花の葬列(2)

 一行が宿にたどりついたのはもう夕暮れどきだった。
 ただでさえ目立つ三蔵一行は、更に目立つ血まみれの男をかついで平和な町の門をくぐった。
 宿の主人は相当びっくりしただろう。
 頬に傷のある紅い髪をした男前、金色の瞳でエネルギーの塊のような少年、そして美貌ながら剣呑な最高僧。穏やかそうだが一筋縄ではいかない緑の瞳をした青年。そんな連中が帳場の前に詰め掛けたのだ。
 おまけに血まみれの男を担ぎ込むときた。これまた派手な男だった。
 黒い服、胸元に髑髏の意匠を象った飾りをつけ、軍靴じみた革の靴を履いている。どこか軍人めいた男だ。そんな格好で腹に穴を開けて血をしたたらせている。
「そっち、ちゃんと持てよな悟浄ッ」
 ケガ人を担ぐバランスを上手くとれずに悟空が怒鳴る。内心、自分ひとりで背に担いだ方がましかもと思っているようだ。
「てめぇが背が低いから持ち難いんだ、このチビザル! 」
 同じく、反対側からケガ人を肩で担いでいた悟浄が言い返す。
「なんだとお! 」
「やるか、この」
 悟空と悟浄はいつもどおりの喧嘩を開始した。
 そんな騒がしい連中を背後に黒髪碧眼の美人は我関せずといった風情で微笑み、宿の帳場で交渉しだした。
「すいませんねぇ。ちょっとケガ人連れてますんで、シーツの予備頂けますか? あ、血で汚れちゃうと思うんで買い取りますから」
「え、ええ。そりゃかまわないけど……医者とかは……」
 カウンターの向こうで宿の主人が目を白黒させる。
「ま、なんとかなると思います」
 死にかけている重傷者を連れているとも思えぬ言い草に、相手は更に目を丸くした。
「でも包帯や消毒薬があったら貸していただけますか? 」
「あ、ああ持っていきなよ」
 そんなやりとりをしている背後で三蔵がむっつりと不機嫌そうに呟いた。
「面倒くせぇ」
「何かいいましたか三蔵」
 いいひと仮面を貼り付けた微笑みで八戒は振り返った。三蔵をじっと見つめる。背後におどろおどろしいオーラを背負っている。怖い。
「……なんでもねぇ」
 最高僧は舌打ちをして横を向いた。
 何故か八戒は突然迷い込んできたこのお荷物、いや、けが人を助ける気にすっかりなっているらしい。
 時々、正義感が強くて頑固なところを見せる八戒だが、今回がそうだった。

 大騒ぎに大騒ぎを重ねて
 一行はここに泊まることにした。

 部屋はちょうど三つ空いていた。八戒が当然のようにケガ人と同室になり、残った三人で部屋の割りあてにもめ、ジャンケンで悟浄がひとり部屋になった。
 そんな夜も更けて、ベッドのサイドランプだけがぼんやりと部屋を照らしだした。すっかり静かな宵となった。
「……さてと」
 額の汗をぬぐって八戒はひとり呟いた。
「こんなところでしょうかね」
 なんとか傷口をふさぐのに成功した。
 しかし、全く油断はできなかった。それほどケガは深かった。
 ケガ人を寝かせたベッドの傍らには、金色の銃が置かれている。この男の懐から出てきたのだ。
 八戒は部屋の明かりをつけることも忘れて、すっかり男を治すことに没頭していた。 既に外は暗く日は暮れている。
「後は養生すればなんとかなりそうですね。本人の体力次第ですけど……って、相当体力はありそうですよね。このひと」
 気功を当てる無理な姿勢を長時間とっていたせいか、肩が凝っている。首を左右に振って伸ばすようにすると、大きく伸びをした。
「……少し、眠くなっちゃっ……た……な」
 小さくあくびをするとケガ人の寝ているベッドに面を伏せた。なんとか手当する事ができて安心したのだろう。
 一瞬、目を閉じてうとうととまどろみかけた。

 その時だった。
「三蔵一行覚悟! 」
 複数の叫び声がした。突然だった。
 ドアが大きく蹴破られる音とともに敵が襲ってきた。
「! 」
 八戒は跳ね起きた。
 手に手に刀やら槍やらを持って雄叫びを上げて妖怪どもが飛びかかってきた。
「懲りずによく来ますよねぇ」
 片手でモノクルを嵌めなおし不敵に笑うと敵へ向き直った。ケガ人を無意識に庇(かば)ってベッドを背にする。
「ほめてあげたいくらいですよ。どうしてここが分かったんでしょうね」
 穏やかな笑みのまま呟き、返り討ちにすべく雑魚の妖怪どもと対峙した。穏やかな殺気のようなものを辺りに漂わせる。実際、八戒は強い。
「害虫駆除! 」
 片腕を振り上げ白熱した気の塊を投げつける。
 哀れな敵の数人が消し炭のようになって消えていった。瞬間的な出来事だった。
 しかし、
 立て続けに次の攻撃に移ろうとした八戒の顔色が変わった。脚が重くて膝が崩れてしまう。目の前が貧血を起こしたときみたいに暗くなった。
(しまった。ケガ人の治療をしていたから)
 結構、気を使い果たしてしまっていた。当たり前だった。男の傷は相当の深手だった。そんなケガを今の今まで精魂込めて治していたのだ。
(……なかなか気が溜まってこない)
 攻撃するだけの気功を撃つのに時間がかかった。そんな八戒の隙を敵が見逃す筈はない。
「死ねぇえ! 」
 間に合わない。斬られた、八戒が瞳を閉じて思ったそのとき。
 背後で金色の銃が火を噴いた。
 八戒を襲った妖怪の指が吹き飛び、その手から刀が転がり落ちる。
「ぎゃああああ! 」
 その後ろに控えている敵も、身動きする暇すら与えられなかった。目にも留まらぬ速さで次々に手首を打ち抜かれて悶絶する。
 恐ろしいまでの正確さで、弾は次々と敵を貫通した。
 六連速射。
 手元を的確に打ち抜かれ、武器を取り落として呻き声を上げ妖怪たちは床をのたうちまわった。
 神業だった。凄まじい腕だ。
 雷光が、走り抜けるような鮮やかな早撃ちだった。
 八戒は放心した態でゆっくりと後ろを振り返った。そこには死にかけていたケガ人がいる筈だった。
「貴方は……」
「大丈夫か。何やってんだ」
 死にかけている筈の男はベッドから上体を起こしていた。
 その右手には金のレミントン・ニューモデルアーミーが握られ、もう一方の手はケガをしている腹に庇うようにして当てられていた。銃口からは硝煙が立ち昇っている。
 精悍な顔に 「しょうがねぇな」 とでもいいたげな苦笑を浮かべていた。
「らしくねぇぞ」
 その声は、深く優しかった。よく知っている旧友にでも向けられる親しみのある口調だった。
 八戒を襲った妖怪たちは全て右手首を打ち抜かれて床に転がり悶絶していた。
「貴方は、いったい」
 八戒は呆然として呟いた。この腕、ただ者ではない。
「八戒! 」
 慌しくドアが蹴破られるように開かれ、ようやく悟空と三蔵が乗り込んできた。
「大丈夫? 八戒」
「やっぱり、こっちにもきてやがったか。ったく飽きねぇヤツラだ」
 三蔵がマルボロを咥えたまま呟く。足元で苦しみ、吹き飛んだ指を掻き集めるようにしてもがいている敵の手をその足で無慈悲にも踏みにじった。
「うぐぅッ! 」
 白目を剥いて口から泡を噴く妖怪を踏みつけたまま、白皙の鬼畜坊主は冷たく言った。
「まぁ、無事ならいい」
「俺とさんぞーの部屋にも来てさー! ケガ人抱えてるのに、八戒んとこにもいってたらどーしよーってあわてて来てみたんだ」
 茶色い髪を揺らして悟空が笑う。その手にしている如意棒には血がついている。相当の数を相手にしたらしい。
「もー。部屋、ぐっちゃぐっちゃでさ。ベッドとかも壊れちゃった。寝るとこどーしよ」
「てめぇが如意棒なんざ振り回すからだ。狭めぇ部屋で」
「さ、三蔵だってうれしそうに魔戒天浄とかやってたじゃん」
「うるせぇ。口答えすんじゃねぇ。サル」
 そんな師弟コンビのケンカの最中、
「ったく。ホント。おサルちゃんとタレ目はいいけど、八戒が心配でさ」
 騒々しい部屋に、紅い髪の流れ星が颯爽と登場した。
「悟浄! 」
 八戒がうれしそうに口元をほころばせた。
「遅せぇ」
 三蔵が口を歪めて吐き捨てる。
「お? アンタらと違ってこっちはひとりで大勢相手してたっちゅーの! ったく」
 悟浄が食ってかかった。
「てめぇなんざ、妖怪にミンチにしてもらえばよかったのにな」
「なんだとお! この鬼畜坊主! 」
 今度は悟浄といがみあい始めた三蔵を余所に、悟空が不思議そうに八戒を見つめた。
「でも、どうして? 八戒が闘ったにしちゃ、妖怪が気功で消えてないじゃん……撃たれてるけど」
 床に倒れている敵を眺めていた金色の目が丸くなる。
「撃たれてる……? どうして? 八戒、銃持ってたっけ」
 不思議そうに首を捻っている。
「ああ、それは 「あの人」 が」
 八戒はゆっくりとケガ人のいるベッドを振り返った。彼は尊敬できる銃の腕前だった。
 しかし。
 目を離した隙に、ケガ人は腹を押さえて脂汗をかいていた。背を屈めて低い声で唸っている。
「! ち、ちょっと大丈夫ですか! 」
「お、おう」
 ケガ人は先ほどの精悍さはどこへやら、顔を歪めて苦しそうだった。息が荒い。
「んだか。痛てぇ」
 八戒は相手の腹部を覗き込んで目を剥いた。
「き、傷が開いちゃってます。せっかく治したのに」
「痛てぇ! 痛てぇよ! 」
「あああ! 銃なんか連射するからですよ。反動がかかるに決まってるでしょう」
「どーして、俺ってばこんなケガしてんだ」
「知りませんよ! こっちが聞きたいくらいです。悟浄! 包帯とって下さい! 手当てをやりなおさないと」
 慌てて手当てしようとする八戒の腕を、なんと気丈にもケガ人は払いのけた。
「余計なことすんなよ。アンタこそ、見たトコ相当弱ってるみてぇじゃねぇか」
「誰のせいだと思ってるんですか! 誰の! 」
 どうしてだか分からないが八戒は頭にきて、その場で喚き散らしだした。自分のことよりも他人を心配するこの男の飄然とした態度に、なんだか無性に腹が立ったのだ。
「は、八戒恐ええ」
 悟空が歯を鳴らした。
「逆らわねぇ方がいいぞ。ホレ包帯」
 悟浄が前を向いたまま、悟空にさりげなく包帯を手渡す。
「なんだよ! 言われたのは悟浄だろ! 悟浄持っていけよ! 」
 賑やかな言い争いに混じって八戒の怒号が響く。深夜だというのに大騒ぎだ。これでは早々に宿を追い出されるに違いない。
「……ったく。本当にめんどくせぇ……」
 最高僧は頭を抱えた。本当になにもかもが厄介だった。



 「花の葬列(3)」に続く