廃墟薬局(1)


 旅の途中の、とある大きな街、三蔵一行はにぎやかな場所にいた。中華風の料理店が軒を連ねる界隈だ。
「あーハラ減った。昼メシ昼メシー!! 」
 茶色い髪をした、小猿ちゃんが叫ぶ。小ぢんまりとした飯店の天井にその声は響いた。
「お前、そればっかだよな」
 ハイライトの煙を吐き出し、悟浄がけだるそうに言う。なかなか繁盛している店で、客は多い。席は全て埋まっているようだ。
「しょーがねーだろ減るモンは減るんだよ!」
 悟空はお腹を鳴らして、テーブルに突っ伏した。その背の黄色マントまでもがしょげているようだ。周囲のテーブルにおかれた料理を横目で恨めしそうに眺めている。とても美味しそうだ。食欲をそそる香辛料のにおいや肉の焼けるにおいが鼻をくすぐった。
「えーと何頼みましょう」
 とりなすように、三蔵一行の保父さん役でもある黒髪の男が優しく訊いた。緑色の服がよく似合う。
「餃子! チャーハン! 酢豚! シューマイ! ラーメン! 」
 勢い込んで、悟空がありったけ思い浮かんだメニューを言う。
「三蔵と悟浄は? 」
 八戒が苦笑するように目じりを下げて訊く。もう悟空の大食いは日常茶飯事だ。ツッコむ気にもならないのだろう。
「……ビール」
 最高僧様が疲れたように呟いた。白い僧衣はまだ着崩していない。その双肩では魔天経文が燦然と輝いている。
「おれも」
 悟浄が溜め息をついて肯く。頭でも痛いのか額の茶色いバンダナに片手を当てた。
「すいませーん。注文いいですかぁ?」
 取りまとめ役の八戒が、まるで学級委員のごとく、片手をあげ店員さんへ頼んだ。ひじのところまである服の袖が揺れる。いつものワンパターンすぎる光景だった。
「悟空、お前ぜったい、メニューのはしからはしまで手当たり次第に頼んでるだろ」
 げっそりとした顔で悟浄がたしなめる。
「えっ、ダメ? 」
 きょとんとした顔で悟空が問い返してくる。
「お前ねぇ」
 紅い髪の色男は呆れてハイライトの煙を吐き出し、ズボンをはいた脚を組んだ。悟浄が着る服だけあって不良っぽい。裾がルーズに膨らんでいるズボンだ。
 悟浄の声にかまわず、悟空はしばらく、店内をきょろきょろとせわしなく見渡していた。
 味自慢の店らしい雰囲気があった。木造の柱は中華風に天井まで紅く塗られ、壁にはメニューが貼られている。ところどころ油染みがあるのはご愛嬌だ。客たちは庶民的だが、旨い料理を囲み、そこかしこのテーブルで楽しそうに談笑している。
「あれ? あれあれ? あのひと変じゃねぇ? 悟浄」
 悟空が素っ頓狂な声で突然、叫んだ。窓際の客を指さしている。
「なんだバカザル黙ってろよ、うるせぇよ」
「だって、あのひと影がな」
 悟空がいいかけたその時、
「お待ちどうさま、餃子20人前です」
 ほかほかと湯気を立てて、焼き立ての美味しそうな餃子が大皿で運ばれてきた。
「わーい!! 」
 焦げ目も香ばしく食欲をそそる餃子が特大の大皿で現れた。
 悟空がすかさず餃子を箸で取り、黒酢や醤油の入った小皿につける。熱々なので、じゅわ、と音がするようだった。
「うは! うまーい! 」
 やけどしそうなのを、食べた悟空が、美味しさに身体を震わせる。
「パリッパリッでじゅわーだぜこれ。じゅわー」
 外側はパリパリと小気味いい。そんな皮を歯で噛み切ると、芳醇な肉汁があふれてくる。相当、いい豚肉を使っているのだろう。肉がニンニクやニラと絡まりあい、それは交響曲でも奏でているかのような旨みがあった。塩気といい、コクといい、とびきり美味しい餃子だった。衝撃的なうまさだ。
「おい! ひとりで食うんじゃねーよ」
 箸をもった悟浄が眉をつりあげる。
「おい、マヨネーズはねぇのか」
「さ、三蔵、やめましょうよ餃子にマヨネーズは」
 そんな、和やかな食卓を囲んでいると、店の奥から視線を感じた。8歳くらいのおとなしそうな子がこちらをじっと見つめている。
 一瞬、その男の子と目が合い、八戒は優しく微笑みかけた。
(ここの飯店の子供でしょうか)
 八戒はこっそり思いながら、目の前の餃子へ箸を伸ばした。悟空のいうとおり、皮がパリパリとして、小麦粉の焦げた香ばしい匂いがする。小気味のよいさくっとした焼き上げたばかりの感触が箸ごしに伝わった。ニンニクとニラとショウガの、食欲をそそる香りが鼻をかすめる。
「どうぞ」
 店の主人が八戒の後ろから腕を伸ばし、茶の入った椀をテーブルへ置いた。載せたお盆を手に忙しなく歩いている。少し小太りな彼は、テーブルとテーブルの間を通るのに難儀していたが、三蔵の背後を通るとき、不意に立ち止まり言葉をかけた。
「あれ、それお経ですか」
 店主は三蔵の肩にかかっている魔天経文をじっと見つめている。
「……それがどうした」
 三蔵は機嫌悪そうに返事した。つい、経文に関することだと相手を警戒してしまうらしい。
 しかし、店主が次に言ったのは、予想もしない言葉だった。
「いや、お坊様みたいに、肩にそういう経文をかけた方を先日みかけたので」
「!!」
 三蔵は思わず、目を剥いた。
「そのお経はなんですかと伺いましたら 『天地開元経文』 だと教えて下さいました」
 のほほんとした口調で、店主はしゃべっている。三蔵と会話しながらも、手は止めずに悟空や悟浄の前へ、お茶の入った湯のみを次々と置いてゆく。どんなに自分が重要なことを言っているのか、全く分かっていない顔だった。
 天地開元経文は5つある――――三蔵の持っている魔天経文をのぞく残りの4経文、聖天経文、有天経文、恒天経文、無天経文、そのうちのどれかが、この街にあるというのだ。
「そいつはどこへいった」
 思わず三蔵は声を荒げ店主をにらみつけた。店主が言ったのは捨てておけない言葉だった。自分と同じく天地開元経文を持つ三蔵法師がこの街にいる? 大問題だった。
「さ、さぁ。すぐに食事をして出て行かれたので」
 店主は三蔵の思いもかけぬ反応に、うろたえた。
「それ、どのくらい前ですか?」
 八戒が真顔になって訊く。
「3日前くらいでしたか。ええ、ホント最近です」
 緊張した面持ちで、店主は答えた。額に汗をかいている。余計なことを言ってしまったとその顔に書いてある。
「三蔵以外の三蔵法師がこの街にいるって?」
 悟浄がテーブルにひじをついたまま、ハイライトの煙を吐き出した。眉間にしわを寄せている。
「魔天経文以外の天地開元経文がこの街にある? 」
 三蔵が忌々しそうな声を出した。事は重要だった。
「探しますか」
「探すしかねぇな」
 三蔵は舌打ちをひとつした。和やかだった昼食は、いつの間にか緊張した場になっていた。
「おい、この街の地図が欲しい。どこに行けば置いてある? 」
 三蔵は店主を睨むようにして訊ねた。金色の美しい髪が額を覆い、聖別された紫色のチャクラがその間から見え隠れしている。僧というより華麗な金色の肉食獣のようだ。
「ございます。案内の地図はここに」
 店主は慌てたように両手をあげて答えた。レジの横にある、街の案内図を指さす。
「それ、ちょーダイ」
 悟浄が言うのに、店主はすかさず言った。
「さし上げます。当店からのサービスです」
 店主はレジの横まで駆け寄ると、地図を手に戻ってきた。商売人らしい所作だ。
「どうぞ」
 うやうやしい仕草で三蔵一行へ差し出した。3枚の街の案内図。東、西、南と地区別に分かれている。色のついた綺麗な地図だ。縮尺も大きく色分けも鮮やかで分かりやすそうだ。
「ちなみに、こちらの地図はメガネや目の悪い方用になっておりまして……」
 八戒の目の前にもう1枚、地図がそっと差し出された。八戒のモノクルを見て、店主が親切心をだしたのだろう。
「うわ、いたせり尽くせりですねぇ」
 八戒はその綺麗な緑の瞳を驚いたように見開き、
「ありがとうございます」
 にっこりと微笑んだ。モノクルの奥の目が細くなる。
 義眼は調子がいいし、視覚など健常者以上だ。しかし、とりあえず店主の好意を八戒はありがたく受け取った。





 「廃墟の薬局(2)」に続く