後日談

 桜が終わった後も花はいろいろございます。特に菖蒲の花などは藍色、紫がかった青、赤みのさしたものなど、いずれもとりどりで今が盛りです。
 そう。
 その者が慶雲院へきましたのは、もう桜も散り菖蒲の花が美しく咲く時分でございました。
 庭を掃いて清めておりましたら、最高僧様がわたくしを呼びました。
「おい」
 この名刹、慶雲院の最高僧でおられる三蔵様は千経万典、通じぬところなどない深い教養を納められたいと高きお方でございます。いつも、怖いような気配をその身にただよわせておいででした。金の髪、真白き衣に金の袈裟、まことに神々しいばかりでございます。神か仏の生まれかわりのようなお方で、存在自体がまぶしく、お声をかけるのも躊躇いたします。
 しかし、このときの三蔵様はどこか違いました。わたくしのような下々のものなど、いつも恐ろしいような綺麗な紫色の瞳で睨みますのに、どうしたことでございましょう。その日は決まり悪げに視線を外されたのです。
「新しい寺男が入った。よろしく頼む」
 そう丁寧に仰るのでございます。おかしなことでございました。もう寺男は十分な人数がおります。
そんなことを考えておりましたら、甘く涼しい声をかけられました。
「はじめまして。八戒といいます」
 慌てて声のする方を振り返りますと、今を盛りと咲き誇る青い菖蒲に似た綺麗な若い男がひっそりと立っておりました。つややかな黒い髪に緑の瞳。優しく慎まし気で、どこか美しい硝子細工を思わせます。人知れぬ深い山中、密かに咲き誇る山百合にも似た、危うい魅力がございました。
「こいつに、これからは俺の身の回りの世話をまかせる。いいな」
 黄金でできた絹糸のような髪の毛を麗しく光らせ、三蔵様がゆっくりと仰いました。否やを言わさぬ申されようでございます。その傍らで、控えている若い男――――八戒と名乗られました。地味な作務衣を着て控えめなくせに完璧な美貌がひどく眩しゅうございました。濡れたような艶のある長めの前髪が風を受けてかすかに揺れております。庭に咲く菖蒲の花を背景にこの黒髪の男は、ひっそりと三蔵様のお傍におりました。まるでもう何年もそうしていたかのようにそれはとても自然な様子でした。
 
 日々は一見おだやかに過ぎてゆきました。

――――三蔵様の身の回りのお世話をする寺男。
猪八戒、そう名乗った彼は、三蔵様の執務室からなかなか外へ出て参りません。春の陽光がきらめき、木々の梢の葉はいよいよ濃い緑に変わってゆく晩春の頃のことでございます。そんな心地よさげな緑が庭を飾っております。それなのに執務室の窓は締め切られたまま、ひっそりとしておりました。
 三蔵様もこもって仕事をしておられるご様子で、あまり僧たちへ顔を見せなくなりました。
 たまに廊下でお傍つきの八戒を見かけることもございました。お茶の道具を盆に載せて掲げていることが多うございました。三蔵様が金ならこの黒髪の青年は銀でございましょう。極めて端麗な姿で、極めて控えめな様子で拙僧へ会釈を返して参ります。その傍らをすれ違うと、清潔感のある甘いにおいが微かに匂いました。男だというのに、ふるいつきたくなるような美青年ぶりでございます。その清潔に剃られたえりあしが眩しく視界の隅に入り、思わず振り返り、美しい姿が遠ざかってゆくのを見守ってしまいます。
 三蔵様のお世話。
 鏡のごとく磨きぬかれた寺の廊下を眺めながら、ぼんやりと考えてしまいます。
 本当に、あの黒髪の青年は、不思議な若者でございます。あの気難しい方のお世話がよく勤まるものでございます。不思議でなりませぬ。当院の最高僧、三蔵様は怖い方でございます。
 はい。美貌に加えて才知に長けた三蔵様ではいらっしゃいますが、その激しいご気性をまわりのものは心底、恐れております。どこかびりびりとしたご気質をお持ちで周囲は気が休まりません。気が短いと申しますか、逆鱗に触れるともう、どうなるのか分かりませぬ。怒鳴るなどではすまなくなり、銃で撃たれて殺されそうになります。
 そう、
 癇症の持ち主でいらっしゃるのが誠に珠に瑕(きず)と申すものでございました。
 それが、あの黒髪の青年が慶雲院に来てからというもの、三蔵様は静かになられました。タバコの吸う量も減ったようですし、お静かになられた。何より怒鳴らなくなりました。
 以前、執務室へ書類をとりにいくものなど、そのお役目をつくづく恐れておりました。機嫌の悪い三蔵様のところへ伺うなど、閻魔大王の元に地獄の火をいただきに参るようなものでございます。
 しかし、もう八戒がお傍に来てからというもの、そんな役目もあの黒髪の青年の仕事になりました。事務方の喜ぶまいことか。慶雲院は平和になったのでございます。

 しかし、不思議なことも増えました。
 庭番が申すには、すすり泣きのような声が夜な夜な聞こえるそうで、気味の悪いことでございます。
 また、ときおり三蔵様が自室にお戻りでないご様子だと周囲が噂をしております。ご居室へシーツを換えに伺ってもまるで蝉の抜け殻のごとく、袖の通されておらぬ夜着が畳まれて置かれているそうです。何か不明瞭で謎めいた三蔵様の行動が、最近、そこかしこで目につくのでございます。

 そんな、春も深まり初夏と呼んでもいいような夜のことでございました。

 くちなしの花が咲きだしておりました。一重で白いその花は、見ようによっては地味ですのに、甘ったるく絡み付くような濃い香りがいたします。夜の闇はくちなしの濃厚な香りで満たされ、震えておりました。
「あ……」
 どこからか、妖しい声がするのを、わたくしは気がついておりました。濃密な花の香りに混じって、甘い喘ぐような声がかすかに聞こえて参ります。
 思わず、周囲を見渡しました。
「っ……ん」
 押しころすようなしどけない声でございました。ひとの官能を誘ってやまない淫らな声です。
 いけない。このような声のことは忘れなければ。わたくしは自分にそういいきかせました。本能でございましょう。底知れぬ秘密めいた闇を感じました。こんな清冽な僧院にもかかわらず邪淫の気配が夕闇に混じるのでございます。ただごとならぬことでございました。
 中庭はそんなに広くはございません。季節ですから、華麗な菖蒲が滴るごとく麗しく咲き誇っております。紺の地に白い星を刷いたような花、うすくれないの江戸紫。いずれも華麗でございます。水を好む菖蒲のために、池の水を引いて菖蒲園を一角につくっているのです。そこへ香るくちなしの花。そんな庭の向こうから、妖しい声は聞こえてまいります。

 近寄ってはいけない。

 そうは思いましたが、好奇心に勝てませんでした。
庭の裏木戸を押すと離れがございます。離れは簡素ですが、清潔なたたずまいで、住むのに不自由しないつくりの小さな部屋がありました。
 木目も端麗な、東屋を改造した使用人部屋でございます。いや、使用人部屋と呼ぶのは語弊がございましょう。昔は貴い客人が一夜の宿を所望されるとお通しした、華美ではございませんが、禅宗の流れも汲む洗練されたつくりでございます。煮炊きもできる一室に、小さい寝室が備えられ、高貴な方のために狭いながらも茶室までありました。襖は渋く銀泥で塗られており、壁は雲母できらきらと模様が描かれ光っております。
 しかし、そんな東屋は今やあの控えめな寺男、八戒の寝泊りする部屋になっていたのです。そうせよと申されましたのは、三蔵様でございます。使用人にはいささか過ぎた贅沢な部屋ではないか、寺の皆、誰もがそう思いましたが、三蔵様に否を申せるものはございませんでした。
 そんな、部屋から。
 妖しい声が漏れてくるのでございます。
「あっ……あっ」
 思わず、わたくしは東屋の扉に耳をつけました。木のしっとりとした冷たい感触が耳たぶに伝わりますが、それも気にならないほどでした。
「だめ……あっあっ」
 甘い、甘い甘い糖蜜のような声。鼻に抜けるような喘ぎ声を聞いて、わたくしは確信しました。
そっと、扉と扉の隙間へ目を凝らします。古い寺のことでございますから、なんとかうっすら中が見えるのでございます。
 目に飛びこんできたのは、驚くような光景でございました。
「あああっ」
 びくびくと震える長い脚が目に入りました。それを担ぐようにして、三蔵様が若い男に覆いかぶさっておいでです。半信半疑ですが、あの華麗な金の髪は三蔵様に違いありません。その身体の下に黒髪の男を敷きこみ、その狭間を自分ので穿っておいででした。うまくは扉からは全部見えはしません。
 しかし、三蔵様の肩から肩甲骨、腰へと繋がる筋肉の動きで、相手の身体を蹂躙しているのが分かりました。三蔵様が腰を挿し入れるたびに、甘い甘い声が、この世のものとも思えぬ悩ましい声が漏れて扉の隙間から拙僧の耳にまで入ります。
「ああっさんぞ」
 三蔵様の身体の下で、黒髪の男が喘いで名前を呼んでいます。
「あっ……んッあ、あっああああッ」
 ひく、ひくひく、細かく肌を震わせ、痙攣しています。
「また、イッたのか」
 三蔵様が、身体の下の男へよりいっそう上体を屈み込ませ、その首をちろりと舐めあげました。
「ひぃ……ッ」
 舐められた舌の感触に、黒髪の男が身体を跳ねるようにして反応しました。ぶるぶるとその内股がひきつっているのが、気配でわかりました。これからされることを想像して身悶えているのでしょう。淫らな男でございます。
 ちゅ、ちゅ、ちゅ……。
 三蔵様の口吸いの音が幾つも肌の上で立ちました。乳首を舐めまわされて、黒髪の男が哀願しています。
「お願い……さんぞ……ああッ」
 脚の間で生え育ってしまった屹立を、三蔵様の男っぽい手で扱かれています。
「すげぇ、べたべたしてる。出しすぎだ」
「ああっ」
 羞恥からか、目元を赤く染めて、首を振る黒髪の男はきれいでした。三蔵様に扱かれるたび、淫らな水音が立ちます。くびれを擦りあげられて、悦がり腰を左右にくねらせている姿の淫らさといったらありません。
「ああ、さんぞ、さんぞ」
 とどめのように、三蔵様が、相手の内股に口づけました。そのまま薄い内出血の跡を舌先でなぞりあげます。白い腿のいたるところが、行為の跡だらけでございました。淫らな身体でございます。
「ああっ……ああっ」 
 三蔵様に愛撫されるたび、ひくんひくんと肌が震えるのが、また艶かしいったらありませんでした。
「ひぃッ」
 使用人には贅沢すぎる東屋で犯されている麗人。どこか淫靡で、退廃的な眺めでした。この美しい青年は、三蔵様の秘密の情人に違いありません。
 固唾をのんで見ておりますと、三蔵様は強引に、相手のしなやかな脚を肩へかつぎあげました。
「ああっああああっ」
 残酷に脚を開かされて。男のものを受け入れさせられております。
「あんッああああッあああ」
 ひくん、ひくん。狭間の粘膜がおいしそうに三蔵様をしゃぶっているのが見ている自分などにも分かりました。快楽のあまり、身体を仰け反らせてわなないている、この若い男の淫らさといったら、類を見ないものでございます。
「ああ、許してああッもうッ」
 身体をよじり、許してと懇願しながら、腰は妖しく蠢いて三蔵様を咥えて離しません。淫らすぎる身体に心がついていかないのかもしれません。敏感な身体でした。
「あっ……ひぃッ」
 きれいに筋肉のついた下腹が、汗をまとってわなないて震えています。三蔵様はそんな肉体を容赦なく犯しておりました。
「八戒……八戒……」
 こんなに切なげな最高僧様のお声を初めて聞きました。ささやくようなお声でしたが、確かに聞きました。なんて、甘く切ないお声でしょう。
「出す……出すぞ」
「う……」
 ひくひくと震える腕を三蔵様の首へ絡ませ、黒髪の男はそのしなやかな脚を快楽にわななかせております。
「あ……んあ……ん」
 三蔵様に擦り上げられる粘膜の中が、相当いいのでしょう。生理的な涙がまなじりを伝い落ち、涎が口はしから流れ、全てがぐちゃぐちゃに乱されきっておりました。くねる肉筒のいやらしさ、そしてその肉の熱さが伝わってくるようで、見ている自分まで身体が火照る気がいたしました。
 そのうち、
「あああッあーッあああーッあー」
 細い、艶かしい声を上げて、八戒が達しました。びくんびくんと三蔵様の尻も震えて、相手に注ぎ込んでいるのが分かります。白い淫液を八戒へ吐き出しているのでしょう。粘膜に淫らな体液を擦りつけられて、黒髪の男が狂ったように喘いでよがるのが暗闇の中でも分かりました。
「ああッあああ……んッ」
「八戒……ッ」
 三蔵様が相手の白い身体をきつく抱きしめているのが目に映りました。
「さんぞ……」
 緑色の瞳が涙で潤んできれいでした。
「俺は……俺は」
 優しく、八戒の唇へ口づけると、そのまま身体中にくちづけの雨を降らせました。きつい執心ぶりでございます。
仮にも聖職者で名刹中の名刹、慶雲院の高僧ともあろうお方が、下賎の青年にこのような激しい懸想ぶり。なんとしたことでしょう。許されるものかは。
 東屋の闇の中で、金の髪と黒い髪が寄り添い、固く抱きしめあっているのが見えました。淫らな癖に、どこか切ないくらい純粋な行為に感じられ、眩暈を覚えるほどでございました。
 わたくしは、よろよろと東屋の扉から身体を離しました。自分がなんと大胆なことをしているのか、ようやく気がついたのでございます。三蔵様の秘め事をのぞくなど、だいそれたことをしておりました。
 濃厚なくちなしの香りに後を押されるようにして、わたしくは庭を後にしました。何か見てはならぬものを見てしまった後ろめたさから、早足で廊下を急ぎました。磨きぬかれて鏡のごとく光る廊下も、今や照らすのは月明かりのみで静かです。
 そう、わたくしの悪事を知るものは、真上にかかる玲瓏とした月のみでございます。上弦に半分傾いた月が煌々とあたりを照らしております。三蔵様にのぞいていたことが気づかれたのではないか。心臓が早鐘を打ち、息が苦しくなって参ります。

 まだ、あたりからはくちなしの匂いがいたします。

 不思議なことでございました。寺の奥から逃げ帰っても、くちなしの匂いから逃れられないのでございます。
 歩を早めて立ち去っておりますのに、あの庭のくちなしの匂いが不思議にずっとどこからか匂うのでございます。
 息を鎮めようと足を止めると、拙僧の墨染めの僧衣の袖から、くちなしの白い花弁がぽとりと落ちました。

 くちなし。
 
 わたくしを薄く笑うかのように、ひときわ濃厚な匂いが廊下に立ちこめました。月の光が夢のごとく降り注ぐ中、清楚な外見に似合わぬ濃厚な香りで周囲を満たしております。

 誰かに似ております。

 くち なし。

 ええ、申しませんとも。
 
 誰にも。



 それからというもの。

 菖蒲が咲ききって儚く散り、しどけなく朝顔が咲く頃になっても、わたくしはあの麗しい寺男から目が離せないでおります。
「おはようございます」
 緑の目を細めて丁寧な挨拶をしてきます。相手の態度は以前といささかもかわりません。
 しかし、その端正な整いすぎた顔立ち、作務衣に包まれていても、細くて艶かしい身体つきなど見るにつけて、微かな情欲の火が立ち上るのを感じずにはおられません。罪つくりなことでございます。

 三蔵様が、執務室で執務だけをなさっておられるわけでないのは、こっそりと扉へ耳をつけて確かめました。この艶かしい青年を抱きつぶすようにして犯しておられるのです。毎日、毎日。
「あ……」
 猪八戒と申すこの青年はそれこそ、三蔵様の体液に塗れるようにして日々を過ごしていたのです。いや、塗れるというより、三蔵様と自分のを飲みあい、体液を交換するようにして過ごしておりました。
「あ……あ」
 それでも、この黒髪の青年が 「お仕事が終わってからです」 などと申しておるので、三蔵様は随分と我慢をなさっておられるようなのです。あの激しいご気性を知るものにとっては、驚くべきことでございます。
 
 こうして。

 慶雲院の奥の庭は、秘めた気配がただようようになりました。
黄金のように華麗な三蔵様と、銀のように清楚な黒髪の八戒。

 夢のように華麗な一対ですが、秘密の庭で咲く絢爛たる花に似ていると思うのは、わたくしだけでしょうか。

 いつまでもいつまでも、仲むつまじい鴛鴦(おしどり)のごとくおふたりでひっそりと過ごしておられます。

 時期になれば、また、くちなしの花も咲くことでございましょう。



 了