王招君(6)

 翌日。
「まぁそのなんだ」
 金蝉は首を傾げながらも玉座で呟いた。足を組んで頬杖をついている。板についた傲岸不遜な態度だ。
「出て行ってくれるというなら出て行ってもらえる方がいいじゃねぇか。天蓬」
「まぁ、そうなんですけど」
 全く腑に落ちないという様子で天蓬は頭を横に振った。その動作で元帥服の外套が揺れる。
 悟浄と捲廉が昨夜遅く使いを出して「急用があるので「公主」を連れて早々に国に帰る」と言ってきたのである。

 絶対に何かある。

 そうは思うものの、突然すぎて、引き止める口実も無いし、引き止めたものかどうかも分からない。
 そうこうしているうちに、捲簾と悟浄が謁見の間に登場した。
「此度ははからずも、兄上様にはかような歓待をして頂き、弟としてその情が身にしみましてございます」
 悟浄が早速金蝉の前に跪き、たぶん何度も捲簾と打ち合わせしたに違いない口上を述べ出した。
「かくなる上は、早急に国へと帰り、故郷のものどもにも、兄上の厚情と偉大さをいち早く告げとうございます。どうか弟の出立をお許し下さいますよう」
 そう言って悟浄は頭を軽く下げた。
「つきましては、私も花嫁を連れて戻らなくては面目が立ちませぬ」
「分かった。……公主を連れて来い。八戒をこれへ」
 金蝉が自棄になったように典礼係に申し付けた。思わず、天蓬と視線を交わし合う。まずいことになったと天蓬の目も言っている。
 最初の悪企みの段階では、取りあえず縁組をしてしまって、相手に否やを言わせないようにしておいてから、こちらで勝手に輿を仕立てて突厥へ押し付けてやろうと思っていたのである。それが直接、王自ら受け取りに来るとは思わなかった。
 非常にやりにくい。
 天蓬も内心まずいことになったと思いながらも表情には出さなかった。
(何、白を切り通して不細工をそのまま押し付けるだけのこと)
 彼はそう思っていた。
 だが、

「八戒でございます」
 予想外の甘く涼やかな声が謁見の間に響いた。

 典礼係が連れて来た八戒を見て、突厥の男二人を除くその場全員が驚きの余り、悲鳴を上げそうになった。

 整った顔立ち。天の露を載せたような光沢を放つ短い黒髪。やや長めの前髪が額に掛かかっているのが匂うように鮮やかだ。
 その双眸は高貴な緑で、宮中でも珍重される翡翠の玉によく似ていた。
 極めて控えめな仕草で伏していたが、その端麗さは隠しようもない。光が衣を通して漏れ出るような際だった容色だった。
 しなやかな痩躯が甘やかに見るものの情欲を掻き立てる。禁欲的でやや硬質な美貌だったが、だからこそその蕾をあえて開かせて見たくなる。男達の欲望を喚起させて止まない魔性じみたものがほのかに漂っていた。
 髪のひと筋、爪の先の先まで綺麗に整った八戒の佳人そのものといった風情に漢の宮廷人たちは静まり返った。八戒は実に目の覚めるような美しい男だったのだ。
 漢随一と言っていいほどの絶世の美貌だった。

「なん……」
 天蓬は天を仰いで絶句した。先日金蝉とともに見た醜い肖像画が瞼に浮かんだ。
 どこをどう描いたらああなるのか。どこがこの佳人と一致するのか、かけ離れすぎて想像もできぬほどの違いだった。
 犬と人の絵ほどもそれは異なっているように思われ、天蓬は密かに地団駄を踏んだ。想像するにあの絵師にしてやられたのである。
「かような佳人を賜り感謝の言葉もございません」
 すかさず悟浄は言った。
「今日直ぐにでも連れて出立致します。弟の我侭をお許し下さいますよう」
 悟浄はもう一度、闊達な態度で礼をした。嬉しそうなのを隠しもしない。もう、その申し出に今更、否と言えるものはいなかった。





 相変わらず突厥の動きは素早かった。金蝉への挨拶が済むと、すでに捲簾大将の下達で整えられたらしい騎馬三千が、宮殿の前で列を成していた。
 もはや、八戒の輿を待つばかりであった。
「なぁ、捲簾」
 既に馬上の人となった悟浄が捲簾の方に馬を寄せながら囁いた。
「やっぱり俺に八戒をくれるのって……手違いだったみたいだな」
 捲簾は、先ほどの八戒が現れたときの驚きに満ちた空気と天蓬元帥の顔を思い出していた。
「ああ、そのようだな。まぁでも結果としてよかったじゃねぇか。奴等の気が変わらないうちにさっさとずらかるに越したこったねぇ……と、おいでなすったぞ」
 軽口を叩いていた捲簾すらもがその登場に黙った。
 八戒が侍女達に付き添われるようにして現れたのだった。輿入れということもあって、大漢帝国伝統の公主の婚礼衣裳を着込んでいる。目の覚めるような艶やかさであった。
 五色の糸で華麗な刺繍を施された衣裳を纏い、顔を薄絹で隠している。髪には金と珊瑚で象った髪飾りを挿し、腕には華やかな腕輪を幾つも嵌めている。
 左右のお付きの者がその足元から輿まで、紅い緋毛氈を敷き詰めた。その上を八戒はゆっくりと歩いた。
『俺に会えなくなるわけないだろうが』
 歩きながら八戒は三蔵の言葉を思い出した。そっと自分の背後を振り返る。
 長年過ごした宮殿が誇らしげに聳えていた。八戒の位置からは見えないが、その奥の奥には長年過ごした後宮や上陽宮があるはずであった。
『約束だ』
 三蔵は確かにそう自分に囁いた。でも――――。
「無理ですよね」
 思わず八戒は呟いた。傍に控えた随身達が聞き返す。
「は? 」
 思わず言葉に出してしまったかと苦笑しながら八戒は告げた。
「なんでもありません。行きましょう」
 その様子を左右の随身達が痛ましげに見送る。なんといっても八戒は都から遠い蛮地に罪人よろしく送られるのだ。
(あれは夢だったんです)
 三蔵の感触が残る躰を自分の手で掻き抱きながら八戒は輿まで歩いた。
(僕が勝手に見た夢――――)

  八戒につきそう左右の随身達が、輿の御簾を開けて今にもその中へと八戒を案内しようとしたその時。

 一陣の砂煙が立ってこちらに向かってくるのが見えた。
「あれは……」
 八戒の輿入れを見送るために居合わせた宮廷人の間にどよめきが走った。それは白い駿馬だった。もの凄い速さでそれは近づいてきた。その只ならぬ様子に、衛兵達が色めき立つ。
「止まれ! 狼藉者が!!」
「止まれ! 止まらんか!」
 それを嘶きとともに白馬は蹴散らした。
「な……」
 馬上の人物を認めて、八戒の動きが止まる。
「乗れ! ボケッとしてんじゃねぇ! 早くしろ!」
 低いやや凄みのある声が鋭く響く。
それは
 金髪の鬼畜坊主。
 輿に乗ろうとしていた八戒を間一髪、その腕に攫う。そのまま白馬は全速力でその場を通り過ぎた。
「三蔵……ッ!! あ、あなた!」
 八戒の悲鳴じみた声のみがその場に残された。後には主のいない輿が残される。まるで白昼に魔でも通ったようだった。

「なんだ今のは――――!!」
 捲簾と天蓬が同時に絶叫した。
「追え! 追え追え! 逃がすな! 公主を盗むとは! よくも漢をコケにしてくれたな! 」
「百騎でいい! 全力であのふざけた嫁さらいを追いかけろ!  突厥の名折れだぞ! 」
 それぞれ配下に激を飛ばし号令する。
 なんといっても目の前で妃候補が攫われたのだ。悟浄などあまりの出来事に呆然としている。
「おい! アンタ! 」
 捲簾がその黒い閃光のような勢いで天蓬を怒鳴りつけた。
「コイツが漢の流儀か! おおかた美人寄越すのが惜しくなったんだろうが、こんな茶番しくみやがって」
 天蓬がそれを聞いて負けじとばかりに怒鳴り返す。
「は! 何がですか。あんた達こそ、こっちが蛮人相手に礼を尽くしてりゃつけあがって!それに、 あれは漢の人間じゃありませんよ! 」
「そうそう、あの白い馬に跨ってたのは、西域は大月の高僧、玄奘三蔵だ」
「そう、そうです。あの白馬の男は玄奘三蔵……って、あなたは……! 」
「大后! 」
「観世音! 」
「ババア! 」
 一番最後の台詞を言った皇帝の金蝉を手にしていた扇で滅多打ちにしながら観世音は飄々とした様子で笑った。大后の権威ある美々しい衣裳も自己流で着崩してご機嫌な様子だ。
「よぉ」
「な、なんです。こりゃ。どういうことです! 」
 天蓬は顎が外れるほど驚いている。
「実はな……まぁ、話すより見た方が早いか。ホレ」
 突然、大后は金蝉に向って肉饅頭をかぶりついている茶色い髪の少年を抱えるようにして差し出した。
「悟、悟空? 悟空じゃねぇか!! 今までどこ行ってたんだ!!」
 どちらかというと万事面倒くさそうに斜に構えていた金蝉の様子が一変した。
 喜色満面といった様子で涙を流さんばかりに狂喜している。そのままの勢いで悟空を抱きしめた。
「死んだ筈無いと思ってたんだ。どっかに遊びに行っただけだって俺は信じてた。もうこの手を離さねぇからな!」
 皇帝の冠も何も跳ね飛ばす勢いで金蝉は悟空を抱きしめた。突然抱きつかれて、饅頭を食べていた悟空が喉を詰まらせて目を白黒させる。苦しそうにむせて咳き込む賑やかな音が続いた。
「こ、これは」
 天蓬がこの光景にやはり絶句する。
「な、先の妃の斉天大聖と瓜二つだろ……(ていうか実は同一人物だがよ)」
「もしかして、あなた」
 天蓬が観世音に向き直る。
「そう、八戒と悟空をな……交換した」
「あなたって人は……!」
 驚いた話だった。大后たる観世音は、三蔵の随身である悟空と後宮の八戒を交換したのだという。三蔵と既に密約ができていたのだった。
 天蓬がどうしてあなたは話をムチャクチャにするんですと怒鳴りたそうな、しかし観世音相手に怒鳴るのもどうかと、なけなしの理性や良識と戦っていると、太平楽な金蝉の声が飛んできた。
「いいじゃねぇか。交換してやれ。交換してやれ。なぁ」
 悟空を腕に抱いてご満悦の金蝉は天蓬の苦悩も何処吹く風といった様子だ。
「おう、冴えてるだろ。それからあの白馬は俺からのプレゼントだ。駆け落ちする二人へのな。速ええぞ! あの馬は! 」
「ああああああああああ!! 」
 天蓬は頭を抱えた。
「いいじゃねぇか。ロマンだろロマン! 」
 勝手なことを言って悦に入ってる観世音を捲簾が怒鳴りつけた。
「おい! ババア!! 」
 額に青筋が幾つも走っている。軍服の裾も翻して全力で叫んだ。
「どうしてくれんだよ。そっちはいいかもしれねぇが、よくもウチに恥かかせてくれたな。この落とし前、どうつけてくれる」
「捲簾。もういい」
 意外なところから声がした。
 悟浄だった。
「ご、悟浄」
「望むところじゃねぇか」
 悟浄は男らしく敢然と言った。目が据わっている。
「あれだぜ。真の愛の物語には障害ってモンがつきものなんだよ」
 悟浄はきっぱりと言った。それは確信に満ちた声だった。
「ご、悟浄? 」
 捲簾がおそるおそる声をかける。しかし、悟浄はそれを無視して更に言った。
「そう、俺サマがあの鬼畜色ボケ坊主から、八戒ちゃんを奪い返す……その俺サマのカッコよさに感動した八戒ちゃんは俺との真の愛に目覚め……二人は王と王妃になってめでたしめでたしッつーオチなワケだ! 分かった! 俺には分かった! 」
「ご、悟浄……オマエあのなぁ」
「だって、捲簾。俺のカッコよさなら、八戒ちゃんもめろめろに決まってるでショ?」
 悪びれずにしれっと言ってのける悟浄に、捲簾は思わず吹き出した。
「っつたくオマエってヤツは」
「でもそうでしょ。俺サマに死角などない! 今は悪い坊主に騙されてるだけだろきっと」
 それを聞いて、捲簾はカラカラと笑った。
「分かったぜ、悟浄。確かにオマエさんこそは王だよ。……こうなったら徹底的にやるか」
 そして真面目な顔を作って全軍に向き直る。三千の兵に号令をかけた。
「野郎ども! 花嫁と花嫁泥棒を追うぞ! 地の果てまでも追いかけてやれ! 突厥から花嫁を寝取ろうなんて不届きな野郎は生かしておけねぇ! 血祭りにあげるぞ! 全速前進!! 」
 どこまでも能天気で剽悍な突厥の騎馬部隊から喝采に似た声が上がった。大地を揺るがすような大歓声だ。
「そうこなくっちゃな」
「久々に国に土産ばなしができるってモンよ」
「確かにあんなスカした金髪野郎には仕置きが必要だぜ」
 かけ声とともに、全馬に鞭が振り下ろされる。壮観だった。
「ハイッ! 」
「ヨーヨー!! 」
「追え! 追え! 」
 三千騎の軍馬が一斉に嘶き、蹄の音が雷鳴のように長安の都に轟いた。
 地を揺るがさんばかりに市街の大通りを駆け抜け、嵐のように騎馬の群は長安から去ってゆく。
 三千の騎馬は三蔵と八戒を乗せた白馬を追ってひたすらに街道を駆けて行った。祭りの後のように砂煙と、馬蹄の跡のみが残った。
 後に残された漢の人々はそれを見て放心したようになっていたが、ひとり天蓬元帥だけは眼鏡を白く光らせて、自分の配下を密かに手招きした。
「急いで、函谷関、玉門関、国中の全ての関所に伝えなさい。……突厥の軍が通ったら邪魔をして通すなと」
 そう言って、にやりと口元に人の悪い笑みを浮かべた。
「げ、元帥閣下」
 指示された腹心の部下は青ざめながら元帥に言葉を返す。
「なぁに。……何しろウチの帝国は広大なんですよ……命令間違いなんてよくあることですよ」
 それを地獄耳だか極楽耳だかで聞きつけた観世音が口を挟んだ。
「お、天蓬。お前なかなかいいところあるじゃねぇか。三蔵と八戒の恋の道行きを助ける気になりやがったか」
「まさか」
 天蓬は首を竦めた。
「僕はですね……コケにされて終わるなんて真っ平ご免なんですよ! ……ウチに散々舐めたことをしでかしてくれた、あのふざけた王と大将にはせいぜい困ってもらいますよ! 」
 天蓬は高らかに笑い出した。痛快そのものといった様子であった。流石、痩せても枯れても権謀術数に長けた大漢帝国の大元帥だった。長安の晴れた空の下、大元帥閣下の笑い声が一際高くこだましたのであった。





 エピローグ

 長安の市街地を抜けて城塞の外へ出ると、川沿いの街道を三蔵は選んだ。
 白馬に跨り八戒を横抱きにしたまま、馬を走らせる。
「さ、三蔵」
 婚礼の衣裳のまま、三蔵に抱えられていた八戒が躊躇いがちに三蔵を呼んだ。馬は相変わらず軽快に大地を駆けていた。
「なんだ」
 無愛想この上ない口調で三蔵が答える。追っ手が来るのを警戒して、時折後ろを振り返るのを忘れない。
 手綱を引き、馬を操る様子はとても坊主とは思えない。簡易な僧衣に身を包んではいるが、その精悍な表情は騎士のようだ。
「あ、あの」
「……そうか、……昨日の今日だったな。腰でも痛ぇのか」
 三蔵はとんでもないことを言った。おまけに自分の言葉に自分で勝手に肯いている。
「な、なん」
「ちょっとでやめようとは思ったんだがな……あんまりお前が可愛かっ……」
「お、お願いします。もう止めて下さい! 」
 顔を真っ赤にして八戒が三蔵の襟元をつかんだ。馬に乗っているというのに、八戒が身を捩って暴れる。途端に均衡が崩れ、馬が嘶いた。
「……おい馬鹿! ひっぱんじゃねぇ。危ないだろが!」
「す、すいません」
「ったく」
 三蔵が手綱を操って再び姿勢を直し、八戒を抱えなおした。早めに恥ずかしい話題を切り上げられたと、八戒がほっと一息ついたとたん、三蔵はなおも言った。
「でも、思い出したぞ……お前、絶対アレは腰が抜けて」
「…………! 」
 余計なことを思い出した三蔵の口を塞ごうと、八戒はその腕を振り上げた。
 金や銀の優美な腕輪が星のように瞬き、その腕で鳴った。顔を覆っていた花嫁らしい薄絹の覆いはとっくにどこかに落としてしまっていた。
「暴れるなっつてるだろうが! 落ちるぞ! 」
 三蔵が手綱を握りなおし、八戒を抱えているその腕に力を込めた。背骨が折れるほど抱きしめられて、八戒が降参する。上背ばかりある痩躯が悲鳴を上げた。
「い、痛い! 痛いですよ! 三蔵ッ! 」

 確かに昨夜、
 八戒は初めての躰を三蔵に優しく抱かれて、そして蕩けたのだった。
 慣れない八戒の躰をいたわって、一度は途中で止めようとした三蔵を、八戒は初々しいくせにどこか艶めかしい仕草で引き寄せ、その耳に甘い唇を寄せて囁いたのだった。
「僕に全部下さい」
 それで、完全に三蔵は引けなくなった。開ききらない蕾を無理やりこじ開けるようにして抱いた。
 慣れない感覚に引き攣る肉の薄い躰を撫で、震える八戒の躰にくちづけを幾つも落とし、その躰が自分に馴染むまでの間優しく抱きしめ続けたのだった。

 今にして思えば、八戒は恥ずかしさで顔から火が出そうだった。
 どうして、あんな言葉が言えたのか、自分でも分からなかった。

「もう、会えなくなると思ったんです」
 八戒は我知らず呟いた。
 そうなのだ。
 もう、三蔵と会えなくなってしまうと思ったからこそ、あんな恥ずかしいことを思い切って言えたのだった。
 それなのに。
「もう、会えなくなると思ったのにこんな」
 抱かれた次の日にもうこんなふうに相手の腕の中にいるなんて恥ずかしくてしょうがなかった。
 八戒と顔と顔を寄せるようにして馬に乗っている三蔵が、八戒の呟きに反応した。
「……会えねぇ方がいいみたいな言い方じゃねぇか。おい」
 三蔵の機嫌が悪くなった。
「そうかよ。……俺はお前がシテくれシテくれっていうから、今日のことがあるから俺は内心シねぇ方がいいかとも思ったんだが、お前があんまり」
「ひ、ひどいです。その言い方はひどすぎます! 」
 八戒のその生真面目な抗議に、三蔵は喉で笑った。一気に機嫌が直る。可愛くてならなかった。
「……三蔵」
「なんだ」
「これからどうするつもりです」
 暴れたときに緩んだのだろうか、八戒の髪から見事な珊瑚の髪飾りが煌めきながら落ちた。
 しかし、それに頓着しない様子で緑の瞳は三蔵をひたすら見つめている。
「俺は俺の国に帰る」
 三蔵は前を向いたままきっぱりと言った。
「俺のって……」
「西域にある仏教国だ。俺はそこの最高僧だ」
 当然だという表情で三蔵は説明した。
 八戒はそんな三蔵から容易にお国での様子が分かるような気がした。恐らくその国でも三蔵は無敵なのだろう。居並ぶ高位高官、指導者達を顎であしらう独裁者然とした三蔵の姿が目に浮かんだ。
「お前も来い。……いや」
 傲岸不遜といっていい表情で、鮮やかに三蔵は笑った。
「約束したな。お前は俺と一緒だと」
「……はい」
 八戒は三蔵に返事をした。それは厳粛な誓いの言葉のようだった。

 天には星が満ち、どこまでも果てのない砂漠の下までも。
「一緒だ」
 三蔵は再び八戒を抱く腕の力を強くした。どこか甘い痺れるようなその感触に、八戒は陶然となってその胸にすがりついた。途方もなく甘美な感覚に身を焼いて喘いだ。

 どちらともなくその唇を重ねあう。

 甘いくちづけは段々と深くなり、八戒の髪からもうひとつ髪飾りが落ちた。

 地の果てまでも、きっとあなたと。
 地が果ててでも、きっとあなたと。
 きっと、あなとなら。

 この先の先の先まで

 ずっとずっと。

「約束だ」
 三蔵はもう一度、まるで誓うように言った。
 近くの川面を吹き渡る爽やかな風が、まるで二人を祝福するかのように通り過ぎた。一瞬、こんなところにまで、後宮の庭に咲く夜香花の匂いが芳しく香ったような気がした。



 終