糖度38度(4)

「全治一ヶ月ぅ? 」
 河童の驚いたような声が宿の部屋に響く。
「あははは。お医者さんも大げさなんですよ」
 ベッドに横になり、白いシーツに包まれた八戒が笑う。その左腕は包帯でぐるぐる巻きにされ、ギプスを嵌められている。
「……ったってよぉ」
 ハイライトの香りが部屋に漂う。どうしてこの銘柄が好きなのか、河童の気が知れねぇ。まぁそんなことは、どうでもいい。
「腕の骨にひび入ったって? なんだってお前、気功じゃなくて素手なんか使ってんだよ」
 眉を顰めて悟浄が首を振る。
「ははは。慌てていて思わず手が出ちゃったんです。面目ないですよねぇ」
「にしてもよ。危なかったんじゃねぇの。気ィつけろよ。お前らしくもねぇ」
 悟浄は俺と悟空をちらりと流し見た。
「まぁったくー。俺サマがいないとダメだね。アンタら」
 河童がにやりと唇を歪める。赤いその瞳がからかうように細められるのが忌々しい。
「ったくよぉ……これだからチェリーちゃんとおサルちゃんは」
 悟浄はハイライトを咥えたまま、痛快そうに声を出さずに笑った。憎たらしい笑顔だ。俺と悟空はその言葉を聞いて同時にキレた。
「うるせぇ。この赤ゴキブリが。勝手にシケこんでた野郎に言われたかねぇ。死ね」
「エロ河童! 人数少ないから狙われたんだぞ! 反省しろよ! 」
 俺がハリセンでぶちのめせば、悟空が如意棒で渾身の突きを食らわせる。俺もサルも本気だ。河童、いいからもう死ね。
「痛ぇ! 痛ッ……! なんだよ! ふたりして! あああああッ! 」
 俺と悟空が散々悟浄を打ちのめしていると、八戒が助け船を出すかのように口を挟んだ。
「まぁまぁ。お医者さんは確かに僕のことを『全治一ヶ月』って言いましたけど、それは僕を普通の人間だと思っているからで、たぶん二週間もすれば元通りですよ」
「……あんまり、自分の躰のこと過信してんじゃねぇぞ」
 俺は河童に構うのをやめて八戒の顔を覗き込んで言った。空元気出してる美人を睨みつける。
「あはは。でも本当に大丈夫ですって」
 八戒はケガをしていない右手を上げた。顔の前で横に振る。おどけたような仕草で片目を瞑った。
「ま、でも、二週間はココに足止めだな」
 俺はきっぱりと言った。
「三蔵! 」
「仕方ねぇだろうが。そんな腕じゃ、ジープの運転は無理だ」
「運転なんて。片手ででもできますよ」
「大事の前の小事って言葉もある。とりあえず、今は躰を治すんだ。いいな」
 俺はそう言って、ベッドに横になっている八戒の前髪を撫でた。
「三蔵……」
 俺と八戒は見つめ合った。八戒の緑色をした瞳が煌めいて綺麗だった。すぐさま抱き寄せてしまいたいような激情に駆られる。
「…………」
 悟浄と悟空が背後で囁き合うような気配がした。
「……じゃぁ」
「じゃ、俺らはここで」
 片手を上げて、手を振るとふたりともそそくさと出ていこうとする。
「おい……」
「悟空、悟浄? 」
 無言でサル河童は慌しく出て行った。
「……あいつら」
「まぁ、気を利かせてくれたんでしょうね」
 八戒が苦笑する。ふたりで苦笑いをしていると、目が合った。
「三蔵……ごめんなさい」
「何がごめんだ。俺のことなんか、かばいやがって」
「だって……」
 俺はベッドに横になった八戒の上に身を屈めると、その唇へそっと接吻した。
「これからは、俺がお前の左腕の代わりをしてやる。いいな」
 俺は命令すると、そのまま八戒の唇を割り、舌を絡め合わせた。気のせいか、八戒の唇はひどく甘かった。




 それから。
 ケガをした夜、早速八戒は熱を出したり、寝込んだりした。ケガをしたのが原因の不調だ。落ち着くまでに二、三日かかった。

 俺と八戒はこのことで少し喧嘩をした。
「すいません」
「辛かったらすぐ言え。隠すな。バカが」
「すいません」
「ったくこんなことなら、自分がケガした方がよっぽどすっきりする」
「イヤです! あなたがケガなんかするのは! 」
「俺だって、お前が辛そうなの見てるのはイヤだ」
「三蔵ッ」
「……八戒」
 ようやく、熱の下がった八戒の躰を優しく抱きしめる。八戒のヤツは、ベッドに身を起こして、ケガをしてない右腕で俺の首へかじりつくようにしがみついた。
 お互いの額と額を寄せるようにくっつける。
「無理すんじゃねぇ。この上、お前にもしものことがあったら俺は……」
「三蔵ッ……」
「八戒……」
 そのまま、俺は八戒の躰を優しく寝台の上へ引き倒した。

(注:その頃、部屋の扉の外では)
「ねぇねぇ、悟浄」
「……ん」
「俺たち、いつ部屋ん中に入ったらいいの? 」
「……まぁ、当分無理だな」

 河童とサルが差し入れのイチゴを手に、諦めてそのまま帰ったなんてことは知らなかった。

 そんな風に、ケガをした八戒の世話をしながら、俺の数日は過ぎていった。まぁ、俺たちを足止めするのが敵の狙いだとしたら、思うツボだが仕方がない。この場合どうしょうもなかった。
 宿のつくりは比較的新しかった。湯もふんだんに出るし、八戒の面倒を見るのに不都合はない。
 俺は八戒に寄り添うようにして食堂まで降りたり、食事のときは代わりに料理を取り分けたり、果物の皮を剥いたりしてやっていた。
 朝のコーヒーの時間もそうだ。俺が手伝った。
「三蔵すいません」
 八戒がクッキーの缶を片手に近寄ってくる。
「これのフタ、開けて下さい。……片手じゃ無理なんです」
 それはいつも、コーヒーに合うと言って八戒が気に入っているクッキーの缶だった。
「しょうがねぇな。世話が焼ける」
 俺はそういうと、そのフタを外して渡した。八戒の顔が明るく輝く。
「ありがとうございます」
 確かに俺は、いまや八戒の左腕がわりだった。



 しかし、その夜。
 片腕が不自由な癖に、八戒は俺に黙ってバスルームへと足を向けたのだった。
 部屋付きのバスルームへの扉が、そっと閉められるのを俺は見逃さなかった。眉をつりあげて眺めていた。
 そのまま、黙って様子を聞いていると、苦労して服を脱いでいるらしい音がする。脱いだ服が床に落ちる乾いた音が聞こえてきた。
 俺は思わず、黙って舌打ちをひとつした。しょうのねぇ野郎だ。
 そのうち、シャワーの立てる水音までしてきた。あまり音は大きくない。シャワーヘッドから近いところで肌へ湯をかけているらしい、音はやや低く小さくなった。
「……あの野郎」
 俺は唸るとバスルームへ繋がる扉を開けた。ひとつ扉を過ぎると、遮る壁が減って水音は大きくなった。
 洗面台近くの白木の棚に、八戒の衣服が無造作に畳んであった。いつもよりはぞんざいながら、器用に片手でやってのけたらしい。
 俺はその様子を一瞥すると、黙ってバスルームに繋がるドアの前に立った。そして、曇りガラスでできた、そのドアを無造作に開けた。
「……三蔵! 」
 まるで、悪戯をしているところを見つかった子供のような顔で、八戒が顔を上げた。
 当然だが、全裸だった。白い素肌へシャワーを片手で苦労してかけている。ギプスの嵌った左腕を濡らさないためか、下半身へシャワーヘッドを当てていた。湯に濡れた下肢が湯煙の間から見え隠れしていた。
「ひとりで何してやがる」
 俺は心持ち頭を反らして相手を睨みつけた。言いつけに背いた下僕にはお仕置きが必要だ。
「シ、シャワーを」
 白いタイルの壁に八戒の黒髪が映える。シャワーの湯が跳ねたのか、その前髪に飾りのように透明な滴が光る。
「俺が手伝うって言ったろ」
「ひとりでできますよ! 片手使えますから! 」
 慌てたように八戒は弁解した。
「うるせぇ。せっかく固めたギプス濡らしたらどうする。骨のヒビだのが悪くなったらどうするんだ。バカが」
 俺は怒鳴りつけた。この俺様がこんなに心配しているのに、なんて野郎だ。こっちの気持ちも知らないで。ふてぇ野郎だ。
「シャワーなんかじゃ濡れちまうだろうが。部屋に戻れ。気持ち悪いならこの俺が躰を拭いてやる」
「三蔵……」
「何しろ、俺はお前の左腕がわりだからな」




 そういうわけで、俺は洗面器に湯を入れ、八戒を連れて部屋へ戻った。
 八戒のヤツは、戻ったら躰を拭いてやるってのに、後生大事にもパジャマの下を履くのを忘れなかった。面倒くせぇ野郎だ。
 追い立てるようにして、八戒をベッドへ上がらせた。ベッドのスプリングを軋ませながら、八戒はベッドの真ん中辺りに座った。
 俺は傍らの小机に湯の入った洗面器を置いて、同じベッドに腰掛けた。洗面器の中で、湯がさざ波を立てる。透明で暖かいその液体をこぼさないように注意しながらタオルを絞った。
「さ……んぞ」
「なんだ。俺は躰を拭いてやっているだけだろうが」
 洗面器に湯を入れ、浸したタオルで八戒の躰を拭う。
「……お風呂に入りたいです」
「ギプスが外れたらな」
 俺は逃げようとする細い躰を逃さないようにつかまえた。左腕を押さないように気をつける。
「ほら、こっち側向け」
「ん……」
 恥ずかしいのだろう。八戒は目を伏せている。綺麗に肉のついた上半身を丁寧に拭く。ときおり湯につけてすすいでは、また拭う。
 しばらく、優しく拭いてやっていると、恥ずかしいながらにも気持ちいいらしい。ほっとしたように息を吐いた。
 緩やかに上下する艶やかな裸の胸に、思わず目が釘付けになる。
「な、なんですか。何見てるんです」
「別に何も見ちゃいねぇ」
「う、嘘」
 腕や背中、首や胸や腹を拭き終わる。痛々しい傷跡の走る腹部も綺麗に拭いた。細いが綺麗に肉のついた躰だった。しなやかで、どこか蟲惑的だ。
「……下」
「え? 」
「下もだ。脱げ」
 八戒が絶望的な顔をする。目を剥いて叫んだ。
「さ、三蔵ッ! もういいです。背中を拭いてもらいましたから、もう下は自分で……片手でもできます! 」
「うるせぇ」
 八戒はしっかりと自分のパジャマのパンツを右手で押さえていた。俺は邪魔なその指を一本一本引き剥がそうとした。
「なんだこの手は! どけろ! 」
「いやです……いや」
 真っ赤になって抵抗する。本当に強情なヤツだ。今更こいつは何を照れてるんだ。
「ああっ……」
 しょせん、片手しかつかえないのに、抵抗など最初から無駄なのだ。俺は強引に八戒の下肢からパジャマを下着ごとはぎ取った。
 八戒の手がもう決して届かないようについでにベッドから落としてしまう。
「ひどい……ひどい」
「何がひどいだ。こんなに奉仕してやってるだろうが」
 俺は剥き出しにした八戒の下肢へ、濡れたタオルを押し付けた。
「ん……」
 目元を染めて八戒が横を向く。
「綺麗にしてやる。今更、恥ずかしがってんじゃねぇ。お前のココなんざ俺の頭にはもう焼き付いてる」
「……! ……忘れて下さいッ! なんですかそれ! やめて……」
 八戒が悲鳴を上げるが、構ってなどいられない。
 淡い下生えを片手で撫でると、俺はタオルで下肢を拭いていった。腿を拭い、膝を、膝裏を、そしてくるぶしを、足の甲を、足の指を丁寧に拭き清めた。
「ふ……」
 恥ずかしいが、気持ちよくてしょうがないという表情で、八戒が喉を鳴らす。綺麗好きの猫のようだ。
「気持ちいいか? 」
「……はい。ありがとうございます」
 満更でもない表情で、八戒は感謝の言葉を口にしていた。素直な様子がとても可愛かった。
 最初からそうしてればいいんだ。俺は口元をゆるめた。
 そして、眼前にある八戒のしなやかな足にあらためて目を留めた。象牙のような質感が艶めかしかった。まるで誘っているようだ。
「三蔵ッ……ダメ! 」
 自然に、無意識に躰が動いていた。
 気がつけば、俺は八戒の足の甲にくちづけていた。八戒の肌の感触が俺の何かを狂わせる。自然に舌を這わせて愛撫してしまっていた。
「や……足なんてキタナイ……! ダメです! 」
 八戒が慌てたような声を放って、俺の髪を右手で引っ張ろうとあがく。
「なんだと、てめぇ。俺の仕事にケチをつける気か。綺麗にしてやったろうが」
俺は髪へと伸びる、うるさい手を払いのけると叱りつけた。
「これとそれは別の話……」
「うるせぇ。こうなったら隅々まで綺麗になってるか、俺が自分で確かめてやる」
「いやッ……」
 もう後には引けなかった。



「糖度38度(5)」に続く