ピンク色の雲(11)

――――甘い濃密な蜜で閉ざされた部屋。

 三蔵と八戒が同室だと、部屋はひどく静かだった。にぎやかな悟空も、明るい悟浄もいない。基本的にふたりとも静かに過ごすのを好んでいる。
 今夜のふたりは、まるで昔のようだ。そう、昔みたいな、なごやかさだ。
 これからジープで行く、ルートの相談をふたりでしている。
「明日は晴れるみたいですね」
 部屋の窓の下、通りを歩く街のひとびとも、珍しく今夜は傘をさしていない。街の明かりでよくは見えないが、空では星がきらめいていることだろう。
「そうだな」
 三蔵はベッドに腰をかけている。目の前には小さなテーブルがあった。タバコを吸おうか吸わまいか、考えているといったようすだ。
「ようやく出発、できますね」
「ああ」
 八戒は三蔵の隣にそっと腰かけた。ベッドが八戒の体重を受けて、小さく音を立てた。洗い立てのシーツのにおいがふわりと鼻をくすぐる。八戒がテーブルに、地図を広げた。
「地形的にこの街と、この山を越えてさえしまえば……この地域の外へ、西域へ行けますね」
「ああ」
 三蔵は返事をした。西域。いよいよ西域なのだ。黙ってあごに指をあてている。考えこむときのしぐさだ。
「西域はあまり雨なんて降らなくて、むしろ乾燥しているとか聞きますよ」
 博学な八戒が説明する。晴れたせいか、今夜は調子が昔に近い。三蔵はそんな八戒のことを横目で流し見ている。その秀麗な眉はいやそうにひそめられている。『雨が降らない』 この単語に反応しているようだ。
「三蔵? 」
 ふいに黙った金色の髪の人物へ、八戒がけげんな声をかける。
「雨じゃねぇと、俺とはヤらねぇとか言わねぇな」
 ぼそり、低い声で鬼畜坊主はとんでもない言葉を呟いた。
「い、いやですねぇ三蔵は」
 八戒がひきつって片手を激しく横にふる。ちがうちがう、何を突然、言い出すのかというようなしぐさだ。顔が赤い。三蔵の恥ずかしい言葉に真っ赤だ。
「雨が降らないから、俺のことはもう要らないとか、そんなこと言い出すんじゃねぇだろうな」
 三蔵は、八戒をからかったり、言葉で嬲っているわけではないようだ。その証拠に、そんなことを言う表情はひどく真剣だった。そう、最高僧さまは、天気にすらヤキモチをやいているのだ。
「……そんなこと……あるわけないじゃないですか、三蔵」
 思わず、言葉を返す唇がゆるんだ。心配されている。やきもちをやかれている。嫉妬されている。この美しい男にひざまずいて請われるように求められているのだ。
 いくら鈍い八戒でも、三蔵の気持ちがわかった。
「うれしいです。僕」
 よりいっそう真っ赤になって、下を向いた。頭から湯気がでそうだった。思わず地図に目を落とすふりをしてしまう。乾いた音が手と地図の間から立った。
「何がうれしい。俺は心配でならんがな」
 面白くなさそうに口をへの字にして、恨めしそうに八戒を見つめている。神々しい金の髪、高貴な紫の瞳、すらりとした優美な姿。そんな三蔵が八戒のようすに一喜一憂している。
「西域でしょうと、どこへ行っても、僕の気持ちは変わりませんよ」
「本当だろうな」
「誓いますよ」
 にっこりと八戒は笑った。なんだか、胸が甘く苦しい。思わず鼓動まで早くなったようだった。三蔵に見つめられて、息がつまるように苦しいのに、めまいがするほど幸福だった。
「さ、三蔵、よかったらコーヒーでもいれましょうか」
 照れ隠しのように、八戒は話題を変えた。右手のひとさし指を立てて、提案する。いつものしぐさだ。黒い布で縁をかがられた、緑の袖がその手首でゆれた。
「悪くねぇな」
 三蔵は端的に言葉を返した。その美麗すぎる紫の瞳は、ひた、と八戒へ当てられたままだ。その目で見つめられると、どうしたらよいのか、わからぬくらい麗しい。
「コーヒーにブランデーでもいれましょうか」
「それも悪くねぇな。でも、俺は」
 三蔵は、顔を寄せると八戒のおとがいを指で上へ向けた。
「……こっちのがいい」
 そのまま、唇を寄せられた。くちづけられる。そのまま強引に押したおされた。ベッドがふたり分の体重できしむ。肩先でとめられている八戒の服のボタン、それをひとつずつはずしてゆく。白い肌からはシャワーを浴びたときの石鹸のにおいがする。
「さ、三蔵っ」
 手首をひとまとめにして、あおむけに押さえつけられた。シーツの波の上に、うちあげられた美しい魚のようだ。
「だめか」
 懇願する口調で八戒の、大切な最高僧さまが言う。
「……三蔵」
 そのうち、緑の服が、はぐように脱がされ、ベッドから床へ落とされる。モノクルが三蔵の手で小さいテーブルの地図の上にそっと置かれた。いつも着ている黒い下衣も床にあわただしく散らばる。
「さ……」
 恥ずかしさのあまり、制止の声をあげようとして、失敗する。唇をまた、三蔵の整った唇でふさがれた。
 空気までバラ色に染まったような錯覚におちいる。澄んだ花々の高貴なにおいすら、ただよってくるような圧倒的な多幸感に溺れそうだ。
「愛してる」
 耳元でささやかれる声が、夢なのかうつつなのかも、もうわからなくなる。
八戒は首まで赤くなった。








 了