歪んだ薔薇 第2部(14)

「待って下さい! 下ろして下さい。悟浄」
 やっと、悟浄の行動の意味がおぼろげながら分かって、八戒は悲鳴を上げた。
 悟浄は、テニス部部室の鍵を服のポケットから取り出したところだった。さすがに、八戒を抱えたままは難しい動作だった。
 右手で抱えながら、器用に反対側の脚の腿を上げて八戒を支え、空いた手で鍵を開けた。金属的な軋む音とともに、ドアが開いた。
「相変わらず汚ねぇ部屋だな。ちょい勘弁な。八戒」
 十五畳ほどの広さの部屋に、くすんだオレンジ色のカーペットが敷かれ、そこかしこに座布団が落ちている。
 部屋の隅には本棚があって、テニス部らしくフォーム研究の雑誌やら、資料やらが突っ込まれ、壁には綺麗な姿勢でポーズをつける海外有名選手の写真入りカレンダーがかかり、丸やら三角やらの記号と用件らしき事柄が書き込まれている。
 悟浄は部屋の中央にある座卓を蹴ってどけた。冬になるとコタツも兼ねる形式のものだ。麻雀の片付けが不十分で、点数棒が乱雑に散らばっている。
 悟浄は近くにあった座布団を引き寄せて敷くと、空いた空間に八戒を降ろした。
「ん……」
 降ろされた衝撃で、八戒は自分の腕で躰を抱え、ぶるっと身震いした。ローターは休みもせずに、八戒の躰の中で震動している。
「八戒」
 悟浄の声は静かだった。
「八戒、もう大丈夫だから、見せて」
「…………! 」
 悟浄は八戒のエプロンへ手をかけていた。脱がそうとしている。八戒は後生だというように目を見開き、激しく首を横へ振った。
「見して。だいたい、俺、分かってるから」
 赤毛の男は神妙で複雑な表情を顔に浮かべていた。抵抗しようと、八戒がずりあがるような動きをした。躰の下に敷いた座布団がずれて落ちる。
「いやです! お願いですから! 」
 いつもなら、八戒の嫌がることはしない悟浄だったが、この時は強情だった。エプロンを引きむしるように、八戒の首から外させると、その下のシャツをつかんだ。
 シャツはもう、三蔵に引きちぎられていたから、ボタンも何もなくひっかけているだけというありさまだった。
「……クソ」
 悟浄は独りこっそりと舌打ちをした。彼なりに嫌な予感を感じていたらしい。
 八戒は体内で淫らに動く玩具に耐えながら、悟浄の腕に逆らおうと抗った。が、力が入らない。長時間、ローターでもてあそばれて、もう腰が立たない状態になってしまっていた。
「あ、ああ悟浄……」
 八戒の表情は凄艶さを増していった。悟浄は覚悟を決めたように、無残に引きちぎられたシャツを、八戒から剥ぎ取った。
「悟……」
 瞬間、八戒は思わず目を閉じた。悟浄に肌をさらすのが怖かった。もう、何もかもが終りだと思った。
 案の上、悟浄はしばらくの間、絶句していた。
 象牙のごとき肌に、幾つもの口吸いの跡がついている。首の付け根には噛んだ歯型まで残っていて、卑猥な印象だった。
 綺麗な線を描く鎖骨にも、忌々しい鬱血は散っていて、存在をこれでもかと主張していた。胸元の乳首の周辺にも、傷跡のある腹部にも、陵辱の跡は色濃く残っていた。
「クソ……」
 うすうす分かっていたものの、悟浄は頭を鈍器か何かでしたたかに殴られたような気分だった。
 真面目な八戒の外見からは、想像もできぬような淫らな跡が幾つも幾つもついている。強姦の形跡は新しいものから消えそうなものまで様々だった。それは、陵辱が一度や二度のことではなく、連日に渡っていることを示していた。
 悟浄が舌打ちする音を聞いて、八戒は身を震わせた。瞬間、魂が粉々に打ち砕かれ、心が引き裂かれてバラバラに散らばった。こんな残酷な終焉を見たいわけではなかった。
 いや、悟浄とつきあっていれば、いずれはこうなってしまうことが分かりきっていたのに、未練を断ち切れず逢っていたのが間違いだったのだ。
「八戒、下も脱いで」
「嫌です」
「脱げよ。全部脱げってんだろ」
 悟浄の語調はきついものに変化しつつあった。明るくおどけたところのあるいつもの彼とは別人だった。その分、精悍さは何割か増し、厳しく結ばれた口元には荒々しい怒りがあった。
 逆らう八戒の手をひとつにまとめて押さえつけ、悟浄はズボンを脱がしにかかった。
 すそをつかんでそのまま下着ごと引きずり落とす。ズボンが乾いた音を立てて、部屋の隅へ放り投げられた。
「悟浄……見ないで……見ないで下さい! 」
悲痛な悲鳴が八戒の唇から上がった。悟浄はかまわずしなやかな脚を広げさせた。
「あ……」
 屠られた獣のごとく、八戒はオレンジ色のカーペットの上で腑分けされていた。膝に手をかけて、脚の間を覗き込んでいた悟浄の眉が跳ね上がった。
 すんなりとした脚が綺麗にひきしまった太腿へと繋がり、性器が見える。悟浄が驚いたことには、それはご丁寧にも根元を細い紐で縛ってあった。
 散々、感じてしまっているのに、解放を許されないため、悲鳴をあげ赤黒くなって先端から濃い白色の体液を垂らしている。もう、本当なら八戒は何度も達してしまっていたのだった。
「見えねぇ。もっと、尻あげて、八戒」
「で、できな……」
「尻あげろ。さっさとしろよ」
 悟浄の手が細腰の、腰椎の辺りを叩いた。
「悟……」
 八戒のまなじりから、本人も意識してない涙が伝った。悟浄は再び、傍にあった座布団を乱暴につかむと、今度はふたつに折って八戒の腰の下へねじ込んだ。
 尻が高くあがる格好になり、悟浄の前に何もかもさらされ、八戒は自分の手で顔を覆った。
――――何もかもが終りだった。
 下の方で、肉色の蕾がひくひくと蠢いている。そしてその奥に、シリコンでできた人工物の一部が沈んだり浮き上がったりしているのが見えた。大人のオモチャ、ローターだった。
「……チッ」
 悟浄は舌打ちした。血相は変わっていた。薄々感づいてはいたが、目の当たりにしてみると、とんでもないことだった。
 ローターを咥え込んだ八戒の白い腿の内側には所狭しと男の唇の跡がついていた。脚の付け根も付け根、卑猥な場所にまで、ご丁寧に噛み跡が残っている。鬱血の跡は悟浄をあざ笑うかのようだった。
 所有の印は獣のマーキングに当たる役割をしていて、まじないのごとく他の男の手出しを拒む効果があった。
「三蔵か」
 いつもとは打って変わった凄みのある声で悟浄は言った。余裕綽々という態度で常に学内を闊歩しているこの男がこうした激した声を出すのは珍しかった。
「悟浄……」
「ブッ殺す。三蔵なんだな」
 傷跡の残る頬が苦しげに歪んだ。悟浄は唸るようにして報復を宣言した。綺麗な処女雪の上に汚水を撒かれたような、無残な光景だった。断じて許すわけにはいかなかった。
「悟……」
 一番恐れていた最悪の事態になってしまって、八戒は目をそっと伏せた。悟浄の眼前に何もかもさらけ出されて、軽蔑されている。
「答えろよ」
 自分よりも何よりも大切に思っていたものを、壊された怒りで悟浄は震えていた。
 ありありと残る陵辱の痕跡を通じて、無体を強いた男の行動の軌跡が目に浮かぶようだった。どんなふうに八戒を犯し、どんな体位で攻め立てたのか、鬱血の跡を見ただけで経験豊富な悟浄には容易に想像がついてしまい、憤りに身を焼いていた。
 八戒は首を横に振った。埋め込まれているローターの震動が辛い。緩急をつけて蠢く機械に歯を食いしばって耐えるのに必死だった。
「返事しろよ。八戒」
 凄みのある声で悟浄は言った。荒っぽい仕草で、股間へ手を伸ばす。
「ああッ……」
 根元を紐で縛められているのに、大きな手で扱き上げられて、八戒が悲鳴を上げた。
「やめ……やめて……」
 他の男との跡を躰中につけておきながら、自分の手から逃れようと躰をひねる八戒に、瞬間、説明できない憎しみが沸点を越えた。
「答えろって言ってんだろーが! 」
 悟浄は白くしどけない躰を押さえつけたまま、自分のジーンズのジッパーを下ろした。猛ったモノが顔を出した。
「悟……」
 八戒はまなじりに涙を滲ませながら、ひたすら首を振った。信じられなかった。
 悟浄は容赦なく、圧し掛かってきた。脚を開かされ、尻を抱え込まれる。
「やめて下さい! 」
 必死で八戒は叫んだ。悲痛な声が部室の壁を震わせた。
「ホントはこのヤラシイ跡つけたヤツのこと、好きなんだろ。そんなに義理立てしてんのかよ」
 悟浄の目が釣りあがった。口元が歪み、怒りで躰が震えている。
「ピエロかよ。俺、こんなに……」
 悟浄は唇を噛んだ。硬い肉棒の先端をひくつく蕾にあてがった。
「悟浄! 」
 八戒は目を見開いた。ローターは入ったままだった。入ったままなのに、悟浄は自分を挿入しようとしている。
「悟浄やめて下さい! 」
 しかし、八戒が気にしているのは、そんなことではなかった。
「貴方が汚れます」
 弱々しい声で、彼は言った。
「何? 」
「僕なんか抱くと……貴方が汚れます」
 悲愴な、しかしきっぱりとした調子で八戒は告げた。
「こんな……汚れた僕で……貴方を汚したく……ない」
 語尾は掠れて涙声になっていた。乱れた黒髪が白い額に散り、翡翠色の瞳は苦痛に濡れ、潤んでいる。
「……躰はこんなでも」
 八戒は呟いた。
「どうしても、僕は貴方の傍にいたかったから」
 その間も、おぞましいローターは回転し、背筋を淫らな感覚が這う。それに耐えながら、八戒はなおも言った。
「貴方の傍にいるだけで幸せでした」
 初めて明かす血の滲むような本音だった。まなじりを、次々と透明な涙が銀の糸のように伝ってゆく。
「ごめんなさい……悟浄。こんな僕を軽蔑して下さい」
 八戒は唇を一瞬、噛み締め、悲しげに言った。
「だから僕を抱かないで……お願い……悟浄」
 悟浄は、八戒に覆い被さったまま、その綺麗な顔を食い入るように見つめていた。
 そのまま、どのくらい時間が経っただろう。
 やがて、
「……バカ」
 赤毛の男は喉から絞り出すような声を出した。
「俺が八戒の事、軽蔑できるわけねーだろ」
 怒りが解けて我に返ったといった様子だった。そっと八戒の頭を撫でる。
「どんな八戒でも、大切に決まってんじゃん」
 悟浄は力強い腕で八戒を抱き締めた。上背ばかりある細い躰を折れんばかりにかかえた。
「悟浄……」
「何があろうと嫌いになれるわけねーだろが。八戒のこと」
 赤い瞳はさきほどと違う、激しいけれど憎しみとはことなる光りを浮かべている。
「……悟浄」
「八戒」
 八戒の腕が悟浄の背中へ回される。最初はおずおずと、次第にそれはしがみつくようなものになった。悟浄はそれに応えるように抱き締める腕の力を強くした。
 もう、二度と離れられない。他に誰もいない部室で、結晶化でもしたかのようにふたりはずいぶん長いこと抱き合っていた。



「歪んだ薔薇 第2部(15)」に続く