ピンク色の雲(8)

 もう、外は夕闇が濃い。灰色の雨雲が天の中空にかかり、それを透かすように、ぼんやりとした光が地上へと射している。街は、じわじわと、闇に飲みこまれようとしていた。
 三蔵が部屋に戻ると、端麗な黒髪の男の姿があった。部屋の電気もつけず、窓際のソファーに腰かけて、雨の降りやまない外をぼんやりと見つめている。
 物憂げな様子で片ひじをつき、飽きずに降る雨を眺めている。憂鬱そうなのに、翳りのある美しさがその姿にはあった。目にかかるほどの長さの黒い前髪、涼しげな目元に整った鼻梁。小さな顔はすらりとした長い首につながっている。しなやかな肢体がなまめかしい。ソファーへ身体をしどけなくあずけた姿はひどく蠱惑的だ。
「三蔵」
 黒い淫魔かサキュバスのような、その男は三蔵の姿を認めると、優しく微笑んだ。はかなげな白い花のような笑顔だった。



「飽きずによく降りますよね」
 雨はもう何日目なのだろう。おととい、なんとかこの宿までたどりついたが、雨天の連続だった。八戒が義眼のはまっている方の目を、片方の手で押さえる。調子が悪いのだろう。
「……お前」
 三蔵は気の抜けた声でつぶやいた。その紫の目は驚きに見ひらかれている。何か、魔法でも見ているようだ。予測外だった。思いもよらぬことに、部屋の明かりをつけることも忘れている。思わずそばの小机に、手にしていた水差しを置いた。
「悟浄の部屋に行ったんじゃねぇのか」
 三蔵の言葉に、八戒は首をかしげた。さみしそうに笑う。
「そうですよね。僕がここにいたら、貴方は邪魔ですよね。そうですよね」
 細い身体をソファーから起こすと、さびしげに微笑んだ。
「分かりました。貴方がそうお望みでしたら」
 たまには、ひとりでのびのびと眠りたいですよね。すいません。下僕の自分なんかが邪魔をして。そんな口調だった。
「僕は、隣の部屋に行かせていただきます」
 八戒はソファーから立とうとした。しかし、できなかった。正面から両腕をまわされ、抱きしめられた。黒髪に包まれた頭を、手の甲まで黒い布で覆った、三蔵の腕がかき抱く。
「ふざけてんじゃねぇ」
 その言葉は、先ほど悟浄といた場でも言われた言葉だったが、全く語調が異なっていた。
「俺が、そんなこと許すと思ってるのか」
 必死だった。真摯なものがにじんでいる。珍しいことだった。このプライドの高い三蔵法師様らしくもないことだ。
「俺のそばにいろ」
 優しい雨ごしの夕闇が、プライドを溶かして隠し、何かを正直にしてくれている。
「俺のそばにずっといろ」
 金色の、黄金でつくった糸のような髪に八戒は視界をふさがれた。そっとくちづけられた。
「……はい」
 八戒は返事をした。
淡い薔薇色の気配が、周囲にほのかにただよった。




 窓の近くで抱き合っていた。

「だめ……なんです。貴方が言ったとおりなんです」
 八戒が三蔵に抱きしめられたまま、あえぐようにつぶやく。
「お願いです。僕を抱きしめないでください。僕は貴方がいうとおり……すぐに」
 八戒が何を言おうとしているのか、三蔵には分かった。すぐに発情してしまうのだ。こんな気圧の低い嵐のような雨の日は、理性がところどころほつれて飛んでいってしまう。
「あ……」
 すぐに熱くなる肌だということを知りながら、三蔵はその首筋に唇を埋めた。
「だめ……さん……」
 ソファー近くの窓ガラスに、八戒を押し付ける。ガラスの方へ顔や身体をむけさせたまま、その一見清潔そうな姿から服をはぎとってゆく。
「ああ……」
 男に愛された跡だらけの身体がむき出しになった。下着ごとズボンもはぎ取られ、八戒が窓ガラスへ押し付けられていた身体を、腕を、なんとかはがそうと抵抗する。
「だめです……さんぞ! 外から見られて……」
「見えねぇよ」
 2階の部屋だった。商店街の2階の部屋だ。目の前にも店があり、そちらの2階が目の前だ。部屋の窓は閉まっていてカーテンがかかっていた。カーテン越しに部屋の電気がついているのが分かる。オレンジ色のカーテンは光りに透けて電灯を吊るされた部屋の中が見えそうだ。
「いや……いやです」
 唇を裸の肩に走らされて、八戒が喘ぐ。あのカーテンが開けられたら、どうするのか、何もかも見られてしまう。
「あっ……」
 ぺろ、となめられ、甘く噛まれる。歯の軽い跡がいくつもついた。八戒を食べてしまいたそうなしぐさだ。後ろから腕が伸ばされ、硬くなってしまった前をきつく握りこまれた。
「こんなにおっ立てちまって」
 甘くいじめるようにささやかれた。つ、と亀頭のてっぺんを指の腹で撫でまわされる。
「ああ……っ」
 三蔵に後ろからガラス窓へ押さえつけられ、愛撫されてわなないている。ひどく、いやらしい姿だ。
 視線を下に向ければ、外の階下で街の道を人々が歩いているのが見える。そんなに混む界隈ではないが、人通りはそれなりに多い。雨の日なので、とりどりの傘の花が咲いている。
 あの中の誰かが、上をひょんなことから見あげたら終わりだ。三蔵に、かかえこまれるようにして、抱かれているのを見られてしまうことだろう。
「八戒……」
 一瞬、向かいの窓のカーテンの陰にひとかげが見えた。男の影に見える。
「さんぞ……」
 もう、既に見られてしまっているのではないか。三蔵に扱かれて、八戒は前を放った。もう屹立はガラス窓にくっつくほどに押し付けられていた。白濁液が、ガラス窓を伝う。淫らな体液で窓ガラスもくもってきた。
「ああ、ああっ」
 八戒を愛撫している手にも、それはついた。滴る精液をすくうようにすると、三蔵は八戒の後ろの孔をその指で穿った。くっ、と肉の環を人差し指がとおり抜けるとき、八戒は緊張した。背がふるえる。傷跡の残る腹部が上下し、喘ぐようにひきつった。
「ああっああっ」
 雨は飽きずに降っている。目の前のオレンジ色のカーテンのかかった窓ガラスは、激しい雨音と、銀の糸のごとき雨の軌跡で覆いつくされている。
「やぁっ」
 穿っている三蔵の指が知らぬうちに増え、八戒は背をたわむほどに反らせた。
「ああっああっ」
 またふたたび力を持ってしまった前の屹立を、ガラス窓に押しつけるようにされた。もうガラスの冷たさは感じない。情交の熱ですっかり何もかもが熱くてたまらない。
「ああっあああっつあーーーっ」
 背後から、指が引きぬかれ、三蔵の怒張が代わりにはいりこんでくる。八戒は悶絶する。気を失ってしまうほど気持ちがよかった。
「あっあっあっ」
 尻を貫かれたまま揺すられる。男に串刺しにされ、窓ガラスに押し付けるようにして犯されている。
誰にでも抱かれている姿を見られてしまう状況だった。雨の日で、外はもう夕闇とはいえ、恥ずかしくてたまらない。
「いやっ……いや……ああぅっ……っ」
 腰を円を書くようにまわして三蔵は穿ってきた。八戒の中に挿入している性器を軸にしてまわすような挿入だ。三蔵の両手が八戒の胸元を這い、尖った乳首をつままれて、八戒が息を止めて狂ったように喘いだ。
「ああっああぅっふっ……ぐうぅっ」
 挿入する角度がいっそう深くなって、八戒が仰け反った。背後から、ガラスとの間で身をサンドイッチにされるようにして犯されていた。
 傷跡のある腹をガラスにくっつけ……ガチガチに興奮して硬くなった性器もくっつけて……亀頭の先から粘々した淫液をたらして糸を引いて……ひどく……本当に、いやらしい姿だった。
「あっあっーーーあっーーあ! 」
 また、吐き出してしまった。何度目かもわからぬ体液で、窓ガラスが白く汚れる。
「はぁ……ん」
 喘ぐ淫らな肉体を愛しげに背後から抱きながら、三蔵がささやく。
「すげぇ……イイ」
 陶然とした口調だった。八戒は弱っているのかもしれなかったが、弱れば弱るほど、性感が高まるのか、身体の反応はいっそう淫らになった。三蔵が八戒の腰を両腕で引き寄せて穿つと、八戒が喘ぎながら悶絶する。きれいに肉のついた腹部が、うっすらと汗をまとって光った。
「あっ……んんっ」
 目の前のオレンジ色のカーテンの陰にひとの姿がある。先ほどからじっと動かない。
「あ……見られてます。さんぞ、ぜったい……ああ、っこっちああっ見て……あっ」
 カーテンの向こうから視線を感じていた。八戒は被虐的な行為に喘いだ。
「見られてねぇよ。それとも見られたいのか」
 夕闇だった。しかも雨が降っている。部屋の明かりはつけていない。相当注視しないと、三蔵と八戒の部屋で何事が行われているかなど、気がつかないだろう。
「あ……深いっ……ぁっ……あっ深い」
 三蔵が自分との行為に集中しろとばかりに深くえぐってきた。恥毛もこすりあわされるほどに深く挿入されて、八戒が悶絶する。きゅうう、と自分の孔が感じて引き絞られる淫らな感覚に喘ぐ。
「ああっ深い……あっそこ……あっ……そこだめぇっ」
 感じるところを立て続けに穿たれて、八戒が首をだめというように横にふった。黒い艶のある前髪がさらさらと音を立てる。だめ、と言われた弱いところを鬼畜坊主がことさらに狙って打ちこんできた。
「あーーーっあーっあっあーーーっ」
 大きく背をそらせて、八戒が達した。きゅ、きゅっとナカが締まって痙攣し、もう顎も肩も窓ガラスについた手も震えている。
「ナカでイクの……上手になったな」
 卑猥なことを背後から穿ったまま、カフスのはまった耳たぶを、舐められながらささやかれる。まるで、犬か獣の情交のように直接的すぎて卑猥だった。
「あうっ……ひ……ぃっ……ひ……っ」
 悲鳴をあげることしか、もうできない。三蔵の望むまま、身体を揺すられる。口端から飲み込みきれない唾液が、したたって顎をつたった。もう限界だ。
「お前のイッた孔……すっげぇ……気持ちイイ。最高にイイ」
 美麗な美貌の金髪の男が、姿に似合わぬ卑猥な言葉を、まるで愛の言葉のようにささやいてくる。
「あっあっあっ」
 窓ガラスが精液まみれになって滑ってしまう。手がもう三蔵のとも八戒自身のともつかぬ白濁液でべっとりとしていた。窓ガラスに手をつきたくとも滑って、かなわなくなってきた。
「ああ、さんぞ」
 より深い交合を求められて、より尻を高く掲げた。ずるずると、床に手をついて、尻だけ高くあげるような恥ずかしい姿勢になってしまう。恥辱的な体位だ。三蔵からは、つながっているところも丸見えだろう。
 結合部がまる見えだ。
「いや……いや」
 あえぎながら、泣くことしかできなくなる。

 そのとき、
 ふと視界のすみを、向かいの窓の人影がかすめた。オレンジ色のカーテンの向こうで、何か身をおるようにして、手をうごかしている影が見える。
「う……」
 感じすぎて抱かれすぎて生理的な涙で潤み、うまく窓ガラスの向こうが見えない。
「いや……やめ」
 三蔵の打ち込みが垂直で激しいものになってゆく。終わりが近い。ぱんぱんに三蔵の傘がふくらみ、雁首が八戒の前立腺をこすりあげる。
「さんぞ……みられちゃ」
 腰を抱えるようにして、白濁液を身体にそそがれる。粘膜が収縮して、三蔵の熱い体液を歓迎するようにわなないてひくついている。
「あ……」
 尻を高く掲げたいやらしい姿勢のまま、八戒は羞恥に顔を赤らめて目を閉じた。目の前の向こう側の窓の向こうで、オレンジ色のカーテンの陰で男が何をしているのかは明らかだった。
 自慰をしている。そう、男に犯される八戒の姿を見て興奮したのだろう。八戒が三蔵に抱かれるのを見ながら、自慰をしているのだ。
「いや……いやで……もう……いや」
 被虐的な快楽だった。マゾヒスティックな快美感に圧倒される。三蔵との行為を見られてしまった。昨日の性交は悟浄に聞かれ、今日の交合はどこの誰とも知らぬ男に盗み見られてしまった。
「さんぞ……いや……も……」
 そのまま、八戒はふたたび前を弾けさせた。何度目とも分からぬ体液でまた窓ガラスの表面が白く汚れた。

「さんぞ……もう、窓ぎわは……いやです」
 まだ、完全に息が整っていない様子で、肩で息をしながら八戒が訴える。ようやく、三蔵の手で部屋のカーテンがひかれた。もうあのオレンジ色のカーテンの主からも、八戒の姿は見えないだろう。
「いやか」
 三蔵は驚いたことに服を完全に脱いでいなかった。あんなに激しい情交だったのに、脱いだのは上の黒い服のみで、ジーンズは脱いでいなかったのだ。八戒ひとりを恥ずかしい姿にして追いつめていた。
「見られちゃいます……恥ずかしい……もう許してください」
 目を閉じて懇願すると、ぽろ、と涙が頬を伝った。セックスで感じすぎて、ぐしゃぐしゃだった。生理的な涙だ。しかし、違うものも含まれているかもしれない。
 腰がすっかり抜けてしまっていて、床に座り込んでしまっている。三蔵は八戒の身体を優しく支えた。
「そんなところじゃ、痛いだろうが。こっちに来い」
 手首を引かれて、八戒は三蔵の腕の中へ抱きしめられた。
「悪ぃ」
 座りこんだまま、抱きしめられる。三蔵の手が八戒の後頭部を宝物のように包み、自分の方へ抱き寄せた。
「本当に悪かった。許せ」
 何故か最高僧様は謝っている。下僕に丁寧に謝っている。
「僕みたいなのは――――貴方にとって慰みものに過ぎないんでしょうけど」
 八戒の唇が無意識に言葉を綴った。いつもそれは感じていることだった。それでもいいと惚れた弱みで身体を許したのは八戒だった。淫売みたいだメス犬以下だな、と罵られながらでも、その身体を開いてしまっていた。
 好きだったから。本当に好きだったから。
 雨の音は本来、負けず嫌いで意地っ張りな八戒から、何かを奪ってしまっていた。必要以上に珍しく素直になっていた。
「……おい! 」
 三蔵は慌てた、八戒の身体から途端に力が抜ける。気を失っていた。ベージュ色のラグの上に、八戒の裸体がしどけなく横たわり、蒼白な顔はがっくりと横をむいている。
「八戒、八戒っ」
 ヤり過ぎだった。そのなまめかしい身体に魅せられるあまり、追いつめすぎてしまったのだった。
「……八戒」
 三蔵は、そっとその黒い前髪を撫で、端正な唇に自分の唇を寄せた。素直でなく、愛情表現が歪んでいる三蔵だったが、実は誰よりもこの従者のことが大切だった。
 端麗な唇が刻印のごとく押された。それは肉欲から生まれたというよりも、相手が大事なあまりに生まれた貴い行為だった。宗教的な祝福を授けているような、高貴な儀式に似ていた。
「……好きだ」
 最高僧様の甘い口説き文句を聞くべき相手は、もう意識を保っていなかった。









 「ピンク色の雲(9)」に続く