好きでいて



 大人と子供の境界線が何なのか、それはたとえば成人式とか、年齢的なものが多分に含まれるのか。倉内はそんなことを考えながら、小さく溜息をつくのだった。
 大好きな放課後なのに、これから図書室へ向かうのに、タイミングなんて関係なしに憂いは訪れ、胸を苦しめる。
「どうしたの?倉内くん。浮かない顔だね」
 声をかけてきたのは、秋月文久という古文の教師。なんとなくお互いに波長が合うといえばいいのか、担任ではないけれど、倉内はよく秋月と話をする。
 フミちゃんという愛称で親しまれているこの教師は、男ながらに綺麗な顔で、慕う生徒も多い。勿論、倉内もそのうちの一人なのだった。自分と同じニオイがする、と勝手に倉内は思っているのだが。
「フミちゃんは良いよね。大人だもの」
 倉内がそう言うと、秋月は一瞬きょとんとした表情をし、それから笑顔を浮かべた。
「何、その嬉しそうな表情」
「えっ、顔に出てた?僕、自分であんまりそんな風に思えたことがないから、大人だって言われると、褒められたみたいで」
 素直でかわいらしい、とさえ思う。口を開けば可愛げのない言葉ばかり出てくる(相手にもよるけれど)倉内とはやはり、何かが違った。
「…あーあ、僕も早く大人になりたいな〜」
「後藤くんみたいなこと言ってる」
「一緒にしないで」
 その指摘には半ばうんざりして、倉内は肩を竦める。
 秋月は後藤と羽柴のクラスを受け持っており、後藤とは特に仲が良い。あの野生動物のような男が、飴しか持っていなそうな、こんな教師に懐いているのだから不思議な話だ。
「倉内くん、後藤くんと仲良いよね」
「それ、勘違いだから」
「そう?友達って大事だよ〜。一緒だからこそ、思い出に残る経験ってあるでしょう。大人になったらできることって沢山あるけど、今のうちにしかできないことも沢山あるし。楽しまなきゃね」 
(その発言が、やっぱりもう子供じゃない…)
 陣内も口を酸っぱくするほど、恋愛ばかりにかまけていないで他のこともちゃんとしなさいと言う。もしその相手が自分でなかったなら、一体どんな言葉に代わるのか聞いてやりたい。
「何が足りないのかな…。身長?経験?確かに僕は、童貞だけどさ。やりたいと思えるほど好きな人がいなかったんだから、そんなのしょうがないじゃない?」
「倉内くん、その発言は軽くNGだと思うよ!経験のない大人だっているんだし」
 秋月は周りを見渡して、廊下に他に人気がないことを確認すると小さな声で注意する。
「フミちゃんは、そうじゃないでしょ」
「う、うーん…。どうかな。僕の話はいいよ、とりあえず。恥ずかしい」
 人間隠されてしまうと、余計気になってしまうのだけれど。他人は、どんな恋愛をするんだろう。どういう恋愛が一番確実で、…そんなのはケースバイケースだろうか。
「ええ〜。聞きたい。参考にする」
「………倉内くん、ニコニコしながら先生をからかうのはやめてよ。可愛いから、なんだか怒れないし」
「可愛いなんて言われて喜ばないよ、僕。女じゃないんだから」
 一層秋月の笑顔が深まったような気がして、倉内は唇をとがらせた。
「フミちゃんだって似たようなものじゃない?お互い女顔で。可愛いとか、綺麗とか言われるでしょ?」
 しかも生徒に、と男子校の性はとりあえず心の中で続けるとして。秋月は生徒によくからかわれるたちなのだが、本気の生徒だって中にはいるはずだ。
 言葉に詰まってから、秋月は微妙な表情で、そんなことはないけど…と空気全体でその事実を肯定する。素直で、親しみやすくて、おまけに大人の色気があって。そんな大人は、なんだかずるい。
「色気って、どうやったら出るのかなあ。大体、魔性って何?少し分けてほしいよ」
「人によって違うんじゃないかな。たとえば、自分の好みかそうでないかで、その色気に反応するかどうかも違うから」
「好きな人専用でいい。何かいい作戦ないかな〜。フミちゃんは、どんなアプローチするの?」
 そういえばどういう相手に対してのアプローチなのか、話していないが簡単に話せることでもない。ただ空気を読むのが得意らしいこの大人は、余計な詮索は無しで、倉内の欲しい言葉を与えてくれた。
「えっ…。僕は単純に、真っ向勝負派だからあてにならないよ。駆け引きは苦手」
「本当?似てるかも」
 微笑んだ秋月には、倉内からしてみればなんだか、大人の余裕のようなものを感じる。
「は〜あ。どうせ、僕は子供で…」 
「大丈夫。年齢なんて関係ないから。倉内くんは自信持って、好きでいていいと思うよ」
 そう多分、誰かに励ましてほしかったのかもしれない。
(こんな風に。この気持ちを肯定してもらって、安堵したかったのかも…)
「…そうかな?」
「子供っぽい大人だっているし、その逆もまた然りでしょう。元気出して」
(大体、こういうことで悩むこと自体が、子供っぽいのかな…)
 倉内は秋月に礼を言い、大好きな人のところへ向かうのだった。


   ***


 夏が近づいてきてからは、特に図書室の利用が多くなった気がする。冷房が効いて、時間つぶしするには最適な場所なのかもしれない。待ち合わせも、よく見かけた。その一方、本を読む人間はあまりいないのだ。
「陣内さんの好みのタイプって、どんな人?年下と年上なら、どっちが好き?」
「タイプはその時によって違うし、年齢も関係ないね。そういうところに拘られるのは、苦手かな」
「…そっか」
 全然、参考にならない。その上、牽制までされてしまった。
「静は、まだ子供なのだけれどね…」
 ぼそっと呟いた言葉の意味を問う前に、陣内は司書室の中へ消える。物事を自分に都合良く解釈してしまいそうで、倉内はぼんやりと、仕事を再開しようと自分の頬を叩いた。
「倉内くん、今日は随分気合い入ってるね。いや、いつも十分頑張ってると思うけど…」
「千堂先輩。こんにちは、貸し出しですか?」
 図書室の常連とは、倉内もこうやって言葉を交わす。最近なんだか、自分がファミレスのウエイトレス(ウエイターではなく、だ)だと思われているような錯覚を感じるのだが、ただの杞憂であってほしい。
「あ、いや。倉内くんと喋りたかっただけ…って、そんな微妙な顔しないでほしいな!」
「微妙な冗談を言う千堂先輩が、悪いと思うんですけど」
「ごめんって。いや、本気なんだけど」
 別に噛みつくセリフでも、ないのかもしれない。
 ただ普段耳にする言葉や何かで、随分とそういう方面では過敏になってしまっている。
「あんまり変なことばっか言ってると、図書室から追い出すよ。千堂」
 同学年である金本に軽く小突かれて、千堂は慌てたように挙動不審な行動を取った。
「げっ、金本…。あ、俺用事思い出したからまた明日ね!倉内くん」
「はい。さようなら」
「ごめんね、倉内。いつもいつも。千堂のことは、気にしなくていいから」 
 やれやれと同級生を見送った金本は、気遣うように倉内の頭を撫でた。確かに委員活動に関しては勤勉な倉内なので、よしよしとされるのは間違いではない…のだろうか。ペット扱いだなんて風には、なるべく考えないようにする。
(他意はない、多分!)
「別に、気にしてませんけど」
「それはそれで、アイツが可哀想…」
(こういう好意は、なんだかな。嫌なわけじゃないんだけど。おかげで利用者が増えるから、…ってそういう考えは、多分、あまり良くないよね。感じ悪い)
 同じように複雑な感情を、陣内が抱いているのだとしたら。そう想像するだけで、胸が痛い。
 好きでいてもいいのだろうか、時々疑問に思うことだ。迷惑でしかないとしたら、諦められるものなのだろうか。
「倉内、大丈夫?なんだか、顔色悪いけど」
「何でもないんです。ありがとうございます、金本先輩」 
 誰にも相談できない恋を選んだのは倉内自身だから、弱音を吐くわけにもいかない。ただ時々は、愚痴を零したくなる瞬間もある。さっきみたいに。
 好きでいてもいいよと、本人でなくてもちゃんと言葉にして言ってもらった。たったそれだけのことなのに、ほんの少しくらいは、気持ちが軽くなったような気がする。
 せめて迷惑と思われないように、できるのは自分を磨くことくらいなもので具体的には、どうしたらいいものか。
「静。特集の件で、君の意見を聞かせてもらいたいことがあるんだが」
 ドアのところから顔だけ出して、想い人がそう呼んできた。
「はいっ、すぐ行きます!!」
「…ああ」
 露骨に反応した倉内の態度に、若干苦笑を浮かべて陣内が頷く。
 嫌がられているわけではなく困らせているだけだと自惚れるなら、その足取りも軽くなるのだ。


  2007.06.05


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