依存症(2)


「お風呂も気持ちよかったですね」
 やはり抱っこしながら一色は食堂へ現れた。
 風呂をすませた悟能はまったく違う子供のようだった。小汚かったのはどこへやら垢を落とした肌は白くぬめるようにつややかで、その顔は怖いくらい整っていた。端麗というのはこの少年のためにある言葉だろう。美少年中の美少年だ。深みのある緑の瞳はどこか秘密の場所にある神秘的な湖の色をしていた。幼いのにこれ以上はないというほどの麗質だった。メガネはかけていないが、ときおり目を細めて近視らしいしぐさをする。

 そんな悟能へ一色は美しい服を着せた。
 今まで着ていた襤褸(ぼろ)はどこへやら、深い緑色の絹でできた上着、金糸で縫い取りした華麗な上掛け。そんなものを悟能は美しく着せられていた。
 つくづくと眺めて、清一色は首をかしげた。
「ふむ。この家には子供用の服、というのは十分にないようですねェ。今度あつらえさせましょう。とりあえず今日のところはこれで我慢してください」
 清一色自身は青みがかった白い絹地の中国服を着ている。そんななにげない姿に品があった。
「そうそう座るのは我の隣に。そこでいいですよ」
 悟能を子供用の椅子へ腰かけさせる。子供用といっても背の部分は優美に湾曲した美しい椅子だ。
 そして目の前にある大きな縦長の黒檀でできた重厚なテーブルが存在を主張する。ひどく重々しく大きくて晩餐会もひらけてしまいそうだ。テーブルの脚には、龍の意匠の入念な彫刻がほどこされている。龍の鱗の一枚一枚に至るまでまるで生きているかのようだ。
「さて」
 清一色も悟能のとなりに腰かけた。その椅子も華麗そのものだった。花や鳥、蝶が透かし彫りにされ細やかな細工が背板に施された超一級の美術品だ。
「夕食をとりましょうか。今日は疲れたでしょう」
 一色は孤児の、悟能へ向かって微笑んだ。その唇からはいかにも妖怪の若様らしくするどい犬歯が見えかくれしている。
 あっという間に第一の菜が運ばれてきた。冷菜の類だ。これを運んできた侍従の姿はぼんやりと闇に包まれてよくは見えない。どこかで孔雀の鳴く鋭い声がする。
 壁には大きな窓が口を開け、ひどく手のこんだ細やかな中華風の花格子がその上を飾っていた。ガラス窓というよりも美しい工芸品だ。そんな窓ごしに暗い外が見えるが、夜のことで真っ暗で何も見えない。厚い雲に覆われて月の見えない宵だ。
「冷菜など子供は喜ばないでしょう。早くスープを」
 一色の言葉が終わらぬうちに悟能の箸(はし)がのびた。重い象牙の箸だから子供には扱いにくいだろうに、そんなことは気にもしていないようだ。夢中で冷菜の燻製肉やソーセージなどをかきこむようにして食べている。
 それを見て一色は意表をつかれた表情を浮かべたが、次の瞬間、愉快そうに笑った。
「そんなに急ぐとお腹を壊しますよ」
 若さまは後ろを振りかえった。背後で壁に同化するかのごとく召使たちが控えている。その一重の切れ長の目を細めて言いつけた。
「スープやお粥を早く運んできなさい。この子には消化のいいものでないといけないでしょうから」
 悟能の耳にそんな言葉は届いていないようだ。何年かぶりに見るまともな食事なのだ。皿にかじりつくようにして、食べている。
 じきに、清湯(すましスープ)が運ばれ、鶏のお粥が運ばれてきた。若さまへの夕餉とばかりに見事な桂魚の姿蒸しも運ばれ香ばしい匂いをただよわせている。清一色は自分も箸を手にすると透かし彫りの施された陶製の小瓶から酢醤油を小皿に注いだ。
「ほら、あひるもきましたよ。お好きですかあひる」
 桂魚の上にかけられた葱やタケノコ、しいたけの細切りを箸にとると、その下で桂魚の白身がほくほくと湯気を立てている。
「白身魚ならお腹にも優しいでしょう。おあがりなさい」
 悟能の皿へ優しいしぐさでよそった。
「う」
 悟能は息を飲んだ。どれもこれも見たこともないごちそうだった。召使が醤油に漬けたあひるを揚げたのを大皿に運んでくる。周囲に羽を模して、卵白でかたどりされた細かい楕円形が散りばめられ、見た目もきれいだ。揚げた鳥肉の香ばしい匂いが食欲を刺激する。
「おあがりなさい。全部、食べていいんですよ。でもお腹は壊さない程度にしてくださいね」
 目の前の怪しい易者、いや清一色は手元の布巾を優雅な長い爪のはまった指先でとると、声も立てずに微笑んだ。この謎めいた男がひどく高貴な生まれなことは間違いなかった。



 次の日から悟能の生活は一変した。
 家もないごはんも満足に食べられない。ごみを漁ってはのらネコのような生活をしていた悟能少年の暮らしは変わったのだ。
 最初あまりにも豪華で貴族的な料理の数々に面食らい食べ過ぎてしまった。おなかを壊したり吐いたりして、いつも一色を心配させた。いままで食うや食わずな暮らしをしていたから今度はいつ食べられるだろうかと不安から過食してしまうのだ。
「悟能。もうこのお家のご飯は全部貴方のものなんですよ。ゆっくりおあがりなさい」
 落ち着いて食事ができるようになるまで、しばらくかかった。

 そして夜になると。
 当然のように当主である清一色の手が、幼い悟能に伸びた。

「あっ……だめ」
 甘い声が悟能の口から漏れる。
「何がダメです」
 清一色は悟能のきれいな絹繻子の服を剥ぎとっている。緑が主体の金糸で刺繍されたそれをとると、きれいな白い肌がのぞく。若いをとおりこして、肌理の整ったつやつやした肌だ。
「あっあっ」
 ちゅっ、ちゅ、と口づけられて、悟能が仰け反った。全身に清一色のおとなの舌を這わされる。
……そんな愛撫を毎日のように受けていた。
「あん……あっ」
 緑の絹地の美しい服がベッドから落ちた。清一色から同衾を強要されているのは、おとな3人だってじゅうぶんな広さのダブルベッドだ。そこに一緒に寝ていた。
「悟能……悟能」
 首筋に胸に一色の舌が這う。
「愛してますよ」
 ささやかれると身体から力が抜けてしまう。
「愛してます」
 四肢から力が抜けた。脚の付け根に清一色の舌先がかすめる生暖かい感触に悟能が眉を寄せる。
「あああっ」
 いやらしい手つきで肌を全身を撫でられる。小づくりの尻を情欲のこもった手つきで撫でまわされた。
「いやぁっ……」
 ぞくっ、と身体の芯までとろけるような、何か悩ましい感触が走った。
「はぁ……あっ」
 甘い吐息を漏らしながら、悟能はベッドの上で……清一色の腕の中でのたうった。

 
 決定的なことはされていない。最後まで埒はあけられていない。
だけれども、身体の芯まで官能でぐずぐずにされていた。こんなに幼いのに全身に舌を這わされていた。抵抗できなかった。
「結局……僕、も」
 悟能が何事かを呟く。悲痛な響きがあった。
「どうしたんです。我の悟能」
 清一色は優しくいたずらした幼い身体を抱きしめた。

 愛してる。
 それは魔法の言葉だった。それをささやかれると悟能は抵抗できなくなった。
誰もそんな言葉を言ってくれるひとは今までいなかったから。

 背徳的な関係だった。

 いっしょにお風呂いっしょにねんね。

 幼い悟能の暮らしは清一色といつも一緒だった。そんな暮らしが何年か過ぎた。







 「依存症(3)」に続く