歪んだ薔薇 第2部(9)

そして――――その躰は相変わらず三蔵のものだった。





 夜。絶望的で救いのない夜が今日もやってくる。





 八戒は服をはぎ取られ、四つん這いでベッドの上に這わされていた。
「あ……ッ」
 三蔵が背後から八戒の尻を抱えるようにして突いてくる。それでも、八戒は枕に顔を埋めたまま、首を横に振っていた。
 淫らな行為に躰や神経を酔わされても、心だけは覚ましていたいとでもいうのだろう。
 だが、それも三蔵が再び腰を揺するようにして突き上げてくるまでのことだった。
「んぅッ……」
 甘い声が唇から漏れた。白い背に汗が滲んでいる。すんなりとした細腰は揺れ、小さく肉の薄い尻は三蔵の赤黒いモノを埋められている。
「だいぶ、慣れたな」
 三蔵の低い声が甘い響きを帯びている。
「う……」
 肉が肉を打つ高い音が、部屋の壁に響いている。
「あ……」
 貫かれたまま、腰で捏ねるようにされ、八戒がまた首を振った。惑乱する感覚が腰奥を蕩かし、背筋を焼く。艶のある黒い髪が敷布に触れてさらさらと鳴った。
「や……ッ」
 三蔵は途中で動きを止めた。八戒がまるで水中から浮上するひとのように息を吐く。激しい行為の連続で、思うように呼吸ができなかったのだ。
 しかし、次の瞬間、
「……! くぅッ」
 三蔵が激しく打ち込んでくるのと同時に、八戒を後から犯したまま、片方の腕をつかんだ。
「ああッ」
 片手を取られ、上へと引っ張り上げられた。今まで前へ倒していた八戒の上体が浮き上がる。
 もう、枕に顔を埋めることもできない。大きく開かされた足、不安定にベッドについた片腕だけで躰と三蔵の律動を支えなくてはならなかった。
 自由度の増してしまった肉体は、露骨に三蔵との楔を軸に動き回る。今までとは異なり、縦横無尽に三蔵のモノが体内で暴れ回るのを直接確かめさせられている。
「はあッ……あっ……あ」
 八戒は眉根を寄せ、苦しげに喘いだ。甘美なのか、辛いのかすら分からない。三蔵が打ち込んでくる肉塊の存在だけが、もう全てだった。
 三蔵は八戒の腕を引き寄せると同時にきつく穿ち、粘膜を執拗に擦り合わせた。
「ああッあああッあ……! 」
 今まで、顔を埋め、唇を塞げていたのに、こんな体位にされては、もうそれもできない。止めようがなく甘い喘ぎが漏れる。
「あんまり声を出すな」
 クックックッと背後で金の髪を揺らして三蔵が笑う。
「……アパート中に聞こえるぞ」
「! 」
 屈辱に八戒が目元を染めた。
「まぁいい。このアパートを追い出されたら、俺のところへ来い」
 八戒は反論しようと口を開いた。
 しかし、
「あ……ぅ……ああッ」
 出てくるのは、悩ましい悦楽の声だけだった。
「そんなにイイか」
 低音の声で淫らに囁かれて、八戒は首を振った。違うといいたかった。
 そのうち、三蔵が腰の動きを早め、止めだとばかりに嬲る動きをした。終りが近い。
 八戒は後ろ向きに腕を引かれたまま、貫かれ続けていた。翼をナイロンの糸で絡めとられた哀れな海鳥のようにとらえられ陵辱されている。
「…………! 」
「八戒……ッ」
 股間に熱いものが迸った。八戒は瞬間まぶたの裏が真っ白になり、何もかも消える闇へと意識を沈めた。それは、確かに羽をもがれた鳥が撃ち落とされる様子によく似ていた。





「八戒」
 三蔵の声で目が覚めた。部屋の電気がまぶしい。煌々と明かりがついている。先ほどまでは薄暗い常夜灯しかついてなかったはずだ。三蔵がつけたのだろう。
「……あ」
 八戒は気がつくとベッドの上にひとりで横たわっていた。三蔵の姿は、声はすれども見えなかった。
 抱かれた後、そのまま気を失ってしまったらしい。薄い肌がけを一枚かけられていたものの、まだ全く何も着ていなかった。
 白い裸体には、相変わらず全身に三蔵との情交の跡がついていて、今日はその上、ご丁寧にも三蔵の手の跡まで残っていた。後背位で犯されたとき、腕を後ろからつかまれたため、くっきりと手の形がついてしまったのだ。
――――また、半袖が着れない。そんなことを八戒がぼんやり思っていると、再び三蔵の声が耳に届いた。
「大丈夫か」
 声はベッドの下からした。八戒が視線を落とすと、三蔵がフローリングの床に直に座り、ベッドの横っ腹にもたれかかったまま煙草を吸っている。
 八戒と違って、下にジーンズを身につけていた。結構、長い間八戒は気を失っていたのかもしれない。
「……三蔵」
 かすれた声で呟いた。喘がされたためかひどく喉が渇いていた。
 それを察したのかどうか、三蔵が無言でペットボトルのミネラルウォーターを、床に座ったまま差し出した。いつの間に用意したのか、八戒は全く気がつかなかった。
「…………」
 無言で八戒は受け取った。
「死んじまったかと思ったぞ。ぴくりとも動かなくなっちまったからな」
 三蔵は珍しく機嫌の良い笑みを口端に浮かべていた。
 八戒はもう、何も考えられない状態で、ただただ水を口に運んだ。機械的な動作だった。
 三蔵は八戒が飲み終わるまで黙っていたが、八戒が水を飲み終わるとペットボトルを受け取って起ち上がった。
 三蔵の均整のとれた後ろ姿が眼前にあった。悟浄と比べると肉厚とは言えぬ躰だったが、筋肉がきれいについた美しい躰だ。研ぐように鍛えられているのが、その背をひとめ見るだけでわかった。
 しかし、今日の三蔵の背には目立つものがついていた。八戒はそれを見て首を傾げた。
 それは、細く鋭いみみず腫れだった。三本くらいずつまとまって平行についている。
 均整のとれた三蔵の背中、肩甲骨の上や、その下にも赤い筋はついていた。
「三蔵、どこかで植木か何かにひっかけました? 」
 八戒は唇の端についていた水滴を、指で拭いながら訊ねた。
「? 何のことだ」
 三蔵が向き直った。
「いえ、貴方の背中にみみず腫れが……」
 八戒のその言葉を聞いて、三蔵の口端が歪んだ。笑いを我慢しているといった顔だった。とはいえ、その紫暗の目に浮かんでいたのは嘲笑ではなかった。むしろ愛しいものを見る目つきだ。
「オマエがつけたんだろうが」
 三蔵は笑いの混じった声で言った。抑えられなくなったらしい。
「覚えてねぇのか」
 八戒は愕然として三蔵の顔をまじまじと見た。やや下がり気味の目元すらもが耽美的に感じる美貌だ。普通の人間だったらみとれてしまうだろう。
「イクとき引っかくからな。オマエ」
 とうとう、クックックッとくぐもった笑い声が三蔵の唇から漏れた。八戒は頭を殴られたような気がして顔色を変えた。全く身に覚えがなかった。
 三蔵は、ベッドに上体を起こしたまま呆然としている八戒の上に屈み込み、男性的な、やや厚みのある整った唇を寄せてきた。
「最近はちゃんと……締めるだけじゃなくて。緩めることもできるようになったしな」
 卑猥な事を暗喩している言葉なのに、三蔵の口調は嗜虐的というよりも、甘い睦言の響きがあった。
「最近は、きちんと……どんな感じか俺に教えてくれるじゃねぇか。……それも覚えてねぇのか」
 八戒は絶句した。三蔵の言葉は、全く記憶になかった。自分を貶めるために嘘を言っているのではないかと思ったほどだった。
 しかし、その背の爪あとは確かに八戒がつけたものに違いなかった。快楽に追い詰められた忘我の淵で自分のしている行動を、八戒は覚えていなかったのだ。
 気持ちはどうだろうと、行為を重ねるうちに、躰だけは三蔵になじんでいたのだ。三蔵が埋めた種は、八戒のなかで芽を吹き、葉を茂らせ、実をつけつつあった。
 肉体に押された刻印は、もう消すことなどできなかった。
 そして、その刻印は八戒が思っているような、単に肌の上につけられた吸い跡だの、噛み跡だのといったそんな表面的で生やさしいものだけではなかったのだ。
 事態は絶望的で、その癖、八戒はその深刻さに気がついていなかった。
 三蔵に囚われまいとしていても、既に肉体が飼い慣らされてしまった。そして、彼はそのことが何を意味するのか全く分かっていなかったのだ。



 八戒が三蔵にがんじがらめに縛られているなんてことは、悟浄は全く知らなかった。
 そう。
――――知らなかった。



「歪んだ薔薇 第2部(10)」に続く