煉獄の孔雀(6)

 横に払った八戒の長い爪は、三蔵ではなく自分の胸へと突き刺さっていた。
「……! 八戒ッ……! 」
 三蔵は思わず駆け寄った。床が血で染まる。
「さん……ぞ」
 八戒は苦しげに喘いだ。膝を折って床へと崩れ落ちる。
「外したんですか……どうして……殺して……くれないんです」
 喋る口の端から、血が滴った。ひどい傷だった。
「てめぇ……」
 三蔵は八戒を抱きしめた。小銃が手から落ちる。八戒の血で、その腕が瞬く間に血で染まってゆく。
「死ぬ気だったのか」
 ぎり、と唇を噛み締める。
「わざと……弾を外すなんて……あなたって……ひどい」
 八戒がごほごほと咳き込んだ。
 そう。三蔵は寸前で的を外して撃った。直前で、八戒の本意に気がついたのだ。弾は八戒にかすりもせずに壁に当たった。
 八戒は死にたかったのだ。そして、妖怪の自分は普通の手段では死ぬのは無理だと思い、三蔵のことを挑発したのだろう。
「僕のことなんか……置いていって……って言ったの……に聞いてくれないし……僕は」
「喋んな!」
「汚れた……僕……なんか……抱く……し……もう」
「うるせぇ、俺がやりてぇんだ。黙ってろ! 」
「あなたの……邪魔……に……なりたく……な」
 そうだった。八戒が三蔵を裏切ることなどありえなかったのだ。『こいつは俺を殺すくらいなら、自分で舌噛んで死ぬだろうよ』そう言ったのは三蔵本人だった。
「バカが……! この大バカが……! 」
 三蔵はその血の滴る躰をきつく抱きしめた。
 その時、
「さんぞー! はっかーい。メシできたってー! 」
 のどかな悟空のうれしそうな大声がドアごしに聞えてきた。
「メシー! ……うわぁッ! 」
 悟空は、ドアを開けて血塗れの八戒と三蔵に悲鳴を上げた。
「バカザル! 悟浄呼んで来い! それから、着替えと包帯もってこい!止血だ! 」
「うわぁぁあっわあぁあぁぁあ! 」
「……慌てないで、悟空。どうせ僕は死ねない」
 口端を苦しげに歪めながら、皮肉な調子で八戒が自嘲する。
「どうせ、このくらいの傷では死ねないんです」 
 眉根を寄せて、自分で切り裂いた傷の痛みに耐えた。
「僕を……殺せるのは……三蔵くらいしか……」
 そのまま、八戒は三蔵の腕のなかで意識を失った。
「八戒ッ! 八戒ッ! 」
 悟空が必死になって叫んだ。
「このバカ! 」
 腕の中の強情な恋人に鬼畜坊主が叱りつけるように怒鳴った。
 怒号と悲鳴が、夜の部屋にこだました。



「なるほどねぇ。確かにコイツがやりそーなことだわ」
 悟浄は頭を振った。ライターでハイライトに火をつける。止血をされて、八戒は傍らのベッドで静かな寝息を立てている。
 その顔色は紙のように白い。心配そうに、悟浄が親友の顔を覗きこみながら呟いた。
「アンタに殺してもらいたかったなんてね。泣かせるねぇ。好きな野郎の手にかかって死にたいなんてね」
「死にたい病は治ったと思ったんだがな」
 三蔵が舌打ちする。
「まぁ、死にたい病が治ったきっかけが……アンタなんだろうし」
 悟浄は三蔵と目を合わせずに言った。紫煙を吐き出して目を細める。余計なことを言ったかなとでもいうような表情だ。
「まぁな」
 こともなげに三蔵が肯定した。
「まぁ俺はコイツにとって全てだろうしな」
 恥かしげもなく、金の髪の鬼畜坊主は言い切った。悟浄が思わず返す言葉を失って絶句する。まさに俺様仏様三蔵様だった。
 唯我独尊の権化だ。
 傲岸不遜な最高僧サマは、常に自信満々だった。八戒から捧げられている忠誠心も自己犠牲に近い気持ちも当然のこととばかりに受け取って澄ましている。
 ケッと悟浄が横を向いた。
(フツー言うかぁ? 自分で。ったく。へぇへぇ、ごちそーさまぁ)
 河童としては羨ましがるしかない。よくぞここまで強気でいれるものだとつくづく感心してしまう。
「まぁ、今回のことで、アンタに申し訳ないって……ずっと思いつめてんだろうよ。どうせ」
 悟浄はそういうと、肩を竦めた。三蔵と八戒の関係は、悟浄のような陽性の男には分からぬところがあった。
 冷めてそうで熱い。このふたりの性格そのもののような関係だった。
 部外者にも確実に分かるのは、このふたりが別れ難い絆で結びついていることぐらいだ。
「馬に蹴られないウチに退散するわ……いや」
 悟浄はにやりと笑って振り返った。
「どっちかってーと、犬も食わないってヤツ? 」
 にやにやと人の悪い笑いを浮かべる紅い髪の男前に、三蔵が銃を取り出した。撃たれる直前に、悟浄はドアの向こうへと素早く姿を消した。





「下手な芝居しやがって」
「すいません」
 もう、何度目になるか分からないやりとりを三蔵と八戒は繰り返していた。
「絶対安静だ。バカが。もう二度とこの部屋から出さねぇ。いいな。ずっとこのままだ」
 乱暴な口ぶりで、その癖三蔵は、八戒の傍から離れようとはしない。八戒が目を覚ましてからというものずっとこの調子だ。
「ずっとって、あのう」
「ずっとだ。このバカ」
 三蔵は横目でベッドに伏せている八戒を睨んだ。その耳には、既にカフスがきっちりと三つ嵌まっている。部屋の照明を受けて、銀色の鈍い光を放っていた。
「さん……」
 八戒は再び何か言おうと口を開けた。すかさず、凄みのある紫暗の瞳に睨みつけられる。
 そのまなじりは下がり気味だというのに、くっきりしたその華やかな瞳のせいだろうか。三蔵が睨むと迫力満点だ。強烈なその意思をびりびりと電撃のように感じる。
「……」
 八戒は諦めて天井を見上げた。木造のため、木の年輪や節が波紋のように広がっている。
「反省しろ。バカ」
 舌打ちまでして、今度は新聞を手にどっかりと傍の椅子に腰掛けた。
 時間はたっぷりあった。恐らく端から端まで丹念に読む気だろう。その所作はどこか張り込みをする刑事を彷彿とさせた。
「本当に……ごめんなさい。三蔵」
 八戒は申し訳無さそうに呟いた。三蔵はもう八戒の方をみないように新聞で顔を隠すようにしている。その癖、全身を耳のようにして八戒のいう言葉を聞き取っていた。
「でも、これだけは信じて欲しいんです。僕はあなたのために」
 三蔵は、読んでいた新聞から顔を離した。
 八戒の言葉に、三蔵はキレたようだった。新聞を八戒にむかって投げ捨てた。毛布に耳障りな音を立てて新聞が散らばる。
「うるせぇ。本当に! なんでお前が死ぬのが俺のためだ。バカが! 」
「さん……」
「俺はお前がお前ならそれでいいんだ。終わったことをいつまでもグダグダ気にしてんじゃねぇ」
 三蔵が、八戒の寝ているベッドの上へ屈みこんだ。八戒の視界いっぱいに紫の瞳が大写しになる。光彩が紫の虹のようで綺麗だ。思わず見とれた。
 そして、
 八戒はそれ以上、言葉がいえなくなった。
 何故なら。
 鬼畜最高僧にその口を塞がれたのだ。
「ん……! 」
 唐突で激しい接吻だった。貪るようにして三蔵は八戒の口腔内を犯した。舌と舌を吸いあい絡めあう。瞬間的に沸騰したような情欲の求めるがままの行為だった。
 しかし、三蔵はケガをしている八戒をそれでも気遣った。ベッドに寝たままの八戒の躰が動かないように、その躰に体重をかけないようにして、その唇を奪う。その小さな顔を挟むようにして、ベッドに手をついて、執拗に唇を重ねた。
 ふたりの躰の間で、挟まれた新聞紙が乾いた音を立てて皺くちゃになる。
「……ん」
 苦しげに八戒が喘いだ。息ができなくて、悶えた。
「暴れんじゃねぇ。傷によくねぇだろうが」
「……勝手な人ですね。本当にもう」
 一方的にくちづけられた上に、この言いようだ。八戒は思わず苦笑した。
「勝手なのは、お前だろうが」
 三蔵が、八戒の額にその額を軽く合わせるようにした。
「謝れ」
 再び、三蔵のキスが額に落ちた。
「謝れ。俺に」
「あ……」
 くちづけは頬に、あごに、耳に落ちてゆく。
「俺とずっと一緒にいるって誓え」
 耳元にぞくぞくするような低音で囁かれる。
「もう、勝手なことはしねぇって誓え」
 三蔵はそういうと八戒の躰を覆っている毛布をめくった。勢いで散らかっていた新聞紙が床へと落ちた。柔らかい綿の室内着に包まれた脚が丸見えになる。八戒はあわてた。
「ちょっ……! 」
「下だけだ。下だけ」
「あなたってひとは……! 」
「ケガがなおりきってねぇんだ。興奮すると傷に障るぞ」
「勝手なことばっかり言って……! 」
 八戒は真っ赤になりかけた。
「動くなよ。お前は寝てりゃいいんだ」
 三蔵はそういうと、八戒の下肢から、服を引き抜くようにした。綿の柔らかな室内着のズボンの裾を、三蔵の節の立った指でつかまれた。下着ごと無理やりひきずり降ろされる。
「やです! 待ってさんぞ……さんぞッ」
 露わになったしなやかな脚に、三蔵はそっとくちづけた。それは、どこか服従を誓う騎士にも似た仕草だったが、傷を負っている上にあわてている八戒には見えなかった。
「言え」
 八戒の下肢に三蔵の金糸の髪が煌めく。くちづけは無数に、あらゆる箇所に落ちた。
「もう、俺から離れないと」
「…………」
 三蔵の口調がいつになく真剣なことに驚いていると、その唇は、じつにじつによからぬところにまで這いあがってきた。
「あ……ッ」
 思わず目元を染めて、首を振る。
「言え」
 気まぐれに舌で吸われる淫らな音が派手に立った。玩ぶようにして、脚の付け根にも舌を這わせられる。八戒は悶絶した。
「やぁッ……! 」
 もう、胸の傷よりも圧倒的な快楽の火種の感覚で躰が苦しい。
「許して……許して下さい三蔵……」
「誓うか」
「ああっ……」
 淫らな舌舐りに八戒は思わず躰を揺らしかけた。びりびりとした悦楽の電撃が表皮を焼くようにして走る。
「はい。……もう」
 八戒は上がってくる息を必死で抑えながら言った。
「あなたから離れません……僕は」
「全然、聞こえねぇ」
 三蔵は舌打ちをひとつすると、再び八戒の下肢へとその顔を埋めた。
「ああ! やぁ……ッ! 」
 震える屹立のその括れに、容赦なく鬼畜坊主の舌が這わされる。
「聞こえねぇったろ」
「う、うぐッ……」
 強烈な感覚に、白くなってゆく快楽の粒子に神経すら侵されて、八戒は身悶えした。
「あ、ああッ……さんぞ! 」
「なんだ」
 情事の間も冷静なその低い声が憎たらしい。
「ずっと……ずっとあなたの傍にいます! いえ、いさせて下さい……」
 喘ぐように、艶めかしく呟かれるその言葉に、三蔵が反応する。
「誓うか? 」
「……誓い……ます」
 目を瞑って、鬼畜坊主の与える愛撫に耐えている八戒には見えなかったが、三蔵はその口元にほっとしたような緩んだ笑みを浮かべた。
「本当だな。てめぇ、また嘘を……」
「本当! 本当です。だからもう止めて……」
 緑の瞳に快楽の涙を浮かべて八戒が縋る。
「止めてッて言ったってな……おい」
 三蔵が八戒の手をとって、自分の痛いほどに張り詰めている怒張へと導いた。
「! 」
「コイツ……どうしてくれるんだ」
「そ、そんなの勝手にあなたが」
「ああ? 」
 生々しい皮膚の感覚と充実した弾力のある肉の感触が、八戒にも感染する。ぴくぴくとその表面を浮いて走る三蔵の血管の蠢きまでが愛しい。
「てめぇこそ、このままでいいのか」
 鬼畜坊主が口元をつりあげた。
「……! 」
 勃ち上がって苦しい状態を容赦なく指摘されて、八戒が目元を羞恥で染める。
「あ……」
「八戒……」
 三蔵の口調がにわかに甘くなる。そのままその手で八戒のあごを捉えた。
 ふたたび、ふたりはお互いの唇を重ねあった。
 恐らく、暫くの間はケガをしていても睦みあえる行為の研究にでも、ふたりして励む気だろう。濃密に甘く煮凝ってゆくような部屋の空気の中で、ふたりはいつまでも抱き合っていた。
 夜は深々と静かに更けてゆく。
 そのうち。
 甘い、八戒の啼き声が夜の静寂を侵食するようにして響きだした。
 甘い、糖蜜のような宵のひととき。もう、自分たち以外は考えの外だとでもいうかのように情欲に溺れあう。

「絶対安静だ。バカが。もう二度とこの部屋から出さねぇ。いいな。ずっとこのままだ」

 三蔵が、再び同じ言葉を繰り返した。一度、放出し合った躰を重ね合わせる。情事の余韻でひくんひくんと震える八戒の肌を淫らな手つきで撫でまわす。
 絶対安静はともかくとして。
 鬼畜坊主の言葉どおり、八戒がこの部屋から出られるのは、かなり先のことだろう。

 ともかく、ふたりはずっと一緒なのだった。
 いつまでも。