花の葬列(1)

「暑い―――!! 」
「あーほんと!暑いったら暑い! 」
 ジープの後部座席でサルと河童が騒ぐ。
「しょうがないじゃないですか。夏なんですから」
 ハンドルを握る八戒は目尻を下げて笑っている。やや長い前髪が風になびき、短い襟足が颯爽とした印象だ。額に緑色のバンダナをつけ、えりの高いチャイナ服をきっちりと着込んでいてもひとり涼しげだった 。
「だってさー! 暑いもんは暑いよ! 」
 金眼の少年がごねた。腕に如意棒を抱えて舌を出している。
「八戒さー。かき氷屋さんとかって、この辺にねぇかな」
 運転席のシートに背後からしがみつき、現実逃避じみたことを言う。その肩でマントがはためく。八戒はのんびりした口調で返事をした。
「さぁ、少なくとも今のところみませんよねぇ」
 のほほんと、すっとぼけた会話を続けるふたりに紅い髪の男が吠えた。
「おい! サル! こーんな山ン中でかき氷屋もねぇだろが。バカだな本当に」
 悟空も黙っていない。
「うっっせぇなエロ河童! 黙れ! ……てぇか暑いからこっちくんなよ! 」
 隣の悟浄に肘鉄を喰らわせようとする。
「俺だって寄りたくて寄ってんじゃねぇよ。座席が狭めぇんだ、てめぇ降りろよサル」
 悟浄が悟空の頭を大きな手でわしづかみにし、自分から遠ざけようとする。
「なんだとぉ?! 」
 邪険にされて、悟空が怒りに目を剥いた。大声を張り上げ喰ってかかる。
「まぁまぁ、ふたりとも……」
 苦笑いを浮かべて八戒がたしなめるよりも早く、助手席の鬼畜坊主が僧衣をひるがえして立ち上がった。
「この暑いのに、うぜぇヤツらだ。そんなに涼しくなりたきゃ、俺が風穴あけてやろうか」
 小銃の狙いを後部座席のふたりにつけた。撃つ気満々だ。連射するつもりなのだろう。その躰から物騒な殺気が漂っている。
「立たないで下さい! 三蔵ッあぶな」
 八戒が慌てて叫んだ。
 その時だった。
 ひらり、と天から何かひとひら舞い降りて来た。
「…………? 」
「え……? 」
 思わず、四人とも天を見上げた。

 桜。

 それは、桜のはなびらだった。
 確かに、桜のはなびらだった。
 次々と数を増やして空を飛び交う。淡い紅色の花弁が優雅に宙を舞っている。

 こんな、季節に桜。
 真夏に桜吹雪。

 現実離れしていた。ひどく幻想的な光景だった。

 しずしずと散華の花が天から降り、 ひらり、ひらりと薄紅色の花弁が、あとからあとからジープへ落ちてきた。
 まるで、真夏に降る雪のように。
「これは」
「どうして……? 」
 みるまに。
 花びらは加速度的に増えてきた。気がつけば、ジープのフロントガラスが桜の花で全く何も見えなくなった。目を開けようとすると、花びらでふさがれる。桜吹雪は暴力的なまでに勢いを増しつつあった。
「ジープを止めろ八戒! 」
 三蔵が叫ぶ。
「ブレーキが効かないんです! 」
 八戒が怒鳴り返した。
 三蔵一行は桜の吹雪に襲われていた。今や花の嵐は美しくも狂暴に一行の行く手を阻んだ。まるでジープを押し流そうとでもするかのように、大量の花びらは雪崩のように一行の乗る車を直撃した。
 八戒は必死になってブレーキを踏んでいたが、足元を見て悲鳴を上げた。
「桜の花びらが……ブレーキペダルの下に……! 」
 大量の花びらが襲うように降ってきて、ブレーキの踏み込む余地をなくしてしまった。運転席の足元は花びらで埋め尽くされた。ありえないことであった。
 ジープは操作不能に陥った。これではブレーキが利く訳がない。
 絶対絶命かとも思われたそのとき。
 突然、大きな黒い影が、桜吹雪とともに後部座席へと落ちてきた。直撃だった。墜落だ。もの凄い音がした。
「ぶッ! 」
「うお! 」
 悟浄と悟空が下敷きになったらしく声にもならぬ声で呻いているのが聞こえてくる。
「…………! 」
 重いものが後部座席に落ちてきた衝撃で重心が移動し、ブレーキペダル下の桜の山が動いた。
 この機を逃すまいとすかさず、八戒が思い切りブレーキをかける。
「ぐげ! 」
「! 」
 急停止に躰のバランスを崩した悟空と三蔵が呻いた。
 甲斐あってジープはなんとか止まった。
 一拍の間の後。
「……見ろ」
 助手席の三蔵が目の前に拡がる光景を顎で指し示した。
「げぇ! 」
 桜吹雪が晴れると自分たちがどこにいるのかが分かった。視界前方には断崖絶壁が広がっている。ジープは見事に崖の上すれすれの場所にいた。
 間一髪というところで八戒がブレーキを踏むのが間に合ったのだ。あと数ミリというところで前輪が外れ奈落の底へと転落する直前だった。片側の車輪は完全に崖からはみ出て宙に浮いている。
 車輪の下で崩れた岩が乾いた音を立てて谷底へ落ちてゆく。怖ろしいことに、崖下までは相当の高さがあるらしく、岩が底に当たった音はここまで聞こえてこない。
「一体何がなんだか……」
 助手席の最高僧と運転席の八戒はフロントグラス越しの光景を見つめたまま、声にならない声で呟いていたが後部座席を振り返って驚いた。
 いつの間にか河童とサルに覆い被さるようにして、血まみれの男が倒れていたのだ。
 悟浄はその人物が落下した衝撃で頭でも打ったのか気絶しているようだった。石頭の悟空は無事だが、落下してきた男の頭か何かでも当たったらしい。痛そうに顔を顰めて腹を押さえている。
「うひー! 何がなんなんだよ。もー! 」
 悟空が喚いた。血まみれの男の下敷きになって慌てている。男は黒い服を着ているが、その髪や服にも桜の花びらがくっついていた。
 落ちてきた人物は長身で背格好が良かった。当然、後部座席のほとんどを占領する形で悟空や悟浄の上にうつぶせで倒れている。
「悟空、そのひとは……」
 八戒は上半身をねじるようにして後部座席を覗き込んでいた。予想外の出来事に目を丸くしていた。
「わっかんない。突然、どさって落ちてきたよ。うわ! コイツ血まみれじゃん! 」
 悟空の言うとおりだった。もの凄い出血だった。鉄を含む血の生々しい匂いが車中に漂う。それでも胸が上下しているところを見ると、かろうじて息はあるようだった。
「ねーねー。八戒」
 じっと見慣れぬ男を見つめていた悟空だったが、何かに気がついたように言った。
「どーもさ。このひとの怪我、おなかにあるっぽいよ。ホラ……」
 うつぶせに倒れている、男の躰を自分の膝の上であおむけにしようとした。そんな悟空に八戒の鋭い声が飛ぶ。
「動かさないで! 」
 びくっと小猿は動きを止めた。そのまま男の躰を抱きかかえて固まった。
 八戒が運転席から身を乗り出すようにして手をかざした。白く発光する気がその手からかげろうのように立ちのぼる。
「内臓破裂してますよ。これ以上動かしたら即座にお陀仏です」
 空気が震える低い音が立ち八戒の指先から気が放たれる。
 白い気は男の躰の中へと吸い込まれていった。腹部を中心に応急処置をする。悟空が抱きかかえても、収まりきらない長い脚は当然のように悟浄の上に無造作に置かれている。
「……なんでしょうね。何かに……押し潰されたような……傷ですよね」
 八戒は狭い車中、やりにくいながらも傷を検分しようとしていた。腹が裂けている。腹部を巨大な獣にでも踏みつけられたような凄まじい傷だった。
 うつぶせになった男の横顔をちらりと見た。極めて精悍な顔立ちだった。今は青ざめて顔色も悪いが、体調が良くなって不敵な笑みでも浮かべれば痺れるほどかっこいいに違いない。
(僕はこのひとを知っている)
 整った顔を眺めているうちに唐突に奇妙な感情が胸の奥で疼いた。それは不思議な感覚だった。
 しかし、八戒は次の瞬間、胸中の思いをうち消した。相手は若い狼のように精悍な男だった。こんな印象的な人物を一度でも見たら忘れない筈だ。
 八戒はこっそりと首を横に振った。なんで「知っている」と思うのか、自分でも分からなかった。
 内臓が潰されているのを治すのは骨を折る仕事だ。少なくともとりあえずは応急処置を施し、車で運んでも問題ない程度にすることぐらいしかできないだろう。静かな場所で更に丁寧な治療が必要だった。それほどの深い傷だった。
「よく息があると思いますよ。ゴキブリ並の生命力ですね」
 あまりにひどい傷の深さに、思わず呟いた。
「ゴキブリ並の生命力? なんだか悟浄みてぇ」
 それを聞いて悟浄を簡単に連想した小猿が無邪気に叫ぶ。
「んだと? このサル! 」
 その言葉を受けるように傍から声が上がった。気を失っていた筈の悟浄が目を覚ましたのだ。どこか痛むのか頭を抑えている。
 その指の間から緋色の髪が流れ落ちた。悟浄は躰の上に何か重いものがのっているのに気がつき、驚いて叫んだ。
「うお! なんだよコイツ! 」
 自分の膝上を占領している血まみれの男を見て悲鳴を上げる。
「あーこのひと。すっげぇ大けがなんだって! なのに生きてるから悟浄みたいにしぶといなーって八戒と話してたんだ」
 悟空がけろりとした顔で返事をした。
「……てめぇ。聞こえてたぞ。ゴキブリっていったろ。確か」
 悟浄もいいかげんタフだった。気を失っていても悪口だけは聞こえていたらしい。片方の眉をつりあげて悟空を睨む。紅い前髪の隙間から血管が浮いている。相当怒っていた。
「へっへーん。気絶してても聞こえんだ。さすがだな! ゴキブリ河童」
 悟空も負けてはいない。傷を負った男を抱えたままにやにやと笑った。まるきり悪童の笑いだ。
「てめぇッ」
 いつも通りの喧嘩を始めようとしたふたりを、ほのぼの保父さんがすかさず叱りつけた。
「こんな非常事態に何やってるんですか! 悟空、悟浄ッ! 晩ご飯抜きですよ! 」
「うわっ」
「そ、そりゃねーよ」
 悟浄が慌てて血だらけの男の脚を押しのけ、躰を前に倒して八戒に言い訳をしようとする。
「ちょい待ち八戒……」
 悟浄が身を乗り出すと途端にジープが前へと傾いだ。重心がずれたのだ。いやな音とともに、かろうじて崖の上に乗っていた右前輪がじりじりとずれてゆく。
「うお! 」
「……このバカどもが! 全員ジープごと谷間に転落してぇのか! 動くなバ河童! 」
 いままで、この不思議な出来事を前に静かに考え込んでいた三蔵だったが、眉間に皺を寄せて怒鳴った。
「お、落ちますホントに。……三蔵申し訳ないんですけど、ジープから降りてもらえませんか」
 確かに前席の三蔵がジープから降りれば重心は安定するだろう。
「どうしてこの俺が、てめぇら下僕の指図なんかうけなきゃならねぇんだ」
 しかし、「鬼畜」とあだ名されるだけあって三蔵はひとすじ縄ではいかなかった。すっかり気分を害しているらしく、口を歪めて眉をつりあげている。
「降りろ! いいから降りろよハゲ! てめぇさえ降りれば事は解決すんだろうが! 」
 悟浄がここぞとばかりにののしった。
「うるせぇ。何がハゲだ死ね」
 短気な鬼畜坊主が銃を持ち出した。どうも意地になっているようだ。
「止めて下さい! これ以上ケガ人が出ても僕は面倒みきれませんよ! 」
 八戒が必死で叫んだ。その声は目の前の断崖絶壁に反響するようにして響いた。

 前途多難だった。

 気がつけば、ジープの上に積もっていた花びらは全て夢のように消えていた。





 「花の葬列(2)」に続く