廃墟薬局(16)

「あ……」
 今日も、今朝も、昼も、そして今夜もベッドの上で。
 八戒は三蔵に縛められていた。シャワーを使うときも、湯に入るときも一緒だった。信用がなかった。洗面所にはカミソリの一枚や二枚あるだろうし。この自殺願望にとりつかれている男をひとりにする気など三蔵には少しもなかった。
「他の男を誘ったとき、どんなつもりだったか言え」
 三蔵が紫色の冷たい視線で、弾劾する。
「許して……ください」
 意識がない人形だったときに、食堂で他の男を誘惑したことを執拗に責められていた。
「あ……さん……ぞ」
 鎖骨のあたりにくちづけられた。吸われる。
「さん……」
 びりびりする感触が肌の上に広がった。
「くうッ」
 八戒が目元を染めた。ひどく感じやすい肉体だった。
「ドスケベが。もう勃たせてんのか」
 淫蕩さを責められる。嫉妬のにじんだ口調だ。
「俺以外でもいいんだろうが。男なら俺以外でも」
 意識が無かったとはいえ、前例がある。一瞬も信用できなかった。八戒のはりつめてしまったそれを、嘲笑うように三蔵が爪先ではじく。弾力のある肉隗が震えて跳ねた。
「さんぞ」
 後生だ、とでもいうような表情を黒髪の男が浮かべる。三蔵の指に、手に包まれたかった。いやもっと……。
「恥ずかしい野郎だ。てめぇは」
 ただでさえ、自分のことを恥じている八戒を追い詰める言葉だった。それでも言わずにいられない。
「違います」
 震える舌で、八戒が必死に言葉をつむぐ。罪びとが弁解する口調だ。悩ましく身体を上気させ、全身で三蔵に縋った。
「貴方だけです」
 甘い吐息塗れの声で、金糸に隠れた耳元へささやく。
「貴方だけです僕が欲しいのは――――」
 甘い、告白の言葉。官能が煮て蕩けるような。
「さんぞ……さんぞ」
 艶かしい腕に誘われるように、三蔵はその身を八戒の脚の間へ沈めた。
「あっ……あっあっ」
 手首に反動をつけるように、手のうちで跳ねるそれを扱いた。そして
「…………んッ」
 八戒が身を仰け反らして喘いだ。ぴちぴちした肉冠に三蔵の舌を這わされる。脚の間に金の髪が上下するのが……淫らだ。
「ああ……」
 快楽のあまり、周囲の全ての光景が目の端から白く蒸発してゆく。ひどく敏感で男に慣れた肌だった。そうした責任の半分は三蔵にあった。
 ある意味、この行為は悪循環といえた。自分の淫らさに絶望している八戒の絶望をさらに深くする行為だった。そう、三蔵のしているのはそういう行為だった。
「さんぞ……さん」
 身も世もなくなって、八戒が脚の間で踊る、三蔵の頭を押さえようとする。邪魔そうに手で振り払われ、口で激しく吸われる。口淫はきつくねっとりとしていた。
「ああ、ああッ」
 びくびくと若鮎のように八戒の身体が跳ねた。舌で敏感な裏筋を擦りあげられる。もうダメだった。
「イク……も……イク」
 口端から涎をたらして、獣のように逐情した。白濁した体液を三蔵は受け止め、そして舐めた。精液の栗の花に似た匂い、薄めた百合の花のような匂いが部屋中に広がる。
「あ……」
 そのまま、舌を這いおろされる。また、抱かれてしまう。肉の環を三蔵がつつく。既に連日の荒淫でほころんだそこは物欲しげに蠢いている。綺麗に肉のついた腹部が上下する。傷のあるへそのあたりまで、三蔵の視線が這い――――視姦される。
「ああ」
 八戒は羞恥に襲われて、顔を背けた。三蔵を欲しがっている身体がひどく浅ましく感じた。確かにひどく感じやすい身体だった。三蔵の舌が這うたびに八戒は痙攣して身悶えした。
「くッ……う」
 ひくん、ひくん。脚の内股が引き攣って震える。ぺろ、とそこにも鬼畜坊主の舌が這った。
「…………! 」
 八戒が悶絶する。そのまま、脚の下へ足首へと舌を這いおろされた。
「や……! 」
 喘いだ。わざと本当に欲しいところへは愛撫の手をそらされる。焦らされている。
「さんぞ……さんぞ」
 ぱくぱくする口の動きを黙って見つめられる。しかし、今日はあまり嬲られなかった。
「あああッ」
 三蔵の硬い怒張が、押し当てられる。熱い弾力のある肉の感触。そのまま
「ああッああああッ」
 貫かれた。八戒はその綺麗な首筋を仰け反らして喘いだ。三蔵のしまった肉の感触を粘膜で味あわされる。
「また、俺で栓をしておいてやる。欲しくてしょうがないんだろうが」
 三蔵が優しく耳元でささやいた。
 この黒髪の男を抱いて、その糖蜜のような身体が崩れないように栓をしてやる。それは、確かに最初は救いのための行為だった。
 だけど
「あああッ」
 脚を肩へかつぎあげ、交合を深くする。三蔵が穿ちながら、内股を舐めた。八戒が身をくねらし、尻の肉が三蔵を飲み込んだまま痙攣した。
「ああ、ああッ」
 淫らな身体だった。
「てめぇの身体、やらしすぎだ」
 三蔵が憎々しげに吐き捨てた。嫉妬だ。この淫らな身体に嫉妬をしている。
「ったく」
 この淫らな男をこの部屋の外へなど出すわけにいかなかった。たとえ、この男が口でどのように三蔵に忠誠を誓おうと、外へ出て他の男に迫られたら、最後までこの淫らな肉体は抵抗するだろうか。
「ああッあああダメ……ッ」
 脚に手を這わす度に、八戒がせっぱ詰まった声を上げる。もう、肌にただ三蔵が触れるだけで感じるのだ。本当に敏感すぎる身体だった。
「さんぞ……」
 甘い声を聞きながら、三蔵は考えた。街で襲われ、発作的に身体を求められ薄汚い路地にひきずりこまれる。そのとき、この男は相手に最後まで抵抗するだろうか。
「やぁッ」
 淫らすぎる身体を穿ちながら、想像する。他の男に犯され、それでも蜜を垂れ流すこの美しい男の姿が脳裏に浮かんだ。ダメだった。こんなに淫らな存在をこの部屋からどこへも出したくなどなかった。

 事態は絶望的だった。
 そう、
 三蔵との行為は回を重ねれば重ねるほど、絶望的な面が増していった。ニィの媚薬や催淫粘液に狂わされているとはいえ、そうしたものに侵された八戒の身体を蕩けるように抱いて、その淫蕩さをさらに深くしているのは三蔵自身だった。
「ああ、さんぞ」
 三蔵に穿たれて、八戒が喘いだ。尻を回すようにして抜き挿しされる。肉棒の感触がたまらなかった。
 抱けば抱くほどより淫乱にされ、男に抱かれることに慣らされてしまう。三蔵に救われて、同時に地獄に叩き落とされていた。蟻地獄だ。
「くぅッ」
 穿ったまま、三蔵が八戒の左足の指を舐めだした。ひとつひとつ、小指から舌先でちろちろと舐られる。
「あああッ」
 目の前が白くなって、八戒が悲鳴をあげた。
「てめぇ、またイッたのか」
 足の中指と、三蔵の整った唇の間に、透明な唾液が橋をかける。
「ダメ……ああッもうダメ」
 達しきって、身体が本当に限界だった。もう、何をされても感じてしまう。三蔵の手が這っただけで、逐情するほどに官能の火は追い上げられていた。
「俺が欲しいって言え」
 紫色の瞳の弾劾者が責めるように言う。しかし、それは甘い責め苦だった。
「俺が欲しいって。俺だけが欲しいって言え」
 足首を握り締めたまま言葉を求めた。
「さん……」
 その濡れた緑色の瞳に、自分を求めさせ、整った唇に淫らごとを言わせる。
「ああ、さんぞ……貴方が欲しい」
 三蔵は抱えていた八戒の脚をおろした。そのまま、上体を前傾させる。穿たれる角度が変わって八戒が顔をゆがめた。
「俺だけか、俺だけなんだな」
 上に覆いかぶさってくる。人ではないほどに整った美貌で見つめられた。真剣な目つきだ。
「さんぞ……さんぞ」
 八戒は顔の横に置かれた三蔵の手に、そっとくちづけた。誓いのキスのように。
「八戒」
 いや、三蔵にとってそれはもう既に淫らごとなどではなかった。淫らごとの領域をとっくに超えていた。それは今や聖なる誓いの言葉に等しかった。
 甘い誓いの言葉を何度も言わせると、三蔵はその身体をいっそう深く沈めた。組み敷いた美しい肉体が甘い声をあげる。
「ああ、さんぞ……さんぞ」
 八戒がしがみついてくる。その腕に抱きつかれて、三蔵は頬を緩めた。
 聖なる誓いの言葉。
 しかし、傍から見ればそんなものではないだろう。三蔵様は下僕が催淫剤で狂ってしまっているのをいいことに、それにつけこんでその身体を好き放題にしているといわれても、弁解できない。
「あ……さんぞ……」
 救いのはずなのに、救いのない行為。ただでさえ甘い身体を蕩かすように、いよいよ三蔵によって開花させられた。重ねれば重ねるほど身体が甘く蕩け、淫蕩になって、もう八戒は外へなど出て行けない。
 三蔵が、三蔵自身が、こんな八戒を外へ出して、他の男に見せるような愚かなことをするはずがない。もう、八戒自体が妖しい媚薬のようだった。
「ああッああ……あ、あああ」
 穿つ角度が垂直で性急になっている。最後の最後、どの男もするように三蔵が直線的に快楽を追い出した。身体の下で悦楽に狂う肉体へ淫欲を叩き込む。痙攣と弛緩を繰り返して三蔵は極みに達しようとしていた。
「ッ! 」
 三蔵が上下していた尻のうごきをとめた。微かに肉が震える。射精している。八戒のなかに注ぎ込んだ。
「八戒……八戒」
 舌先で、涙の浮いた八戒の目元を舐めた。何度かに分けて放出される精液の熱さを内側から感じて、八戒が身悶えて眉を寄せた。喘ぐこともできないくらい、感じてしまっていた。汗のにじんだ肌を震わせる。行為を重ねれば重ねるほど淫らになってしまう。
「俺の……」
 耳元で、蕩けるような甘い言葉をささやかれる。情交のときだけに明かされる、三蔵の本心だ。いつも、隙なく冷酷なこの男から、衒いも体面も体裁も何もかも消えている。
 宿の部屋に、ふたりきりで閉じこもり、ただお互いの身体をむさぼりあう。
 甘い、甘い薔薇色の砂糖菓子のような日々。
 しかし、
 八戒は穴を掘っている。自分が埋まるための穴だ。傍にいるのに、三蔵もそれに気がついていない。この大切な男を救おうとして、実は自分が墓穴の上から土をかけていることに気がついていないのだ。大切すぎて見えていない。分かっていない。
 お互いに溺れきって、事態の本質が見えていなかった。







 「廃墟薬局(17)」に続く