依存症(11)


「本当に貴方が無事でよかった。悟能」
 翌日、一晩経って目が覚めても、一色は陶然とした口調でそういうと、悟能へくちづけてきた。
 しかし、朝の光で見れば寝室は天井が炎で舐められ、壁はすすけてひどいありさまだった。崩れ落ちなかったのが不思議なくらいだ。一色と寝ていた天蓋つきのベッドは不思議にも焼けもせずに美しい姿を保っている。
「僕が助かったのはこのベッドのおかげなんですね」
「クックックッいや本当に良かった」
 一色は愉快そうに微笑んだ。
「でも召使さんたちの姿は見えません。僕のせいですよね。僕が火なんかつけたから」
 悟能は後悔のにじんだ声でぼそぼそと呟いている。一色はそれを首をかしげながら聞いていた。
「召使さんたち死んでしまったんでしょうか。火のまわりが早かったから」
「そんなことありませんよホラ」
 一色は寝台のそばに落ちている白い四角いものを指さした。
「そこにいますよ」
 楽しそうに微笑んだ。相変わらずそんな表情をすると目が細くなってなんともいえない独特の表情になる。
「そこ、って」
 悟能は指さされたその白い四角いものをつまんだ。硬質な感触が指に伝わった。翡翠でできた麻雀牌。一萬(イーワン)と書かれた牌が寝台の下に落ちている。丸い花がひとつ描かれた牌もある。
「これって」
「クックックッ我の術もなかなかのモンでしょう」
 殿下はまた愉しそうに笑うと、ニッと微笑んだ。
「式神って聞いたことありませんか悟能。長年貴方のお世話をしていたのはソレですよ」
 二萬やら三萬やら数字の描かれた牌を手に一色の笑いがひとの悪いものになる。最後に孔雀の描かれた牌、一索(イーソウ)を拾って一色が呟いた。
「うーんでも貴方みたいな繊細なコのお世話にはちょっとばかし向いてなかったですかねェ」
 首をひねっている。コイツらは鈍感なんですよね。でも妖怪の男なんかに貴方を安心してまかせられませんしね。なんてひとりで呟いている。
「ちなみにこのベッドにも結界がわりに仕掛けておいたんですよ。良かったです。火よけぐらいにはなったようですねェ」
『發』 と書かれた牌が落ちている。それを一色が拾うと手の中で粉々になった。身代わりになったのだろう。
『發』――――もともとが 「弓矢を引く」 というのを語源にしている漢字だ。悟能の護衛がわりにしたのだ。弓には邪悪なものを追い払う魔よけの意味もある。
「…………」
 悟能は愕然とした。ときおりベッドの上にいると聞こえてきた不思議な弓矢の音を思い出した。そして召使たちが姿を見せると聞こえる孔雀の声や花の芳香のことも。
 じっと一色の手の上の麻雀牌を見つめる。一索(イーソウ)の牌には華麗な孔雀の姿が、一筒(イーピン)の牌には花が描かれていた。

 以前、引き出しの中から出てきた翡翠の麻雀牌。幾つか足りなかった牌がそこにあった。

 わめいても叫んでも魔王の直系の王子様、清一色殿下の掌の上だったようだ。何重にも手を打って殿下は留守にしていたらしい。
「さぁて」
 人型をした黒い紙へ、一色は麻雀牌を投げつけた。ぶつぶつと口中で呪文を呟く。
「お呼びで」
 闇が形をとり、いつものごとく召使のひとりが不吉な姿でよみがえった。
「城が燃えてしまいましたね。まったくしょうもない。まぁいいでしょう。どの道、知恵比べでお前たちが我の悟能に敵うとは露ほども思ってませんからねェ」
 一色はため息をついた。城は半壊して焼けていた。とても住むのは無理だ。
「とはいえ本城へ帰るのは気が進みませんしねェ」
「御意」
「一色さん」
「あそこには普通の妖怪の男たちがぞろぞろいますよ。貴方を見かけたら犯すんじゃないかって心底心配です。特に我の親父殿なんか貴方を見たら」
 ぞっとした、とでもいうように一色は身震いした。
「貴方を地下牢へつないで、それこそ連日孕むほどに犯すでしょうからね」
 血は争えないものだ。一色にはわかっていた。悟能のすんなりとした体つきや繊細な美貌は父である百眼魔王の好みも好み、ど真ん中なのだ。大切なひとだと説明しても好色な父親は承知しないだろう。
 ケダモノの論理で息子の愛人を横取りするに決まっている。そんなことになったら悟能をめぐって血で血を洗うような争いを親子で繰り広げてしまうことだろう。
「そんなところへ貴方を連れて戻るわけには行きませんよ。どうしましょう」
 しばらく思案するように首を傾げて飛竜の背をなでていたが、よいことでもひらめいたように破顔した。
「そうだ。北の離宮に行きましょう」
 一色は微笑んだ。隠れ住むよい場所が浮かんだらしい。
「一色さん」
「いいんですよ。親父殿の後を継ぐまでしばらく自由にしてもいいって言われました」
 『その代わり我はあのバカ親父の好色三昧を、黙認しないといけないわけですがね』 と口の中でいまいましそうに呟いた。
「まぁ、そのうちさすがの親父殿だって隠居する日も来ますよ。それまでの辛抱ですよねェ」
 一色は次々に式神の召使たちをよみがえらせると、あれこれと言いつけはじめた。引越しの準備だ。にわかに周囲が騒がしくなった。
「我が後を継いだら親父殿にはそれこそ離宮に移り住んでもらいます。その前に、父の未来のすまいを美しくしておきましょう」
 本城に帰らず悟能と隠れて住み続ける理由が必要だった。将来、父王が隠居するための城を孝行息子が整えておく。実にスマートな大義名分だ。
「悟能、我が魔王になる日が来ても一緒にいてくれますね? 」
 いつもの地顔になった。糸みたいな細い目の笑い顔を悟能へ近づけのぞきこむ。その口元で鋭い牙が光った。
「返事は? 」
「一色さん」
 悟能は頬を赤くした。
「離れられませんもんねェ。貴方と我は。知っていますよ」
 脱がした服を優しい手つきで悟能に着せながらささやいた。
「ずっとずっと一緒ですよ悟能。一生一緒にいましょうね」
 王子様はうれしそうに微笑んだ。悟能の手の甲へくちづける。
「愛してます猪悟能」