糖度38度(1)

 俺なしではいられないようにしてやりたい。ずっと繋がっていたいとその唇に言わせて求めさせたい。
 俺のことを、忘れられなくしてやりたい。いつでも欲しがって悶えるように……俺なしじゃ、生きていけないようにしてやる。





 旅のとある夜。
 宿の一室で、俺は八戒を躰の下へと敷き込んでいた。
 眼下にある整った顔に口づける。ベッドへ押さえつけて動けないようにする。八戒が抗うたびに、艶やかな黒髪が白いシーツの上でひそやかな音を立てる
「明日は、宿を出発しなくちゃいけないんですよ。分かってます? 」
 憎まれ口を利く端麗な唇をふさぐ。その口端から俺のものとも八戒のものとも知れない唾液が伝い落ちた。
「も……ダメだっていってるじゃ……」
「聞こえねぇ」
 手短に言った。八戒のしなやかな指が俺を押しのけようと抗うのを封じる。
「んっ……も……勝手……なんですからッ」
 抵抗する白い躰を捕らえて抱きしめる。
「……八戒」
 淡い石鹸の残り香が立ち上るその髪の匂いを嗅いだ。爽やかな甘さと……八戒の悩ましい肌の匂いが合わさって誘うようだ。
「さんぞ……さんぞっ……あ……」
 白い首筋に、肩に胸に。傷の残る腹部に口づけてゆく。優しくなぞるようにして震える肌を愛しむ。
 ひくり、ひくりと震えるそのさざめきが、人をどんなに煽って狂わせてゆくのか、そんなことコイツは知らないだろう。
「ダメ……ッ」
 仰け反るその細い躰を押さえつけて、脚の付け根へと舌を走らせる。
「いけま……せ……さ……ぞ! 」
 言葉とは裏腹に悩ましい汗を浮かせる肌は、甘美だった。
……そして。
「……! あッ……や……」
 びくっと戦慄かせて逃れようとする腰を押さえつけて、その屹立へ接吻する。
 全身にくちづけただけで、もう感じすぎて勃ちあがってしまっている、感度のいいそれを口へと招きいれた。
「ダメ……本当に……今夜は……ああっ」
 許しを求めて抵抗する腕を押さえつけて、八戒を味わった。口の中に、とろとろとした八戒の先走りの体液が広がる。
「くぅ……ッ」
 内股を震わせて八戒が身をよじるようにして悶える。薄い塩気のする体液の味すらもが甘美でたまらない。
 俺は音を立てて舐め啜った。ダメだといいながら、確実に感じている淫らな躰に思わず笑みが零れた。
「あ……」
 俺の笑いに羞恥を煽られたのだろうか。八戒が目元を赤く染めて顔を背ける。
「……八戒」
 悩ましいその痴態に当てられて、神経も何もかもが焼き尽くされるような気がしてくる。そのまま舌をもっと違う場所へと、もっと奥へ奥へと走らせた。
「いや……」
 甘い吐息が部屋中へ拡散してゆく。ぴちゃぴちゃと舌を鳴らした。
「ひっ……! 」
 わななく細い躰が愛しい。俺は構わず、それを広げるようにして舌でつついた。
「あぐぅッ……」
 部屋の闇に、夜の帳に。八戒の嬌声が響いて、耳朶を甘く打った。
 逐情してしまいそうなのだろう。腰を浮かせて俺から逃れようとする。
「ダメ……ぇ……さんぞ……でちゃ……ッ」
 無視して駄目押しのようにきつく舌で嬲って追い詰めた。
「あ……ああ……ッ」
 躰の下で、逐情して果てるしどけない肢体をたっぷりと堪能する。
 粘膜を舌でつつかれて、達してしまったらしい。敏感な躰だった。白濁した体液はちょうど、八戒の腹に残る傷跡の上へと滴り、象牙のように白い肌を濡らしていた。
「さ……んぞ」
 翡翠色をした瞳が、快楽の涙を湛えてこちらを流し見る。潤んで煌めくその目に、俺は一瞬見とれかけた。
「さ……ぞ」
 がくがくと、達した後の敏感な躰を自分の腕で抱えるようにする。縋るような視線を俺に投げて愁眉を寄せる。たまらない無意識の媚態だ。思わずその躰を抱き寄せた。
「よこせ。……八戒」
「あ……」
 もう、止まらない。夜の帳が優しくこの関係を隠してくれるかぎり、俺は八戒との行為を続けるだろう。
 後ろを割り開き、挿し貫いた。途端に、ねっとりとした艶めかしい粘膜の感触に包まれる。
 耐えきれないほどの快美感に襲われて、俺は呻いた。良すぎて思わず奥歯を噛み締めた。
 きついが柔らかい、相反する甘い感触の虜になりそうだった。全てを許されて包まれるような優しい感覚に酔う。ずっとこのまま繋がっていたい。
 悩ましい声を上げてのたうつ八戒を押さえつけて抱き潰すようにしながら、俺はその躰にいよいよ溺れていった。




 いつからこうした関係になったのかは、はっきりとはしない。
 西へ向うジープの運転席には、いつでもコイツがいて、俺は助手席で耳障りのいいその声に耳を傾けているのが好きだった。

「お前は俺を裏切らない。そうだな」

 そう言ったのは俺自身で、そしてそれは事実だという確信があった。
 八戒は忠実だったし、俺のためなら大抵のことは我慢するだろう。
 だからだろうか。
 とある旅空の夜、傍らで眠る八戒に手を伸ばしたとき、コイツは抗わなかった。
 その甘く爽やかな肌の匂いに誘われるようにして俺はくちづけた。
 そして。
 そのまま抱いて一夜を明かした。
 夜に溺れるように、俺は八戒に溺れた。
「僕に……どうして、こんなこと……」
 慣れない行為の後、コイツが呟いたのは、それだけだった。その瞳の縁から流れ落ちる涙を俺は黙って舐め取った。上手く返事をすることができなかった。
 宿で八戒と同室になる夜が続いて、抱かずにいられなくなってしまっていた。感情よりも理性よりも先に躰が動いてしまったような、本能的な交わりだった。
 行為を重ねる度に、八戒に対する俺の執着は恐ろしいほど強くなったが、そんなことはわざわざ言えなかった。
 そうやって、俺達の関係はずっと続いていた。




 次の日の朝。
「おはようございます。三蔵」
 気がつくと隣で寝ていた筈の八戒はすでに起きていた。
 寝乱れた姿を見られるのを嫌う生真面目なコイツらしかった。黒く艶やかな髪が、明るい日差しを反射して輝き輪をつくっている。昨日の甘い痴態を感じさせない姿だった。
 まるで絵にしたいような端麗な様子だ。男に見とれて目が離せなくなるなんて、以前の俺では考えられない事態だ。
「今、コーヒー淹れますね。それとも、シャワーの方を先にします? 」
「……いや、コーヒーをもらう」
「はい」
 八戒は綺麗に微笑んだ。うっとりするくらい優しい笑顔だ。
 でもこの笑顔は俺だけに向けられるものじゃない。たぶん、サルにも河童にも同じくらい優しいんだろう。どうせコイツのことだ。
 そう思うとどこかが、きりりと痛む。これも俺にとっては初めての感情だった。
 コーヒーを淹れる為に、踵(きびす)を返した八戒の背中を眺めながら、俺はぼんやりと考えこんだ。
 八戒にとって「俺」とはなんなのだろう。
 俺との関係は「ご主人様」である俺が求めたからだけなのかもしれない。性欲を解消させてやっているだけなのかもしれない……ようするにコイツにとってはボランティアみたいなものなのかもしれない。
 そんなことを、朝の日差しの中でうっかりと考えてしまって思わず、声を出さずに笑った。自嘲に近い笑みで、口の端が歪むのが自分でも分かる。
 八戒は俺の気など知らぬげに、クッキーの缶を手にいそいそと動き回っていた。
 それは、八戒気に入りのシナモン味のクッキーだ。ヤツ曰く『コーヒーにすごく合ってて美味しい』と大絶賛中だ。まぁ、俺も甘いものは嫌いじゃないから、大歓迎だが。
 クッキーの缶を手に八戒が部屋の隅へと姿を消した。湯が沸いたらしかった。

 そのときだった。
 陶器の割れる硬質な音が立った。カップでも床に落としたのだろう。
「あ……つッ! 」
 八戒のヤツが片手を押さえている。俺は簡単に上着を羽織ると駆け寄った。
「どうした」
 見ると、指が赤くなっている。
「すいません。コーヒー淹れようとしたら……ぼんやりしてました」
 熱湯でもかけてしまったようだ。
「貸せ」
 俺はとっさに八戒の指をつかんだ。
「さん……! 」
 八戒の赤くなった指を口に入れた。そのまま、しなやかな指を舐めまわした。
 ヤケドをしたせいかその皮膚の表面は確かに熱い気がする。舌を走らせると硬い爪が当たった。
 逃れようとする指を追うようにして、俺は丁寧に舌を絡めた。
「あ……」
「消毒だ」
 口から出した八戒の指を注意深く見た。赤くなってはいるものの、そんなにひどいことにはならずに済みそうだった。
 指から口を離して八戒の顔を見上げると、首まで赤くなっている。
「……もう」
 照れたように口ごもり胸を押さえている。
 なんだか、その微妙な緊張がこちらにまで感染しそうで、思わずそれから逃れるように俺は顔を背けた。
「てめぇにケガでもされるとやっかいだからな」
 紅潮したその顔は、うっかりすると昨夜の行為の続きをしたくなるような吸引力があった。
(いけねぇ)
 朝の日差しで輝くその整った顔を眺めながら俺は密かに思った。
「コーヒーはもういい。シャワーを浴びる。てめぇは先に食事に行ってろ」
「三蔵」
 ヤケドした手でまたコーヒーを淹れさせるのは、不憫だった。
 しかし、そうした情のようなものが湧けば湧くほど、俺の口調はぞんざいで冷たくなる。
 しょうがない これはもう性分だ。
「いいから、気にしてんじゃねぇ。ジープの様子でも見て来い」
 俺は背を向け、八戒を解放してやった。




 こうして。
 夜になれば、八戒を抱いて。
 ひたすら、西へ西へ。西を目指す旅の空が続いた。この日もジープを駆って西への道をひた走っていた。


「腹減ったー! 」
「さっき食ったばかりだろ。サル! 」
「なんだよ。エロガッパ。減るもんは減るんだよ! 」

 本当にうるせぇ。俺は後部座席のバカ騒ぎに頭を押さえていた。

 ジープは気持ちのいい森を疾駆していた。ときおり大きな木の陰を通る。
 日差しが重なりあう葉の隙間から零れおち、光のカーテンのように煌めく。樹木の葉が重なり合ってできる模様が柔らかく影を落とし、隣で運転する八戒の姿にロマンティックな効果を添えていた。
 ちら、と横目で気づかれないようにその姿を盗み見る。
 爽やかな風が、俺の髪を撫でて行き過ぎる。前髪が風に煽られ、目にかかって視界が金色になりうっとおしいことこの上ない。
 最近、また長くなってきた気がする。そのうち八戒に頼んで切ってもらうか、と思いながら、隣を見ると運転している八戒と目があった。
 優しく目尻を下げて微笑むその表情に、思わず口元が緩みそうになった。
 手を伸ばせば、コイツがいて、それで……まぁ後は何もいらないかもしれない。

 と、そんなことを考えていたら。

 凄い叫び声が大音量で後部座席から聞こえてきた。
「それは! 俺の 『うまい棒』 だぞバカ河童! 食うなよ! 」
「誰がてめぇのだって決まってんだよ。それなら名前でもマジックで書いとけよな。バカザル」
「くっそぉおおお! 返せよ! 食い物のうらみは怖ぇえんだぞ! 」
 すげぇ、耳障りな大騒ぎだった。
 しかも駄菓子のひとつやふたつで、うるせぇったらありゃしなかった。
 よくも、俺と八戒の雰囲気をぶちこわしにしやがって。思わずマルボロを持つ手に力が入る。力が入り過ぎて、それはフィルターから捻じ曲がってふたつに折れた。
 幸福な気分をすっかり台無しにされて、頭に血が上るのが自分でも分かった。
 もう我慢できねぇ。一気に何かが躰の中を駆け巡り、瞬間的に頭まで到達して沸騰した。
 反射的にS&Wを取り出して後ろのバカども目掛けて撃ちまくった。ジープにだけは当てないように配慮する。
「やかましい!! てめぇら。うるせぇ、ちったぁ静かにできねぇのか! 撃つぞ! 」
「も、もう撃ってるじゃん! さんぞー! ひっでぇ! 」
「予告なしに撃つんじゃねぇよ! この鬼畜坊主! 」
「うるせぇ。避けるんじゃねぇ」
「避けなかったら、死ぬだろうが! このハゲ! 」
「……てめぇ」
 空になった薬莢を捨て、次の分を素早く装弾する。次は絶対外さねぇ。片目を細めて赤ゴキブリに照準を合わせる。
 そのときだった。
「いいかげんにしてください!! 」
 運転席から怒りのこもった声が響いた。
「まったく、何をやってるんですか、貴方たちは。悟空! 『うまい棒』なら次の町でまた買ってあげます。悟浄も人のを食べちゃダメですよ」
 優しいが厳しい声音で八戒が後ろを振り返る。
 困った人たちですねぇとでもいうように、その細く整った眉が顰められ、そのくせ人好きのする唇には微かな笑みが浮かんでいる。
 黒髪が風になびき、絵にしたいようなその姿のアクセントになっていた。
「それから、三蔵」
 口調をやや変えて八戒は俺に向き直った。
「あなたもなんですか。ジープの上で銃なんて撃たないで下さい。ジープに当たったらどうするんです」
 後ろの座席から、『俺らは当たってもいいのかよ』という抗議の声が上がるが、八戒は当然のように無視した。軽くいなすようにして横目で俺を睨む。
 なんだこいつ。
 俺がジープに当てるようなヘマをするとでも思ってんのか。
 可愛くねぇ。
 いろいろ言いたいことが込み上げてきたが、上手く言葉にはできそうになかった。喋ることはあまり得意じゃねぇ。
「……てめぇ、覚悟しとけよ。今夜こそ寝かせねぇ」
 代わりに出たのは本音だった。
「…………」
 八戒は黙った。ふぃっと目を反らせると運転に集中して聞いてないふりをしようとする。その聖人君子ぶった様子を見ていると、止めようとしても嗜虐的な感情が込み上げてくる。
「『うまい棒』 か。今晩てめぇにも喰わせてやるから、楽しみにしとけ……下の口からな」
「…………」
 八戒にだけ聞こえるような低音で、俺は囁いた。八戒の躰が緊張して強張るのがよくわかった。
 男を受け入れるのに、慣れない八戒を俺は俺なりに気をつかって抱いていた。何度も続けて抱いたりはしないし、とりあえず放出しあって満足すれば、あまり八戒に無体を強いたこともない。
 突然静まり返った前方座席を不思議に思ったのだろう。悟空がこわごわ声をかけてくる。
「? 八戒、怒っちゃったの? ……怒んないでよ、俺の 『うまい棒』 分けてあげるから。八戒、『うまい棒』 好き? 」
 何気ないサルの言葉にまで過剰に反応しているらしい。耳まで紅潮して朱に染まった。ジープのハンドルを握る手に力が入って指の関節が白くなる。
「ああ、サル。たぶんコイツ 『大好き』 だぞ、そりゃ 『泣くほど』 な」
 俺は硬直して言葉が出ない運転手の代わりに悟空に答えた。
「ふ、ふーん? そうなんだ。よく知ってんな。さんぞ」
 無邪気な悟空の言葉も八戒は聞こえないらしい。ハンドルを握る手がぶるぶると震えている。
「まぁな」
 手元のマルボロの箱を取り出し、新しいそれの封を切る。取り出して火をつけると口に咥えた。
ちょっと苛めすぎたかと思いつつ、隣りでジープのギアを無言で変える八戒を眺めた。
(まぁ知ってる……とりあえず、コイツの躰だけはな)
 その言葉は口の中だけで呟いた。
(躰だけ)
 自分の言葉に、どこかが甘く苦しく疼いたが、それがどこなのかは俺自身でも分からなかった。
 こんなのは初めての感情だった。
 こいつが悪い。
 すっかり無言になって運転を続ける八戒の横顔を見つめる。すっきりとした横顔は、端正で知的だ。
 でも、俺はコイツが夜どんな顔を見せるのか……知ってる。

 俺を狂わせる……こいつが悪い。



「糖度38(2)」に続く