友情or愛情?



 ACT.1


 秋の訪れは、気温の変化のように少しずつ、倉内たちの環境を変えようとしているようだった。
 その日は授業参観で、校内の雰囲気はいつもと違い、色んな匂いと他人がすれ違っていく。放課後になって倉内が図書室にようやく辿り着いた頃には、自分の領域にいるという安心感に、思わず溜息が漏れたほどだ。この場所は落ち着く…それは多分、陣内がいるからだろう。そう思ったのに、所用で陣内は席を空けていた。倉内はがっかりし、カウンターへと腰を下ろす。
(…陣内さん、いないのか)
 どこかでそれにホッとしている自分に気がつき、よくわからない焦燥が倉内の胸を騒がせる。そんなの、ありえない。そんな自分、知りたくない。そんなものは全部、倉内の考える恋愛とは逸れていた。
 こんな気の滅入る日に限って、金本も瀬ノ尾も姿を見せない。図書室の中も、なんだかいつも以上に静かに感じる。

 後藤が図書室に現れたのは、一時間と三十分が経った頃だろうか。
 あまりにもその表情が不穏そのもので、隠しきれない苛立ちが全面に押し出されている友人は、倉内と目が合うと思いきり眉をしかめた。挨拶にしてはなかなか、最高に感じが悪かった。…聞くべき、なのか。
(後藤がここに来たっていうことは、僕を頼っていると考えていい。…めんどくさいけど)
 自分の悩みをとりあえず放置して、倉内は後藤にかまってやることにした。表現が悪いかもしれない。正直に言えば、心配していたのだ。一体何が、あったというのだろう?
 本当はそうすれば少しの間だけ、自分の不安を忘れていられる。そういうずるい気持ちが、ないわけでもなかった。
「寝る」
 後藤が発した言葉は、一言だけ。
 いつもならそんな宣言などせず、自分勝手に小さくなって眠りこけるくせに。そして、それ以外の用事でここへ訪れたことなど、かつて一度もないくせに。倉内は心の中で、一通り文句を言ってやるのだ。
「まあ、ここに来たっていうことはそういうことなんだろうけど」
 いくらなんでも、かわいげがなさすぎる。可愛い後藤なんて気持ち悪いだけだし見たくもないのだが、そういう態度を取られるというのはいくら友人といっても、倉内だって面白くなかった。
「静。お前はいいよなあ。ここでボーっとしてればそれで幸せで。羨ましい話だぜ」
「…無駄口叩いてないで、早く寝たら」
 せめてそれくらいが、倉内にできる精一杯の優しさである。
「この冷たさ!静お前、好きな奴なんていたことないだろ?氷の心の持ち主だな」
 どうやら悩んでいることは、恋愛問題についてらしい。正直、それは得意じゃない…。それに、聞き捨てならない言葉がある。好きな人なら今現在もいるし、過去何度か人を好きになったことくらい、ある。
「僕の純愛を、後藤にだけは馬鹿にされたくはないね」
 倉内は形の良い唇をとがらせて、そう告げた。
「へえええいるのか、好きな奴」
「煩い。おやすみ」
 そんな風に感心されると、なんだか恥ずかしくなってくる。倉内は、手を振って素っ気なく友人を追い払った。どんな人かなんて質問されて、どんどん突っ込まれるのは本当にいたたまれないような気がしたから、だ。
「…静。それ、うまくいくといいなあ」
「人のことより、自分の恋愛心配した方がいいんじゃない」
 お互い様、ではあるのだけれども。
「寝に来たんだろ、お前。こうして話している間にも、貴重な睡眠時間が削られるよ」
 照れ隠しは、どうやら後藤には伝わらなかったようだ。
「嫌味な奴だよなあ、本当。惚れた奴を見てみたいもんだぜ」
「煩い!早く寝ろっ」
「…怖い夢、見そうなんだ」
 聞き間違えたのかと思った。今時そんなセリフ、子供だって言わない。
 不意をついてそんな表情をするものだから、まるで自分は子守をしているような気になる。
「うなされてたら、起こしてやるから」
「頼む」
 頷いた。時折見せる寂しげな笑みは、どうしても放っておくことができない。
 すぐに寝息が聞こえてきて、倉内はしばらく、その睡眠を見守ってやることにした。
(僕がバクなら、悪い夢を食べてあげられるんだけどねえ…。祈ってやることくらい?できるのは)
 なんだか無力だなあ、と倉内は思うのだ。後藤の恋愛を、倉内がどうこうできるわけじゃない。そしてその悪夢を、見られなくすることもできない。
 ただ寄り添ってその寝顔を、ぼんやりと眺めるだけだなんて。なんて、自分は無力なんだろう。こんなにもこの瞬間を大事にしたいと思うのに、その術を倉内は何も持たない。
(…悔しいな。頼ってくれているのに、僕だって、幸せになってもらいたいって思っているのに)
 倉内が悩みを打ち明けたら、後藤も同じように考えてくれるだろうか?それはわからないけれど、少なくとも意外に情に厚い男だということは、倉内も知ってはいるのだ。
(あ、あれ?いつのまにか、人が居なくなってる…)
 あまりにも静かだったので、辺りを見渡してみたらいつのまにか、後藤と二人になっていた。校内では後藤と倉内がつきあっているということにされているらしいので、余計な気を使わせてしまったのかもしれない。
(まあ、たまにはこんなのもいいか)
 倉内は苦笑した。図書室の電気を消して、後藤の傍へ戻ってくる。これで後藤は気が済むまで、思う存分睡眠を取ってくれればいい。私物化するのはどうかと思うが、一年の中のほんの一日、そういう日があったって許されると思いたい。
 ダークブラウンの髪を撫でてやる。倉内自身、黒髪を染めようと思ったことは一度もないが、まあ後藤には似合っているとは思う。よしよし、と心の中で呟いて思わず笑みが零れた。
(何、やってるんだかな。こんなの誰かに見られたら…)

 ガタン!

 人の気配に、物音がする。
 倉内はギクリとして、ドアを振り仰いだ。侵入者は声も出さず、倉内の反応を伺っている。
「誰かいるの?」
 返事はない。そのまま、足音は駆け出すように図書室を遠ざかる。追いかける理由もないので、倉内は溜息を殺すと、後藤の隣りに腰を下ろした。
(何?誰?…いつも来ている生徒の誰か?顔、見えなかった。やっぱり、驚かせちゃったのかな) 
「静…」
「あ、ごめん。起こしちゃった?いいよ、後藤。もう少し寝てても」
 よくよく考えたら、後藤にこんなに優しい言葉をかけたのは(言い方という意味でも)、初めてのような気がする。緩慢な動きが、倉内の腕を掴む。きゅっと握る仕草が、制服に皺を作った。
「どうしたの」
「ありがとな…。駄目だなオレ、本当、こんなんじゃ……。格好悪。涙止まんねえし」
 何があったのか気になったけれど、多分、後藤には話しづらいに違いない。
「後藤の泣き顔を見て笑ってやりたいけど、優しい僕は電気を消してあげたから、全然見えない。よかったね」
 倉内は精一杯、いつもと同じようにつっけんどんな返答を返した。
「相手が何を考えてるかわかんなくて、めちゃくちゃ苦しい…。心臓が痛い。死にそう」
 そういうことを言うのは、本当にやめてほしい。気持ちが伝染してしまう、倉内だって片思いをしているのだから。つられて泣かないようにしないと、と倉内は思うのだ。感情移入はしてしまうが、女じゃあるまいし…。
「後藤の気持ち、わかるよ。辛いの、わかる…」
「ちくしょう。何で、何で…っ……」
 友人の嗚咽に内心狼狽えつつ、倉内はそれを表に出さないよう、気をつける。
「後藤も、泣いたりするんだね。いつもかっこつけてばっかりで、そういう弱み、たまには見せて武器にすれば?」
 自分の素直じゃない態度に、もう少し優しくできないのか、とも思うのだが…。
「なあ、オレじゃ足りないのか?オレが相手じゃ、恋愛する気なんてなれないのかよ!?」
「あのさ、それ、言う相手が違―――…」
 抱きしめられてしまった。震えた感情が、密着した身体越しに伝わってきて、倉内は払いのけることもできない。
(もう、しょうがない奴だな…)
 苦しげな告白は、続く。吐きだすように吐露される心情は、確かに倉内と被る部分は多いはずなのに、どうしてこんなにも違う形で現れるんだろう?それが、なんだか不思議だった。 
「好きなんだよ。他の人間じゃ意味がない、どうして…どうしてわかってくれないんだ……!」
「後藤…」
「他の男に触らせたくない。独り占めしていたい…。オレのことだけ、見ててほしい」
 ああ、これが恋なのか。自分の感情はただの片思いで、恋愛にすら至っていないのか…。
 後藤の強い愛情と独占欲に、倉内は頭がクラクラした。後藤は自分を通して他の誰かを見ているというのに、うっかり、その全てに引き込まれてしまいそうになる。
(これが、陣内さんだったら…)
 すぐに否定する。そんなこと、ありえない。陣内はこんなことを言わないから陣内なのであって、…果たして本当に?そんなの、ただの思いこみなのかもしれない。自分の理想に、陣内を当てはめているだけなのかもしれない。
「…ごめん。どうやって慰めたらいいのか、わからない」
「そんなの簡単だ」
 涙に濡れて射抜くような目が、倉内を捉える。あ、捕まった…そんな風に思ってしまうような、色気のある視線。近づいてくる唇が本当に触れたりなんかしたら、本気で殴って、目を覚ましてやろうと倉内は思うのだった。
 後藤には簡単なことでも、倉内にとっては簡単でも何でもない大事、なのだから。


  2007.11.06


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