花の葬列(6)

 そのまま、月日は過ぎ去り幾日かが経った。

「全然目的地につかねぇな。オマエらは」
 西への旅もほぼ慣れ、いろいろなことを把握したらしい捲簾が呆れた口調で呟いた。
「簡単に行けるなら、こーんな苦労してねーって」
 夕食時だった。宿の食堂で三蔵一行は食事をとろうとしていた。空気はよどみべったりとしている。
「そうそう。簡単に着くもんかよ」
 悟浄がテーブルに膝をつきながらぼやく。窓際の席に座ったため、外の光が差し込みその緋色の髪に陰翳を作っている。着いた席は円形の、典型的な中華様式のテーブルだ。
「……雨でも降るんですかね」
 悟浄の隣に座っていた八戒がやはり窓の外を見ながらぼそっと呟いた。陰鬱で重い雲が空にはかかっていた。
「雨が降るかどうか、わかんのか? 」
 捲簾が横目で八戒を見つめながら訊いた。
「ええ。気圧が低いと少し耳鳴りがしますよ……右目も調子がどうも」
 義眼を嵌めている八戒は、気圧の変化に敏感だ。低気圧が来て空気が上昇し薄くなると、いろいろ影響があるらしく浮かぬ顔になる。
「僕はちょっと」
 八戒は食事も早々に席を立った。
「ちょ……八戒」
「あーあ。食べてねーじゃん」
 テーブルに取り残された仲間たちから声が上がった。
「……なんだ。アイツ」
 捲簾が呟く。
「あー。そっとしといた方がいいって」
 悟浄が食後の一服とばかりに煙を吐き出しながら言った。
「ほっといていいのか。具合でも悪ィんじゃねぇのか」
 捲簾が何気なさを装いながらも、心配しているのを滲ませた声で尋ねる。
「んー。なんてゆーか。具合っつーか……古傷が疼くっつーか」
「古傷? 」
「そそ。ダメなのよあのヒト。こーゆー天気。よく言うっしょ? 手術したりすると寒い日とか雨の日とかは切った跡が痛むって……」
「悟浄」
 三蔵が横から制止するように声をかける。
「へいへい。ま、そんなトコだから、そっとしとけよ」
 悟浄が 『アンタに言われるまでもねぇよ』 とばかりの苦い表情で三蔵を牽制しながら歯切れ悪く言った。
「……へぇ」
 捲簾は片方の眉をつりあげて八戒の立ち去ったドアの方を見つめた。気にかかってしょうがなかった。





 その夜。
(頭が痛い)
 八戒は早々に横になっていた。宿の部屋に閉じこもるとベッドに転がった。ペット不可の宿だったので可哀想だがジープは外にいる。
(なんだか傷跡も痛むような気がする)
 過去の罪を示す傷跡、それは緋色の烙印に似ている。八戒の腹部に痛ましい跡となって残り、ときどきこんな雨の降りそうな日はその存在を主張する。
(……もう、何年も経つのに)
 八戒はベッドの上で身じろぎをした。
(駄目だ。眠れない)
 薄めの毛布を躰に巻き付けて寝返りを打つ。気のせいか右目の調子も悪い気がする。雨が降る前は大気が薄いせいかどうも躰の調子が悪い。憂鬱だった。
 諦めたように、とうとうベッドの上に躰を起こした。自分の腕で躰を抱える。薄寒かった。
「毛布をもう一枚もらってきた方がいいですかね」
 血の気の失せた顔色で八戒はまぶたを閉じたまま呟いた。どうせ雨が降ってしまえばジープで出発はできない。
 雨が降ってしまえば、この陰鬱な気分とつきあうしかなくなる。酷ければ部屋に閉じこもり、軽ければ悟空と気晴らしにカードゲームでもしながらやり過ごすしかないのだ。
「よお」
 突然、予告もなしにドアが開いた。ノックもなかった。黒ずくめ、長身の男が姿を現す。
 黒豹のように精悍で雷のように鮮やかな姿だった。開けたドアの片側に寄りかかり、口には好きなタバコの銘柄、アークロイヤルをくわえている。紫煙が物憂く辺りにたなびいた。
 捲簾だった。
「……なんですか。ここ、僕の部屋なんですけど」
 八戒はすこぶる機嫌が悪かった。いつもよりも幾分低い声で邪険に言った。
「調子悪そうだな」
 端正な切れ長の瞳が八戒を射た。そのままずかずかと遠慮会釈なしにベッドへ近づいてくる。
「本当に……貴方って人はデリカシーってものがないんですね」
 八戒は上半身を起こして皮肉な口調で言った。
 いつもなら本心を隠してやんわりと相手をやり過ごすのに、この男に対してだけは調子が狂った。どうしてだろうか。本音が出てしまう。隠せない。
「鬱は良くねぇったろが」
 捲簾はタバコの煙を吐き出した。そのまま腰を屈めて八戒の顔を覗き込む。
「独りでいるとよけい鬱になるぞ」
 黒曜石のように光る目が八戒を見据えた。
「独りでいたいんですよ」
 八戒は相手の切れ長の瞳を睨みつけて言った。硬質で冷たい声音だった。なんだか相手に噛みつきたかった。気が立ってる。
「やっぱアンタ繊細だよな。ま、なんていうかその、お綺麗な外見どおりっていうか」
 ベッドが軋んで揺れた。捲簾が八戒の寝ている足元に腰かけたのだ。そのままくつろいだ様子で足を組むと男っぽい仕草でタバコを黙ってふかしだした。
「……勝手なこと、言ってくれますよね。前から貴方は」
 八戒が苛立った声で呟いた。
「僕のことを繊細だの綺麗だの。決めつけないでもらえますか」
 血の気の失せた顔色で捲簾を睨む。
「僕のどこが綺麗なんですか」
 八戒が鋭い視線を投げた。
「僕なんて……この中身も過去も何もかも綺麗なんかじゃありませんよ」
 苦しげにシャツの胸元を手で押さえながら言い募った。
「もちろん、この外見だってね。見ます? 僕の躰。どんなに醜いか」
 八戒は震える手でボタンを外しだした。薄暗闇の中、白い肌が露わになってゆく。しなやかな首筋に綺麗な鎖骨、均整よく肉のついた胸元、そして。
「ほら。見たけりゃ見て下さいよ。どうです、これでも綺麗とか言うんですか」
 しなやかな細腰、慎ましく小さな臍の辺りに紅く引き攣れたケロイド状の傷跡があった。白く滑らかな肌の上で裂かれた紅い花のようだ。
 捲簾はまじまじと八戒の腹部を覗き込んだ。紅い傷跡を目に焼き付けるかのように凝視している。
「醜いでしょう。自分でもそう思います」
 八戒は目を伏せた。まつげがうっすらと影をつくる。
 本当に醜いのは、傷跡ではなく傷を作った自分の行状と過去だと自嘲するかのように口元を歪める。
 しかし。
「綺麗だ」
 八戒の躰を覗き込んでいた男の口から意外な言葉が漏れた。
「え……」
 敷布の上に置かれた八戒の手に自分の手を重ね、捲簾は熱い声で囁いた。
「綺麗だアンタは。俺の思ったとおりだ」
「ちょ……」
「古傷だろうがなんだろうが俺が引き受けてやる」
 捲簾がタバコを床で揉み消すのが合図のように

 そのまま、八戒は無理やりベッドに押し倒された。





 「花の葬列(7)」に続く