友情or愛情?



 ACT.6


 友情と、愛情の境界がわからない。わからないものを延々考えたところで、答えが出るわけもなかった。散々勝手に心配し、長谷川に言われた意味を繰り返したところで…先日、秘密をかわすような空気の中、廊下の隅で話している後藤と秋月を見かけた。
 倉内の胸に去来したものは嫉妬でも怒りでもなく、笑ってしまうくらいの安堵。
 ただ何となく、置いて行かれような身勝手な寂しさを感じ、声をかけることも、簡単に気持ちを切り替えることすら出来ないまま。今日もやってくる、放課後。
 嬉しいのに、楽しみなのに、どうして泣きたくなるんだろう。

「静。最近、様子がおかしいようだが…」
 戸締まりを終えた二人きりの図書室で、陣内は倉内にそう声をかける。
「え?」
 ワンクッション遅れた反応が、妙なもどかしさを煽った。
 ここのところ考え事をしているのは知っていたのだけれど、一向に相談する気配もなし、解決しそうな兆しもなしで。そんな空気に気づかないほど、鈍くない。そして黙っていられるほど、部外者でもいたくなかった。
「何だね。その表情は」
「…だって。なんだか、その言い方は…陣内さんが僕を見てくれてるみたいだなって。自意識過剰かもしれないけど」
 自嘲するような喋り方に、今度こそ陣内は苛々する。
「今更何を言い出すかと思えば、私の視界にいつでも静は入り込んでくるじゃないか」
「………うん。そうだよね」
 どこが、自意識過剰だというのだろう。何を落ち込んでいるのだろう。それが自分に原因があるというのなら、自惚れではなく陣内には、すぐにわかる自信があった。だから、余計に気になってしまう。
 そしてそんな焦燥感を抱くようになった自分が、なんだか信じられない。…本当は、認めたくない。
「傍に居ないと、落ち着かないくらいに」
「……………」
 倉内はどうやら、その真意を正確には受け取らなかったようだ。
 端麗な二重瞼が、瞬きを繰り返しただけ。黙っているとこの少年は本当に綺麗なので、陣内は視線を逸らした。
「何だね。喜んでもらえないなら、教えた甲斐がない」
「今の、陣内さんが喋ったセリフだよね。僕の聞き間違いじゃなくて、僕が傍にいないと…っていうの」
「二度も言うつもりはない」
「…ねえ、それって今度こそ、僕は自惚れていいの?」
 勇気を出して、倉内は問いかけてみる。返事は、返ってこなかった。
 こんな状態でなかったら、飛び上がって喜んだかもしれないような、陣内の言葉だというのに。今は素直に受けとめられない、色んなことがよくわからない。モヤモヤして気持ちが悪い、早く抜けたい。
「はあ、複雑な気分。…なんだか苦しいよ」
 独り言のように、倉内は呟く。せっかく陣内と会話をしているのに、自分と対話しているような気になって、失礼で、嫌になる。
 後藤のことが好きだなんて、毎日顔を合わせてみても、そういう風には思えなかった。友達という括りで、十分すぎる。いつまでこんな悶々とした日々が続くのだろう、最近は何に悩んでいるのかも、よくわからなくなってきたところだ。
「本当に、静は私のことで悩んでいるのかね。別の誰かのことを想っているのなら…」
「な、何?」
 ぎくりとして、問いかける声はぎこちないものになってしまった。面白くないと本音を漏らすことは躊躇われ、陣内は大人の回答を選んだ。今までも、そうしてきたことだった。
 あからさまに反応されると、引かれそうで本当のことが言えない。言いたくない。
「いや。私は静の力にはなれそうもない、そう思っただけだよ。…まあ、恋愛相談なら、私は一言で解決できそうな武器を持っているがね。静に対して」
「何それ?」
 倉内は特に気構えもなく、そのせいで、あまりにも心の準備が出来ていなかった。

「私は、静が好きだ」

 持っていた鞄がドサ、という音を立てて床に落ちる。拾わなければ、としゃがみこんだ倉内はそのまま膝を抱えて唇を噛んだ。俯いているから、真っ赤になった顔までは陣内に見られていない。
 どうせ想像がつくだろうけど…そう思うともう、このまま泣いてしまいたいような衝動にかられる。指が震えて、たった一言でこんな風になってしまう。これが愛情でなかったら、もう何が何なのか倉内にはわからない。
「大人の、考えてることって訳わかんない。馬鹿な子供を振り回して…そんなに面白いの……。確かに僕は、何を言われても真に受けるよ!陣内さんの言葉なら、尚更…。わかってるなら、そんな風に簡単に、好きだなんて言葉を使わないで」
「簡単?私の言葉は、そんなに信用がないかね。心外だな」
 倉内はすぐに後悔する。間違ったことを言ってしまったのかもしれない、と。
 さっきまでどうやってコミュニケーションを取っていたのか、よくわからなくなった。この好きな人に対して、自分が。
「………」
「静」
 ただ名前を呼ばれているだけなのに、責められているような気がして、涙が我慢できなかった。
「…ご、ごめんなさい。…今、ちょっと、余裕がな、っくて……」
 きっと子供だと、思われているのだろう。本当はもっと近づきたいのに大人になりたいのに、どうして上手に出来ないんだろう。
 自分がふがいなくて情けなくて、腹立たしくて悲しくて涙が出る。大人が怖い。でも、好きになるのを止められない。一体、どうしたらいいのかわからない。
「…っんな、弱い…ところ、本当は陣内さんに見られたくない……。恥ずかしい。どうにかなりそう」
「つきあい始めたら、もっと恥ずかしいところを沢山見せることになる。お互いに」
 弱っているからこそかけられる、甘く感じる言葉の数々。今は想像ができない、そんな余裕がどこにもない。どんな優しい表情でかけられた言葉なのかを、倉内は知らず嗚咽を堪える。
「みっともないところを見せて、嫌われるの、怖い」
「馬鹿だね、静は。ほら、もう遅いから…送っていこう」
 ほら、と差しだされる手。もし掴んでしまったら、もう二度と離せなくなりそう。
「………大丈夫、です。お疲れ様でした、陣内さん」
 倉内は短く首を横に振り、ゆっくりと立ち上がると、陣内と目を合わせないまま図書室を後にした。視線が合ったら、そのままきっと捕らわれて、絡め取られてしまうような気がする。
 以前、海で出会った時も、風邪を引いた時もそう。少なくとも倉内が元気なら、こんな甘い罠を陣内は仕掛けない。
(…直兄に、迎えに来てもらおう。もう、僕、なんか歩くのもしんどい)
 携帯に連絡すると、兄はすぐ車で迎えに来てくれた。
 泣いてひどい顔をした弟の気晴らしに、そのままドライブへ連れて行く。ぼんやりと窓の外、滲んでいく夜の外灯を眺める。そのうちに眠気が襲ってきて、倉内は眠りへとおちた。


   ***


 遅刻ギリギリ、欠伸混じりの挨拶が多い後藤が、今朝は倉内と同じくらいの登校時刻だったらしい。
 自分が遅刻しそうなのかと腕時計を眺めてみたものの、いつもと同じで、おかしいのはどうやら後藤の方。
「おはよう」
「おはよ…」
 爽やかな笑顔に項垂れるように、倉内は挨拶を返す。
 昨日は、泣き疲れて爆睡した。朝起きたら何となくスッキリしていたけれど、身体が妙に疲れている。
「お前、最近元気ないな。よしよし」
「……………」
 頭を撫でられる。この男も羽柴もそうなのだが、スキンシップが激しい気がする。手を振り払うのも面倒で、倉内はただ目を細めて大人しくしていた。後藤は三人兄弟の末っ子なのに、時折こんな風に、まるで兄のような行動を取る。不思議な包容力があった。
「静の髪って、サラサラで、撫でると気持ちいいんだよな。傷んでないし、使ってるシャンプーの違い…いや、遺伝か」
「……………」
(…なんか、眠くなってきた。昨日あんなに寝たのに…。美容院もそうだけど、髪触られると眠くなるのって何でだろう?) 
「兄弟揃ってサラサラだもんな。チビたちなんて、ありゃもう天使の域だ」
「ちょ、ちょっと、いつまで触ってんの。グリグリしすぎ」
 ハッと我に返り、倉内はようやく文句を言う。これはいくらなんでも、油断しすぎだ。形の良い唇をとがらせる倉内に、後藤は満足そうに笑った。手は頭から離れない。身長差が、今は恨めしい。
「やっと喋った。いや、静の髪、触り心地いいんだって。自分でもそう思うだろ?」
「そんなの考えたことない。気持ち悪いから離れろよ」
 段々と覚醒してきた倉内に、嫌がらせのように後藤は、その身体を抱きしめる。
「そんなつれないこと言うなよ。ほら、抱きしめ具合も丁度いいし」
「……………」
 なんだか温かくて、頭がボーっとする。もしかしたら、風邪を引いたかもしれない。大人しくされるがままで、倉内はそんなことを考える。それからしみじみと、感じたことがあった。
(ああ、僕、後藤のこと好きなんだなあ…。この感情は恋愛ではないけど、確かな気持ちで)
 自然にこの考えに辿り着くまでに、随分と時間がかかってしまった。
 単にそれだけの話のような、今までの悩みといえば。
「アレ?」
「……………」
「しーずーか?ボンヤリしてると調子に乗るぞ?もしもーし?」
「後藤がご機嫌なのは、よくわかった。触るな変態。男同士でベタベタしすぎ」
 認めてしまえば、あとは楽だった。
 倉内は心配そうに覗き込んでくる顔を押しのけ、冷たい口調で言いつのる。実際調子に乗っているようなので、ついでに睨みつけてやった。そんな対応は今更で、後藤も後藤でこんな些細な抵抗に傷つきもしない。これが、本来の二人の形だ。
「まあ、お前らしいといえばそうだよな。うん」
「あーっ、もう!後藤の馬鹿!後藤の馬鹿後藤の馬鹿後藤の馬鹿後藤の馬鹿!!」
 何かの呪文のように繰り返し、倉内は溜息をつく。ニヤニヤしている後藤が、余計にむかついた。
「お前、それ、愛の告白にしか聞こえないぜ…?」
「チンコ蹴っていい?」
「オレが悪かったです。申し訳ありませんでした!」
「はあ…。もういいよ。大体、後藤が馬鹿なんて最初からわかってるんだから、いちいちむかついてたらキリがないし。なんか、ほんと、あーもう何で僕、馬鹿だ恥ずかしい消えたい…」
 前にもこういうことがあった。確か後藤がいなくなった、あのラブレター事件だ。
 倉内ですら無自覚の愛情を、きっと本人はしっかり認識しているのだろう。なんだかむずがゆい。気恥ずかしい。
「オレ、失礼なこと言われてるような気がするから、怒っていいのか?」
「駄目」
 倉内は即答した。その上後藤にいい加減にしろなんて言われたらきっと、立ち直れないくらいへこんでしまいそうだ。色んな意味で。
「あっそう、まあいいけど…。オレの心は、大海原のように広い故に」
 後藤はのんびりとそう続けて、呑気な欠伸をする。その全てに脱力し、馬鹿馬鹿しくなって、ホッとして、倉内はひどく複雑な気持ちになった。
 出会えてよかったなんて、わざわざ、これから先口にすることもないだろう。当たり前のように、傍にいられたら。
「あーあ。後藤が暗いと心配だけど、調子がいいと無性に腹が立つのって、何でなんだろう…」
「へえ、心配してくれたのか。可愛い奴だなあ、お前。愛されてるなあオレ。ありがとうな、静」
 ありがとう、そう発声された声音は限りなく柔らかい。まったくその通りで、会話するのさえ嫌になる。
 幸せにならないと許さない。どうか幸せであってほしい。
「はー。どーいたしましてー」
 近づく足音に振り返れば、陣内がこちらへと向かってくるところだった。
「静」
「…陣内さん」
 上手く言葉を続けられない。
 悩んでいた理由も結末も、話すことはしないだろう。倉内は思い、僅かに酒臭い大人を見上げた。
 この人の悩む理由がもし自分にあって、酒を飲んでいる間想われていたというならば、それは幸せなのだけれど。
「おはよう」
「おはようございます」
 オレ、先に行くわ。あくまでも軽い調子で、後藤が二人を取り残す。
 途端空気に緊張が走ったような気がして急に、倉内はドキドキし始めてどうしようと思った。そう、これが恋だった。友情に気を取られすぎておざなりになっていたものが、しっかりとお互いの間に横たわっていて狼狽える。
「もう大丈夫そうだね、後藤くんのおかげかな?」
(後藤のおかげっていうか、元々後藤のせいっていうか…)
「大丈夫なのははい、後藤のおかげっていうのはいいえ、です」
「静が元気だと、私も嬉しいよ」
 嘘には聞こえないその優しさが、ふと図書室での二人を倉内に思い出させた。あんな大事なことを言われたのに、どうして自分は、逃げるような真似をしたのだろう。心底勿体ない。
「…そういえば、陣内さん。昨日、僕に―――」
 好きって言いませんでしたっけ。そう続けようとして、倉内は口を閉ざした。否定されたら?そう思ったら、それ以上追求する勇気が持てなかった。臆病なものだ。
 好きになったばかりの頃は何も怖くなかったし強気だったのに、想いが増していくごとに、時間が過ぎていくごとに、この恋の行方が恐ろしくて、弱音を吐きたくなる。
 陣内は優しい微笑みを浮かべると、倉内の大好きな穏やかな声で、
「私は君と過ごす放課後が好きだよ、静」
 低く甘い愛を囁いた。


    おわり


  2008.02.22


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