お前とずっとこうしていたい」
しかし、それは、八戒にとって甘い性的な拷問に近かった。
「ああ……あッ」
じっとりと炙られるような情欲に、黒髪の男は肌をわななかせ身を焼いた。金の髪の院長との行為はえんえんと続いて果てがなかった。
「もう、抜いて、おねがい抜いてぇッ」
甘い、悲鳴のような喘ぎと懇願と。
三蔵は、黒髪の麗人の首筋をねっとりと舐め上げた。ゆっくりした動きだ。八戒がのけぞった。
「ああッ。もう僕、身体がヘンなんです。おねが……い」
首筋を舐められ、ゆったりとつながっている腰をゆする。肉棒が、肉筒の淫らな一点にぶつかったらしく、八戒が悲鳴をあげる。
「あああああっ」
快楽の発火点は限界をとうに超えていた。
「抜いていいのか。本当か」
もう、どのくらい身体をつなぎつづけているのか。
「本当に俺のを抜いていいのか」
喘ぐ口元に唇を寄せた。
「うそつきが」
「狂っちゃう……も……!」
「うぐッ……」
院長は唇と唇を重ね合わせた。恋人のように、舌先で八戒の唇をなぞりあげると、そのまま深く絡め合わせた。震える舌をみつけだし、舌と舌を絡め合わせる。
ピンク色の肉隗どうしが、意思を別にする軟体動物のようにうごめき、絡みあう。官能的で腰の奥の奥を焼くような口づけだ。びりびりとした快楽の火花で、神経が侵され、しびれて動けなくなる。
「ふぐッ」
口を塞がれたまま、生々しいうめき声を八戒が立てた。当然、突き入れたまま、口づけられている。
「はぁ、あ」
舌を絡ませたまま、ゆっくりと抜き挿しをされた。ぐぽ、ぐぽといやらしい音が交接しているトコロから漏れる。感じすぎて、八戒が痙攣しだした。
「……うくッ」
前に、触ってもいないのに。
もう何回目か分からないほど、八戒は自分の屹立から白い体液を吐き出していた。
「ああ……ああ」
もう、何をされても感じてしまう。現に今、三蔵が耳へ吐息を吹きかけただけで、八戒は達しそうになっていた。
「キスだけでイッたのか」
八戒の唇をぺろりと三蔵が舌で舐めた。
「ふ……んぐ」
もう一度、唇を重ね合う。角度を変えて舌と舌を絡めあう。濃厚すぎて、可愛い恋人のようなキスとはとてもいえないが、確かに魂まで深く求められていることを感じさせる接吻だ。
濃い情交のまま、上の口も下の口も、上の粘膜も下の粘膜もぴったりと重ねあわせてつながり続ける。
「あ……」
黒髪が快楽の汗でしっとりとしめっている。もう何時間も交合は続いていた。
三蔵がゆっくりと尻を回して穿ってきた。びりびりとした快楽が肌を焼き、内部の粘膜をしびれさせる。強烈な毒でもたらしたようだ。そのまま、円をえがくようにして粘膜を肉棒でこすりあげた。
そのまま、八戒の胸を飾るふたつの尖りを、舌ではじいて交互に舐めまわした。乳首があっという間にこりこりにかたくなり、ふるふると尖って震えるのがなまめかしい。
「抜いて……ダメ、も、これ以上、無理。イッてさんぞ」
八戒が悲鳴をあげだした。もう、体裁も何も残っていない淫らな本能だけの声だ。
理性はとっくに焼き切れていた。耐え切れなかった。とうとう、卑猥な言葉で自分を犯す男へ懇願しだした。
「抜いてぇッ……もうだめ抜いて、お願いもう、これ以上ム……リ」
「嘘つけ。こんなにひくひくしちまっているクセに」
言葉と裏腹に、八戒のは三蔵にしやぶりついて離さない。
「あああッ」
脳裏に快感の粒子が舞い、神経が網目状に溶け白く白く発光する。肉筒を中心にして痙攣しだした。粘膜が震える。喘ぎが抑えられず唇から漏れる。
「すげぇ、やらしいお前」
三蔵は自分の舌を舐めた。
「好き……あ、好き、さん……」
八戒が長い腕を伸ばして背にしがみついてくる。甘い甘い睦言をささやきだす。
「好きって何が好きだ。俺が好きなのか、それとも俺のチ×ポが好きなのかどっちだ」
院長が情欲のにじんだ声音で淫らにささやき返した。性器の名称を告げたところで文字通りソレを激しく揺すって突きあげた。
「うくッ……ふッ……さんぞ……が、ぼ……く……さんぞのことが」
八戒がいやいやするように首を横へ振った。
白い尻を犯されまくって、奥歯をきつく噛み締めている。甘い疼きが背筋を電撃のように這いのぼって神経を焼き尽くす、ぞくぞくする快楽の波になんとか耐えきった。妖魔のように凄艶な表情で三蔵へ身体ですがりつく。
「さんぞのことが……スキ。好き……あ、好きで……」
甘い、甘い甘い言葉を院長の耳元でささやく。ぺろり、と金糸のような髪からのぞく耳たぶを舌先でなめた。
忘我のときの、蕩けるような本心からの告白だった。
「……俺もだ」
八戒を身体の下に敷きこみ、抱きしめたまま、院長がうなった。
「俺もお前が、お前のことだけが」
八戒の顔を上から見つめる。緑の瞳と紫の瞳が真正面から重なりあった。
「好きだ」
きっぱりと院長が言った。
「お前が好きだ」
そのまま、また唇を重ね合わせる。
「さんぞ……さんぞ……好き……大好き」
うわごとのように告白する唇へ優しくキスをする。
「八戒……俺の……大切な……」
肉体の境目が蕩けあってなくなるような行為の連続、身体を重ねたところから溶け合い崩れてしまいそうな凶暴な快楽の渦の中で、お互いがお互いに聖なる誓いを立てあっている。
「あ……」
抱きしめあったまま、ふたりで同時に達した。
どくりどくりと粘膜に白い精液が吐き出されて内部に広がる。八戒の屹立も何度目とも分からない 白濁液を放ち三蔵の腹部へと滴らせた。
「くぅッ」
もう、何をされても感じてしまう、極限の快楽に撃ち抜かれ八戒が敷布に爪を立てた。三蔵に貫かれたまま身体を反らせて足の指先までわななかせている。
「ああ……あっ」
三蔵が、そんな身体を大切そうにきつくきつく抱きしめる。甘い恋人同士の抱擁だった。
「愛してる、愛してる俺の」
八戒はうれしそうに微笑むと三蔵の下から腕を伸ばした。金色の髪をした男の頭を片手で抱き、優しく抱きしめかえす。
「さんぞ……」
喘ぎ続けて回らぬ舌で、恋人の名前を大切そうにそっと呼んだ。どちらからともなく、見つめあい唇を重ね合わせる。
「ふ……ッ」
病院の外では下弦の月が白く光り、夜明け近くの空の下、まだ薄っすらとその姿をみせていた。
――――天女に恋をした男の末路。それでもかまわない。今、腕の中には確かに八戒がいる。
しかも、三蔵のことを好きだと身体ですがりついてくるのだ。もう、嘘でもかまわなかった。本心でなくても、薬のせいでも、洗脳の成果だとしても、もうかまわない気分だった。
抜け殻でもいい。もう、それでも構わない。心まで欲しいなんてそんな贅沢は言っていないのだ。
それでもいいから、傍にいて欲しい。逃がしたくない。
この祈るような切ない気持ちを、何と呼ぶのか分からなかった。
八戒を腕に抱いたまま、三蔵はそっと目を閉じた。
「あれ? 」
紅孩児が病室のひとつに入ろうとして首を捻る。いかにも真面目な青年医師という姿だ。
ビービーガチャ。
ドアがおかしかった。
病室のカードキーを受け入れたものの、反応が遅いし、警告音に近い音が鳴った。
「そう言えば、ウチの病棟の電磁錠、最近、開けるときに変な音がするよねェ」
傍らにいたニィも首を傾げた。闇に似た色の髪が白衣の肩で揺れる。
「そうか。業者を呼ぶか」
「そーだね。完全に壊れちゃってからじゃ、遅いよネ」
ニィが眼鏡のブリッジを指で押さえた。
「電磁錠も消耗品だって聞くしな。メンテナンスの業者に頼んで機器の取替えを頼もう」
「…………」
ニィはちら、と病棟の一番奥へ目をやった。八戒の病室の方へと暗い目を向ける。
「そうだね。取替えを頼もうか」
その口元に、歪んだ笑みが浮かんだ。
「ハルシネィション18へ続く」