プレゼント(1)

「見つけたぞ! おたずねものの三蔵一行」
 妖怪どもが叫ぶ。50人ほどはいるだろうか、ぐるりと囲まれた。
「なんていうんでしたっけこういうのって」
 目を糸のように細めて八戒が力の抜けた声で言う。長めの前髪が揺れ、短く整えられたうなじが美しい。その背にかけられた白い肩布が風を受けてはためいた。
「ワンパターン」
 悟空が無表情で答えた。肩の上へと如意棒をかつぐが、あまりやる気はなさそうだ。
「鉄板のワンパターンだよな。クソ、休憩もできやしねぇ」
 悟浄が呆れて肩をすくめる。赤く長い髪がその肩先で揺れた。
「ったくあんたらもヒマねぇ、デートする相手とかいないワケ?」
 妖怪たちをからかった、その瞬間、
ガウン! 
 その鼻先を銃の弾がかすめた。
「あ、あぶねぇッ突然、撃つんじゃねーよ。陰険坊主! 」
 悟浄が後ろを向いて怒鳴った。怒鳴りまくった。本当にあぶなかった。
「うるせぇ、早くあのワンパターンな連中を片付けろクソ河童」
 小銃の筒先から白い硝煙がたなびいている。白い僧衣の長い袖をひるがえし、三蔵法師様は銃を上へ向け、剣呑な撃鉄をもう一度起こした。物騒な金属音が周囲に響く。
 金の髪の間に見え隠れする白い額には青筋がいくつも浮いている。本当にこの男は短気だ。
隣の八戒が口を挟んだ。
「確かにそうですよねぇ早く片付けたいですよね」
 穏やかに主人へ賛同する。戦闘開始だというのに、のんびりとお茶でもしているような声だ。軽くため息をついてその左手を胸の前あたりへあげた、見る見るうちに、その掌の上に白く発光する球が形を結ぶ。
「今日中には絶対、街へ着きたいですからね」
 そのまま、両手で押し出すようにして白く輝く凶暴な光を前へ放った。上衣のすそが翻り、長めの黒い前髪が空を舞う。
 一瞬、白色の光で地上の全てが覆われ、激しい勢いで地面へと激突した。派手な破壊音が響き渡る。
「ぐうッ」
「ひいいいッ」
 衝撃で周囲の妖怪何匹かが吹き飛ぶ。優しげな容姿とかけ離れた圧倒的な力だ。何かがげるにおいが周囲にただよう。
「あ、そうだったよね明日はトクベツな日なんだっけ」
 悟空が思い出したように両手を叩いた。真剣な顔つきになって如意棒をかまえる。ようやくやる気になったらしい。
「早く終わらせるぜ! 悟浄ッ忘れてんじゃねーよな? 」
 妖怪たちが立ち向かってくるのにあわせて素早くとんぼを切り、そのまま如意棒を敵の頭上へ振り下ろした。何かが砕ける鈍くいやな音が次々と響く。鮮やかな血しぶきが周囲に立った。
「そういやそうだったな。しょうがねぇ、さっさと終わらせるとすっか」
 悟浄が服を手で払い、その手に降魔の杖、錫月杖をつかむ。
「八戒、次の街で買い物したいんだよな」
 切れ長の瞳で黒髪の親友を流し見る。
「そうです。ここのところ野宿が多かったですからね……困ったことによりによって明日のための用意がないんですよ」
 錫月杖が空を舞った。悟浄の武器は中距離用だ。恐ろしいその半月の刃が鎖でつながり陽光を受けてきらめいている。悟浄が腕をひとふりすると、そのまま華麗にあたりを切り裂いた。
「ぐわあッ」
「わあああッ」
 文字通り悟浄の周囲に血の雨が降った。バラバラに切り刻まれた腕や足が天から降ってくる。次の瞬間、どうっと音を立てて、10人ほどの妖怪が地べたへ転がった。哀れにも、ほとんど胴体だけになって呻いている。その上へ自分たちの手や足が降り注いだ。
「ひぃいいい」
「助けッ……」
 哀れな断末魔の声が地を這う。地面が、草木すらもが血で染まった。倒した相手に関心などないのか悟浄のやや上向きに跳ねた眉はぴくりとも動かない。
「しょうがねぇな」
 鋭い金属音を立てて錫月杖の刃が悟浄の手へ戻ってくる。それは真っ赤に血で濡れていた。血臭とでも呼ぶべき鉄の生臭い匂いがあたり一面に立ち込める。
「材料とかも買いたいですけど、他にもあげたいものがあるんですよね」
 八戒は腕を攻撃のかたちに構えたまま一瞬、何かを考え込んだ。彼にとって明日は 「トクベツな」 日で、いろいろと用意をしたいらしい。
 しかし、
 そんなすきを妖怪たちは見逃さなかった。
「三蔵一行覚悟! 」
 窮鼠きゅうそ猫を噛むの言葉通りのことが起こった。妖怪のひとりが最後の死力を振り絞り、刀をふりあげてきた。
「八戒! 」
 八戒は振り向くのが間に合わなかった。魔がとおったような、空白の一瞬だった。全部の動きがスローモーションで遅く見える。
 斬られた、刺された。八戒がそう思ったその時、衝撃が体に走った。誰かに突き飛ばされたのだ。
白い僧衣の袖と、その肩にかけられた魔天経文の緑色が視界をかすめる。次の瞬間、八戒は地面へと横倒しに転がった。
 生暖かい血しぶきが顔にかかる。
「三蔵ッ!? 」
 目を大きく見開いて、自分を突き飛ばした相手の名を呼んだ。
「三蔵?!」
 悟浄が血相をかえている。こんな悟浄の表情は滅多にみられるものではない。悪夢のような出来事だった。刹那せつなの出来事だ。
「さんぞッ! 」
 素早く悟空が刃を構えた敵との間に立ちふさがった。如意棒で払うようにして、三蔵と八戒を襲った相手の腕を微塵みじんに砕く。骨の折れる鈍い音がした。
 一瞬で勝負はついた。
 悟空が如意棒を取り落とし、地面に伏した三蔵の元へと必死で駆け寄る。
「たい……したこと……ねぇ」
 刃は三蔵の体を貫通していた。その口からみるみるうちに血があふれてくる。
「三蔵ッ」
 八戒が両手を三蔵の腹部へ当てた。臓器を幾つか斬られている。致命傷だ。
「くッ」
 八戒はうなった。両手で集中して気を注ぎ込む。軽いうなりのような音をたてて、その手の間から気がほとばしった。最大出力だ。指の間から光が漏れ、光り輝いてまぶしい。
「なんとしてでも、この血を止めなければ! 悟空、ジープから手当ての布、なんでもいいですとってきてください」
 叫びながら必死で血があふれてくる三蔵の腹部を押さえた。切れているのは腹膜ふくまく、胃、肝臓それから……斬られている箇所をイメージしながら気を送り込む。
 三蔵の武器は銃だから敵との間合いが近すぎると不利だ。魔戒天浄は唱えるのに時間がかかる。
それなのに、そんなの分かっていたはずなのに。ギリッと八戒は奥歯を噛み締めた。
「三蔵ッお願いさん……」
 自分が悪い。完全に油断していた。守らなければいけない大切なひとがいるのに、うっかり考え事なんかして、敵の力をあなどったばかりにこんなことに。
「さんぞ……どうして僕なんかかばって……! 」
 涙声になりそうだったがなんとか歯をくいしばった。八戒は目をつむった。集中が必要だった。切れている組織と組織、細胞と細胞のひとつひとつまでイメージしながら気を流すようにする。時間との勝負だった、失敗は許されなかった。






 ぞっとするような危機は一瞬に感じられた。実際には何時間も時間が過ぎていた。
もう、既に夜が近い、この日は諦めて近くにテントを張るしかなかった。
「さんぞー、どう?」
 心配そうに悟空がのぞき込んだ。
 もう、空は夕闇の色を通り越している。鳥のさえずりも聞こえなくなった。テントの布地ごしに木の梢を風が揺する音が聞こえてくる。
「いやーやっぱり八戒ってスゲェ」
 悟浄がテントの入り口にかけられた布をはらうようにして入ってきた。
「助かるとはね。悪運強いじゃん三蔵サマってば」
 三蔵は袈裟を脱がされ僧衣を緩められている。腹部には白い包帯が巻かれて痛々しい。包帯には血がにじみ、その顔色はひどく悪かった。
「どうよ。八戒、なんか食えよ。レトルトで悪ィけどカレーあるぜ」
 悟浄はカレーの入った皿を手にしている。丁寧にラップまでかかっている。
「あ、それとも果物とかのがいい? 俺、この近くで山ブドウの実みつけてさ! んできた。食おうぜ」
「ありがとう悟浄、悟空……でも、まだ安心はできませんから」
 八戒は重い口ぶりだ。
「本当に、傷を応急でふさいだだけなんです……開いたらおしまいです」
 三蔵の顔色は真っ青だった。ただでさえ震えがくるほどに冷たい白皙の美貌だったが、より白くなって全く血の気がない。肌の下を走る静脈の色が透けてみえるようだ。
「でも、傷ふさいだんだろ。ま、元通りにすんには何日かはかかるんだろうけど、とりあえずセーフじゃね?」
 悟浄は陽気に笑った。つい2、3時間前まで八戒は三蔵を抱えて泣きそうになっていた。あんな修羅場に比べれば、ようやく平和な日常が戻ってきていた。
「……セーフなもんですか」
 八戒がぼそりと呟いた。
「三蔵、明日、誕生日なんですよ」
 三蔵の頬へ指を走らせる。唇まで色を失ってやや紫かかっていた。
「僕、手作りのケーキとかつくってあげたかったのに」
 八戒は呟いていた。ひとりごとに近い。
「こんな、野宿なんて」
 三蔵は目を覚まさない。死ぬか生きるかというような大怪我だった。意識がない。
「動かすの危険だからここで野宿するっつたのはお前だろ」
 悟浄が口をとがらす。死にそうだったのに、助かったのだ。運が良かった。儲けものというべきだった。
 しかし、そんな悟浄の楽天的な態度は八戒の神経にさわったらしい。
「なんですか、悟浄なんかピンピンしてるくせに、どーして三蔵がッ三蔵が傷ついたりしてるんですかッ」
 八つ当たりだ。八つ当たりだった。八戒自身も重々それは承知している。でも、言わずにいれなかった。言わずにいられなかったのだ。
 しかし、
 紅い髪の色男から返ってきたのは、八戒にとっては意外な言葉だった。
「しかたないっしょ、それは。だって三蔵のやつ戦闘中だろうとなんだろうと、気がつくとお前のそばにばっかりいるんだもんよ」
 悟浄は困ったようにタバコに火をつけた。ハイライトの紫煙がたなびく。そうだった、あの金の髪をした最高僧様は何故かこの黒髪の親友の後ろにいつもさりげなくいるのだ。悟浄の言葉を受けて悟空がその後を続ける。
「そーそ、気がつくと八戒のそばにいるんだぜ三蔵ってば。気づいてた? まー八戒ならいいかーって、ずっと思ってたんだけど」
 からかうわけでもない淡々とした口調だった。ひざを抱えて、三蔵の寝顔を見つめている。八戒だったら気功で遠くの敵も近づく敵も倒せるし、防御もできる。三蔵をまかせることのできる信頼できる仲間だった。悟空は安心していたのだ。
「しっかし、まさか、あの三蔵サマがお前をかばうとはね」
 悟浄が呟いた。あの冷酷で冷静、そして凶暴な三蔵様が、いつも悟浄や八戒のことを雑巾雑巾と蔑んでいる高慢チキの見本みたいな三蔵様が、よりによって下僕をかばって負傷するなんて全く、らしくなかった。
「どうして、三蔵は僕の傍にばかりいるんでしょう。どうして、僕のことなんか三蔵はかばうんでしょう」
 自分などこの綺羅綺羅きらきらしい人に全く相応しくない。罪人で妖怪なのに。後半の言葉は密かに口中で呟き、八戒は首を横へ振った。まるで理由が分からなかった。
「そりゃお前」
 決まってるだろーが と紅い髪の親友が続けようとしたのを、八戒がさえぎった。
「僕は従者……いや下僕失格です、ああ、こんなことなら僕がケガしてればよかった」
 悟浄と悟空はお互いの顔を見合わせた。
「もういいです、少し休んだら集中力が戻ってきました。むこう行っててくださいふたりとも」
 目が据わってる。またその手を三蔵の上へかざしだした。ぽう、と手のひらがやわらかく発光する。真剣なまなざしで、再び三蔵へ気を注ぎ込む。恐ろしいくらいのフルパワーだ。白くテントの中が真昼の明るさで光輝く。凄まじい光で周囲が臨界に達したように発光した。

「八戒怖ええ」
「……マジだなありゃ」

 小声でささやきあいながら、悟浄と悟空はテントから出て行った。
「しょーがねぇな、もうひとつ、テント張るか悟空」
「そうしたほうがいいよね。アレ」
 空には、星が幾つか瞬きだした。すっかりと夜が更け、森の奥からふくろうらしき鳥の低い鳴き声がかすかに聞こえてくる。

 夜はすっかりそのとばりを下ろしていた。
 

――――それから、どのくらい時間が経っただろう。もう深夜もとおりこし、真夜中もとおりこし、夜明けが近くなってきた頃、
 八戒の掌からの白い気、エネルギーもそろそろ力尽きてきた。肩で息をしている。気がつけば額に玉のような汗を浮かべていた。いつも着ている緑色の服が汗で張りついて気持ちが悪かった。
「さん……ぞ」
 少し、休まないともたない。いや自分なんかはもたなくてもいいけれど、なるべく長時間もたせて治療しないと三蔵は助からない。
「三蔵、すいません……」
 八戒は三蔵の白い、いまや青いくらいの額になにげなく手をかざした。
「さんぞ……! 」
 八戒は目を大きく見開いた。高熱だ。三蔵は傷のために発熱しているのだ。
――――敗血症。不吉な言葉が八戒の脳裏をかすめる。本当に休んでなどいられない。恐ろしいことが現実になろうとしている。もう1秒だって、無駄にできない。
「くっ……! 」
 もう、自分などどうなってもいい。そう思ってふたたび、気をためようと手をかざしたそのとき、奇跡のように三蔵の唇が動いた。
「はっか……い」
 その白いのをとおりこして、青ざめてみえる整った唇で名前を呼ばれた。思わず反射的に八戒が答える。
「僕はここですよ、三蔵」
 どうしたらいいかわからない。思わず三蔵の手を握り締めた。三蔵にかばわれて、自分は生きている。でも自分など三蔵に、この綺麗なひとにかばわれるに値するような命だろうか。
「ケガとか……ない……か」
 白皙の美貌がつづった言葉は、この後におよんで八戒を心配する言葉だった。
「……おかげさまで、無事ですよ」
 涙があふれるのを感じた。ぎゅっと三蔵の手を握る力を強くする。手がふるえる。この綺麗なひとはこんな、死ぬかもしれないのに自分のことなんかを気にしている。
「お前が無事で……よかっ……た」
 三蔵は切れ切れに言った。安堵あんどした声だった。大切なものが傷ひとつないと知って安心した声だ。
「さんぞ……! 」
 八戒はうなった。うなるしかなかった。
「どうして、僕なんかをかばったんです。どうして……! 」
 ふりしぼるような声を細い声がさえぎった。
「知らねぇ」
 あの世とこの世をさ迷う、死者でもなく生者でもないもののみが出せる声だ。
「知らねぇ、気がつくとお前のこと……見ちまう……てめぇのことが気になってしょうがねぇ」
 八戒は呆然とその整った顔を覗き込んだ。下僕の気も知らず美しい唇がなおも言葉を紡いだ。
「しかたねぇだろうが」
 熱に浮かされて、自分でも何をしゃべっているのか、わかっていないに違いない。いやだからこそ、これが三蔵の本心なのに違いない。こんな修羅場なのに、八戒はどこか陶然とした甘い気分に一瞬、浸された。
「さんぞ……」
 大切なひと。言えなかった。言えなかった秘密にしていた大切なこの気持ち。
「三蔵、明日……いやもう今日ですね。三蔵の誕生日なんですよ。11月29日、覚えてました? 自分の誕生日が今日だって」
 何か、言おうとして、思いもかけぬ言葉が出た。涙声になる。
「は……誕生日が命日になったら笑えるな」
 三蔵は笑った。血塗れなのに、彼は笑った。こんなときなのに天人のような美しい笑顔だ。
「三蔵ッ! やめて下さい縁起でもない。僕、いろいろ計画してたんですよ。お祝いとか、プレゼントとか」
「……くだらねぇ。それに、もうプレゼントは……もらってる」
 その冷酷なくらい整った口元に薄く笑みが浮かんだ。奇跡のようなその微笑に釘付けになる。
「……お前が無事なのが、この俺への」
 プレゼントだから。
――――そのまま、三蔵の意識は途切れた、熱に浮かされるようにして、気を失っている。
「三蔵ッ」
 あわてて、八戒は再び手を三蔵の傷へとかざした。しゃべり過ぎだった。しゃべらせ過ぎた。こんな傷でこれほどしゃべることができること自体が奇跡なのだ。
「三蔵ッさんぞ! 僕は」
 後の言葉は言葉になどならなかった。一瞬、涙ぐんだ後、八戒の目が毅然きぜんとすわった。
 もう、本当に自分などどうなってもいい。八戒は目の前の漆黒の闇をにらんだ。三蔵を連れにきた死神と対峙たいじする気分だった。全ての気力を注がなくては。腕がふるえ、体が震える。手のひらが熱い。もう、どうなってもいい。後のことなどどうでもいい。この命くらい幾らでもくれてやる。

 三蔵さえ、助かるのなら。

 目の前が白くスパークした。臨界へ達し青白く全てが蒸発してゆく。八戒の手からほとばしるエネルギーが、白い光でけるように光り輝いた。
 




「プレゼント(2)」に続く