liar


   act.4



 目が覚めた時、身体の動かし辛さに違和感を感じたのだ。怪訝に思い正純が瞼を開けると、重なり合いそうなくらい間近で犬上と目が合って、夢を見ているのかと思った。
「おはよ。白鳥」
「何、その顔…。というか、どうして犬上…が……」
 犬上の、幸せで満たされているような緩んだ頬は、数分後には見られなくなってしまうのだけれど。この時は、まだ平和な時間が流れていたように思う。
 お互いに裸。また身体を動かそうとし、原因不明の痛みに正純の表情が引きつった。
「あ…そう、か……。昨日お前と」
 それ以上は言葉にするのが物凄くはばかられて、大きな溜息をつく。
 犬上には失礼だと思うが、すぐに後悔した。情緒不安定なんて、ただの言い訳。セルフコントロールだって、仕事の内。犬上まで、巻き込んでしまうなんて。
「大丈夫か?身体の方は。やっぱ痛いか?ごめんな…」
「身体がどうとかっていうより、精神的に色んな意味で痛いよね。悪いけど」
 優しくできない。あんなに真摯で優しい言葉を、心からの愛情を全部で示されたのに、受け取ることができない。犬上だけが悪いわけじゃない、そんなことはわかっている。
 苛立ちの要因に、犬上は関与していない。そこにあるのはあくまでも自分の過失で、それが本当に正純には腹立たしかった。
「お、怒ってる?ごめん、オレ何度でも謝るよ。でも、マジ白鳥のこと好きだから」
「…自分に呆れてるだけ。別に、謝らなくていい」
 怖いと怯え、自分の胸で泣いて縋った正純はまるで夢のように儚く…いつも通りの素っ気ない態度を取られ、犬上はくじけそうになる。あれは絶対に、自分の妄想なんかじゃないのに。
 笑えないくらいの温度差が、二人の間を支配している。犬上の腕から逃れると、服に着替えようとして激痛が走り、正純は泣きたくなった。
「大丈夫じゃなさそうだな…」
「風邪ってことにするから。余計なこと、言わないで。二人だけの秘密。守れるだろ?」
「オレ、責任取るよ?一生お前のこと守る。大事にする」
 精一杯の言葉は、鼻で笑われてしまった。
「馬鹿じゃないの?女じゃあるまいし…」
「馬鹿でいい。笑われてもいいよ…」
「うざい。出てけよ!」
 どうやら彼は一人になりたいようで、正純の気持ちが犬上の最優先させたいものであったから、従うしかない。
 正純の感情の起伏の激しさなんて前から知っていて、しんどそうだったから、せめて何か温かいものを捧げることができたらなんて、思い上がりだったのだろうか。
「何かあったら、すぐ呼べよ」
「お前の助けなんていらない」
 正純はそう言い捨てて、静かにドアが閉まる音を聴きながら目を閉じた。


   ***


 暫くすると本格的に熱が出て、どうしようもなくなってしまった。うなされて考えるのは、ろくなことじゃない。
 ただ一人のことだけしか、頭に浮かんでこない。会いたくて、会いたくて、他にやるべきこととか考えなきゃいけない大事な人もいるような気がするのに、意識すればするほど、無理だった。
「正純、風邪引いたんだって。矢代さんから連絡貰って、心配で」
「御堂…」
 その顔を見たらホッとして、涙が出る。傍に来て額に手をあてるその身体に、正純は手を伸ばした。本当は、自分が一番求めているのは――…
「うう…頭痛い……」
 やっと、弱音を吐くことができた。丈太郎の前でなら、いつでも正純は素直になれる。強がったり、片意地を張らなくていい。ありのままで。
「可哀想にな。俺に移して、早く治したらいいよ。傍にいるから」
 優しい声が好きだった。彼の一番でなくても、自分は間違いなく丈太郎にとって、特別な存在で。だからそれだけで、満足していなくちゃいけないのに。
「どうして、来てくれるの」
 こんなに苦しいのは、自分の欠片が丈太郎の中に取り残されているから?
 同じ相手に、どうして二度も勝ち目のない恋をしなきゃならないんだろう。スッキリできたはずだったのに、矢代に呆れているくせに、同じ道を辿っているなんて。
「正純の痛みを、貰いに来たんだ」
「御堂にそんなこと言われたら、胸が痛くて死にそうになるよ…」
 安心できる身体にしがみついているから、このドキドキはきっと伝わっているんだろう。
「どうしたらいいの。僕、御堂以外に優しくなんてできないのに。優しくしたいのに、周りの人を傷つけてばかりで、自分勝手で、ほんとう…に……嫌な奴、で…!」
 犬上は馬鹿だ。近づいて痛い思いをするのがわかっているのに、懲りずに何度も手を差し伸べて。その度にチクチクと棘が刺すのは、どちらの胸か…。
「優しくしたいって思ってるなら、いつかそれができるようになる。大丈夫」
「………」
 丈太郎がそうだと言うのなら、何でも信じてしまいそうになるのに。
「俺にも、そういう時期があった。でもやっぱり、優しくせずにはいられなくなるよ」
 誰のことを言っているのか、正純にはわからなかった。王崎なのかもしれないと、何となくそんな風に思う。ただ自分にとっての犬上と、彼にとっての王崎とじゃ気持ちに差がありすぎる気がする。
「御堂は最初から、僕に優しかったじゃない。今だって…」
「誰にでも、優しくできるわけじゃないよ。未だに周防さんとか、苦手だし。ただ…俺にとって、ずっと正純は大事な人だから。他の何かを犠牲にしても、この手だけは離しちゃいけないって思ってた。独りよがりで、勝手な思いこみだったけど」
 過去形だ、そう認識して正純は複雑な気分になる。

「今は…正純を大切に思うことで、何か犠牲にしなきゃいけないことなんて、ないってちゃんと知ってるから」

 そんな言葉は自分に勇気を与えるもので、ありがたく素直に受け取るべきだ。
「…僕も、自分の気持ちを大切にしていいのかな」
 期待や自惚れをしたいと思った相手は、丈太郎が初めてなのだ。
「当たり前だろ」
「でもきっと、御堂を困らせるよ。僕は」
 ただこんな感情を抱くことを、赦してほしいだけなのかもしれない。別に王崎から丈太郎を奪ってなんて、したいとも思わないのだし。心の奥でそっと祈るように、恋をするくらいは。
「正純のことで俺が困ることなんか、何にもないから心配すんなよ。こう見えても俺だって、正純一人くらいちゃんと受けとめられるんだから」
 まさかそういう返しがくるとは、思ってもなかった。知らない間に器の大きさを誇示されるでもなく知らされて、惚れ直す以外のことができない。困ってしまう。
「そんな格好いいこと言わないでよ!もっと好きになるだろ!!」
「俺は嬉しいだけだから、正純は遠慮せずどんどん好きになりなさい」
 平気な顔で、恋人が他にいるくせに、どういうつもりで…全部、声にすらならない。
「僕の好きは…御堂とやりたいっていう好意だよ。本当にわかってるの?」
「うん。正純のその気持ちに迷いがなくなって、マジで俺と本っ当にやりたくなったら、言って。そん時は責任持つよ。やろう」
「えっ?」
 聞き返した自分が、おかしいわけじゃない…と思う。
 瞬きする正純に向かって、丈太郎は真剣な表情に影を落とした。そんなに色んな本音を見せられてしまったら、ドキドキする他ないのだけれど。
「…言っておくけど、俺は正純を傷つけた誘いを赦さない。あんなのは本当に……とにかく、あんな紛いもので正純の記憶に残っているのが、嫌なんだ。ちゃんと自分の身体で、正純に感じてほしいと思うよ」
 あの時のことを思い出すと、正純だって複雑な気持ちになるのだ。罪悪感と恋心がめちゃくちゃに切羽詰まって、吐き気がして、どうしていいか今でもよくわからない。苦しい。
 ただ丈太郎が、その悩みを違う形で抱えているだなんて思いもつかなかった。
「………御堂って、本当、変な奴…」
 律儀で馬鹿正直で、純粋な大切な人。愛を込めて、正純はそう呟く。
「そんなことないと思うけど」
「でもそこが好き…。うん、僕、御堂が好き。ありがとう。もう本当御堂とやりたくてたまんなくなったら、遠慮無く言わせてもらうから、覚悟しといてよね」
 丈太郎と会った後は、いつも少しだけ元気になっていることを自覚している。いつか自分も誰かにとってそういう存在になれたらいい、この気持ちの何分の一かでも、丈太郎に返すことができれば。
「今から楽しみにしとくよ」
「馬鹿…」
 喋りすぎて疲れてしまった。…どさくさに紛れて、告白までも。
 丈太郎のテンションは正純には心地良いもので、ついつい気持ちを話しすぎてしまう。丈太郎はいつも、穏やかに聞き入れてくれるから。
 目を閉じた正純は、何の心配もないような幸せな眠りについた。それはきっと、隣りに好きな人がついていてくれたおかげで。
 踏みにじった仲間の感情も、無視をしたままの杞憂も全部投げ出して…本当に今、自分が幸せの中に包まれているような錯覚を感じたのだった。


  2009.01.27


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