ピンク色の雲(3)

 八戒の言葉は当たった。

 ジープが宿に着くころ、夕闇に雷鳴がまじり、ひどい嵐になった。

 宿の玄関兼、宿泊受付にあわててかけこむ。受付らしいカウンターの背面は大きなはめ殺しのガラス窓で、中華風の華麗な飾りが美しい。それが、激しい風や雨を受けて外れそうなほど、がたついている。ひたすら嫌な音を立てていた。
「またよく降るな」
 三蔵が物憂げにつぶやく。宿の受付の空間はあまり広くはない。そんなに大きい宿ではないのだろう。街から街へ移動する商人たちのための宿だ。
「うえー、ずぶ濡れになっちゃった」
 悟空が嘆く。確かにそのツメの肩当ては濡れてしずくが光っているし、黄色いマントもぐっしょりと雨を吸って重そうだ。悟空が足を進めるたびに、濡れたブーツの下で床がきしんで音を立てた。
「すいません。四人なんです。部屋をお願いしたいんですが」
 相変わらず、八戒の顔色は良くはない。その秀麗な額のバンダナも雨を吸っていつもより色が濃くなっている。黒い髪は雨に濡れて妖しいような艶を放っていた。
「部屋わりはどうしましょう」
 さりげなく。実にさりげなくこの黒髪の男はつぶやいた。伸ばした背筋のあたりが緊張をはらむ。
「部屋は三蔵と悟空、僕と悟浄で2つでいいですよね」
 目尻を下げた、いつものいいひと仮面をはりつけた笑顔。

 しかし、告げる言葉に、かすかな不協和音が含まれていた。

 外は嵐だ。この男が、この地域の変わりやすい天候や気圧に、耐えられるとは思えない。不調を表に出さないように無理をしてふるまっているのだろう。こんなとき、八戒は本当に素直ではない。ピンチになればなるほど、ていねいな言葉を使って平気なふりをする。いつものことだ。
 いつもどおりのいつもの所作で、すまされる宿の予約。八戒はそのまますんなりと仲間から快諾がもらえると思っていたらしい。
 しかし、それは無理だった。
「てめぇ」
 八戒と別室だと聞いて、金の髪をした最高僧がうなった。金糸の髪は濡れて雨のしずくを光らせている。その美麗な顔も、まつげの先も雨で濡れている。濡れて重たげな僧衣の袖をひきずり、つれない言葉を吐いた相手を紫暗の瞳でにらみつけた。
「あーはい。いいんでないの。もうとりあえずそれで」
 悟浄が濡れて役に立たなくなったハイライトの箱を片手で握りつぶしながら言った。
「細けーことはいーから、早く風呂はいって着がえようぜ。風邪ひいちまう」
 真っ当な言葉だった。余裕さえ含んだ言葉だ。そんな紅い髪をした男へ、三蔵は冷たい視線を向けた。
「……なによ。なんでアンタ、八戒と同じ部屋がいいの? 言ってみな」
 にやり、とその傷のある頬をゆがめる。その赤い長い髪も他の仲間同様に濡れていて、それがまた、その水際たった男ぶりへ、より色気を添えている。
「今日は 『明日からの行程を地図で確認したい』 なんて言わねぇよな」
 悟浄にしては絡むような口調だった。
「この嵐じゃ雨、止まねぇモンな。明日も出発なんざーできねだろーし」
 歌うような調子だ。切れ長の緋色の瞳で面白半分に、三蔵を鋭く見すえている。
「勝手にしろ」
 とうとう、三蔵がうなるように言った。吐きすてるような口調だった。気位の高さがにじんだ声だ。
「三蔵っ」
 突然、背を向けた三蔵へ、悟空があわてて声をかける。部屋の鍵を八戒から渡されると、濡れた白い僧衣をまとった背を追いかけた。



 宿の部屋で熱いシャワーを浴びて、ようやくひと心地がついた。

 部屋の四隅に明かりがつく。電灯の、ぼう、とした夢幻的な明かりだ。やや赤みを帯びた白熱灯の光が、闇の中、悟浄の精悍な横顔を照らしだしている。
「よくないよねぇ。この、弱みにつけこんでるような交際の仕方がさぁ」
 白いふかふかのタオルで、長い髪をぬぐいながら悟浄が言った。 「交際」 というところで皮肉に悟浄は口をゆがめた。あの金の髪をした男のしていることは、「交際」 などというかわいいものではなかった。
 
 八戒を性のはけ口にしている。

「悟浄」
 既に着替えて、私的なシャツ姿になった八戒が困ったような声を出した。ベッドの上に腰をかけ、所在なさげに、かすかな笑みを浮かべている。
「言わないと分かんないっショ。八戒サンも」
 いつもは暗黙の了解としてスルーする問題を、どうしたことか、今日ははっきりさせてしまいたかったらしい。八戒の腰かけているベッドまで、髪にタオルをあてたまま近寄ってきた。きれいに筋肉のついた男らしい身体だ。下にジーンズだけ身につけているので、そのすっきりした身体の線や、引き締まった腹が精悍さを強調している。
「悟浄」
 ますます、八戒は困ったような声を出した。八戒の前で、悟浄が脚を止める。長い脚を投げ出すようにして座ると、ベッドが男ふたり分の体重に、きしんだ。
「あいつのどこがいいの、あんな冷血野郎のどこがいーの」
 八戒の親友は問いつめてきた。言葉の端はしに、八戒に対する優しさと愛情がにじんでいる。八戒を困らせるのは承知で、今夜という今夜はききたいらしい。
 困らせたくなくて、いつも八戒の返事を求めなかった。八戒が求めるときだけ行われる情事。だからといって恋人づらもしなかった。調子の悪い八戒を困らせたくなかった。だいじな親友だ。親友だけど、そのうち、そうそのうち、八戒も自分の方をちゃんと見てくれるに違いない。
 そんなことを信じていた矢先だった。悟浄は、金色のとんびに油揚げをさらわれたのだ。
「ごじょ……」
 整った唇が震えている。顔色が紙のように白い。
「あんな野郎より俺の方が」
 いつも、おどけて冗談ばっかり言っている口が、珍しく真面目な言葉をつむごうとしていた。部屋は静かだった。窓ガラスをたたく雨音が一段と激しくなった。
 その瞬間。
「はっかいーーごじょーーー! メシ! 俺らの番だって! 」
 悟空の大声がした。いや大声というより怒鳴り声だ。ドアごしに廊下から聞こえてくる。安普請な木造の宿だった。建物中に響きわたっていることだろう。屋根をたたく雨音にも負けじとばかりに声をはりあげている。
「は、はーい。今行きます」
 八戒があわてて返事をした。確かに夕食の時間だった。宿泊客はグループごとに食堂で食事が出るのだ。よくある宿泊所の方式だ。濡れたタオルを片付け、シャツのえりを正したりと、身づくろいをしている八戒を横目に悟浄はうなった。
「……あの馬鹿ザル」
 悟浄が額に手を当てた。確かに間が悪すぎた。
 そのうち、大きな音を立てて部屋のドアまでもが、悟空のこぶしでたたかれだした。悟浄はその額に、思わず青筋を浮かべた。









 「ピンク色の雲(4)」に続く