友情or愛情?



 どうしようもない奴だな、と思うけど…友達だから、少しだけ呆れるだけ。
 別にそれを更正させようとか、どうにかしたいなんて思わない。多分、友達だから。

 あと一瞬動作が遅れたら、考えたくもないけれどその唇は重なっていたかもしれない。反射神経の良さを、自分で褒め称えたい。
 日々鍛えてきた努力は、無駄ではなかったのだ。倉内は、そんなことを思う。
「…って……!」
 倉内の容赦ない蹴りに、後藤は腹を抱えて図書室の床にうずくまった。まったくいい気味である。友達のキスを奪おうなんて、とんでもない男だ。頭がおかしい。  そんな文句を頭で並べ、倉内は仁王立ちして後藤の頭上のあたりを眺めていた。
(何考えてるんだか!後藤の馬鹿!!人がせっかく心配してやれば、調子に乗って〜…)
「マジ信じらんねー。ただの冗談だろ?これ絶対痣に残るし…。いってー」
 申し訳なさが、微塵も感じられない。まるで倉内の方が、悪いことをしているみたいな、その態度。呆れと馬鹿馬鹿しさが込み上げてきて、倉内は形の良い唇をとがらせる。
「あのねえ。もし後藤にキスなんてされてたら、僕の心の傷の方が、今の後藤の痛みより何倍もひどいよ!!!」
「魔が差したんだよ…」
 その回答は、どこまでも自分に正直すぎる。…殴ってやりたい衝動にかられる。
「それってさあ、僕が女みたいだから?頷いたら絶交だから!馬鹿!!」
「……………違うけど、ごめん。悪かったな、機嫌直せよ」
 それで、謝ったつもりなのだろうか…。
「後藤って、謝る時もどこまでもえらっそうなのは何で?」
「反省してる。なあ、オレのこと嫌いになるなよ。静」
(…こんな奴甘やかしても、何も、いいことなんてないんだけど。どうしてなんだろうな、…はああ)
 しょうがない、と他に表現しようがない。倉内は苦笑して、俯く後藤に手を差し伸べた。 
「ほんとに、馬鹿なんだから。…もう帰ろ?なんなら、うちでご飯食べてく?一人でいたくないって言うんなら、泊めるくらい」
 後藤家は特に不仲というわけではないのだが、両親は忙しく兄姉とも年が離れており、後藤は昔から鍵っ子らしい。倉内家は、賑やかな大所帯。羨ましいとは思わないが、まあ、和むよな…後藤はそんな風に、言っていた。
 倉内の誘いに、複雑な表情で笑みを浮かべると、後藤は小さく首を振る。
「…そんなことしたら、オレ、マジでお前に何するかわからないから。自制できない。一人で帰るよ」
「………その返答、普通に会話に困る」
 さすがにもうこれ以上はつきあいきれないと、倉内は表情を引きつらせた。後藤との関係に限っていえば、倉内のつきあいの良さは半端ではない。まあ、その分他が疎かになっているけれど。
「静が泣いて嫌がるような酷いことを、できると思うくらいにはオレは…。あ、羽柴から電話だ」
 オレはなんだよ、とつっこみたくなったが、あえて聞き流す。どうせ、ろくなことは言わない。
 このタイミングで電話をしてくるあたり、本当に羽柴はすごいと倉内は思うのだ。見ているかのよう。
「…いいよ、出なよ」
「もしもし、マサ〜?」
 のんきな声が、倉内の耳にも届く。今日も、羽柴は平和そのものだ。安心する。こっちの事情なんて関係なしに、羽柴が羽柴らしくいてくれることに、倉内は感謝の気持ちすらおぼえるのだった。
「何だよ。今、取り込み中だ」
 文句を言いつつも、後藤の声音にも笑みが滲む。羽柴の明るさを何より必要としているのはこの男なので、本当に素直じゃないとは思う。
「えっ、そんなつれないこと言わないでさあ。聞いて聞いて!ナナちゃんが初めて触らしてくれた!!すごくない?写メ送っていい?甘えてきて、超可愛いんだって。かーわーいーいーよーーー」
「はいはい。よかったな、おめでとう」
 無感動な反応にも、羽柴は慣れているせいかめげない。
 ちなみにナナちゃんとは隣りの夫婦が旅行の間、羽柴家で預かっているアメリカンショートヘアーの猫で、その話は後藤のみならず倉内もしつこいくらい、羽柴に聞かされていた。
「ありがとう!!!この可愛さを、マサに分けてあげたい!もう三日もしたら、おばさんにナナちゃん返さないといけないから、マサうちに遊びに来てよ。何なら、今からでもいいし…。うち、今日晩ご飯おでん。ところで、おでんっておかずじゃないよね?あーあ、おばちゃん帰ってこなくていいのになー。ナナちゃん、うちの子になればいいのになあ」
「…羽柴」
「ん?何。あ、待って。マサのことは、言わなくても俺、よーくわかってる!猫より俺の方がかわいいって…?うんうん、その気持ちよくわかるよ!俺がナナちゃんに夢中になってるのが、マサはつまんないんだよね。でも、大丈夫!マサが甘えてきた時は、餌という餌を与えまくって、撫で撫でして、気持ちよくしてあげるからっ」
「………」
「マサ?ん、一人で喋っちゃってごめん。でももうちょっと話したいなあ。時間大丈夫?あ、今取り込み中なんだっけ。後から掛け直してもいい?迷惑じゃなかったら、だけど…。まだ俺、ナナちゃんの可愛さを語り尽くせてないし」
 会話というより羽柴の一方的な内容だったが、後藤は唐突に通話を切った。え、と倉内が唖然とするのも構わずに。
「羽柴、盛り上がってるみたいだったけど…」
「まあな。澄ましてる猫より、大はしゃぎしてる羽柴の方が間違いなく可愛いな」
 苦笑を浮かべながら、後藤はそんな感想を述べる。
「そ、そう思うんならその電話の切り方はないかと」
「大丈夫だろ。オレ、取り込み中だって言ったし、アイツ後から掛け直すって言ってたしな」
「いや、そ、そうかもしれないけど…。ま、別に、お前らがそれでコミュニケーション取れてるって言うんなら、僕がどうこう突っ込む義理もないんだけど……」
「一人で帰る。頭、冷やすわ」
「あ…」
「また明日な。静」
 羽柴の声を聴いて落ち着いたのか、何なのか…後藤はどこか陰のある笑みを浮かべ、図書室を出て行く。追いかけてくるな、とその背中が示していたので後を追えない。
 倉内はさっさと戸締まりを終えて、帰路につく。ナナちゃんの画像が添付されたメールが羽柴から届き、確かに可愛かったので、ほんの少しだけ心が和んだ。


   ***


 そんなことがあってから、後藤のサボり癖はいっそう酷くなったような気がすると、倉内は思う。
 サボり癖が酷いのか、体調が悪いのか、どちらもなのか。よくわからない。ただ心配で、直接そんな言葉をかけることができないから、倉内は前にも増して、後藤のクラスに頻繁に顔を出すようになってしまった。
「え、後藤いないんだ。保健室?」
「そう。今日もお熱いな、お二人さん」
「そういうんじゃないし。芹沢、マジでうざいよ」
 心の底から正直な気持ちを伝えれば、芹沢は落ち込んだような表情でごめんと退散する。
(本当にそういうんじゃないし、周りの奴らの反応が、うざいどころの話じゃない…。馬鹿馬鹿しい)  
 結局のところ保健室に足が向かってしまうあたり、あの問題児を自分は大事に思っているのだろう。
「失礼します。…後藤、いますか?」
「ああ、倉内くん。後藤なら、入れ違いで教室に戻りましたが」
「そうですか。それならそれで、その方がいいんですけど…。元気になったなら」
 養護教諭の阿部が、ほうじ茶をすすめてくれる。折角なので頂くことにして、倉内は温かいお茶を喉に流し込んだ。
「後藤は、ナルコレプシーという睡眠障害をわずらっていましてね」
「えっ?」
 のんびりとした説明が、内容とかけ離れすぎていて何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「日中の強い眠気と、それとは別に、突然の酷い眠気に襲われると、一瞬で眠りに落ちてしまう。まあ、そんな感じです」
「………ナルコ、レプシー?」
 聞いたことがない。睡眠障害と言われてみれば、思い当たることは多すぎるのだが…。
「後藤には、内緒にしておいてくださいね。彼は、秘密を一人で抱えるのが好きなんです」
「どうして、僕にそんな話を…」
「そうした方がいいと、私が判断したからです。…いいえ、そうですね。君に彼のことを知ってもらいたいと思った。おかしいですか?そんな風に考えるのは」
「阿部先生…」
「倉内くんの心配する範囲ではないのですが、知っておくことで、余計な心配を減らすことができるのではないかと」
「…そう、ですか。ありがとうございます。僕、よくわからないですけど…」
「いい友達を持って、後藤は本当に幸せだと思いますよ。私はこんな形でしか、彼に関わることができませんから」
「………そうですね。いい、先生にも恵まれて」
「君らに見せているのが後藤の表の部分なら、私にぶつけられるのは、弱くて脆い裏側の方が多いんです。最高に可愛げがなくて、馬鹿で、どうしようもない生徒ですが…。後藤には、幸せになってもらいたいのですよ」
 お互いの間に強い信頼があるからこそ、そんな軽口も叩けるのだろう。最高に可愛げがなく、馬鹿でどうしようもない…というのは倉内もまったく同意するしかない部分なので、否定もしないが。
 阿部は後藤のことを大事に思っているのだ、と倉内はなんとなく羨ましいような気持ちになった。
 陣内は、自分のことをどんな風に思っているのだろう。可愛いとは思われている気がするし、どうしようもないというよりどう扱っていいのやら…そんなお手上げ状態、なのかもしれない。
「ですから私は、後藤が嫌がりそうなことでも、それが彼の幸せに繋がると思うなら、秘密を話したりもするわけです」
「………」
「ああ、つい話しすぎました。そろそろ、休み時間も終わります。またいつでも、お待ちしていますよ」
 分をわきまえた大人は、そう言って倉内を送りだした。
(阿部先生って…陣内さんみたいな人)
 幸せになってもらいたい。そう願われているとするなら、けれどその幸せの先に自分が不在だと、思われているならば。
(………陣内さん)
 どんなに別の存在で自分の中を埋めようとしたって、誤魔化せない。
(僕はもっと、陣内さんに踏み込んで欲しいよ。関わって…僕なしじゃいられなくなるくらい、一緒にいて欲しいよ) 
 具合の悪い友達を心配することも、つれない想い人に胸をせつなくさせることも、倉内には比較にならないほど同じくらい、大切に思うから。


  2007.11.19


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