ハルシネィション(15)

 いつも通りだった。八戒は大人しく三蔵のいない午後をゆっくり過ごしていたらしい。
 そう、
 同じフロアの重篤な 「ご近所さん」 達にくらべ、八戒のたたずまいは異質だった。
 美しい小さな顔を伏せて、いつも誰かを待っているような風情を漂わせている。革でできた首輪をつけているのが異様といえば異様だが、その容姿は美麗な玉を刻んでつくったように美しい。
 八戒の目が一瞬考え深げに伏せられた。長めのまつげの先が頬に影をつくる。その整った唇が軽やかに動いた。
「今日はどうしたんです? 三蔵早いじゃないですか」
 紫色の瞳を真っ直ぐに見つめてくる。きらめくような切れ長の瞳に三蔵が映っている。綺麗な緑色だ。
 思わず院長はほっそりとした肢体を抱きしめた。すかさず相手もしがみついてきた。病院の病衣に包まれているというのが倒錯的でまた魅力的だった。特に細い腰が扇情的で淫らで男の劣情を引き起こす。
 しゃら、と首と鉄格子をつなぐ鎖が音を立てた。
 如何にも麗人という表現がぴったりな様子だった。こんな精神病院の閉鎖重症棟でこんな美しい人間がひっそりと秘密に飼われている。驚きだった。
「何かあったんですか?」
 三蔵の腕の中で八戒が訊いた。レンタルの病衣がサイズが合わないらしく、やや袖が長い。
「ん。……ああ」
 三蔵が気のないそぶりで答える。
「何、お前の2軒隣の患者が自分で自分の頭ぶつけて死のうとしただけだ」
 凄まじい内容をさらりと口にした。
「それって……」
「お前が無事ならいい」
 三蔵が相手を抱きしめる力を強くした。そのまま細い腰に手を回す。
「さん……」
「最近は、喉とか渇かないのか」
 大量に盛っている精神薬の副作用、口渇を心配している。
「お茶、飲めるようにポット置いていってくれてますから」
 三蔵の取り計らいだ。こんな重症棟で破格の処遇だ。
「そうか」
 金の髪の院長は、心底ほっとしたように、相手のなめらかな白い額に口づける。
「ジストニア、ジスキネジア、パーキンソンは出てねぇな」
「ん……」
 しかし、
 八戒の指が少し震えているのに気がついた。
「いつからだそれ」
 再び心配事にとりつかれた三蔵が眉根を寄せる。険しい表情になって口を歪める。
「いや、別に僕は」
 弁解も聞かず、しなやかな手首をつかんだ。男ながら細く優雅な八戒の手の動きを観察する。まじまじと至近距離に紫色の瞳を近づけた。
「さ、三蔵」
 ほんのわずかだが、八戒の手はかすかに震えているようだ。
 薬の副作用だった。メジャートランキライザーを減らさないといけない。本人に自覚はないようだが、専門医の三蔵の目はごまかせない。
――――少し薬を減らしていかねぇと。
 八戒の処方やカルテは既に諳んじている。コントミンの処方を減らしてロヒプノールを増やす。処方をマイナートランキライザー主体にする。ついでに副作用止めにアーテンを……。
 八戒を腕に抱いたまま、つい今後の処方を考えてしまっていた。
 あまりに三蔵が動かないので、八戒が、いたずらだろうか、頭を押し付けて甘えたように身をすり寄せてくる。黒髪の可愛いネコかイヌのような仕草だ。
 そんな相手の様子を見て、鬼畜な院長がうっかりと口元をゆるめた。
 が、突然、次の瞬間。
 ふっと恐ろしいような考えが頭をかすめた。
――――もし、薬を減らしてコイツが正気に戻ったら?
 それはぞっとするような考えだった。考えたくもなかった。
「三蔵? 」
 三蔵の考えなぞ露知らず、八戒は天上から降りそそぐ白い花のような微笑を浮かべて、唇を寄せてきた。まるきり恋人に対する態度だ。
 しかし、三蔵は不意に思い出してしまった。
(僕はあなたを絶対に許しませんよ)
 きっぱりとした態度で、初めて保護室に叩き込まれたとき八戒はそう言ったのだ。自分を陵辱した三蔵のことを燃えるような激しい視線で睨み返してきたのだ。もう、遠い昔のことのようだ。
「さんぞ……」
 うっかり三蔵が昔の事を思い出していると、長いしなやかな手足が三蔵の身体に絡みついてきた。常に快楽を叩き込まれ、調教を受け続けてきたので、三蔵が身を寄せるといまや自然に発情してしまうようだ。
「ふ……」
 三蔵に手首をつかまれたままだった。八戒がそこに顔を寄せる。三蔵の指を舌で舐めだした。
「う……」
 三蔵の優雅だが男らしく節の立った指につっと赤い舌を走らせる。八戒の目元に赤みが差す。男が欲しいと訴えているように見える。
「ん、ん」
 ちゅぱちゅぱと八戒の舌と三蔵の指の間で音が立った。完璧に八戒はネコのようにじゃれていた。
「クソ……」
 三蔵は甘い求めに逆らえず、とうとう、八戒のしなやかな細い身体を床に押し倒した。
「ん……」
 しかし、
「……なんだ、てめぇ」
 八戒の次の行動は意表をついた。黒髪の可愛い淫魔は逃さぬとでもいうように三蔵にきつくしがみついたのだ。
「なんとなく、今日は、しばらくこのままでいたいんです僕」
 うっとりとわけのわからぬことを、しがみつきながら甘くささやいてくる。
それを聞いて、三蔵が癇症な表情で眉根を跳ねあげた。
「んだと、てめぇ」
 忙しい院長様に比べ、八戒はあまりにも悠長なことを言っていた。
「こうやって、貴方と抱き合ってるなんて、あまりないコトじゃないですか」
 さっきまで、確かに求められていた三蔵だったが、いざ本気になったら、黒髪の男にロマンチックでのほほんとしたことをほざかれてしまった。早い時間に来たので、今日は時間があると誤解されてしまったようだ。
「さんぞ……」
 あおむけに押し倒していた。八戒は長い手を伸ばして三蔵の背を抱き、しがみついてくる。これ以上ないくらい身体は密着していた。金糸の軽くかかった耳元に、黒髪の患者が首を伸ばして甘い唇を寄せた。
「好き……」
 甘く涼しい声を流し込む。不意打ちだった。甘い、甘い声だった。陶然とした声で囁かれた。
「さんぞ、さんぞ……」
 これでは本当に恋人同士のようではないか。
 三蔵は眩暈のするような幸福感に酔った。幸せだった。
 でも次の瞬間、
「うるせぇ。てめぇみたいなヒマ人と違ってこっちは時間がねぇんだ。早く尻を出せ」
 金の髪をした死告天使みたいな院長先生は素直でない。心にも無いことを言っている。いや、時間がないのは本当だった。
「う……」
 八戒は悲しげに呻いた。
「俺は、てめぇの隣のキチガイが暴れてるから来ただけだ」
 傲然と吐き捨てるように告げる。本当に素直でなかった。
「さんぞ……」
「分かったら、早く脚を開け。仕事が残ってるんだ。早く済ませるぞ」
 本当に院長先生は素直でなかった。
「う……」
 八戒の綺麗な瞳にうっすらと光るものが滲む。確かにこの言い方はなかった。今日は早めに来てくれた。大好きなヒトが早く来てくれたと無邪気に思っていた純粋な気持ちに砂をかけられたうえ、止めを刺された。ひどい。ひどすぎる。
――――仕事が残っている。
 確かに三蔵がこの地下病棟に来たのは予定外のことだった。仕事を済ませて夜来るつもりだったのが、看護師達から地下病棟の不穏な出来事を聞いて、とるものも取り合わず、気がつけばこの地下にいたのだ。心配で、いつの間にか八戒の病室まで来てしまっていた。
 三蔵が心の中で自らを叱責する。他の閉鎖病棟だって同様のことはいくらでも起きている。それなのに、この男の病室近くで起きたことだと聞くと、どうして俺はこんなに心配になるのだろう。と。
 三蔵は苛立ち、無理やり八戒の脚を開かせた。前開きの病衣の前を腕づくで開かせる。確かに時間の余裕は全くなかった。今日中の書類が決裁を待っている。アレを無視すれば事務方がヒステリーを起こすだろう。
「……ッ! 」
 かまわず白い脚の間に顔を埋めた。生い育ってしまった八戒の屹立に唇を寄せて慰める。鈴の口のような割れ目に入念に舌を這わせた。
「あ……! ああ」
 ぶるぶると八戒が頭を振った。黒曜石みたいな艶のある髪が打ち振られる。
つ、とそれより下に舌を這わせる。慎ましやかな蕾にたどりついた。円を描くように舌でゆっくり愛撫を加える。
「あッ……! 」
 じゅぶ、とみだらな音が立った。八戒がいやいやするように頭を横に振る。
「んん! 」
 肉の環と三蔵の唇の間に透明な唾液が橋をかける。舌で自らの指を湿らすと、くち、と八戒の蕾をつついた。
「…………! 」
 突かれる感触に八戒が身をよじる。
「抱いていいな」
 金の髪の院長は低音の声で黒髪の男にささやいた。とりあえず、早く熱をあけて、執務室に帰らなくては。
「いやです。絶対いやです、いやで……! 」
 少し、意地を張っていた八戒だったが、ここまでだった。
 三蔵の質量が肉の環をとおって打ち込まれてくる。
「…………ッ! 」
 無理やり、つらぬかれた。犯された。
 ぞくぞくするような快感が背筋をかけのぼってくる。
「煽ったのは、てめぇだろうが、反省しろ」
 貫きながら、非道な院長が責めた。淫らなお前が悪いんじゃねぇかと恥ずかしい言葉をこれでもかと吐かれる。
「貴方と……」
 無残に男の肉棒で串刺しにされ、身体を激しく揺すられながら、緑の瞳の美人が苦しげにうめく。
「恋人になりたいっていうのは」
 無理なんですか。
 告げられる甘い言葉に、三蔵は戸惑った。どう、返事してよいか分からない。穿つ腰の動きを早くする。
「ああッ」
 甘い声が相手から漏れる。それだけでいいと思ったのに。身体だけでいいと思っていたのに。
心はいらない。身体だけよこせ。そう思っていたのに。
 抗精神病薬のもたらす、幻覚だ。幻覚? 抗精神病薬はむしろ幻覚を抑えるために処方される薬のはずだ。
 いざ、八戒から恋人のように甘い気持ちを告白されると三蔵はどうしていいのかさっぱりわからなくなった。とにかく、相手のことが心配で愛しい。この世のなにより大切だった。
 しかし、それを素直に表現できない。絶望的に不器用だった。
「うッ……んッ」
 白いしなやかな身体を挿しつらぬく動きを早くする。絶頂はもうすぐだ。
 八戒の手が三蔵をとらえようとさまよい出す。その手を捕らえて鬼畜坊主は指をねっとりと舐めた。 お返しだとでもいうように。
 本当に大切だった。いまや、三蔵にとって本当に大切で可愛い。
「…………! 」
 八戒の腰が三蔵を咥えこんで淫らにくねる。イイ、イイと言葉にしなくとも、その動きが言っている。三蔵の硬くて太いものを奥に嵌められて、腰が蕩けて動く。もっとイイところにあてようとあえぎ狂う。八戒の尻肉が快楽で震える。
「さんぞ、さんぞ……! 」
 やがて、逐情する声が八戒から漏れ、八戒の屹立から白濁液が噴出し、幹を伝った。
 その、感じきっている身体をさらに三蔵は犯した。抱えている片足の、足の指を口に含む。
「ひッ……! 」
 紅潮して、快楽にあえぐ、淫らな八戒の身体が愛しい。
「八戒……! 」
 達する八戒の耳元に甘い睦言をささやく。
 愛してる。俺の方がよっぽどお前を……。それは、言葉にならない声だった。
 垂直に腰を使って八戒を穿つ。直線的に自分の欲を追い出した、三蔵の腰の動きが八戒を追い詰める。
 獣に還って相手をお互いに求め、ただ狂った。きゅうきゅうと八戒の肉筒が締まり、三蔵の肉棒をもみくちゃにする。
 限界はもうすぐだった。全てが発光し、白い無となる快楽の臨界点に達して、三蔵は八戒の身体に欲望を叩き込んだ。脈拍と同じ音律でそのしどけない身体に白い体液を注ぎ込む。
「あ……! 」
 八戒の口元から、留められない唾液が糸を引いて垂れ落ちていく。綺麗でひたすら淫らだった。
「八戒……八戒」
 三蔵はもう一度、しっかりと白い痩躯を抱きしめた。幻だとしても、彼のことが愛おしくてならなかった。

 その為なら、どんな犠牲も払うと決めたのだ。どんな犠牲でもだ。

「じゃあな」
 短いいらえの後、院長先生は白衣の前のボタンを嵌め、足早に去っていった。院長室に戻るのだろう。心なしか顔が赤い。
 後には、ぐちゃぐちゃに陵辱された八戒が残される。
「ふ……」
 なんだか、よく分からない。
 最初、この病室に来たとき、三蔵は血相を変えていた。あんな三蔵ははじめて見た。血の気がなく、顔色が悪かった。でも、自分を見て、微笑んでくれたように見えて嬉しかった。なのに、結局されたことはいつもと一緒だった。

「…………う」
 八戒は、貪られた身体を起こした。身体の芯がだるい。
夕方の陽の光も届かぬ地下病室で、八戒は呻いていた。べたべたにされた。やはり精液まみれにされた。脚のはざま、股の奥の奥から、淫らな栗の花のような漂白剤を薄めたような匂いを放つ三蔵の体液がとろとろと漏れ、腿をしとどに濡らしてしなやかな脚へと伝いだす。
「ふ……」
 三蔵のが、皮膚の上を流れるどろりとした淫らな感覚に、八戒は眉根を寄せ肌を震わせて耐える。後ろの肉の薄い尻の方へまで白濁液がしたたり落ちてゆく。
「あ……っ」

 風呂の時間は特別に優遇されている。でもこんなのは耐え切れない。院長先生の慰みもの。非情な処置を受け、患者なのに一方的な性欲処理の相手にされている。
 でも、八戒はもう、三蔵を憎みきれない。そして、この感情をなんと名づけていいかも分からない。




「ハルシネィション16へ続く」