プレゼント(2)

 次の日、悟浄と悟空は隣のテントをのぞき込んであわてた。
「ちょ、八戒ッ」
「生きてっか?! おいッ」
 心なしか、血の気をとりもどした顔色の三蔵の傍で、黒髪の男が気を失っていた。
「ね、寝てるんじゃねーよな」
 八戒の服装は着の身着のままだ。いつもの緑色のチャイナ服のまま着替えてもいない。バンダナについた血も洗わずに戦闘時そのままの格好で倒れている。おそらく、食事もせず夜通し三蔵の看病をしていたのだろう。
「違うだろうが、これ死にかけてんだろ」
 悟浄が青ざめながら呟く。その声に応じるように、悟空が八戒の額へ手を当てた。
「うわッ熱ッ何これッ八戒ってばすげぇ熱ッ」
 悟空が目を剥いた。八戒は高熱を出していた。
「ケガ人ッつーか病人が2人になったな。おい、水くんでこようぜ」
 


――――翌日、
 三蔵も八戒もようやく熱が下がった。
「すっげぇ心配した」
 悟空が八戒の枕元でため息をつく。ツメをかたどった肩あての上へジープを乗せている。用済みになった水の入ったペットボトルや貼るタイプの熱さまシートなどを手にしていた。片付け中だ。
「はははは、申し訳ありません」
「無茶しやがって」
 悟浄が苦々しい表情で言うと、八戒の枕元にレトルトのおかゆを置いた。袋入りの熱湯で温めればすぐに食べられるタイプのやつだ。
「いや、もうありがとうございます……お粥も、すいません」
 八戒は、眉根まゆねを下げて苦笑いした。簡易な寝具の上で体を起こして置かれた器を手にとった。白い粥に添えられた梅干の赤い色が鮮やかだ。悟浄と悟空にしてはよく気が回った食事だった。
「三蔵も、もう大丈夫そうだな」
 悟浄が隣で寝ている三蔵をそっと眺めた。死にかけていたときとは顔色が全然違う。三蔵はまだ眠っているが、顔色は昨日よりずっといい。生気があって血の気がある。
「たぶん、もう峠は越したと思うんです。熱もないですしね。ケガで消耗してますから、まだ起きないでしょう」
 八戒はアルミのさじでお粥を口元へ運んだ。意外と熱かったらしく、慎重に口にしている。ふうふうと息を吹きかけながら、隣の三蔵の方へその緑色の瞳を向けた。最高僧は野宿用の簡易なシーツにくるまれ、さらに丁寧に毛布をかけられている。顔色は白いがだいぶ血の気が戻ってきていた。青い枕の上に金色の髪が広がってきらめいている。
「あーよかったホント」
「ふたりとも死んじまうのか思った! な、悟浄」
 悟浄と悟空がほっとしたような笑顔を浮かべて口々に言う。八戒が申し訳なさそうに肩をすくめた。
「どのくらいで出発できるかな」
 悟空がひざをついて座り、三蔵の顔を間近に覗き込んだ。透き通るような白い肌の上に静脈が走り、まぶたがかすかに動き、寝息に合わせるようにして、その胸がかすかに上下していた。眠っている。
「そうですね。かなりの程度、回復には成功しましたけど……」
「ま、急ぐのはやめようぜ」
 悟浄がいつの間にか簡易なアルミの皿を手に、レトルトのカレーをご飯の上にかけている。湯気がほかほかと立った。
「ほい、これ悟空の分な」
 カレーのいい匂いがテント中に漂った。
「うわーい」
 悟空が歓声を上げる。
「もう、レトルトのご飯、残りがねぇからあんまり食うなよ」
 悟浄が紅い切れ長の目をつりあげるようにして、きっぱりと告げた。そう、あまりもう食料の在庫がないのだ。悟空が食べまくったせいだった。
「ええええーッ」
 悟空が死にそうな悲鳴をあげる。半分泣きそうだ。ジープがその肩で心配げにきゅーと鳴いた。
「……三蔵が良くなり次第、出発しましょう」
 八戒が困ったように苦笑いを浮かべた。
「そういや、ホントはお前、なんか街で買いたいものがあったんだろ? 」
 悟浄が八戒の瞳を覗き込んだ。親友にかれて八戒は皿にさじを置いた。
「あはははは。ホントは三蔵の誕生日に何かみんなでプレゼントでも、なんて思ってたんです」
八戒は力なく笑った。もう、三蔵の誕生日は過ぎてしまった。自分のせいだ。
「何あげるつもりだったんだ? 」
 悟浄が訊く。
「えーとね。俺はね三蔵にだったら湯のみとかが似合うと思う」
 悟空がスプーンを片手に勢いよく言った。健康優良児そのものの頬が紅潮している。
「お前には聞いてねぇよサル」
「あーそうですよね、確かに作務衣さむえとかカーディガンとか似合いますよねぇ三蔵ってば」
 八戒が微笑む。
「なんか、思い切りおじいちゃん用なプレゼントだなそれ」
 悟浄がにやりと笑った。
「じゃあ、俺は老眼鏡とか買ってやるぜ」
「ぎゃはははっはは」
 悟空が思い切り腹を抱えて笑い、吹き出した。その手でカレーの皿が震えている。
「ご飯粒が飛ぶだろ! 汚ねぇなサル!」
「和菓子とかお茶とか」
「マッサージ機とか血圧計とか健康グッズとか」
「うひゃひゃひゃ」
「やっぱり敬老の日みたいなプレゼントですねぇ、それ」
 下僕たち3人は、三蔵が寝ているのをいいことに、そんなことを言って笑っていた。大笑いしていた。
「でも困りましたね。本当にプレゼント何にしましょうか」
 八戒が笑いながらいう。笑いすぎて目じりに涙が浮いている。


 ようやく、いつもの平和な日常が戻ってきていた。




 それから、しばらくすると、三蔵はすっかり良くなった。八戒の献身の成果だ。白い僧衣をひるがえし、再びジープの助手席に乗り込んだ。身につけた金色の袈裟けさが身じろぎをすると音を立てる。
「三蔵、本当に出発しても大丈夫ですか? 」
 運転席の八戒が、少し不安気に言う。その片目に嵌った単眼鏡、モノクルのレンズがきらきらと太陽を反射して白く光った。
「問題ない。もう大丈夫だ」
 いつもどおりの愛想のなさだ。金の髪を光らせて最高僧は助手席のシートに身体を預けた。ジープのエンジンがかかる音が響く。いつもどおりの頼もしい重低音だ。
 そんな出発するか、しまいかというときに、
「あ、そうだ! さんぞ!」
 後部座席からにぎやかな声が飛んだ。勢いまかせに悟空が三蔵の座席の背もたれに手をかける。きしんだ音が立った。
「はい! 俺からのプレゼント!」
 悟空が何か薄い四角いものを差し出した。
「あ、俺も」
「あ、これ僕からです」
 白い封筒が3つ。三蔵へ向かっていっせいに差し出された。
「……………」
 最高僧様はなんと言っていいかも分からず。口をへの字にゆがめ下僕どもをにらんだ。
「僕たちからの誕生日プレゼントですよ」
 運転席の黒髪の男が、目じりを下げながら笑っている。左手で封筒を持っているので、片手運転だ。三蔵は仕方なしに、その手から乱暴に封筒を受け取った。
「あ、コレも」
「俺のもな」
 悟空と悟浄は自分たちの封筒をすかさず後ろから押し付けるように渡してきた。
 三蔵は舌打ちした。いやな予感がした。白い封筒が薄くてつるつるした感触を手に伝えてくる。
 無造作に次々と中を開けると、カラフルに彩られた紙がいくつか出てきた。
「誕生日プレゼントだ? なんだこりゃあ」
 三蔵は紙を、いや詳しく言うと紙にミシン目みたいに点線をつけた回数券みたいなものを見て思わず叫んだ。その表面にかかれた手書きの文字へ視線を走らせる。
「肩たたき券10枚つづり、タバコに火をつける券10枚つづり……なんでも言うことをききます券10枚?! 」
 その美麗な紫の瞳を丸くする。
 一瞬の間の後、
「だせぇ」
 三蔵はぼそりと呟いた。仲間からの手作りのプレゼント券をいっぱいもったまま、マルボロをくわえて呆れていた。目を細めて唸る。
「お前らは小学生か」
 ジープの助手席で長いため息をつく。封筒や券を重ねて左手でまとめて持ち、苛々とした様子で紫煙を吐き出す。首を横に振っている。からかわれたと思っていた。本当にくだらなかった。
 しかし、
「…………」
 八戒手作りの 「なんでも言うことをききます券」 へあらためて目を走らせると三蔵様は少し口もとを緩ませた。
「なんでもか」
 思わず小声で呟いた。
「え、何かいいました? 三蔵」
 運転席の八戒が三蔵の独り言に反応する。いつもどおりのマルボロの香りに安心したのか、穏やかな表情を浮かべてその目じりを下げている。
「いや」
 三蔵はタバコを吸うふりをして片手でさりげなく口元を覆い、思わず緩んだ表情を八戒から隠した。
 そのとき、
 後ろから悟浄が突然、腕を回してきた。魔天経文のかかった三蔵の肩を抱くようにして金糸の髪で半分隠れた耳元へそっとささやく。
「それさぁ、その文面にしろって俺が八戒へ言ったのよ。なかなかナイスでしょ。俺のアイディアなんだよね三蔵サマ? 」
 低い色気のある声で、ぼそぼそと告げる。その切れ長の目はにやにやと笑っている。
「ちょっとは感謝してよねん」
 回された腕からは革ジャンの匂いがした。男性的な匂いだ。
「……何が言いいてぇ」
「またまたァ、とぼけちゃって。ロマンが広がるでショ。何してもらおっかなー的なさァ。わかるわかる男の子だもんねー」
 悟浄はうんうんと独りで肯いた。口元は笑いに歪んでいる。
 三蔵は答えない。無言で背後の悟浄を横目で睨んでいる。
「ひざ枕とかさぁ、耳掃除とかさぁ、お風呂で洗いっことかさぁ、あの綺麗なお口でアレしてもらうとかさぁ」
「…………! 」
 三蔵が一瞬大きく目を剥いた。
「まー、お礼と口止め料はタバコワンカートン分でいいや、またはバーボン1瓶でいいぜ」
 エロ河童はにやにやと三蔵を見つめ小声で言った。この金の髪をしたプライドの高い男の考えていることなど、苦労人の悟浄には透けて見える。特にこの手の下世話なことならなおさらだ。
「ナニ考えちゃってたか、八戒ちゃんには内緒にしてやるからさぁ」
 スパーン! ハリセンが空を舞った。三蔵はギリギリと歯を鳴らして怒った。額に血管が幾つも浮いた。
「こんのエロ河童が!」
 紫色の瞳に苛立ちと殺意が閃いている。剣呑な表情だ。
「なによ三ちゃんだって。考えてることはお互い一緒だろうがよ。このムッツリ坊主」
「てめぇと一緒にするんじゃねぇドエロ河童。殺すぞ」
 もの凄い大声で三蔵は身を乗り出し、後部座席めがけて勢いよく怒鳴った。青筋を立てて、その肩にかかった魔天経文を握り締めている。魔戒天浄でも唱えかねない勢いだ。身にまとった白い僧衣が風をうけてはためく。
 そんな車中の騒ぎを聞きながら、ジープの運転手はこっそりと呟いた。
「ああ、三蔵が元気になってくれて、僕ホントにうれしいです」
 八戒はジープのハンドルを握ったまま実に幸福そうに微笑んだ。うれしくてしょうがないらしい。満面の笑顔だ。

 三蔵一行はいつもどおりだ。

 いつもどおりだった。

 あなたさえ、無事ならもうそれで後はどうでもいい。
全て世はこともなし。

――――あなたをあいしてるから。







 了