ピンク色の雲(6)


 次の日。
 昼になってようやく姿を見せた最高僧サマに、赤毛の従者が突っかかった。

 三蔵が窓際に座っているのを認めると、ずかずかと大またに歩いてきた。悟浄の履いているブーツが食堂の床板をきしませる。大きな窓ガラス越しに雨の降りやまぬ濡れた街の風景が映っている。
「よお、三蔵サマ。いや生臭エロ坊主」
 ふざけた言い方だが、その目は決して笑ってなどいない。笑うには守りたいものが大切すぎた。
「フン」
 三蔵は、悟浄のことを目のはしにとらえると、新聞から顔もあげずに無視した。階下の食堂に今朝の朝刊を読みに来たのだ。
 僧衣は着くずして、下衣の黒いぴったりとしたタートルネックにジーンズをあわせている。ぴったりとした黒い布地に手の甲まで隠すように包まれ、中指に嵌った金の輪が、手を覆う布を引き寄せて光る。肩先の肌が黒い布の間から見え隠れし、その姿にはひどく色気があった。
「聞こえてねぇの? ひょっとしてもう難聴なの? 老眼なだけじゃなくて? 」
 三蔵がメガネをかけて新聞を読んでいることを揶揄しているらしい。悟浄が指で三蔵を指すと、着ている茶色い革の上着が揺れた。今日の三蔵は後ろで髪を邪魔そうにひとくくりに括っていた。
「赤ゴキブリが。うるせぇ」
「へぇ、俺がゴキブリならアンタは……さしずめ色魔だな」
 切れ長の、赤い瞳が憎々しげな色を浮かべている。
「八戒が嫌がってんのに、てめぇ、ずっと一晩中」
 後半の言葉は怒りのためにかすれた。
「許さねぇ。八戒、返せよ」
 颯爽とした革の上着、その下に着た首まわりが大きく開いたカジュアルな白い服。首周りが大きく開いているので、たくましい鎖骨が見え隠れしている。ブーツを合わせた格好が、また精悍で悟浄の男らしさを強調する。
「……あれが、嫌がってるように聞こえたのか」
 三蔵の口元に皮肉な微笑みが浮かんだ。新聞を手にしたまま顔を上げない。
「すげぇ、俺に挿れてくれ挿れてくれってうるさかったがな」
 しれっ、とした口調でもの凄い言葉を吐いた。サディスチックな表情がその美麗な面をよぎる。
「……てめぇ」
「聞こえてたんだろうが。一晩中。俺と八戒がヤってるのを」
 その紫色の目には本物の嗜虐的な光りが――――金色の獅子が獲物を嬲り殺しにするときの残酷さがあった。悟浄を追いつめ、嬲るような口ぶりだ。そう、この紅い髪の男に聞かせるために、八戒にわざわざ言わせたのだ。恥ずかしい唾棄するような下劣な言葉の数々を。
「お前が無理やり」
 悟浄がその細めの眉を跳ねあげた。怒っている。その脳裏には、「部屋は三蔵と悟空、僕と悟浄で2つでいいですよね」 不安そうに自分を見あげてきた、すがるようなあの緑色の瞳が浮かんでいる。
「無理やりに聞こえたか。おめでてぇな」
 クックックックッ。カンにさわる笑い声だ。
「ああ、無理やりだろうが。鬼畜野郎が」
 白皙の美貌、金糸と見まごうような豪奢な髪。紫色の天人のごとき瞳。美麗な男だった。そうこの世のものではないような美しい男だった。この世のものではない――――おそらく、この男は悪魔か、魔の眷属かなにかだろう。妖怪よりも悪しきなにかの化生としか思えない。
 悟浄は後悔していた。昨夜、部屋に戻ったとき、部屋は鍵が内側からかけられ開かなかった。足でぶち破ってでも入るべきだった。
 どうして、それをしなかったのか。
 今頃になって後悔していた。
「この鬼畜……」 
 言葉を継ごうとして、悟浄は途中で止めた。背後に軽い少年の足音が立ったからだった。
「三蔵も悟浄もここにいたのかよ」
 肩にかかった黄色いマント。少年期の終わりかけ、青年期に入ろうとしているが、この少年はどこかがまだ幼く感じる。純粋でまっすぐな太陽。
「悟空」
 悟浄がうめくようにその名を呼んだ。そう、どうしてあの夜、部屋のドアを蹴破らなかったのか。
「俺、おなかすいちゃった。みんなで食べようぜ」
 へへへっ。無邪気に金色の瞳を細めて笑っている。そう、この少年がいたからだった。八戒は望まないだろう、この悟空に自分が三蔵の下で身体を開いて喘いでいるなんてことを、この純粋な少年に知られることなど望んでいまい。それよりは三蔵に犯される方を黙って選ぶに違いない。
「あっ。そういえば、八戒、どこ? 具合悪いんだろ」
 茶色い、癖のある髪がゆれている。まだまだ、あどけなさがにじんだ声だった。
「ちゃんと、看病してたのかよ三蔵」
 ぶーっと頬をふくらまして、養い親の方をにらむ。そう、三蔵が八戒と同部屋になったのを、この罪のない少年は、『三蔵が八戒のことを心配して看病することにした』 と解釈しているのだ。脳天気もいいとこだ。
「うるせぇ。まだ、調子悪ィそうだ。邪魔すんじゃねぇ」
 三蔵は新聞へ視線を落とした。悟空と目を合わせようとしない。そんな様子に、悟浄がぎりぎりと奥歯を噛みしめた。その肩先で紅い、燃えるような紅い髪がさらさらと音をたててたなびく。本当にイライラしていた。
「ホント、三蔵サマってば卑怯モンじゃん」
 押し殺した声だった。殺してやりたいような目つきで目の前の白皙の美貌の主をにらむ。
「黙れ」
 三蔵は恐ろしい低音で、悟浄の言葉をさえぎった。
『ご……じょ、ごじょ』 
 三蔵は不快なことを思い出した。
 自分の腕の中にいながら、この目の前にいる緋色の髪をした男の名を切なげに呼んでいた、八戒の姿を。あの淫らな男は、三蔵に抱かれながら、他の男の名前を甘い声でつぶやいていたのだ。まるで助けを求めるように。

 だから、あんな犯すような抱き方になってしまったのではないか。全部、この目の前の軽薄な男のせいなのだ。

 思い出してしまって、三蔵はその紫色の目でにらみかえした。殺したい汚らわしい虫でも見るような目つきで悟浄を見すえる。
「この……」
 まるで火花が散るような激しさで、三蔵と悟浄は正面からにらみあった。断じて目の前の男を許す気持ちなど、お互いに欠片ほどもなかった。殺したいくらいだった。









 「ピンク色の雲(7)」に続く