依存症(4)


 清一色は、また医者を呼びよせた。今日はあまり天気はよくない。大きな窓の開放的な中国式の茶室も、うす暗い。

「悟能くんの教育についてですが……このタイプは独学が可能です」
 先日、泣きだしてから悟能は、より一色にべったりになった。お医者さまとお話がありますからと、なんとか書斎で本を読んで待っているのを約束させたのだ。一色にだけは最近、度が越してわがままになってきていた。
「何故なら聴覚よりも視覚が優位なので、耳から先生の話を聞くなどの通常の授業形態になじみません」
 ようするに、普通の小学校ではあわないのだ。
「勉強面だけなら本を読むだけでたいてい理解してしまいます。天才型です」
 一色は困ったように首を傾げた。それなら書庫や書斎に悟能のための本を増やすなどして、対応すればいいのだろうか。
「また、他の子供と違いすぎるので、悟能くんにとって普通の学校は退屈でしょう」
 進学校や有名学院でないかぎり、悟能のような子に居場所などないだろう。
「恐らく飛び級も必要でしょう。中等、高等教育はこの子にとって無意味です。大学レベル、そして大学院級の学問でないと、いわゆる 「浮きこぼれ」 になります」
「フム。なら、我の城で先生を雇ってもいいですよね」
 若様はあごに手をやって考えるポーズをとった。その銀色の髪にまざる紫色の毛が高貴な艶を放つ。
「それが一番いいかもしれません」
 医者は丁寧に中国式の両手を組む挨拶を若様へすると、その日は帰った。



 医者が茶室から去ったあと、清一色は長い城の廊下を歩いた。暗い石造りの廊下。昼なのに灯りをつけているが、それでもじゅうぶん明るいとはいえない。きしむような音がときおり響き、誰もいないはずなのに孔雀の鳴き声が聞こえ、かぐわしい花の匂いがただよう。
 書斎の扉は廊下のつきあたりだった。ガラスのはまった花格子を扉にしていてしゃれている。
「悟能」
 一色は書斎の扉を開けた。中はかなり広かった。先ほどの茶室を3つあわせたくらいはある。本棚が幾つも立ち並び壁の一面はすべて本の森だった。本の背表紙で全面が覆われている。そこかしこで山のように本が積み重なっていて、いまにも雪崩が起きそうだ。少し整理が必要だろう。竹に書きつけた古いものから、革で装丁された希少本までどれもがすばらしい蔵書だった。愛書狂、ビブリオマニア垂涎の品がさりげなく置かれている。
「悟能いいこにしてましたか」
 奥の方から応えがあった。
「はい」
 小さな姿がちょこん、と部屋の真ん中あたりに見えた。ふかふかのソファーは悟能のような子供でも座れるくらいの高さだった。そこで難しそうな本を読んでいる。
「医者に貴方は賢い子だっていわれたんです」
 悟能は黙っている。
「この間いろいろなテストをしたでしょう? 」
 一色は本棚からはみ出している貴重な本を棚に戻した。「左氏伝」 の長い続き物のうちの一冊だった。
「あの結果がもの凄くよかったんですよ。貴方はすごく優秀なんです」
 うれしそうに一色が言うのに、それを聞く悟能はうれしそうではない。口をへの字に結び、うろんげな視線を送っている。子供とも思えないおとなびた目つきだ。
「だからこの城に貴方専属の先生を雇いましょう」
「いやだ」
 悟能はすばやく一色の提案を退けた。
「……悟能? 」
 書斎は広く、本は無数にあった。まるで悟能を守るバリケードのように本は積み重なり、周囲に柱をつくっている。緑、灰色、茶色、赤、何色もの背表紙の本に囲まれ、悟能はそのおとなびた美貌をくもらせて不機嫌そうだ。
「悟能、いったいどうしたんですか」
 一色は、ほとほと困った声をあげた。最近、悟能は一色の言葉になんでも反抗するようになっていた。
「あれ」
 一色は目を丸くした。
「貴方ひょっとして目が悪いんですか」
 悟能は本を顔にぎりぎりまで近づけて読んでいた。
「別に」
 悟能は丸い頬をふくらませた。小声でだいたい読めるし、などとつぶやいている。
「街へメガネを買いに行きましょう」
「やだ」
 悟能はまた駄々をこねた。読んでいた本をそばの小机に置いた。花梨材でつくられた美しい机。いじけたように顔を下へ向けて泣きそうになっている。
「悟能」
 一色は困ったように頭を抱えた。この賢い子は何故か一色相手だと年相応、いやもっと幼い子のように駄々をこねた。それは理不尽で駄々をこねるために駄々をこねているといったふうだった。
「街には博物館とかありますよ。行ってみたくありませんか」
 悟能は、『博物館』 という言葉を聞いて、はじかれたように顔をあげた。
 博物館。母親にも連れていってもらったことなどない。しかし、浮浪児のごとくさ迷っていたときに麗々しい門と入り口を備えた、素晴らしい建物が街の真ん中にあったのを覚えていた。入館料をとるらしく何重にも職員がいて忍びこむのは無理だった。看板を読むと科学や物理の催し物が行われているのだとわかった。
「……行く」
 悟能は、ぼそっと返事をした。


 街は素晴らしかった。乞食同然の暮らしをしていたときに、悟能を追い払った無慈悲な人々にみつかるのではと少年は内心怖かった。
 しかし、そんな心配など無用だった。
 いまや悟能は貴族かと見まごうほどの美しい格好をしている。
 華麗な刺繍をほどこされた絹の中国服を着ているし黒い艶のある髪は輝くように美しい。幼いのに怖いくらいに整った美貌だった。元浮浪児だなどと見抜くものは誰もいない。すすで黒く汚れた顔をしていた昔とは似ても似つかぬ別人だったのだ。
 しかも傍らには、いかにも貴族的な所作で手をつないで歩く妖怪の若様が一緒だ。一色の仕草はまた、とびきり品があった。とがった耳にするどい牙が口からのぞくが、それすらも優雅に感じさせる立ち居振る舞いだ。
「メガネにして、よかったですネ」
 一色はうれしそうに破顔した。先ほどメガネ屋でメガネをあつらえたのだ。
「……キライにならない? 」
 悟能はよくわけのわからないことを一色に言った。
「なんですか? 貴方がメガネをかけたことに、ですか? 」
 一色は悟能と手をつないだまま博物館の入り口をくぐった。近代的な建物だった。大理石づくりの広間を通ると順路が矢印でしめされている。
「とっても似合いますよ。我の悟能。キュートです」
「う……」
 甘い口調で一色にささやかれ、悟能はほっとしたような表情になった。
 博物館の展示が陳列されている。進化の歴史について説明のパネルが掲げられ展示品が並ぶ。鮮やかに足元をLEDライトで彩る一角に来て、ふたりは足をとめた。進化の道筋がライトできれいに繋げられて関係性のある各標本間を結ぶ。
「前より、よく見えるんでしょう? 」
「はい」
 悟能は、周囲の標本を興味深そうに見つめ、その学名を読んだ。ウミユリ、エディカラ紀、属や科に記載されたラテン語も以前より楽に読みとれた。
「よかったじゃないですか。貴方が楽なら我もうれしいです」
 周囲は進化の系統樹に沿ってぐるっと標本で囲まれていた。ホルマリンや樹脂で保存された貴重な品ばかりだ。コケのいちばん古いものや、酸素がなくても生きていける細菌類、一番最初の生物やカンブリア紀の変わった生き物たち。古い歴史や生物の過去、地球45億年の歴史に思いをはせるに十分だ。
「次はどこにいきますか」
 一色が保護者然とした態度で優しく微笑む。
「えっと。宇宙の」
 博物館の地下には宇宙や物理学についての展示が並ぶ広大な空間があった。
「行きましょう。貴方が楽しいなら」
 一色がすらりと長い身体を屈めるようにして、悟能へささやいた。白い中国服のすそが絹特有の光沢を放って優美に光る。
「我もうれしいです」
 その言葉を聞いて、メガネをかけた悟能の顔が真っ赤になった。

 その後は博物館内のレストランで食事をしたり、ショップで幾つも科学関係の本を買ってもらった。

 
 そして、その夜は城の寝室へ疲れたせいか早めにこもった。

「物理学というものに、貴方が感心があるのはよくわかりましたよ」
 幾つも買いこんだ本を一冊一冊、取り出して眺めながら一色が言った。ベッドの上にそれらを置こうとして、幼い声にとがめられる。
「ダメ! そこに置いてはダメです! 」
 踏み台を上ってベッドによじのぼった悟能が目を三角にする。
「はいはい。汚したくないんですね」
 一色が甘い口調でささやく。白いシーツは、ほのぐらい照明で皺が波のように見える。毛布は表に緞子で縫い取りのされた高価なものだ。唐草のような模様が描かれ鳥があたりを舞う刺繍がほどこされている。
「いらっしゃい。悟能」
 ぽんぽん、と一色が自分の横を手で叩いた。悟能が顔を赤くする。
「ん……」
 毎晩、行われる秘め事に心はついていかない。でも身体はひどくなじんで悦んでいた。
「悟能」
 ささやく口元から妖怪の牙がのぞいている。這わされる舌先もひどく長くて、人間とは異なる。でも悟能はこの端正な容姿の若様に逆らえなかった。


「あっ……」
 閨の中で少年の細い声が響く。ろうそくの芯が燃える密かな音がたった。蜜蝋(みつろう)のかすかな甘い匂いが空気に混じる。
「いやぁ……」
 うつぶせにされて脚の間を舐められていた。ひく、ひくと孔が収縮する。その上を清一色の舌が這う。
「はぅっ……あぅっ」
「気持ちイイんですね」
 笑いを含んだ声で一色がささやく。つん、と入り口を舌で突かれた。
「ああ……あ……」
 最初に城に来たときより、悟能は背が伸びた。すんなりとした身体つきは大人に近づいている。この時期の子供の成長は早い。
「どうして本をベッドの上に置いてはいけないんですか? 」
「や……」
 優しい一色の声に卑猥なものを感じて悟能が目元を染める。
「汚れる? ……何で? 」
「あっあっ」
 一色の声はくぐもっている。悟能の秘所をなめすすっているせいだ。
「いいなさい。でないと、やめませんよ」
「あ……! 」
 一色の舌は人間のそれとは違って、より長い。そんなものを、少年の後孔にねじいれようとしていた。まだ、そこをそんなふうに愛されたことはない。せいぜい、その上の粘膜や、ほんの少し、指を挿入して、かきまぜられたことくらいだ。
「我のベタベタしたモノがついた指で読むと……汚れてしまうからですか? 」
「だめ……っ」
「今日も我が出すのを手伝ってくれますね? 」
「あ……」
 うつぶせにされて思うがままに尻をいたずらされていた。弄ばれている。舌が、きゅっとした袋や屹立にまで這ってきた。
「いや……」
 うつぶせだった身体をあおむけにされ、脚をそれぞれ一色の手でおさえられた。大また開きにされる。羞恥のあまり顔が真っ赤になった。
「はぁっ」
 そのまま一色は顔を悟能のはざまに埋めた。そのまま股間を舐めまわされる。
「ああっああっあっ」
 追い詰められて甘い喘ぎ声を漏らしてしまう。

 幼い頃、こんな声を聞いたことがある。

 悟能は、はっと目を見開いた。それは突然だった。封印が解けた。記憶のふたが開いて何かいまわしいものが漏れでてきていた。
 あれは、あれは
 あれは、
 ハハオヤの声。
(家でヤるんだったら、ホテル代も上乗せしてよ)
(がめつい女だな、だから亭主にも逃げられるんだぜ)
 母親が男と交わすそんな言葉を幼すぎて何もわからないまま覚えていた。
 不快な思い出だった。ショックだった。聡明な悟能は自分の親が何をして日々の金を得ているのか薄々わかってはいた。しかしまさか、商売を家ではじめるとは思わなかった。
(お、ガキがいんのか)
(いいじゃない。別に)
(へぇー。すっげぇかわいい)
(男の子よ。やめてよ)
(へええ。俺こんなにかわいかったら男でもいいな)
(やっだ。アンタ変態じゃないの)
 それから、別室で響き始める獣のような声と母親のオンナそのものの声。性的な喘ぎ声。ちょうど、今の悟能があげているのと似た、いやらしい声。
「――――あ」
 写真のように思い出した。悪しき記念写真のごとく記憶のはざまからのぼって脳の表面へ腐った木の葉のごとく浮いた。
 あの時、母親はひどく金に困っていたのだろう。でなければ小さい子供のいる自分の家へなど、男をいれるわけがない。
 いや、わけがないと思いたかった。それぐらいの愛は残っていると思いたかった。
 母親も最初からプロの娼婦というわけではなかっただろう。なかっただろうというのは、いかに聡明な悟能でも自分の生まれる前の記憶などないからだ。
 何故、悟能の母親が大勢の男たちに身をまかせるような暮らしを選んだのかはわからない。街一番の美女と呼べるほど美しい母は、男に捨てられると幼い悟能を抱えてたちまち日々の暮らしに困った。そしてそのまま美味そうな肉によってくるハエのような男たちに食いものにされたのだ。

 そう悟能の頭脳は分析している。愚かにもあの女は易きにながされたのだ。

 そして邪魔になった自分を捨てた。

 ある日、母親は悟能の前から姿を消したのだ。

「悟能、どうしたんですか、悟能」
 優しい声に名前を呼ばれて我に返った。
「すいません。貴方がかわいかったものですから、つい」
 抱き寄せられ、頭を撫でられる。下肢がべたべたしていた。一色の放った生暖かい精液だった。この匂いも昔、もっと幼いころ、嗅いだことがある。いや、母親の部屋は常にこんなにおいだった。
 突然、嫌悪感が込みあげてきた。
「う……」
 吐き気に襲われ、悟能は身体を折って身をよじった。







 「依存症(5)」に続く